水曜日

文字数 804文字

 その次の日、世界の裏側というほど遠くに住む法皇様が、テレビで皆に「祈りましょう」と呼びかけていた。
 それを見て僕は思わず祈っていた。祈らずにはいられなかった。
 僕と同じように、世界中で多くの人が祈りを捧げているようだった。教会には、その日までに罪を懺悔しようとする人たちが行列を作っていた。まるで、天国行きのチケットを買い求めるように。
 僕はふと、顔を上げた。一体何を祈るというのだろう。疑問が僕の頭をよぎった。もちろん神に祈る習慣はあったし、ひとつの宗派を統べる法皇様を畏敬していた。しかし、僕は神に何を祈ったらいいのかわからなかった。
 世界が滅びないように? それとも安らかな最期を与えてくれとでも? 祈るべき神が人類を滅ぼそうと決めたのかもしれないのに。
 僕は動揺した。これまで信じていたものが根底から覆されてしまった感覚に、いたたまれなくなり身体が震えた。
「仕事はどうする」
 思わず父さんに訊ねていた。何かしなければ、祈るよりもやらなければならないことがあるのではと焦っていた。
 我が家はトウモロコシ農業を生業にしていた。今年の収穫は丁度終わったものの、次の実りをただ待つわけにはいかない。すぐに来年の準備に取りかからなければならないし、やがて来る冬を越す支度をしなければならないのだ。
「何を言ってる。もうすぐ世界がなくなっちまうってのに、仕事をする馬鹿がいるか」
 父さんは苛立つように煙草を灰皿で揉み消した。
 そう、僕は馬鹿だ。家業を手伝うために進学はしなかった。だからテレビのニュースだって半分もわからない。別に後悔はしていない、自分自身で決めたことだ。でも弟たちには満足な教育を受けさせたくて、弟たちの分も働いてきた。うちは決して裕福じゃないのだから、働かなければならないんだ。
 僕は耕運機の整備に外へ出ようとドアを開ける。それが閉まる時に見えた父さんの背中からは父さんの感情が測れなかった。
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