山田さん

文字数 966文字

 ひどい風邪をひいた。季節性のものだった。
 きっかり一週間の療養を経て体調を元どおりにした僕は、玄関のインターホンが鳴ったので通話ボタンを押した。
 時刻は午前九時。他人の家を訪ねてくるには、少々非常識な時間。

 「おはようございます。隣の山田です」
 隣家の山田氏だった。隣人だが、地区の集まりで会うほかかかわりはない。初老で、子は巣立ち、妻と暮らしている。
 「あんた、悪いけど言わせてもらいますよ。いい加減にしてもらいたい――!」
 僕がドアをあけるなり、山田氏は鼻を鳴らしていきり立った。
 その殴りかからんばかりの勢いに圧倒され、僕は黙った。
 「あんたね、うるさいんですよ! この一週間、僕はおちおち甲子園も見ていられなかった」
 氏は真っ赤になってまくし立てた。
 「あんた、赤ん坊があんなに泣き叫んでるのを、なんだってああもずうーっとほうっておくんですか? 僕だって娘、息子がいるんで子育ての大変さは分かりますよ。いっときのことならいいけども、なんせひと晩じゅう泣き叫ばれていたんじゃあたまらない。晩から朝までずうーっと泣いてるんですよ。あんた、父親でしょう?
 加えてドタドタ、ドタドタ走り回る音が、これも一週間ずうーっとですよ。全部、うちまで聞こえてくる。もううるさくってうるさくって、何も手につかんし集中できん。妻も大変困っとる。あんた、自分でうるさいとは思わないんですか?
 きわめつけは、きのうの昼間です。あんたね、冗談じゃない、二階の窓からずうーっとこっちを見てたじゃないですか。バカにしたような顔で、にたにた笑って。僕が庭での用事を終わっても、まだ見てる。洗車を終わってもまだ見てる。まったく何のつもりかと! 他人の家をのぞきこんでいつまでもにやにやしてるなんて非常識にもほどがある! 迷惑です! いい加減にしてもらいたい――!」
 はあはあと息をはずませ、氏は言葉を切った。

 僕は蒼白になって聞いていた。唇が震え、氏を凝視した。
 「あの……山田さん」
 沈黙のあと、僕はおずおずと言った。
 「すみませんが、僕は一週間の入院を終え、ついさっきやっと病院から帰ったところで。そのあいだのことは何も知りません。脱水症状を起こしていたので」
 それと……僕はめまいを覚えながら、つぶやいた。
 「僕に子供はいません。ひとり暮らしなんです」
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