友達が目覚めた日 ②

文字数 6,785文字

――何でも屋、はじめました。
どのような依頼でも、先ずはご相談下さい
アニマート フォルテ街7番地 ナタデココ・レミル

思い立ったが吉日という言葉の通り、二人は早速手書きのビラを作り(所謂コピー機の役割をする魔法は、ナコには使えなかった)冒険者の町、カンタービレへ訪れていた。

ビラ張り出し自由の掲示板にぺたり。
冒険者の集まる酒場に許可を貰ってぺたり。
たまーに見える、一般民家のポストに投函。

「…途方もないよ」

ナコが誰に言うでもなく愚痴を漏らすのも無理はなかった。カンタービレはアニマートよりは広いため、体力に自信のないナコには酷というものだろう。
…序でに彼女が苦手とする人混みも、問題である。

一方クリスといえば同じ距離を同じだけ歩いていると言うのに、疲れなど知らぬ様に鼻歌混じりに歩いている。

「ふぅ。魔法生物って、凄いなぁ…」
「なんで?ナコとそんなに変わらないよ」
「さっきから、疲れてないみたいなんだもの」

くるり、と先方を歩いていたクリスは立ち止まり、そんなことないよ?と笑ってみせた。
そして、ナコと向き合うようにくるりと振り返りつつつ…と近寄ると、ぽんぽん、ナコの頭を撫でながらどこか楽しそうに告げた。

「ナコと遊ぶのは楽しいからね?」

ぼふっ。
ナコの顔が、そんな効果音が付いてきそうなくらい、赤面した。

「……そ、そそうだよね、遊ぶの楽しいね…!」

判り易すぎる反応をしたと自分自身でも感じたらしく、身ぶり手振りを大げさに取り繕うナコ。
今までそんな事を言われた覚えがない彼女は、かなり狼狽していた。

「照れすぎ」
「照れてなぁい!」
「ムキになりすぎ」
「……うー」
「にゃぁん」

「にゃぁー!え、にゃ、あ…?」

二人がビラ配りの事などすっかり忘れて、路肩で漫才?を始めたその時だった。
まるで猫のような鳴き声が二人の足元から聴こえてきたのである。

二人はゆるゆると視線を下に向けると…いつの間にかそこに居たそれは、紛れもなく猫だった。

毛並みは真っ黒、瞳はグリーン。野良猫にしては綺麗な外見をしたその猫は、何やら口に何かをくわえている。

「わぁ、かわいいー」
「飼い猫かな。人を怖がらないね」

ナコはだらしなく頬を緩ませ、にゃーんと鳴き声の真似をしながらしゃがむと、おすわりをしている猫の首を撫でてやろうと手を伸ばした。
そのときだった。いきなりがしり、と肩を掴まれる感触がしたので、何事かと振り返ると

「おい、ネーチャンや」
髭面の怖そうな親父が、ナコの眼前に迫っていた。
その表情は明らかに殺意を剥き出しにしたそれであり、年頃の女の子であるナコに恐怖を与えるのは、仕方のない事だった。

「きゃぁぁぁあー!」

絶叫したナコに、道行く冒険者の視線が集まる。一見、か弱い女性に因縁を付けているならず者といった風景だ。

親父はしー、と人差し指を自分の口元にあてる。ナコはうんうん、と頷いた。
半泣きではあったが。

「ネーチャン、うるせぇよ」
「は、はぁい…ごめん、なさ」
とりあえず親父から離れたナコは、クリスの側にぴったりと引っ付きながら謝った。

「ごめんなさい、この子、怖がりで」
「いやいや、俺も悪かった。俺はなぁ、その猫に用があって」

先程の迫力はどこへやら、親父は人のよさそうな笑みを浮かべ口元に当てた指先をつぅぅ、と猫のいた方に向けた。

猫はいなかった。

「って、いねぇじゃねーかぁあぁ!」

再び表情が激変する親父。ナコは数センチ跳び跳ねると今度こそ、クリスの後ろに隠れてびくびくと身体を震わせた。
そんなナコの震える手を握りながら、冷静に説明するクリス。

「あの猫、逃げちゃいましたよ。さっきの叫び声二連続で…」
「逃げちゃいましたよ、じゃねぇんだよ…ぁあ、畜生」
「訳ありですか?」
「俺の息子が、高熱を出してな…特効薬を買ったはいいが、あの猫が持って行っちまった」

深刻そうにこめかみを押さえる親父をクリスの後ろからチラ見していたナコが、すすっと前に出る。

「あ、あの…猫、探します、よ」

途絶え途絶え、蚊の鳴くような声で言う。クリスと話す時と違い、覇気がない。
やはり、

「…あぁ、そうだね。おじさん、私達に任せてください」

二人の発言に目をぱちぱちさせる親父に、クリスが余っていたビラを渡す。
紙面と二人の姿を交互に見ながらしばらく考えた親父は、うんうんと頷いた。

「…頼むぜ、あの薬はバカ高いんだ」

「「お任せくださいっ」」

あっさりと最初の依頼を取り付ける事ができた二人は、親父から連絡先を書いたメモ書きを受け取ると…

やけに気合いたっぷりで、えいえいお~、なんて掛け声まで付けながら猫探しを開始した。





それから、役30分後。

「無理ぃー!」

珍しく大きな声を上げ、カンタービレの中心部である広場のベンチにぐだっと座り込み、ナコは大きな溜め息をついた。
勢いは良かったが、くたびれるのが早いのは如何なものかと突っ込みたくもなるが、無理もない。

あの時は勢いで依頼を受けたものの、カンタービレはそれなりに広く、路地裏も沢山ある。小さな猫にしか通れない道など無数にあるし、何よりカンタービレから出てしまっている可能性も否めない。

「流石にきつかったかも、ね」
クリスも表情こそ平然としていたが、心情穏やかではないとばかりに視線をさ迷わせていた。

「うんー…探索の魔法、きちんと覚えておけば良かった…」

こんな所にまで"落ちこぼれ"というレッテルが付いてくるなんて。

しかし、引き受けた以上はこのまま放置するわけにも行かない。自立すると決めた以上、途中で諦めるなんて嫌だった。

ナコが重たい腰を上げて立ち上がる。クリスも、気合いを入れ直すかの様に背伸びをし、猫探しは再開された…その時である。

「…クリス!ねぇねぇ、あれ!」

先程までの疲労が嘘のように、意気揚々とクリスの腕を掴み、広場にある植え込みの一つを指差すナコ。
怪訝そうな表情で視線をそちらへ向けたクリスは、おぉ、と小さく声を上げる。

ピョコピョコ動く黒い二つの耳。植え込みの中で何かしているのだろうが、身体は上手く隠せても、その大きな耳だけは隠せなかったらしい。

「やったね、すぐ見つかった」

そう言いながら、つかつかと植え込みに近寄っていくナコと植え込みを、クリスは訝しげに思いながら、同じく植え込みに近寄っていく。

猫ってああいう風に、いきなり掴んじゃいけないんじゃなかったっけ。

しかしその僅かに躊躇した時間にも、ナコは植え込みに向かって歩いていき…

がばっと、猫に抱き着く様に植え込みに突撃した。

『ぎにゃーーーーーーーっ!』
『きゃあああああああああああああっ!』

バリバリバリー!

「ナコ、大丈――夫じゃないみたいだね」

クリスが慌ててナコに近付いた時には、遅かった。
いきなり背後から身体を鷲掴みにされた猫は暴れ、ナコの手を滅茶苦茶に引っ掻こうとし…いくらかかすったのか、ナコの手にはいくつかの引っ掻き傷があった。
植え込みに突撃したので葉っぱも髪の毛などに絡まっていて、見るも無惨だった。

「……うう~、猫は捕まえたけど……痛いよ……」
「……、待てって言えば良かったね。はい、絆創膏。買っておいて良かった」

直ぐにナコの元にしゃがみ、絆創膏を手に貼ってやる。応急措置だから、依頼が終わったらもっとちゃんと手当てをしなければならないだろう。

しかし、さっき激しく暴れていた猫は何を思ったかすっかりと大人しくなり、自らナコの手の中に収まっている。

――……取り敢えず、猫は捕獲できた、から良いかと二人は微笑み合った。
しかも、猫は風邪薬を律儀にくわえたままだった。

「しかも風邪薬も無事…!」
「これはラッキーだったね」




「いやー、正直期待はしてなかったけど、大したもんだな」

依頼人の親父は、昼間から大繁盛のカンタービレ一の酒場のマスターだった。ウェイターに話しかけ、マスターである親父を呼び出してもらった二人は…店先で黒猫が奪ったであろう風邪薬を手渡す。

親父の買ったぶんは無くならずに全てそのままだったため、親父は上機嫌だった。

「息子さんは大丈夫ですか」

ちなみに、立ち位置はクリスが前でナコが後ろ、クリスが主に話している。エルには気を許してはいたが、ナコは未だこの親父が苦手だった…情けない話。

「あぁ、薬はもうヨメが飲ませてるだろうから…本当に感謝してるよ」

がははは、と豪快に笑いながらクリスの肩をばしばしと叩く。…しかし、クリスの腕で親父をぼんやり見上げている黒猫を見るなりみるみるうちに怒りを露にし、いきなり首根っこをひっ捕まえた。

「ふぎゃぁ!」

無論猫はばたばたと抵抗するが、親父が怖いのは顔だけではなかった。猫は親父にひと睨みされると、蛇に睨まれた蛙の如く畏縮してしまった。

「…まさか、親父さん」

呆気に取られていた二人だったが、怖い形相で猫を睨む親父に嫌な予感がした。

…どうするつもりなの?と恐る恐る聞くナコに、親父は悪びれた様子もなく告げた。

「アァ、ちょっと仕置きするだけだよ、もう二度と悪さ出来ないようにな」

親父は意味深に、空いた手で素振りをしてみせた。
その言動から大体を理解したのか、ナコは隠れていたのをやめて前に出る。

「だ、だめですよ、可哀想…」
「何を言ってんだ、ネーチャン。可哀想なのは俺の息子だぜ。…おっと、報酬がまだだったよな。ちょっと待ってな」

勇気を振り絞ったナコの言葉もむなしく、親父はくるりと二人に背中を向ける。
一瞬見えた猫の瞳はうるうると歪んでいて。

だから。
だから臆病者の彼女も次の一歩を踏み出す事ができたのだ。

「待って!」
思わず出した自分の声の大きさに、自分で驚いてしまった。しかし、何事かと振り返る親父に向かい、更に大きな声を上げる。

「ほ、報酬の代わりに、猫をください…!」

えっ、と動揺したようなクリスの声が後ろから聞こえた気がしたが、気にならない。
何を馬鹿な事を、と言いたげな親父の視線…正直言って痛かった。
だけど…そんなものは、今はどうでも良かった。

「私が、もう悪さしないようにするから!だから猫、いじめちゃ嫌です!」再び声を張り上げたナコを中心に、周囲の視線が自然と集まる。

端から見れば、立派に『猫をいじめる意地悪な親父とそれを助けんとする健気な少女』である。

それを露見するかの様に、と通行人は親父を指差しひそひそと囁きあっている。中には自警団に連絡しようとしている人もいる。

「…わ、わかったよ、ネーチャンがそれでいいなら…ほら!しっかりしつけてくれよ」

流石にこれ以上やり取りを続けるのは得策ではないと悟った親父は、捕まえていた黒猫をナコの腕の中に収めてやった。

「あ、ありがとう…」
「いやいや、物好きなネーチャンもいたもんだ。あんたらの顔、覚えといてやるぜ」

そう言った親父はがはは、と豪快に笑うと、更に何かをナコの胸ポケットに突っ込む。

「…?クリス、なんだか見てくれない?」
「うん。……お、親父さん」
猫を両手で抱えているため、親父から渡されたものを見れない彼女の代わりにクリスが胸ポケットを探り、えっ、と少し驚きながら「それ」を取り出す。

みるみるうちに、二人の表情が明るくなる。猫を抱く力にも、自然と力が入る。
クリスの手のひらには、ささやかながらお金が乗っかっていた。

「おじさん…」
「ま、まぁいいってことだ。また何かあったら、よろしく頼むぞ」
「……あ、ありがとう」

照れ臭そうに頭を掻く親父を見て、二人はどちらからともなく クスクスと笑いあった…。






親父と別れ、アニマートへの帰路についた二人。彼女たちの話題は、これからの猫の事について、だ。

「で、ナコは本当にこの猫を飼うの?」
「駄目かな。…私達しかいないんだし、猫一匹くらいなら」
「…猫は、嫌いじゃないよ」

とても楽しそうに歩きながら話すナコを、隣に添い歩き微笑みを浮かべクリスは見つめていた。
この一日で、二人はすっかり打ち解けたようで…ナコにもだいぶ、笑顔が浮かぶ様になっていた。

「けど。猫って何を食べるのかな」
「わ。クリス、不思議な所で知らない事があるんだね…猫はね、魚が好きなんだよ」
「おいおい、俺はどっちかってーと肉が好きだぜ?猫がみーんな魚好きだとか決めつけんなよ」
「……確かに、それは偏見だね」
「えー、そうだったの…?ごめんなさい、……え?」
「え?」
「ん?」

なんだか一人、声が多い気がする。

まさか、ね。

…そんな事を考えて、ナコは視線を腕に抱いた猫に移した。
黒猫だ。普通の黒猫だ。

なぁんだ、空耳かー。私疲れてるのかなー。

あはは、と黒猫に向けて笑いかけると、なんと黒猫はにやりと笑みを浮かべ…

喋った。

「何シケた面してんだよ? 姉さんには笑顔が似合うぜ?」
「うわぁっ!」

ナコは突然の出来事に頭が動転したのか、猫をぽいっと投げてしまう。
しかし、猫は上手に身体を回転させ、綺麗な形で地面に降り立った。

「うひ、危ねー!」

ふるふると首を振り、猫は二人を見た。クリスは唖然とし、ナコはひっ、と叫んでクリスの後ろに隠れてしまう。

「クリス!ね、猫が…!」
「うん。…猫って喋るんだ。おもしろいね」
「ちちち違うよ、それは違うよ!猫は普通喋らないの…!」
「…じゃあ、この猫は普通じゃないんだね」
「だから、さっきから私驚いてるじゃない!」

魔法生物と人間、感情に温度差があるのは当たり前な事だが、そこまで余裕のないナコは普通に突っ込んでしまい、まるで漫才だ。
そんな二人を、同じく唖然と見ていた猫だったが、次第に堪えられなくなったのかくくく…と笑い始める始末。

「姉さん達、愉快な人だな。んで優しいときた。助けて貰ってありがとうな」
「…ぁ。い、いえ。……けど、なんで猫が…」
ようやく落ち着いたのか、後ろに隠れたままではあったが恐る恐る話しかけるナコ。
…先程までの威勢はどこへやら、猫は沈んだ表情を見せながらぽつりぽつりと語り始めた。

「ぁー、それはな…俺、実は何処ぞの魔法使いに作られた魔法生物なのよ。外見は見たまんま猫なんだけどよ」
「魔法生物…クリスと一緒なのね」

「ぁー?そのクリス、ってやつも魔法生物なのかぁ?こいつぁ驚いたぜ…」

猫はクリスに近寄るとふんふん匂いを嗅ぐ。

匂いでわかるものなのかは怪しいが…

「…帰らなくて、いいの?」
「誰があんなやつの所帰るかってんだぃ!毎日毎日実験実験!変なクスリを注射されたり毛を刈られたり…マジでありえねえから!」

ふぅー、と普通の猫がするように尻尾を膨らませ主張する猫。
怒りに震える猫の足が、微かに怯えているのかふらつくのを、ナコは見逃さなかった。
「だから、逃げ出して泥棒みたいな事を…」

ナコは許せなかった。自分で産み出した生物に、どうしてそんな酷い事をしなければいけないのだろう…と。
気が付けば両目に涙がたまっていた。
眼鏡をはずし、ごしごしと手の平でぬぐう。クリスも心配なのか、ただ優しくナコの頭を撫でていた。

「姉さん…」
「よ、良かったね…猫さん。これからは自由だよ…」
「……へへ、何言ってんだい姉さん!俺は今、新しいご主人を見つけた所なんだぜ?」

ぴょん、と自分に向かって飛びかかってくる猫を、ナコは条件反射で受け止める。
まだ状況のわかっていない様子の彼女に、更に猫は言う。

「姉さんに助けられた命だ。…聞けば何でも屋ってやつを始めるらしいじゃねぇか?」
「…は、はい」

ナコはいきなりの展開に、ただ頷くしかない様子だ。

「…ナコの何でも屋を手伝うって言ってるんだと思う」

クリスが補足を入れると、猫は任せろ!というふうに前足を使いバシバシと自分の胸元を叩いてみせた。

「話がわかるじゃねぇか」
「だけど、猫になにができるんだろう」

冷静に突っ込むクリスの意見もなるほどである。魔法生物で喋れる、という以外はただの猫に変わりはないのだろうから。
しかし猫は自信満々にふん、と鼻を鳴らした。

「依頼がなきゃ、何でも屋として動き様もねーだろ?カンタービレには俺の猫仲間が沢山いるんだぜ、困ってる奴を見つけるなんて、楽勝ってわけだな」
「なるほど…パイプ役になってくれる訳だね。わざわざ依頼を待たなくても、こっちから出向ける」

クリスが納得したように頷き、遅れてナコも話を理解したらしく「凄ーい…」と漏らす。

「よっしゃ、決まりだな!俺はライムってんだ、姉さんに救われた命、生涯捧げるぜ!」
「そ、そんな…ライム、大袈裟だよ。それより友達になって欲しいよ…」
「私の次は、猫が友達…ナコ、今日で不思議な友達が二人も増えたね」

そんな事を話しながら、二人と一匹は帰路につく。


思えば、私は日常に疲れ、諦め悲観して……長らく笑っていなかった。
大切な人がいる日常、友達がいるということ。
……これからは。毎日噛み締めていこう。

そんな事を思いながら、ナコはそっとクリスの手を握った。クリスは最初こそキョトンとしたが、直ぐに微笑みを浮かべ…

暖かいその手を握り返した。

執筆日
2009.04.14
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