第1話

文字数 1,749文字

 静御前(しずかごぜん)は白拍子である。望みとあらば舞うのが務め。
 しかし、いまの静御前は舞を披露する気持ちにはとうていなれぬ、あわれな境遇にあった。そのため、度重なる(めい)に、もっともらしい理由をつけて断り続けていた。
 だが、とうとうそれもかなわなくなった。
「鶴岡八幡宮にて舞を納めよ」
 鎌倉殿と呼ばれる源頼朝の本拠地、鎌倉の鶴岡八幡宮である。
 静御前が心から慕い、頼朝にとっては弟であるはずの源義経を都落ちへと追いやった、その張本人のまえで舞えというのだ。頼朝自身は、静御前の舞に、おそらくさほど関心がない。妻の北条政子がそれは熱心に静御前の舞を御所望(ごしょもう)なのである。
 気乗りがしないながらも、腹を決める。
 いまの静御前の心を()めるのは、愛しきあのおかた、ただひとり。

 

     



 頼朝は激怒した。

義経への想いを唄ったのである。よもやただですむとは思うまい。
 激情に駆られる頼朝をなだめたのは、ほかでもない北条政子である。
「もしわたくしが同じ境遇であったなら、やはり殿を慕う歌を唄ったことでしょう。お忘れでしょうか。わたくしも、あの夜、父上やみなの反対を押しきって、雨のなか、山を越えて殿のもとへ参りましたことを」
 当時、伊豆の流人であった頼朝との婚姻に、父である北条時政は反対であった。政子をほかの者のもとへと嫁がせようと画策し、それに反発した政子は夜の山道を越えて頼朝のもとへ走ったのだった。
 政子の言葉に感じ入り、頼朝は怒りを鎮め、静御前に褒美を与えた。この鶴岡八幡宮への参詣は、頼朝と政子の娘である、心を病んだ大姫のためのものでもあったのだ。
 だが、それではすまなかった。
 静御前は義経の子を孕んでいた。
「生まれたのが女であればかまわぬ。だがもし生まれたのが男であれば、生かしてはおけぬ」
 これだけは、頼朝は(がん)として曲げなかった。
 赤子が女であれば、静御前の娘、白拍子の子である。
 赤子が男であれば、武士である源義経の息子である。
 たとえ父を知らぬ赤子であろうとも、長ずれば、いずれ源氏に(あだ)なす存在となるやもしれぬ。いらぬ仏心(ほとけごころ)を出したが最後、後悔する羽目になるであろう。
 平清盛にとって、この源頼朝がそうであったように。
 そう、なぜあのとき、清盛どのはわたしを殺さなかったのだろう、と頼朝は当時に思いを馳せる。清盛の早世した異母弟(おとうと)である家盛に、頼朝が似ていたらしいとも聞く。そのため、家盛の母である池禅尼(いけのぜんに)が清盛にとりなしたという話もある。真偽のほどは定かでない。
 ただ、後年、そのことを清盛がひどく後悔したに違いないことは明らかである。いまわの(きわ)に清盛が遺した遺言は、
「平家一族郎党、命尽きるまで、なんとしても頼朝を討ち取れ。その首を墓前に供えよ」
 であったという。
 あのとき、頼朝を生かしておかなければ、こうして平家一族が滅亡することはなかったやもしれぬ。たったひとつの判断の過ちが破滅への一歩となりうるのだ。
 清盛には恩を感じている。彼の温情がなければ頼朝はいまここに存在していない。平家追討の折、頼朝は、安徳天皇とその母である建礼門院(けんれいもんいん)だけは丁重に保護せよと命じていた。
 だが、頼朝は清盛のようにはならない。不穏な芽は早いうちに摘み取り、けっして火種は残さない。
 静御前の子が男なら生かしておくわけにはいかぬ。それだけは確かであった。

 月が満ち、生まれた赤子は男であった。
 頼朝の命令は絶対である。泣き叫び、力の限り抵抗するも虚しく、静御前の手から赤子は奪い取られてしまう。生まれて間もない小さな命は、由比ヶ浜の冷たい海に沈められた。
 ただひとり愛する義経との、身を引き裂かれるような別離を経て、生まれた稚児(ややこ)さえも奪われた静御前の境遇に、あまりにもあわれであると同情した北条政子と大姫は、のちに京へと戻る静御前と母の磯禅師(いそのぜんじ)に多くの宝物(ほうもつ)を持たせた。

 鶴岡八幡宮での奉納ののち、静御前は大姫の依頼により、べつの場所でも舞を奉納している。幼いながらも、父である頼朝により愛しい相手を永遠に奪われた大姫に、自らの身と重ね合わせて、つかのま心を寄せたのかもしれない。

 京へと戻ったはずの静御前のその後の足取りは(よう)として知れない。

 

 

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