土曜日

文字数 1,247文字

 その次の日の朝、リビングからテレビが消えていた。夜のうちに父さんがどこかに捨てにいったらしい。弟も驚いていたが、すぐにそれを察して「なぜ」とは訊かなかった。

 午後になり、家族みんなでマーケットへ行くことになった。朝に母さんが提案したことだった。
 僕の住む街は暴徒と縁もなく、店員がいなくてもレジに代金を置いていくような田舎町だったから、特段に身の危険を感じることはなかった。
 しかし、四歳の妹はこの日、朝から格別に機嫌が悪く、頑なに外出を拒んだ。テレビがなくなったことに一番フラストレーションを溜めていたのは妹だったようだ。ならば気分転換に外出すればいいのに、彼女は自己主張したいために、こちらの望むことの逆をして、人を困らせなければ気がすまないのだ。
 待望の女の子、彼女は生まれたときから特別だった。大概のことは許され、こちらが折れるほかない。彼女は幼くして、我が家の君主だった。仕方なく僕は妹と家に残ることになった。
 昼食を作り、妹の前に出した。妹はプレートを眺め不服そうに眉をひそめた。
「いらない」
 僕はため息をついた。妹に散々メニューを訊いて作ったというのに。
「どうして」
「食べたくない!」
 この手のわがままは日常茶飯事ではあったが、いつにも増して機嫌が悪い。
「じゃあ、何が食べたいの」
「お菓子が食べたい!」
「駄目だよお菓子は。さあ、ご飯を食べて」
 僕は苛立ちを隠しながら、声色を落ち着かせることに気を配った。
「嫌っ! お菓子が食べたい! お菓子が食べたい!」
 彼女は叫びながら、目の前のプレートを手で大きく払った。床に散らばるプレートの甲高い音が響いた。そこで僕の我慢が一気に限界へ達し、苛立ちを手に込めて机を大きく叩いた。
「勝手にしろ! もう食べなくていい!」
 僕は怒鳴った。普段と違い、なぜか抑えることができなかった。彼女は悔しそうに下唇を尖らせると、目からポロポロと涙を流し、こらえきれずに泣きだした。
「ママー!」
「うるさい!」
 僕は負けじと叫ぶ。すると妹はさらに泣き声を大きくし、ヒステリックに泣き喚いた。
 僕は席を立ち、その声から逃げるように洗面所へ入るとドアを閉めてしゃがみ込む。目を固くつむり手で耳を塞いだ。
「なんで……!」
 なんでもうすぐ世界が終わるというのに、穏やかでいられないんだ。耳を塞いでも妹の泣き声は変わらずに僕の良心を責め立てる。
 僕は観念するようにゆっくり手を下ろすと、目を開いた。洗面所から出ると、泣きじゃくる妹にゆっくり近づいた。
 なんてひ弱で無防備な存在なのだろうか。僕が泣かせてしまったというのに、一生懸命に声をあげて泣く妹が、なぜかとても愛おしくなった。
 彼女ももうすぐ消えてしまう。その時もまた、こうして泣いているのだろうか。恐怖に支配されて。それならば、いっそ。僕は妹の背後から手を伸ばした。
「ごめんな、兄さんが悪かった。ごめん」
 僕は妹を抱き上げ、胸の中で抱きしめた。なんとか機嫌を治してもらおうと丁寧にあやしながら、心から妹に詫びた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み