見えざる鍵

文字数 2,476文字

如月如鏡(きさらぎしきょう)は暫し沈黙した後に諦めた様に教授に向き直った。

「教授は死体を発見した時に密室であったと証言しました」

「あぁ、そうだとも」

「もしも教授がサイコパスだとすると、自分を不利にする様な嘘を付くはずがないという事になり、当然本当の事と言う認識になりそうです」

「もちろん、本当の事だからね」

「しかし、私ならこう考えます……なぜ嘘をつかないのか?と」

「え?」

「もしも、本当に教授がサイコパスなら自分が犯人になりそうな状況で曖昧な表現をするのではなく嘘をついてでも密室ではなかったと言う筈なのではないか?」

「いやいや、警察の人も来てしまったし言い逃れできそうもないからね」

「警察が来る前に部屋を密室にしてしまったと言えば良いのでは?」

「……なんのために?」

「そこは、なんとなく空いていたので閉めたとか適当に理由づけは出来るのでは?」

「そこまで、気が回らなかった、君の言う通り頭の悪い方なのかも知れないね」

「演劇部の高橋さんは北条さんに頼まれて鍵を開けたと言っています」

「それは……彼女が嘘をついているか。まぁ、そうでなくても、他の参加者の誰かが鍵が空いてるのを見て気を利かせて閉めた可能性もある」

「確かにそうですね……でも、なぜ北条みなみさんが鍵を空けておいてと頼んだのかという謎が残ります。部屋には自由に入れる筈ですよね?」

「確か、サプライズの為と聞いているが」

「時に北条みなみさんが自殺なんじゃないかと言う話を聞いた時に自然発火する薬品をネットで注文したかも、知れないと言いましたよね?」

「確かに……もちろん当てずっぽうだよ」

「なぜ、北条みなみさんがご自分で作ったと思わなかったんです?」

「そんなもの……素人に作れる訳がない」

「北条みなみさんは製薬会社の研究員でした、素人ではありません」

「そうなんだ……彼女はいつも仕事の話はしないから」

「知り合って間もない大悟さんは知ってましたけど」

「そういう事もあるんじゃないか?」

「随分と雄弁に語りますね……密室の時とは大違いです」

「……何が言いたいのかな?」

「今まで述べた全てが北条みなみさんと教授はそれほど親しくなかった事を裏付けてます。つまり、指紋認証で登録されていたのは北条みなみさんではなかった」

教授はしばらく沈黙した後初めて眉間に少しだけ皺を寄せた。

「あの……焼けた服は彼女の物だと聞いているが」

「確かにその通りです。つまりは誰かが彼女の死体から服を脱がして彼女に成りすまして防犯カメラに映ったという事になります」

「そんな馬鹿げた事をするメリットがどこにあるんだね?それこそサイコパスだ。常軌を逸している」

「犯人がサイコパスだとしてもそうではなかったとしても、全てに理由はあります」

「常人には理解できない」

「そう、常人には理解できないと思わせる事で本当の理由を隠そうとしたんですよね。それで教授は今でも演じてる訳です……サイコパスを」

「!!!」

「なんだって?でも、あの……最後通牒ゲームで」

堪らず池照刑事が割って入った。

確かに彼が依頼された最後通牒ゲームで今市教授と今井翼がサイコパスの可能性が高かった気がするのだが。

「そのゲームでの結果はある条件下で意味が全く違って来るんです」

「条件?」

「最後通牒ゲームを知っているのかどうか」

「え……あ」

池照刑事は顎に当てた手から人差し指をピーンと伸ばすとなにかに思い当たった。
「あの時、確か最後まで手を挙げなかったのは今市教授と今井翼くん。その次に遅かったのは高橋優子さん。その次に中岡良一くんと森居蘭さんが普通のタイミングで上げて、最も早かった。つまりサイコパス的ではなかったのが鈴原園子さんだった筈」

池照刑事は思い出しながら整理した。

「そうですね。しかし、犯罪心理学のゼミ生のなかには最後通牒ゲームを知っていた人が居てもおかしくはないですし、演劇部の2人は知らなかった可能性が高いですね」

「じゃあ!今井翼くんがサイコパス?それに高橋優子さんも近いって事ですか?」

「最後通牒ゲームは相手を罰しようとする心よりどれくらい自分の利益を優先するかというゲームです。サイコパスは相手に対する関心がゼロなので、相手が得するかどうかや卑怯かどうかには全く関心がありません。そこで1円でも得する方を選んでしまうので最後まで手を挙げなかった場合はサイコパスに近いですが。そうでなければ単純に相手を罰するのが苦手なだけの場合もあります」

「というと?」

「高橋優子さんは相手に優しすぎただけという可能性もあると言うことです」

「では今井翼くんは?」

「わかりません」

「今市教授は?」

「仮にゼミ生が知らなかったという事があっても教授が知らないというのは無理がありますね」

「つまり知っていながらにして、サイコパスと疑われる様にした……ということ?」

「だと思われます。私が最後通牒ゲームで知りたかったのは教授がサイコパスかどうか、ではなく教授はサイコパスだと思われようとしているかどうかだったので」

「ちょっと待ってくれたまえ」

教授が堪らず割ってはいる。

「そう決めつけられても困る。実際に知ってるかどうかは私しか知らない事だろう?」

「では、教授であり犯罪心理学の授業でなんどもサイコパスについて教えているにも関わらず最後通牒ゲームについては知らなかった、と?」

「私だってあらゆる事を知ってるという訳ではないし、知っていたとしても正直に答える可能性だってある」

「サイコパスの診断だと分かった上で正直に答えるという事がサイコパスではないという証明になってる気がしますが」

「そこまで、深く考えてなかったかもしれない」

「利害関係がなければ確かに深く考えないかも知れませんが、犯人だと思われることが損失だとハッキリ証言してますよ」

「そんな事言ったかな?」

「池照刑事と初めて会った時に仰ってました」

「はは、なんでも知ってるんだねぇ……それでも僕の心の中の話だから証明できないと思うよ」

「なるほど……では違う話をしましょう」

教授は能面の様な顔とは裏腹に額に汗を滲ませていた。

こんな教授は初めてみるかも知れない。
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