花咲くように

文字数 2,853文字


 髪を結っている。みかの髪を、結っている。

 みかは基本ウィッグを被っている。もともとの髪では似合わないから、というのが理由だ。似合わないのは前髪が長すぎるせいだろうけど、切りたくないのでは仕方がない。

 それにウィッグの方がいろんな髪色や髪形を楽しめる。ロングヘアにショートヘア、ボブなんかも似合っているし、最近またはやっているウルフカットのウィッグも持っている。

 しかしみかはヘアアレンジができない。髪の毛を一つに結ぶのもままならないので、ヘアアレンジを楽しみたいときはわたしに頼む。

 簡単だろうとたかを括っていたけれど、ウィッグは毛量が多くて扱いづらい。髪の毛をすくコームがあったので、それを買って毛量を落とし、いくらか扱いやすくなったものの、自分の髪でヘアアレンジをするのとでは要領が違う。ポニーテールは自分の髪の方がやりやすい。だけど編み込みとか、フィッシュボーンとか、そういうのはみかの髪の方がやりやすい。

 今日の服装はクラシカルなリボンタイ付きのスタンドカラーブラウスに、緑のギンガムチェックの膝丈スカート。茶色のベレー帽とパンプスがよく似合っている。みかは脚もきれいなので、膝下くらいなら出しても気にしないのだ。髪はわたしとよく似た栗色の、ストレートヘア。

「髪の毛、ちょっと物足りないんじゃない?」
「侑花、何かしてくれる?」

 二つ返事で請け合って、安いネットカフェに向かった。カラオケボックスやラブホテルより安いし、こんな用途だけでも怒られないからわたしたちは重宝している。

 今回はフィッシュボーンにしよう。帽子もあるし、少しおかしくなっても隠せる。

 毎回やり方を忘れてしまうので、解説動画を見ながらみかの髪を結った。毛束を右に左に組んでゆくのは、幼いころによくやったリリアンを思い出す。だいぶ違うけど、編んでゆくのは同じ。幼稚園の先生たちが作ったお手製リリアンの編み機に糸を巻き付け、編んだ。でも、みかの髪を結う方が楽しい。そのうち解かれてしまうと、リリアンのように残らないとわかっていても、楽しい。

 それに、編んでいる間は嫌なことも忘れられる。

「ねえ侑花」
「なに?」
「何かあった?」
「ううん、何にも」
「嘘つきめ」

 そうは言いつつも、みかは詮索をしなかった。言いにくいことだからありがたい。

 残暑が厳しいのに大学は始まって、うだるような暑さに辟易していた日のことだった。

 ハンディファンを持ってひとり学食で涼んでいると、澤田くんの友だちが近寄ってきた。この前、好きな人って誰、と訊いてきた彼。

「なあ、この間めっちゃ可愛い子と歩いていなかった? 黒髪の、ワンピース着てた子」
「う、うん。それがどうかしたの」

 まるでデートの現場が見つかった中学生男子のような反応だな、と我ながら思う。でも気持ちとしてはそんな感じ。好きな子と出かけているのを見つかったら気恥ずかしいし、本人に変なことを言われないか心配になって当然だ。「本人」が誰か、わかっていなかったとしても。

「あの子、紹介してくれない?」
「やだ」

 即座に口をついて出た。男の子はなんで、どうして、と質問攻めにするけど、なんでって言われても、どうしてって言われても、だめなものはだめなのだ。

 みかをとられたくない。

 その思いももちろんあったけれど、一番危惧したのはみかが三上と露呈してしまうことだった。そんなことが起きてしまったら三上はいたたまれないだろうし、わたしともう遊んでくれなくなるだろう。そうしてみかと会えなくなるのは、どうしても嫌だった。

「ごめん、あの子恋人いるんだよね」

 そう言ってどうにか切り抜けたけど、彼氏って言った方が自然だったな、と後悔することになるのだった。

 そんな話をみかにしてどうする。みかの負担になるようなことは話したくない。

 みかと三上が同一人物だとわかるのはわたしだけだし、他の人の目から見てもみかと三上は別人だ。そのことが今回はっきりとわかったからよかったものの、もし三上だとばれていたら、みかは心を痛めるだろう。そしてわたしの前から姿を消すだろう。

 ぞっとする。そんな恐ろしいことが起こらないことを、切に願う。

「みか、こんな感じでどう?」

 わたしの願いも編み込まれたフィッシュボーン。鏡をみかに手渡すと、ぱっと表情が明るくなる。わたしは、この瞬間が好きだ。
 その表情を見て、三上が女の子の恰好をしてみたい、とわたしに打ち明けたときのことをふと思い出した。
 どうして、と問いかけると、しどろもどろに答えた、三上。どうしての中には、どうしてわたしに頼んだの、と、どうして女装してみたいの、の二つの理由があったけど、三上は片方にしか答えなかった。大した理由はなくて、女の子の恰好をしてみたいだけだ、と。とりたてて仲が良かったわけでもないのに。ときどきメッセージのやり取りをする程度だったのに。

「言いにくいならいいよ。手伝う」

 頷くと、長い前髪に隠れてわかりづらかった表情が、花咲くようにほころんだのがわかった。この人はどんな女の子になるんだろう。そんな興味だけで、三上が女の子になるのを手伝うようになった。

 わたしの手助けがなければ女の子の姿になれなかった三上が、あっという間に「みか」になった。その上達ぶりは喜ばしいものであったけど、わたしはもう必要ないんだな、と感じることもある。

 それこそ、みかが自分で選んだ服に自分で施したお化粧で出かけ、その姿をあろうことかクラスメイトに見られ、クラスメイトがみかを気になりだすくらいだ。三上がみかになるために必要なのは、ウィッグと、洋服と、化粧道具。わたしはもう、必要ない。

「ありがとう! やっぱり侑花に頼むと可愛くなる!」

 その一言に、まだ必要とされているのだな、と薄暗い安堵を覚える。

 嫌だな。みかといると、自分の感情が汚く見えてならない。一緒にいると自分もうつくしくなったように気分が高まるけれど、ある瞬間、ほんの些細な瞬間に、自分の醜さを思い知るようで、嫌だ。それなのにみかから離れられない。それは、やっぱりみかのことが。

「侑花、今日はどうする? せっかく可愛くしてもらったから、おしゃれなところに行きたいな」

 みかの声で、黒々とした感情から引き戻される。低めの、涼やかな声。突如吹き込んできた風のようだった。

 おしゃれなところ。だとしたらこの間話していた、わたしの家の近くにある喫茶店は向いていない。駅のはずれにぽつんとあるお店だから、他に見るものもない。行き慣れているし、格好つけて行くところでもない。

「じゃあ、香水作りに行こう。街もきれいだよ」
「楽しそう! 行く!」

 香りにもこだわるみかだから、きっと喜ぶだろう。何週間か前に見つけたその店を覚えていてよかった。

 その店でわたしたちは、これから訪れる秋と冬によく合う香水を調合してもらった。みかの香りは冬の空気のように張りつめていて、わたしの香りはその先の春まで待ち遠しいかのように、華やかな香りになった。
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