消失か出現か

文字数 5,899文字

「これはまた立派なお屋敷だね」
 招待客の一人、トニー・ガルシアが中に入るなり言った。ネクタイの結び目をいじりつつも、天井を見上げている。落ち目の俳優だが、二枚目の面影はまだ十二分に残っていた。
 車を降りてから彼の腕に抱きついたままのレイチェル・ラスターも、恋人に倣って見上げた。愛嬌のあるブロンド美人だが、口をぽかんと開けた今の様はいかにも間抜けである。女優志望で、ガルシアに引っ付いていればチャンスが巡ってくると信じている節が常に見え隠れしている。
「ルイス、随分と古びた館だな。とんでもないいわく因縁話がありそうだ」
 引き続いて玄関をくぐったのは、銀髪のディック・リンゼイ。紳士然とした身なりの反面、かなり怪しげな骨董商売を生業にしている。親友でなければ、まずは呼びたくない客の筆頭に分類されよう。
「察しがいいな。君の言う通りだとも」
 私、ルイス・パターソンは大げさにうなずいてみせた。そして素っ気なく付け加える。
「今を遡ること六十年ほど昔、館の主がここから消え失せたのさ」
「それは失踪したという意味? それとも文字通り、消失したとでも?」
 エリカ・ブラントがリンゼイの後ろから、待ちかねたように細身を滑り込ませた。背の高い黒人女性であるエリカは、一見するとバレーボールかバスケットボールの選手に思えるが、本業は推理作家だ。かなり稼いでいるはずだが、現在離婚調停中で金が入り用とも聞く。
「言葉の使い方は正確にお願いしたいわ」
「私も直に見た訳ではないからね。だから正確を期して表現すると……消失したと聞いている」
 冗談めかしたつもりだが、エリカも誰も笑わなかった。私は肩をすくめ、彼ら四人を中に通すと、自分の手で玄関のドアを閉めた。それから応接間に案内した。
「まあ、適当にかけてくれたまえ。館にまつわるいわく因縁は、本題であるゲームの説明と一緒にゆっくり話すとしよう。ご褒美が懸かっているんだから、気合いが入っているだろうしね」
 私が“ご褒美”と口にした瞬間だけ、皆の目付きが変わったように見受けられた。皆の弱味を私は握っている。それも、やろうと思えば脅迫が可能なほどの大ネタばかり……。
「早く聞きたいものだ」
 手をこすり合わせつつ、リンゼイが言った。
「その前に飲み物でも用意しよう。あいにくと執事の類は雇っていないので、私の手ずからによるコーヒーか紅茶になるが、いいかな? ああ、酔っ払ってもかまわなければ、酒もあるにはある」
 酒を所望する者はいなかった。たとえほろ酔いでも、このあとゲームすることを考えるとまずいという判断が働いたようだ。
 彼ら四人の前にカップを並べたところで、私は話を再開した。
「先に、君達の気にしていることを明言しておこう。これから行うゲームに勝った者には、私からご褒美もしくは十万ドルの賞金いずれかを贈ると約束する」
「言葉を明確にしてもらいたいわ」
 エリカが不満そうに唇を尖らせた。
「ここにいる全員が、あなたに弱味を握られていることは、最早周知の事実でしょうに。“ご褒美”とはその弱味の証拠。それを明言してくれないと意味がないわ」
「分かった。十万ドルなんて誰も選ぶまい」
 私は両手を軽く挙げ、言われた通りにした。ついでに証拠品を示してやる。手紙とフロッピーディスクと診断書、それにイニシャルの刻まれた指輪。これら四つの品を封筒に仕舞い、懐に隠した。
 四者四様の視線を観察しながら、こちらも忘れずに切り返す。
「君達も宣言してくれ。勝利できなかった場合、私にご褒美を渡すとね」
 そうなのだ。彼ら四人も私の弱味を握っている。だからこそ、今まで均衡が保たれて来たのだ。
「無論だとも」
 真っ先に請け合ったのはリンゼイだった。
「例のフィルム、ちゃんと持って来たぞ」
 胸ポケットに手を当てる身振りをしたが、果たしてそこに問題のフィルムが入っているのかどうか、怪しいものである。
「私はテープね」
 と、エリカ・ブラント。彼女は小さなカセットテープを取り出した。が、これとて中身を確認するまでは信用できない。
「そらよ」
 ガルシアはビニールで厳重に包んだ三角形の物を取り出した。中身の古びたガス銃が私の欲する本物なら、私の指紋が付いている……。
「私が最後ね。もったいぶりたくなるシチュエーションだけど、急いだ方がよさそう」
 そう言いつつ、もたもたしたレイチェル・ラスターが示したのは、薄っぺらい壁紙の切れ端。本物なら、これにも私の痕跡が残っている。
「確認は勝負が決してからでよかろう。さっさと次に進ませてもらうよ。ゲーム終了後は庭でバーベキューパーティだからな。昼食を遅くしたくないだろう」
「まあ嬉しい。そちらの方に参加費はいらないのかしら」
 エリカが言った。こちらの神経に障る物言いを狙ったのだとしたら、彼女の方が本職のガルシアよりも演技上手かもしれない。
「さて、先程言った消失のことだが……この館の前の主は、呪いによってこの世からきれいさっぱり消え失せたとされている」
 私は因縁話を始めた。と言っても、実はでたらめのエピソードだ。館には別のいわくがあるのだが、それを明かすとこのあとのゲームで私の勝ち目が薄くなる。逆に、事実を伝えない限り、私の勝利は決まったようなもの。
 究極の幻想魔術師と呼ばれたフレデリック・フィルダーが自ら設計に関わり、建てさせたという代物でなければ、私がこの館を購入することはなかった。このことは極一部の奇術マニアしか知らず、私も雲を掴むような頼りない噂を辿って、幸運にも真実に行き着いた。
 フィルダーの作った館は噂通り、仕掛けに溢れていた。無論、取扱説明書が存在する訳じゃあない。だからその全てを把握してはいないが、判明しただけでも驚嘆に値するマジック的趣向が、館のそこかしこに盛り込まれていた。
 たとえば、壁に掛かる抽象画が錯覚を引き起こし、人物の身長を見誤らせるトリック。
 これと同工異曲なのが、部屋の形そのものをいじることで遠近法を利した錯覚を生むトリック。単独では有名なこれら二つのトリックを併用し、相乗効果を上げている辺り、フィルダーの非凡さを垣間見る思いだ。
 もしくは“四次元階段”。他人の目が届く位置までは階段を昇っているように見えるが、死角に入った途端、下っていくという構造だ。
 またあるいはより単純に、実際は二階分しかないのに外壁は三階分取っているとか、同サイズの部屋が二つ並んでいると見せかけて実際は一部屋に二つのドアを取り付けているとか、細かい遊びはいっぱいある。
 しかし、私は今回のゲームを前に、これら見た目にも明らかな仕掛けの類は一切取り払った。そうしないと、この館には仕掛けがあるのだと参加者に認識されてしまう。
「――私も前の主に倣い、この館の中から消えてみせようと思う」
 殺人事件だの死刑場だの墓場だの、さらには悪魔だの霊だのとおどろおどろしい装飾をした嘘の因縁話を語り終え、私はいよいよゲームの説明に取り掛かった。腕時計を一瞥し、話を続ける。
「現在、十時五分。スタートは十時十五分からとしよう。諸君は私に十五分の時間をくれたまえ。十時十五分から十時半までは、みんな、館の外に出てもらう。その間に私は館から消え失せる」
 言葉を切ってみたが、息を飲む気配が沈黙に混じるだけだった。
「君達の中で、私を最初に見つけ出した者を勝者とする。ただし、ずるずるといつまでも探されては興ざめだから、制限時間を設ける。十時半から十二時半までの二時間だ」
「制限時間内に誰も見つけられなければ、君の勝ちか」
 リンゼイがこめかみを押さえながら言った。その横顔は、第三者の目には哲学者のごとく映るかもしれない。仮に彼がどんなに姑息なことを考えていようとも。
「いや。それではハンデがありすぎると思ってね。心優しい私は、私自身に一つの条件を課した」
 芝居気たっぷりに微笑んでやった。
「制限時間内に、この館の露出している壁のどこかに大きく文字を書く。“I lost myself,I will win.”とね。これを達成した上で君達に見付からなかったとき、本当の勝利宣言をするとしよう。見付からなくても、壁に文を書けなかった場合は引き分けとする」
「……おかしな表現……」
 不機嫌そうにしわを寄せ、呟くエリカ。私は「分かっていてやっているんだ」と抗弁した。
「lostとwinを並べてみたかったんだよ。それに短い文よりも長い方がいいだろう」
「ま、何でもかまわないわ。予想していたよりは面白そうじゃないの」
 エリカは言いながら、ハンドバッグの口を開けて一冊の文庫本を取り出した。目を凝らし、『シャーロックホームズの冒険』と分かった。
「退屈だった場合に備えて、これを読み返すつもりで持って来たんだけれど、いらなかったようね」
「いやいや、ホームズ譚を携えてきたとは侮れないな。尤も、私を見つけ出すには、デュパンの方が参考になると思うがね」
 冗談を言い、時刻を確かめる。十時十五分まであと四分少々。
「探索に当たっては、館を破損しないように頼むよ。破損した場合は弁償してもらう」
「呪いが恐ろしいから、そんなことしたくてもできやしない」
 大げさに震える様を見せたレイチェルだが、どこまで本気で言っているのかは量れない。
「さて、私からは以上だが、質問は?」
「我々が互いに協力してもいいのかい? たとえば数ある部屋を分担して探すとか」
 ガルシアから早速質問が来た。
「かまわないが勝者は一人だぜ。あとで揉めないようにしてくれ」
「うむ」
 ガルシアはうなずき、すぐそばのレイチェル・ラスターと視線を交わした。
 こちらからすれば二人掛かりだろうが四人掛かりだろうが、関係ない。
「もういいかな。――では、始める前に肝心なことをしておこう」
 私は各自の持つ時計の時刻を揃えるように言った。
「只今、十時十三分三十秒。そろそろ始めるとしようじゃないか。さっき行ったように、準備をするので君達は外に出ていてくれ。再び入っていいのは十時半になってからということを忘れずに」

「ちょうど半分か」
 正方形の狭い部屋で、私は時間を確かめた。椅子一つがあるのみの空間は、前後左右に壁が迫ってくる感じだ。上方向だけは随分と余裕がある。常夜灯の小さな明かりが付けられた天井まで、椅子に載っても手が届くかどうか。
 私は十五分の猶予を利して、隠し部屋に身を潜めた。魔術師フィルダーの発案による隠し部屋は寝室の戸口のすぐ横、つまり壁の中に巧妙に設けられていた。これも装飾による錯覚を利用しており、一見すると人ひとりが潜めるとは思えない厚さなのだ。実際に入っている私ですら、最初の頃は信じられなかった。
 通気もきちんとされ、多少気温が高い点と用足しができない点を除けば、二時間ぐらい楽に過ごせよう。
 隠し部屋に出入りするための扉は、寝室内の電灯のスイッチと廊下にある電灯のスイッチをあるパターンで入り切りすることにで開く。パターンは単純なのだが、その仕掛け自体に気付くのが難しかろう。三十分ほど前と十分ほど前に、廊下や寝室を歩き回る気配がしたが、散々探し回った挙げ句、この秘密に気付くことなく素通りしていった。
 ここに隠れていれば、まず見付かることはあるまい。あとは壁に文字を書くことだけだが……それについてもフィルダーの恩恵に与る予定だ。
 フィルダーが発明したという特殊な液体を使って、前もって三階の南向きの部屋の壁に例の文字を書いておいた。そのままでは透明で見えないが、日光を浴びると化学的反応により、紫色になって浮かび上がる。すでに実験済みであり、失敗はあり得ない。今日の天気が快晴であることは言うまでもない。正午過ぎに窓から太陽の光が差し込み、文字が壁に浮き出るはずだ。
 私は四人から証拠品を取り返したあとのことに思いを馳せ、薄明かりの中でほくそ笑んだ。
 と――それから数秒と経たぬ内に、鼻孔を刺激するにおいを嗅ぎ取る。香ばしい、いや、どちらかと言えば焦げ臭い。通気口がどこに通じているのかまでは把握していないのだが、この館の中かすぐ近くが源であるのは確かだ。
(連中の誰からあきらめて、台所で勝手に何か作り始めたか?)
 そんな想像をした矢先、今度は耳に人の声が届いた。隠し部屋の中とはいえ、囲む壁は薄く、支障なく聞こえる。
「火だ!」
 何?
 ガルシアかリンゼイか、男の声でそう聞こえた。耳をすまそうとしたところへ、「火事よ!」「消せそうにない。逃げないと!」と続く。
 私は椅子から腰を浮かした。壁に手を這わせ、秘密の扉を内側から開けるためのスイッチを探す。
 しかし、私は寸前で思い止まった。
 本当に火事が起きているのだろうか?
 この騒動は四人の誰か、いや、全員が組んで、私をあぶり出すための嘘ではないのか。
 私はにおいを気にしつつ、考えるために座り直す。手はとりあえずスイッチから離した。
 程なくして私はあることに気付き、笑みを浮かべる。
 エリカだ。
 これは偽の火事で、計画したのは推理作家のエリカ・ブラントだろう。彼女は『シャーロックホームズの冒険』を持って来ていたではないか。あの短編集には、偽の火事騒ぎを起こす奸計を描いた作品が収録されている。エリカはそれを流用したに違いない。
 この焦げ臭いにおいも、庭に用意してあるバーベキューのセットから固形燃料を二つ三つ取ってきて薪を燃やせば、容易く演出できるではないか。
 私はエリカのアイディアに感心すると同時に、それを看破した自分自身を賞賛した。十二時半を迎えるまで、梃子でもここを動くまいと腕組みをする。
 だが、事態は刻々と変化し、決心を鈍らせる。
 においがきつくなってきたのだ。最早焦げ臭いというレベルでなく、石油製品が溶けたようなにおいが混じった気がする。
 私の名を呼ぶ叫び声が遠くから響き、さらに火によって何かのはぜる音が聞こえた……いや、気のせいだ。いくら何でもそんな音までは聞こえまい。
 念のため、壁のスイッチを再度探る。
 ――壁が熱を持ち始めた?
 手を素早く引っ込めた。かぶりを振る。これも気のせいだ。気のせいに違いない。
 思い込もうとする私の額を、汗が一筋、二筋と流れ落ちる。視界が心なしか煙ってきたようだ……違う、汗が目に入っただけなんだ!
 しかし。
 気温が一段階、上がっただろうか。それにどことなく息苦しい。
 これは、こんな狭いところにじっとしていたからなのか?
 それとも本当に火事が起き、辺りが炎に包まれつつあるのか?
 決断を迫られていた。

――終わり
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