第10話 守の趣味だったもの

文字数 1,414文字

 
「他にも聞いています。海翔(かいと)君がスノーボードをやりたいと言い出した時には、お父さんも一緒にスクールに通った、というのは本当ですか?」

「本当だけど――」この子は意外と饒舌(じょうぜつ)なんだな、と守は思った。「単純に俺もやってみたかっただけ。別に特別な話じゃないでしょ?」
「海翔君がやろうとすることに、いつも付き合ってあげているんでしょう。私は凄いと思いますし、海翔君自身も感謝していると言っていました」

 そうなのか。守は懐疑的だった。様々な分野で第一人者として実績を残す人たちの多くは、成長の過程で親族が熱いサポートをしていることがもっぱらであり、守がやってきたことはそれには足元にも及ばない。逆に、途中で子どものことよりも自分のことで一生懸命になってしまうのだから始末に悪い。

 自分なんかより、美聖(みさと)と海翔がスイミングスクールに通っていた頃、週二回欠かさずに子どもたちの送迎をしていた真由美の方がずっと偉い。
 ラグビー部の朝練に間に合うように、毎朝五時過ぎに起きて巨大な弁当を作っていた真由美は立派だった。

「海翔君が中学生の頃、数学の授業でちょっとした壁に当たって悩んでしまったことがあったそうですね。その時、お父さんは海翔君に教えるために自分用の問題集を買ってきて、職場で解いていたという話も聞きました」

 ああ、あれか。守は思い出した。中学二年の海翔から図形問題の解法の相談を受けた時、守は教えるどころか、自分でも解くことができなかった。二十年以上も前に学んだ定理など、彼の頭の中からはすっかり消えていたのだ。

 あの時の海翔のがっかりした表情にショックを受けた守は、翌日問題集を買ってきて、職場の昼休みにせっせと解いた。

「結局、あいつに教えるタイミングは外してしまったけれどね。その年の美聖の高校受験の勉強には役立ったなあ」

 別に自慢できることではない。優秀な親であれば自分が復習しなくても勉強を教えることができるだろう。守の場合、気がつけばパズルを解くような気分で問題集に挑むようになり、昼休みの暇つぶしになっていた。
 要するに、自分のためにやっていたようなものだ。

「ところで海翔君から教えてもらったお父さんの話の中で一番気になっていたことがあるんです。お姉さんがバンドを始めた時には一緒にギターを弾いていた、という話は真実なんですか?」

「そうだよ」
 真実とは少しオーバーな表現だな、と思いながら守は頷く。「もともと俺は若い頃にベースをやっていたんだよ。美聖が中学校の同級生とバンドをやりたいと言い出したから、ちょっと教えようと思ってさ」

 守の頭の中で、美聖がギターをやりたいと相談してきた時の情景が浮かび上がってきた。娘が自分と同じ趣味を持とうとしていることに胸が高ぶるのを隠せなかった。さっそく実家まで出掛けてガレージの隅で埃をかぶっていたベースとアンプを持ち出してきて、真由美から呆れられたことが今は懐かしい。

 美聖がお年玉貯金を下ろしてエレキギターを買うと、守は折を見て簡単なスコアを一緒に弾いた。

「あれは楽しかったよ」守は笑顔になった。「美聖は高校を卒業するまで同級生バンドを続けたんだ。学園祭以外にライブハウスにも出たことがあってね。演奏を聴きに行ったよ。そんなに上手ではなかったけど、格好良かったよ。あんなことばかりやっていて、よく大学に受かったもんだ、と思ったね。ははは」

 守が笑い出すと、彩里(さいり)さんも優しい笑顔を浮かべた。
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