文字数 2,000文字

 飛行機雲が一本、空に長く伸びていた。出来たてなのか、くっきり白い。
 今日、(りょう)がこの街を訪れる。一年ぶりになる。

 約束より5分早く駅に着いた。待ち合わせたモニュメント横で、既に遼がこっちを見て立っていた。ひと目で気付いたのだろう、くしゃっと顔を丸めて近づいてくる。この人懐っこい笑顔がいつも側にあった大学での日々がずいぶんと遠くに思える。
「久しぶり」 
「だな。元気だったか?」
「もちろん。一貴(かずき)は?」
「まあ、相変わらず」
「何だよ、相変わらず、って」
 声をあげて遼が笑う。何が可笑しいのかさっぱり分からない。昔からおれには分からないことでよく笑う男だった。
「飲みながら、相変わらずの詳しい内容、聞かせてくれよ」
「おまえに聞いてもらわなきゃならないような話はないんだが」
「一年ぶりにしちゃつれなくないか?」
「そう言われても、」
「まぁ、ともかく行こう」
 どっちがこの街に住んでるんだか分からないような勢いで遼がおれの背中を押した。

「再会に乾杯」
 遼は顔の前でグラスを掲げると、おれのグラスに当ててこようとする。おれは手元のグラスを引っ込め、それをかわした。
「……苦手なんだって。そういうお約束的なのは」
「あー。そう言や、そうだったか」
 変わんないね、そう言って目を(すが)めておれを見てから遼がグラスに口をつけた。おれも遼に続く。よく冷えた苦みが口内を潤していく。
「美味い。一貴と飲むと美味いなあ」
「味なんて誰と飲んだって変わらないだろ」
「いや、そんなことない。全然違う」
 目を細めた遼が、声を落として繰り返す。
「一貴と飲むと美味いんだ」
 今度は何も答えず、ただビールを呷った。

 飲み()つ笑いながら、話の大半を遼が(にな)う。と言っても他愛ない話ばかりだ。ろくに相づちも打たず、黙って聞く。遼とであれ他の誰とであれ飲み方は変わらない。それにしても今夜はよく頑張っていると思っていたら、ぴたりと遼の声が止まった。壁にもたれて放心している。
 遼は酒に弱い。そのことを知っているやつは大学時代、他にいなかったように思う。何せこいつときたら気遣いが細やかで、そういう所をひとに見せない。場の雰囲気を良くすることに長けていて、いつも楽しそうに笑っていて、だからこいつと一緒にと誰もが望んでいた。
 遼とよく話すようになったのは、飲み会でトイレで鉢合わせたのがきっかけだ。中から出てきた遼の顔がやけに白っぽく見えた。おまけに口元が緑色に染まっている。
「おい、口、拭いた方がいいぞ?」
 とろんとした目をしていたのが、おれの声でぎょっとした顔に変わった。こいつのそんな顔を初めて見たから、こっちも少し驚いた。
「大丈夫か? 胃薬飲んだんだろ?」
 目を丸くして、そして小さく微笑んだ。
「よく分かったね」
「同じようなやつを見たことあっただけ」
 無理して飲むなよ、酒に失礼だから。そう付け加えたら、少しの間の後、破顔した。
「そうだよね、お酒に失礼だよね、」
 青白い笑顔でうんうん頷いている。何がそんなに可笑しいんだと少々呆れながら、通りかかった店員を呼び止めた。
「悪いんだけど水ひとつ、ここに持ってきてもらえる?」
 ショートカットの女性店員はおれと遼とを見比べて、「はい」と頷いた。そしてすぐに持ってきて遼に渡してくれた。受け取った遼はそれはそれは嬉しそうな笑顔を浮かべると、
「ありがとう」
 そう言って一気に飲み干した。そうして空になったグラスを握ったまま、その場にへたり込んでいる。仕方なく人気のない所まで引きずっていって、自力で動けるようになるまで横に座って待っていた。
 それからだ。飲み会の度、途中から遼がおれの横に座るようになったのは。気にはなったが嫌がる理由はなかった。気付けば飲み会だけでなく授業でも休み時間でも、遼が横にいることが増えていた。それは決して不快ではなかった。どちらかと言うと居心地良かったのかもしれない。それでもこの関係は卒業までのことだろうと頭の片隅で思っていた。卒業後に描いていた進路がおれたちは違っていたから。遼は就職、おれは院進。
 おれは母校とは別の大学院に進んだ。場所も遠く離れた地方都市。この先会うことはまずないだろうと思っていたのだが、遼は仕事を理由に年に一度、会いに来る。会うと言っても夕方からふたりで飲んで、気持ちよさそうに酔っ払った遼をホテルに送り届けるだけ。観光のひとつも一緒にしないし、翌日、空港まで見送ることもない。
 今年もおれたちは同じことを繰り返した。ただ、来年のおれは博士課程修了で、その先は現在未定。どこで何をしているか分からない。

 飲んだ翌日。ひとり暮らしの部屋の窓を開けた。よく晴れた空に、今日は飛行機雲は見当たらなかった。代わりに白い機体が光って見えたような気がして思わず瞬きする。それから深呼吸をひとつした。あいつを乗せた飛行機は今頃どの辺りを飛んでいるのだろうと思いながら。

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