ウソツキのはなし

文字数 3,985文字



「私が月に住んでいた時の話はしたっけ?」

私の友人は隣で月を眺めながら、そんな話をする。
そんなことあるわけない、のはわかってる。
でも、そうとも言い切れないかも、とも思っている。
彼女はよく、旅先での話をしてくれるのだ。

満月の夜、月見でもしようかと誘ったのはどちらからだったろうか。私と彼女は、私の家のベランダで、二人並んで月を眺めていた。私は手に持ったオレンジジュースを一口煽る。100%ジュースの酸っぱさがキンと沁みる。

彼女は嘘つきな人だった。
彼女の話すことの、何が本当で、何が嘘か、わからないような人で、本当だと思っていたら嘘だったり、嘘だろうと思っていたら本当だったり、本当に掴めない人だった。

そして常に冗談を言うのが好きな人で、だから、それもたぶんいつもの冗談のうちなのだと判断した。
だから、私も冗談でそれに乗ってあげることにしている。

「いや、聞いたことはなかったよ」
「そっか。あそこはさ、住むのには結構大変なんだよ」
「だろうねぇ」
「まず、夜と昼との気温差が大きいの」
「最近の日本もそうじゃない?」
「それとは比べ物にならないって。昼はお湯が沸かせるほど暑いのに、夜は血が凍るほど寒いんだよ」
「それは、ヤバいね」
「そうなの。それっていうのは、大気がないから、なんだよね」
「大気?」
「そう。地球には大気があるでしょ。それで、私たち人間が生活できてるんだけど、月にはそれがない。だから、宇宙からヤバい物質が降ってくるし、宇宙服なしじゃいられない」
「全然、住めるところじゃないなぁ」
「そうなんだよ。それにさ、動く時、ふわふわ浮いちゃうんだよ。重力が6分の1だから」
「動きにくそうだね」
「それに、砂ばっかりだし」
「海はあるって聞いたけど」
「それって、“静かの海”とか、“晴れの海”ってやつでしょう? いやいや、あれは、地球で黒く見えるところを海って名付けてるだけで、水はないんだよ。月の表面には植物もないし、動物もいない。ほんとに、砂ばっかりだよ」
「じゃあ、どうやって暮らしていたの」
そこで彼女はもったいぶった調子で言う。
「実はさ、地下に住んでいたんだよね」
「地下!」
「そう」
彼女は唇をひと舐めすると、月でのことについて語り始めた。



あれは数年前、私が一人で宇宙旅行をしていた時の話なんだけど。
……あれ、知らなかった? そうだよ、宇宙旅行してたの。ほら、2年前にお土産渡したでしょ。『月のウサギのお団子クッキー』……。まあ、あれは地球で買ったやつだけど。

とにかくね、その時、月に不時着する羽目になったの。宇宙船にトラブルが生じてね。
宇宙船を修理するには時間が必要だったんだけど、もう食糧も水も尽きかけていて、途方に暮れたわ。それでもわずかな希望を求めて、月の表面を歩いていたのね。その時、ちょっとクレーターにつまづいて。

そこで、地下を見つけたの。そう、月の地下に行くにはね、とあるクレーターの端っこに入り口があって、そこから行くんだよ。
私がその場所を見つけたのは全くの偶然だったの。あの時の感動といったら、アマゾンの奥地でスーパーマーケットを見つけた時と同じくらいの感動だったな。……え、それはすごいのかって? すごいに決まってるじゃない。

地下へと続く、深い深い穴があったの。宇宙服を着た私がどうにか通れるくらいの、小さな穴よ。そこに、ハシゴみたいに登り降りできる足場になりそうな突起があった。私はそこを、そーっとそーっと、降りていったわけ。

永遠とも思えるような長い長い時間、その穴を降りたわ。上を見上げると、入ってきた穴がだんだん小さくなっていくのがわかった。そして同時に、下の方に明かりが見えることにも気がついたの。

ようやく一番下まで降りた時、腕も足もヘトヘトに疲れていたけど、そんなの気にもならなかった。目の前の光景に目を奪われたからよ。

私ははじめ、大きな植物園が突然目の前に現れたかと思った。
地下には、広い空間があった。日本で言うところの、東京ドームくらいの広さね。
そこを覆い尽くすように、青々とした緑が一面に広がっていたの。

耳をすませば、すぐ近くで水の流れる音が聞こえて、どこからか、かん高い動物の鳴き声も聞こえた。
目の前には、顔の大きさほどの葉っぱがついた背の高い木、小指の先ほどの葉っぱがついた背の低い木、見たことがあるような木も、見たことがないような木も、色々な木が目の前に立ち並んでいて、その幹にはツタが幾重にもへばりついていた。
足元もすっかり緑で覆われていて、ところどころに、赤、青、黄色……色とりどりの花が咲いていた。
草花の合間を良く見れば、透き通った水がきらきらと輝きながら流れ続けていたわ。
そこにはきれいな水があって、たくさんの生命があった。

地下なのに、光はどこから来ているのかって、不思議に思うでしょう? 私もそう思って、その空間の天井近くを見上げてみたら、そこには眩しい光を放つ球体があったの。まるで小さな太陽ね。でも、太陽ほど熱くなく、小さくて、それでもその空間全部に光が行き渡るくらいの、柔らかな光を放っていた。
それが、地下の空間に光をもたらしていたの。

その光景を目の前にして、私、本当に嬉しくなって。夢中で宇宙服を脱いで、そこで少しの間暮らすことにしたの。
地下に入ってすぐのところに、少し開けたところがあってね。そこでキャンプをすることにしたわ。幸い、キャンプ用品は宇宙船に乗っていたから、拠点を作るのは簡単だったの。
私はそこで、一ヶ月暮らしていたんだ。

水もあったし、美味しい果実もあって、一ヶ月程度住むには、全く不自由しなかったわ。むしろ、南の島にバカンスにでも行った気分だった。
月の地下の水は、地球の地下水と同じくらい、美味しかった。月の表面が昼か夜かによって、その水の温度も変わるのが面白かった。もちろん、ぬるま湯とか、ひんやり程度ね。

そこにはね、月にしかいない、いろんな動物がいたの。たとえば、オーロラ色の羽を持った鳥は、羽ばたくたびに光がきらきらと反射して空中に虹を作っていたし、大きな金色のツノを生やした牛は、森で迷った時の案内人をしてくれた。手のひらサイズのトラもいたし、キングサイズのベッドより大きなウサギもいたわ。
たまに、見たことないような動物が、目の前を横切ることもあったけど、みんな穏やかで、ゆったりと暮らしてた。
あの時の写真を残しておけたらどんなによかったか。その時、カメラも壊れちゃってたから。

本当に見たことないものばかりだったけど、今思えば、あれは他の星からやってきた生き物だったのかもね。
そもそも、クレーターっていうのは、隕石の衝突からできた、シミみたいなものだから。
他の星の生命体が、隕石にくっついて月にやってきて、うまいこと地下に潜っていったものだけが、あの場所で生息しているんじゃないかな。
良く考えてみたら、天井にある大きな光る球体、あれも生命体の一種だったのかもね。

ああ、人間には会わなかったな。私は隅っこの方で暮らしていたけど、時々、その地下の中を探検することもあった。それでも、誰にも会わなかったから、たぶん誰もいなかったのよ。

で、一ヶ月経った後、宇宙船が直ったから、私は地球に帰ってきたってわけ。
それが、2年前の話かな。



2年前……確かに、彼女と数ヶ月連絡をとっていなかった期間があったなと思い出す。
そして確かにその頃、お土産、と言われて不思議な名前のクッキーをもらった記憶がある。
「あれは、地球に帰ってきてから、宇宙センターで買ったものなのよ」
これだから、この人の話すことは本当か嘘か分かりづらい。

「色んなところに旅をしてきたけど、あの時の地下空間を見つけたときの驚きと感動は、なかなか味わえるものじゃないよね」
「でも、そんな場所があるって、報告しなくていいの?」
私は、興味本位で彼女に聞いてみる。
さっき話してくれたそれは、テレビなんかで発表したら大発見、大騒ぎのニュースだ。
「うん。報告はしないよ」
「どうして?」
「だってさ、あれは私が偶然見つけたもので、もう一度見つけられる気がしないし……」
彼女は少し照れくさそうな顔で笑う。
「それに、私だけの思い出に、とっておきたいの」
「でも、今、私に話してくれたけれど……」
「あなたは、特別なの」
そうやって彼女は顔をくしゃっとゆがませて笑う。

彼女がこうやって、旅の話をしてくれるようになったのはいつからだろう。
それは、私がとある事故のせいで車椅子生活になってしまい、家の外への外出が難しくなった、あの頃からか……。
いや、彼女は元々、旅が好きな人だったと思うし、以前から、私は彼女の真偽不明の話をよく聞いていた。

「ねえ、私がまた月に行く時は、一緒に行こうよ。それで、一緒にあの時の地下を探しに行こう」
彼女はそんな約束ごとを口にする。
彼女とこうやって約束を交わすのは、何回目になるだろう。
その約束は、殆どが叶えられていない。
それは、私のつきあいが悪い、というよりは、彼女の話が嘘だから、叶えられない、というのが原因かもしれない。

でも、私はなんとなく期待してしまう。
もしかしたら、これは本当なのかもしれないって。

月のことなんて、私にはわからない。
今見上げるあの月の、あの星の地下に何があるかなんて、私は今確かめることはできない。
だから、この話が嘘か本当か、今の私には判別がつかない。

だったら、本当だと思っている方が。
騙されている方が、楽しいかなと思うのだ。

彼女は嘘つきな人だ。
そして私は、その嘘を聞くのが好きなんだ。

私はいつか、彼女と二人で月に行って、クレーターの端にある長い長い穴から地下に降り、虹色の羽を持つ鳥や、金色のツノを持つ牛を見に行くのだ。

「うん、一緒に、月に行こうね」

今日の月は眩しいほど明るい。
どこかで流れる水のせせらぎが聴こえた気がした。


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