四②

文字数 2,255文字

「まずは、こちらへ向かうとよろしいでしょう」

 それは不動産屋の位置を示した地図だった。僕と章子はその紙を受け取ると、再び深々と頭を下げ彼にお礼を言う。そうして出版社を後にするのだった。



 編集者の紹介でやってきた不動産屋はそこそこ大きな建物だった。中に入り、出版社からの紹介だと声をかける。

「あそこの出版社の作家先生ですか! それならば丁重にしないと、後で我々が上から叱られてしまいます!」

 僕たちの担当をしてくれた人はそう言うと、いくつかの物件を紹介してくれる。

「作家先生ともなると、こんなに若くて美しい奥様をお持ちなんですねぇ。いやぁ、実に(うらや)ましい!」

 物件の紹介の合間に言われたその言葉に、隣に座っていた章子が顔を赤らめて俯いてしまう。そんな彼女に、僕は数件の物件を指しだして言葉をかけた。

「章子はこの中で、どの家が良いかい?」
「え?」
「一緒に住むんだ。章子の意見も聞かないと駄目だろう?」

 さもそれが当然だと言わんばかりの僕に、章子は驚いている。そんな章子へ、

「奥様! 素晴らしい旦那様ですよ!」

 そう声をかけたのは、僕たちに物件を紹介してくれている彼だった。彼が言うには、嫁の意見を聞ける夫婦は大抵うまくいく、と言うのだ。

「ですから奥様も、遠慮せずに自分の考えを仰ってください! 何せ、家を守っていくのは奥様なのですから!」

 章子は彼の勢いに少々気圧され気味だったが、すぐに差し出された物件へ目を落とす。そうしてゆっくりと一軒の家を指さした。

「ここがいいのかい?」

 僕の問いかけに章子が小さく頷いた。
 なるほど。ここなら書斎も作れそうだ。二人で住むには広すぎず狭すぎない造りで、僕もその平屋建ての家をすぐに気に入った。
 僕たちはその家の購入を決め、宿へと戻るのだった。



 新居への引っ越しを無事に終える頃には、季節は真冬へと移り変わっていた。僕と章子は籍を同じくしたものの、祝言(しゅうげん)は挙げることなくいた。僕たちはこの新居で、ひっそりと暮らしていたのだった。

 編集部の計らいで、僕は物書きとして章子と二人、生活を共にしていけるまでになった。朝から昼にかけ、僕は書斎としている部屋へと閉じこもる。その間章子は家事を行い、早くに家事を終わらせる時は僕の書斎へとやって来る。そして黙って、僕の後ろで本を読むのだった。
 夜になると、僕たちは寝室にしている和室に布団を敷く。章子が寝床を整えてくれている間、僕は寝室に置いてある文机に向かって、一日の出来事を紙に記していくのだった。

 そうした日々はとても穏やかで、とても幸せな時間であった。僕たちは常に、付かず離れずの距離を保ち、心地よい時を過ごしていく。



 僕はこの時間が永遠に続くのだと、この時は信じて疑わなかった。



 その日は酷く冷え込んだ夜だった。ガラス窓から外を見やるとどうやら雪が降り始めたらしい。
 しんしんと音も立てずに降り続く雪をしばらく眺めていた時だった。



 カタカタカタカタ……。



(えっ?)

 僕の耳に、章子と出会ってから久しく聞いていなかった音が鳴り響いた。



 カタカタカタカタ……。



 この家にはもちろん、僕と章子しかおらず、今、章子は席を外している。つまりこの、死の前兆を告げる音は僕の耳元に直接響いているわけで。

(嘘、だろ……?)

 僕は自らに迫ってきている『死』と言うものが信じられない。その間もずっと、音は鳴り響いている。

(嫌だ。僕はまだ、死ぬわけにはいかない……!)

 冷や汗が流れてくる。呼吸は荒くなり、心の臓はドクドクと早鐘を打ち出す。その音と比例して耳元で鳴る歯を打ち鳴らす音が近づいてくる。

(い、嫌だ……! やめてくれ……!)

 迫り来る死への恐怖の中、僕は壁に手をついてなんとか寝室へと辿り着く。そうしていつも座っている文机を目指している時だった。



 カタッ! カタッ! カタッ! カタッ!



 歯を打ち鳴らす音が一際大きく耳元に響いた。

(やめてくれ……! 来るな……!)

 僕は心の中で叫ぶ。
 喉はカラカラで声は全く出ない。
 どうしよう、どうしたら良いのだろうか?
 混乱し、気が狂いそうになる。そんな僕の耳に、



 シャラン……。



 清らかな鈴の音が聞こえてきた。

(え?)




 シャラン……。



 その鈴の音は着実に僕の方へと近づいてくる。
 僕は開いたままの部屋のふすまを見つめた。鈴の音は部屋の外から聞こえてきていた。
 近づいてくる鈴の音に比例するかのように僕の耳元で鳴り響いていた音が止む。呼吸や心臓の鼓動も少しずつ落ち着いてきているように感じる。
 そうして見つめていたふすまから人影が現れた。それは白衣に緋袴姿の、手に神楽鈴(かぐらすず)を持った章子の姿だった。

 巫女姿の章子は静かに舞を舞う。時折、シャランと神楽鈴を鳴らす。
 その姿は艶やかで美しく、鮮烈だ。

 僕はそんな章子の姿に目を奪われてしまう。
 そうしていると突如既視感に襲われた。

(この光景は……)

 そう。場所こそ(たが)えど、それは僕の持つ『前世の記憶』と否応なしに結びつくのだった。
 僕は『前世の記憶』の中の僕と同様、章子の美しい舞に釘付けになり目が離せない。そうしていると、章子が懐から紙札を一枚取り出す。章子はその紙札を手に、舞を舞いながら僕の傍へと近づいてくる。
 それは『前世の記憶』の中で出会った少女と全く同じに重なるのだった。

 章子は僕の前に立つと、真っ直ぐと僕の右肩を見つめ手にしていた紙札を貼り付ける。そうしてシャラン、と一度神楽鈴を鳴らす。
 その後はしんしんと降り続ける雪の中、静寂が訪れるのだった。
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