ミッドナイト・ランニング
文字数 2,000文字
夜中、たまらず家を飛び出した。
やりきれないとき。どうしようもないとき。なにもできない。けれど、いてもたってもいられない。
焦燥感に駆られる。やりどころのない感情。とにかく、とにかく、何かしたい。
しょうがないから、身体を動かす。
ずっとそわそわする。なだめるように走り続ける。
成果もないのに夜中にホイールを回すハムスターみたい。ひとり。
*
私は平日の真っ昼間から寝ていた。具合がよくないのだからしょうがない。寝起きの周期が不確定だ。それに、前の職場でハラスメントを受けて追い出されてから、日中は怖くて活動ができない。昼夜逆転。午後五時くらいになると気力が出る。
ベッドで横たわっていると、凄まじく揺れた。体感は震度五強あったかもしれない。私の中に比較対象がないのだから、正確にはわからなかった。
こんなことがあるとは思っていたから、物が落ちてこないよう寝床の周りには背の高い家具もないようにしていた。阪神・淡路の光景が焼き付いていたのだ。あのときは関東にいても揺れた。
落ちた物はブルーレイディスクのパッケージくらいで済んだ。衝撃が透明プラを突き抜けて紙にまで穴が空いたけど。
テレビをつけて地震情報を確認。情報が混乱している。震源に近い地域の情報が入ってこないからか、都内の火災を生中継している局があるくらい。
地震だけでなく津波も来るらしい。
情報収集して世の中がいつもと違うことが分かったから、気力が出てきた。普段の恐いものは出てこない。恐いのは人間。その人間が地震と自分のことで必死だから。そして私も、いま恐いのは地震だ。余震も続いている。
日が暮れる前に食料確保に出かけた。普段行っている隣駅のスーパーへ。もちろん徒歩。
家の近くの国道が大渋滞。なんでこういうときに自動車で移動しようとする? 自動車が行列で停まっているのをよそに、何十分か歩く。
たどり着くと、店の様子も変わっていた。いつもは売り場の呼び込みがループ再生されている。セール品の紹介とか。けれど流れているのはラジオ。地震のニュース。店長か本部が判断したのだろう。
ニュースの情報はアップデートされていた。地震と津波の被害情報が少しずつ入ってきている。連絡のつく市町村に生で電話インタビュー。
来る客がまだ少ないからか、在庫は普段どおりの感じ。今日明日食べるパンとか以外に、日もちする食べ物も買っておくのがいい。このときは影響がどのくらい長くなるか想像がつかなかったから、あまり買いだめするつもりもなかった。
余震には慣れ始めた。けれど、緊急地震速報の方が恐い。携帯電話のエリアメールが来る、その音に驚かされる。
家に帰り着いても情報収集。地震と津波と。あと、原発の動向が予断を許さなくなっているらしい。刻一刻と現在進行中のことなんだから、早くなんとかしてくれと思う。もどかしい。これはあとで知ったことだが、電力会社や監督官庁がまともに動かなかったらしい。危機感が足りなかったのか、守るべきものを間違えていたのだか。
情報の入ってくる市町村が増えてきた。未だ連絡がつかない市町村がある。気がかりだ。
大きい余震が続く。落ち着いていられない。夜も眠れない。こうしている間にも、避難して野外でさらされている人々がいて、命に関わる状況が続いている。でも、私には何もやれない。もどかしい。
夜中、たまらず家を飛び出した。携帯用ラジオを持って。片耳にイヤホン。
この夜はまだ、街灯は明るかった。まるでいつも通り。しかし、車が少ない。静まり返っている。明るいのに、暗い雰囲気。
連絡のとれない町があるとラジオが言う。インフラが途絶しているだけであってほしい。が、現実的に考えれば、大津波でもっていかれたのではないか。そう思わざるをえなかった。時間が経ちすぎている。
――大槌町と連絡がつかない。
役場が大津波にあって町長はじめ職員も多くの人が亡くなったという。あとで知った。
この町の名は一生忘れない。
*
立川・昭島ハーフマラソンは、駐屯地を震災対応に使用するため中止になった。
世はマラソンブーム。各大会の開催是非が大きな議論になった。
「不謹慎だ」「自粛すべき」なんていうのは薄っぺらい。できることの少ないもどかしさ。感情のやり場を求めて走りたい人々もいる。他方で、心配や抑鬱でとても走れる気分ではないという人々は多い。
物資や義援金を募集するチャリティーを実施して開催する大会もあった。
期間が経つと「被災していない我々が経済を回すことで、被災地を支援すべきだ」という論調が広まっていった。
それにしても、意識的に「回す」ことをしなければ成り立たない貨幣経済って、なんなんだろう?
人が生きていくために経済があるのに、経済を回すために人が必死になっている。
自転車操業。走らないと倒れる。
ホイールを回し続けるハムスター。
やりきれないとき。どうしようもないとき。なにもできない。けれど、いてもたってもいられない。
焦燥感に駆られる。やりどころのない感情。とにかく、とにかく、何かしたい。
しょうがないから、身体を動かす。
ずっとそわそわする。なだめるように走り続ける。
成果もないのに夜中にホイールを回すハムスターみたい。ひとり。
*
私は平日の真っ昼間から寝ていた。具合がよくないのだからしょうがない。寝起きの周期が不確定だ。それに、前の職場でハラスメントを受けて追い出されてから、日中は怖くて活動ができない。昼夜逆転。午後五時くらいになると気力が出る。
ベッドで横たわっていると、凄まじく揺れた。体感は震度五強あったかもしれない。私の中に比較対象がないのだから、正確にはわからなかった。
こんなことがあるとは思っていたから、物が落ちてこないよう寝床の周りには背の高い家具もないようにしていた。阪神・淡路の光景が焼き付いていたのだ。あのときは関東にいても揺れた。
落ちた物はブルーレイディスクのパッケージくらいで済んだ。衝撃が透明プラを突き抜けて紙にまで穴が空いたけど。
テレビをつけて地震情報を確認。情報が混乱している。震源に近い地域の情報が入ってこないからか、都内の火災を生中継している局があるくらい。
地震だけでなく津波も来るらしい。
情報収集して世の中がいつもと違うことが分かったから、気力が出てきた。普段の恐いものは出てこない。恐いのは人間。その人間が地震と自分のことで必死だから。そして私も、いま恐いのは地震だ。余震も続いている。
日が暮れる前に食料確保に出かけた。普段行っている隣駅のスーパーへ。もちろん徒歩。
家の近くの国道が大渋滞。なんでこういうときに自動車で移動しようとする? 自動車が行列で停まっているのをよそに、何十分か歩く。
たどり着くと、店の様子も変わっていた。いつもは売り場の呼び込みがループ再生されている。セール品の紹介とか。けれど流れているのはラジオ。地震のニュース。店長か本部が判断したのだろう。
ニュースの情報はアップデートされていた。地震と津波の被害情報が少しずつ入ってきている。連絡のつく市町村に生で電話インタビュー。
来る客がまだ少ないからか、在庫は普段どおりの感じ。今日明日食べるパンとか以外に、日もちする食べ物も買っておくのがいい。このときは影響がどのくらい長くなるか想像がつかなかったから、あまり買いだめするつもりもなかった。
余震には慣れ始めた。けれど、緊急地震速報の方が恐い。携帯電話のエリアメールが来る、その音に驚かされる。
家に帰り着いても情報収集。地震と津波と。あと、原発の動向が予断を許さなくなっているらしい。刻一刻と現在進行中のことなんだから、早くなんとかしてくれと思う。もどかしい。これはあとで知ったことだが、電力会社や監督官庁がまともに動かなかったらしい。危機感が足りなかったのか、守るべきものを間違えていたのだか。
情報の入ってくる市町村が増えてきた。未だ連絡がつかない市町村がある。気がかりだ。
大きい余震が続く。落ち着いていられない。夜も眠れない。こうしている間にも、避難して野外でさらされている人々がいて、命に関わる状況が続いている。でも、私には何もやれない。もどかしい。
夜中、たまらず家を飛び出した。携帯用ラジオを持って。片耳にイヤホン。
この夜はまだ、街灯は明るかった。まるでいつも通り。しかし、車が少ない。静まり返っている。明るいのに、暗い雰囲気。
連絡のとれない町があるとラジオが言う。インフラが途絶しているだけであってほしい。が、現実的に考えれば、大津波でもっていかれたのではないか。そう思わざるをえなかった。時間が経ちすぎている。
――大槌町と連絡がつかない。
役場が大津波にあって町長はじめ職員も多くの人が亡くなったという。あとで知った。
この町の名は一生忘れない。
*
立川・昭島ハーフマラソンは、駐屯地を震災対応に使用するため中止になった。
世はマラソンブーム。各大会の開催是非が大きな議論になった。
「不謹慎だ」「自粛すべき」なんていうのは薄っぺらい。できることの少ないもどかしさ。感情のやり場を求めて走りたい人々もいる。他方で、心配や抑鬱でとても走れる気分ではないという人々は多い。
物資や義援金を募集するチャリティーを実施して開催する大会もあった。
期間が経つと「被災していない我々が経済を回すことで、被災地を支援すべきだ」という論調が広まっていった。
それにしても、意識的に「回す」ことをしなければ成り立たない貨幣経済って、なんなんだろう?
人が生きていくために経済があるのに、経済を回すために人が必死になっている。
自転車操業。走らないと倒れる。
ホイールを回し続けるハムスター。