三④

文字数 1,902文字

「島崎先生、あの……。迷惑とは分かっていたのですが、その、先生のことがどうしても気になってしまいまして……」

 だから、彼女は僕が校長室を出てくるまで待っていてくれたのだという。

「もしかしなくても先生、私のせいで学校から居なくなったりしません、よね……?」

 恐る恐ると言った(てい)で尋ねてくる章子さんに、僕は何と返して良いのか分からず、曖昧に微笑むしか出来ない。
 そんな僕の様子に事情を察したのか、彼女は小さく、そんな……、と声を上げると両手で口元を隠す。
 そのまま言葉を失ってしまった章子さんを見て、僕は少し考えた。そうして僕は思いついた言葉をそのまま章子さんへと投げかける。

「もう一層のこと、僕と一緒に駆け落ちでもしましょうか?」
「えっ?」

 顔を近づけて、内緒話でもするかのように、でもしっかりと章子さんの目を見て発した言葉に、章子さんがその美しい瞳を丸くする。そして直後、見る見ると顔を上気させると伏し目がちに口を開いた。

「そうすることで、先生と、一緒に居られるのなら……」

 そう言って僕の目を見返して小さく頷く章子さんに、今度は僕が目を丸くさせられる。しかしそんなこと以上に、僕の中では喜びや嬉しさ、そして何より章子さんに対する愛しさが湧き上がってくるのだった。

(僕はこの子を、手放したくはない)

 そう思った直後僕は、真っ直ぐと真っ赤な顔で僕を見上げてくれる章子さんの手を掴んだ。そしてそのまま学校の中を歩き出す。
 女学生たちがとっくに帰ってしまった校内を、僕は章子さんの手を引いてずんずんと進んでいく。どうしてもにやけてしまう顔を、後ろに居る章子さんに見られないように僕は真っ直ぐに前を向いていた。

「先生?」

 何も言われずに手を引かれていた章子さんが、不安そうに僕を呼んだ。その声で、僕は自身の舞い上がっていた気持ちが落ち着いていくのが分かった。
 校舎の出入り口で章子さんの手を離すと、僕は小さく深呼吸をする。

「すみません、章子さん」
「先……生?」

 僕の次の言葉を、行動を、章子さんが緊張した面持ちで待っているのが伝わってくる。僕はもう、そんな彼女へとかける言葉を決めていた。

「今夜、僕は最終列車でこの町を出て行きます。もし一緒に来てくださるのなら、今夜、駅舎まで来てください」

 僕のこの言葉に、章子さんは一瞬だけ目を見張る。それから神妙に頷くと、

「必ず、必ず伺います。待っていてください」

 そう言うと校舎を後にした。
 僕はその章子さんの背中を目に焼き付けるように、見えなくなるまで見送る。章子さんの姿が見えなくなった後、僕はこの学校を去るための準備をするべく、校舎の内へと戻るのだった。

 学校での荷物をまとめた僕は一度自宅へと戻った。そこで町を出るための荷造りを行う。元来僕の荷物はそれほど多くはない。僕の荷造りはすぐに終わるのだった。
 窓の外を眺めてみるとちょうど、家を出るには程よい時間となっていた。懐中時計で時間を確認する。

(行く、か)

 僕はまとめた荷物を抱えると、そのまま町にある駅舎へと向かうのだった。
 駅舎へと辿り着いた僕は、出入り口が良く見える場所の椅子へと腰をかけた。そうしてぼーっと外を眺めながら最終列車の時間を待つ。

(章子さんは、来てくれるだろうか……?)

 不安に思いながら懐中時計を見やる。
 時刻は刻一刻と最終列車がやって来る時間を示していた。
 そわそわする気持ちの中、駅舎の出入り口に人影が現れるたびに僕ははっとし、期待と共に顔を上げる。がその期待はすぐに裏切られるのだった。

(やはり、来てはくれない、か……)

 諦めかけ、懐中時計を眺める。もう間もなく、最終列車がやって来るだろう。
 僕が立ち上がろうとした時だった。僕の傍に長い人影が現れた。弾かれたように顔を上げると、そこには、

「お待たせ……、しました……」

 はぁはぁと息を乱した章子さんの姿があった。僕は彼女の姿を見てほっと胸をなで下ろす。そうして彼女へ笑顔を向けるのだった。
 そんな僕へ、章子さんは申し訳なさそうに口を開いた。

「お父様から逃げるのに、時間がかかってしまって……」

 そう言う章子さんの手荷物は、僕同様に多くはなかった。しかしその手荷物からはみ出す大きめなものがある。それが何なのか、僕は気にはなるのだがそれを章子さんへ確かめることは止める。

 章子さんは約束通り僕の前に姿を現してくれたのだ。話をする機会はこれからまだまだある。
 僕は立ち上がると、乱れた息を整えたばかりの章子さんの手を取る。

「さぁ、行きましょうか」

 僕は笑顔で言葉をかけると、最終列車に乗り込むべく章子さんとともに歩廊(ほろう)へと向かうのだった。
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