文字数 2,590文字

 午後九時。さすがに慶次は、かすみの帰宅が遅すぎると心配になった。
 友人と予定といっても遅くなるなら連絡の一つも入れるだろう。
 それが夕方を最後にというのはおかし過ぎる。
 かすみの言う、友人というのも誰なのか分からなかった。
 一応メールで『今どこにいる? 連絡をくれ』と送ってみて一時間経つが、返信はない。
(仕方ない)
 背に腹は代えられない。慶次は葛葉に連絡を入れ、彼女の自宅マンションに出かけた。
「すっかり所帯じみちゃって……」
 葛葉のからかいを無視して部屋に入る。あいかわらず金がかかっている。
「かすみは良い加減な子じゃない。放っておけるわけないだろう」
「思い当たる子はないの。たしかにかすみちゃんは良い子かもしれないけど、十六歳の年頃の子よ。つい羽を伸ばしすぎたのかも」
「かすみだぞ」
 葛葉は肩をすくめた。
「……そうね、かすみちゃんだもんね。でも本当に友達と一緒の可能性だってあるわ。ねえ、友達の連絡先は分からないの」
「知らん」
「交友関係くらい把握しておきなさいでしょ。探偵でしょ?」
 慶次は痛いところを突かれて渋面をつくった。
「……今さら言うな」
「最近、かすみちゃんの様子は? 変な感じとか」
 慶次は首を横に振った。ここ最近、かすみとはまともに顔も会わせていない。それだけ仕事に追われていたのだ。
「部屋は? 行き先のヒントになるものがあるかもしれない」
「考えたが……。それはさすがにルール違反だろう」
 言うや、葛葉は吹き出した。
「なにそれ」
「俺だってガキの時分に親に部屋に勝手に入ってこられるのは嫌だった。それに、かすみは女だぞ。なおさらだろ」
「あの子は気にしないんじゃない?」
「とにかく、そんなことは出来ない。そもそも友人の連絡先は携帯に入れているか、手帳に書くもんだし、その二つは普段から持ち歩くものだ」
「まあそうね。それじゃあ手がかりはなし?」
「……ないわけじゃない」
「微妙な物言いね」
 葛葉は眉をひそめた。
「ここに来る前に近所の喫茶店の親父から、数日前に見知らぬ女とかすみが話していることを聞いたんだ」
「女?」
「その女の見た目が、ちょっと前に依頼を断った女に似ていた」
「へえ。あんたも選り好みすることがあるの」
「違う。その女はあきらかに嘘をついていた。だから依頼は断ったんだ。女は自分をストーカーしていた男の霊に付きまとわれていると言っていた。何かしたのかと聞いたが、女は何もしていないと。ちゃんと話せと言っても同じだった」
「なるほどねえ。霊は執着の塊。何の関係もなくつきまとったりはしない」
 慶次は頷いた。
「それに、女の所持品から嫌なものを感じたんだ」
「具体的には?」
「装飾品にバッグ、靴、洋服――おそらく、全身につけている香水からも」
「そんな女に目をつけられるなんてかすみちゃんも不運ね。かすみちゃん、優しいからその女から話しを聞いてもらいたいって言われたら断りきれないわね」
「……多分」
 女の所持品から感じたものは、憎悪や嫌悪などの強いマイナスの念だ。事故現場から何かをくすねた程度ではないのは明らかだ。女、加賀見美砂とのやりとりは覚えている。
 ――本当にストーカーされていたのか。お前がその男に何かをしたんじゃないのか。
 ――そんなわけないじゃない! どうしてそんなことを言うの?
 女は顔を手で覆い、身体を震わせた。一体どこの女が見ず知らずの相手の前でこうもいともたやすく泣けるのか。もし仮に本当にそこまで繊細だったら、霊につきまとわれ続ける日常に心を病んでもおかしくはない。
 美砂は人に取り入るのがうまそうだった。向き合う相手に合わせて自分を変えられる、カメレオン。
 ――本当のことを言えば協力する。その身につけている余計なものをすべて捨てて、これまで何をしてきたかを言うんだ。
 ――な、なにを言っているの。私は、被害者なのよ……!?
 なおもその場に居座ろうとしている美砂を、慶次は追い出した。下手につきまとわれれば、かすみにも何かしらの害が出かねない。
 しかしそんなことも忙しさにかまける余り記憶の片隅にいっていた。あの女が一度、断られた程度で諦めるはずがないのは少し考えれば明らかだったのに。
「それで、その女……加賀見美砂を捜すのに協力しろってこと?」
「かすみは俺の姪で、一ノ瀬一族だ。問題はないはずだ」
 葛葉は溜息を漏らす。
「でも本当にその女がやったのかまだ分からないでしょう。その喫茶店のマスターが見たのは今日ってわけじゃないんだから」
「だが、ぱっと思いつくのはそいつしかいない」
「あんたがこうも誰かに執着を見せるなんてね」
「執着じゃない。心配だ。……加賀見美砂が関わっているなら俺の責任だ」
「――お願いします、葛葉様。どうか助けてください。そう言いながら土下座したら、やってあげても……って、ちょっと!」
 慶次が早々に膝をつこうとするのを見て、葛葉は慌てて留める。
「なんだ。お前がやれといったんだろう」
「あんたの命令を拒否できない……知ってるでしょ」
「今ここで押し問答をやっている時間が惜しい。これは命令じゃない。頼んでいるんだ」
「分かったわ。やるから」
 葛葉は携帯でどこかに連絡をいれはじめた。

「――ぁ……っ」
 かすみは意識を取り戻す。しかし気怠さに全身を支配されていた。それでもなんとか身体を動かそうとすると、金属的な固い音が室内に響いた。
 見ると、手足がベッドに手錠でつながれていた。
 煌々とした灯りの下、首を動かして部屋を見渡す。寝室はリビング同様、所狭しとブランドものの箱で埋め尽くされ、雑然としていた。
 必死に手錠をほどこうと悪戦苦闘していると扉が開く。
「起きたのね」
「み、美砂さん、これ、どういうことなんですか」
 美砂はにたりと嫌な笑みを浮かべた。
「悪いけど、あなたには私の身代わりになってもらうから。男に約束したの。私の代わりをあげるって。それが、あんた」
 頭がずきずきと鈍く痛み、思わず顔を歪めた。
「だましたんですか」
「人聞きが悪いわね。男の幽霊は本当にいるわ。じゃーね」
「ま、待って……!」
 灯りが消され、扉を閉められる。声をあげるが、再び扉が開くことはなかった。
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