お風呂禁止

文字数 1,754文字

 「え、あなたはもう筋肉痛なの。さすが若いなあ、私も歳を感じるわあ」
言った方も言われた方も得しないのに、なぜか存在している決まり文句がある。
 筋肉痛が遅れてくるのは加齢のせい、これにはちゃんとからくりがあって、大人の体にはある程度の筋肉がついていて、その身体機能に対して子供ほどの負荷をかける運動をなかなかしないから、その程度の筋肉痛しかやってこないだけなのだ。ということを何かのテレビで見たことがある。要するに筋肉痛の出方は運動の仕方の違いであって、もし大人も自らの身体をいためつけるほど負荷をかけたらば、子供の時のように、直後にフレッシュな筋肉痛がやってくる、ということだそうだ。
 運動に限らず、歳を重ねるごとに「自分を痛めつけすぎない」さじ加減で行動するというのは、なんとなく思い当たる節があり、どきり、とする。たいした筋肉痛にもならない大人には、新しい筋肉もつかない。がむしゃらに飛んで走って遊びまくる子供たちは、みるみると大きくなり、あちこち強固になっていくのである。
 さて、何の話かと思われるやもしれないが私は成人して「大人」になったと思った矢先、文字通り「地団駄を踏んだ」ことがある。
 とある冬の夜のこと。当時大学生の私は、就活のインターンシップで地元の東京を離れ、大阪のインターンシップに参加していて、その日は人事の方との交流会(飲み会)だった。ちょうど兄が京都で大学生をしていた(しかも訳あって同級生だった)ので、その日は兄の家に泊まることになっていた。
 しかし、京都の冬の夜はとても寒い。まして酔った後なので、身体はさらに冷えていた。インターンシップではMAX神経をとがらせていたので、心もヘロヘロである。そのとき、頭にある望みは「あったかいお風呂に入って、早く寝たい」のひとつだった。
(飲み会で遅くなりましたが、これから帰ります。お風呂、ヨロシク!!)
といったLINEを兄に送りつつ、大阪梅田から京都まで、慣れない阪急線を乗り継ぎ、なんとか帰宅した。
ただいま~ああ寒い寒い、お風呂お風呂・・・と楽しみに風呂釜をあけるや、なんとお湯が張られていない。
「私、これから帰るって言ったよね?!お風呂だけを楽しみに帰ってきたのに、どういうことなん!」
「だって、酔って脱水状態の身体でお風呂に入って、のぼせたり倒れたりしたらどうするの。お母さんもいないところで、無責任なことはできません。今日はシャワーにしなさい。」(同級生のくせに、やはり兄である。)
「えええ、そんな、やだ、入りたい、やだ。入らせてよお!寒いんだよお!」
と、懇願の気持ちを込めてその場で確かに、地団駄を踏んだ。うううと2、3回は踏んだ。
しかし、結局、私は「自分の納得いかなさ、寒さ」以外の対抗主張を出すことが出来ず、負けた。
シャワーを浴びて速攻で布団に入りながら考えた。(むかつく、しかし、兄は確かに正しい、確かに正しい…)
兄弟げんかまでもいかない言い合いで終えた夜だったが、その翌朝の私は、驚くほどけろりと「昨日は騒いでごめんね、あとありがとうね。」と言うことが出来た。
 学生を終えると、友人も人との関係も、距離感を覚えた良識ある大人たち同士であり、大きなぶつかり合いはない。だからこの出来事ですごく久しぶりに、自らの強い主張を持ち、その間違いを他者から指摘され、それに対して、納得する、ということを、根っこから体験したと感じた。
 蟻の巣と比べても果てしなく浅くて小さな話なのだが、自分が前日と翌日で確実に少し成長できた出来事で、なんとなくすがすがしい朝だった。地団駄を踏むという、身体での意思表現したことで発散した感もある。
 もちろん大人になるにつれて得られる経験値をもって自己調整することは大切なのだけど、「しんどいかもしれない明日の私」や「恥ずかしい、はしたない姿」を見越す前に、心のまま動いてこそ得られるものがあるのは確かだと思う。
 そうだ、明日襲ってくる痛みなんか、明日の私が受け入れる。何歳になったって思い切りぶつかる勇気と精神的体力を持っていたい。打ちのめされたら大人しくシャワーを浴びて、布団に入るのだ。筋肉痛、上等ではないか。
 やっぱり「大人」の私は、「そう、たまにはね。」と、付け加えずにもいられないのだが。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み