市役所にて

文字数 1,999文字

「アイリさん。先月のあなたについて、生活記録カメラの分析結果に基づきお話ししますね」

わたしはここ数年、役所の「生活指導課」から呼び出されている。役所の精神保健管理システム「utopia(ユートピア)」のAIが、わたしの生活について「健康に対するリスクあり」と判定しているからだ。
呼び出しは最初は半年に一度だったのが、四半期に一度になり、最近月一度になった。月一度になる前には、半月に一度、週に一度という時期もあった。頻繁に呼び出されていた時期にはリスクレベルが「生命にかかわるほど重大」にまで上昇していたらしい。改善が見られなければ保護しますと説明されて、かなりな介入を受けた。その結果リスクレベルは下がり、月一回の経過観察でよしとされるまで落ち着いた。

その介入の頃からわたしを担当している職員が、今目の前にいるハツネさんだ。
彼女は優雅なデザインだけれど動きやすい白いスーツに身を包み、胸には「指導エキスパート認定」を表すホログラムを施したバッジを付けている。このバッジを付けられるのはほんのわずか、とても優秀な職員に限られる。しかもハツネさんはまだ若い。この年代でエキスパートバッジを手にするのは例外中の例外だという。
ハツネさんは手元の端末でデータを確認しながらわたしとの面談を進めた。

「食事の内容と時間について、とても良いです。バランスよく決まった時間に召し上がっていますね。外出の時間と行き先も適切です。休日には中央公園にお出かけになることが多いようですね。なるほど。バラをご覧になっているんですね。今が盛りの時期ですからね。私も行きます。綺麗ですよね」

生活記録カメラは市民の生活の全てを記録する。「あまりにセンシティヴ」と判断されている一部の領域を除いて。
家の中。外。いつ、どこで、何をしたか。見たもの、聞いたもの、話したこと……。AIが画像と音声のデータを集め、整理し、市民一人ひとりの生活情報として管理する。それが「utopia」が行っていることだ。その目的は市民の精神保健管理のため。だからAIはデータから個人の思考や精神状態を分析し「不健康リスク」を判定する処理も行う。つまりわたしはそれに引っかかったというわけ……。

「ただ……。読書の内容がまた『適切』でなくなってきているようです。今のあなたに『尖った』本はおすすめしません。このような本をお読みになった日の睡眠時間が大きく減っています。あなたはもっと眠って、頭を休めたほうがよいのです。何の本についてお話しているかお分かりですね? 別の本のカバーを掛けても、それは偽装だと分かりますよ」

「偽装はとてもとても良くないです」と、ハツネさんは悲しげな表情をした。
わたしは気付いた。バレていると。今わたしが読んでいるのは例の介入の際にハツネさんに焼かれた本だと。多分どこかのページがカメラに写っていたのだ。

ハツネさんが若くして出世できたのは「システムが望む一歩先」を迅速に実行できるからだ。たとえそれがどんなに過激なことでも……。
わたしはあの日、ハツネさんに肩を抱かれ、背中を優しくさすられながら、その本が灰になっていくのを見た。

「大丈夫。大丈夫……。これで健康的な生活に戻れます。私もいくらでも力になります……」

炎の前でハツネさんは、大丈夫と何度もわたしの耳元で囁いた。そのかすれた声を思い出すと身が震えた。
そのようにして処分した本を、どういう手段でか、またこっそり入手して、別の本に偽装してまで読むとはひどい裏切りだと、言葉の外でハツネさんが責めているのがわかった。はっきりと。

「アイリさん。あなたに必要なのは『鈍感力』を養うことです。尖って張り詰めた精神生活を続けていたら“また”心が壊れてしまいますよ。私はあなたにもっと『楽』になってほしい」

こちらを見つめるハツネさんの瞳が潤んでいるようだった。わたしは目を逸らした。重い。システムも、ハツネさんも。

「次の面談は半月後にしましょう。あの本は“まだ”処分しなくていいです。しまっておいてくだされば充分。ああ、もしよろしければ、代わりになる本をお貸ししましょう。アイリさんのような感度の高い若い女性に人気の本です」

そう言って微笑むハツネさんから手渡されたのは、恋愛小説とファッション誌だった。
恋愛小説は明快でスカッとする展開とハッピーエンドがウケてヒット中のものだと知っていた。ファッション誌の表紙には「デキるとモテるを同時に叶える運命の一着!」というコピーとファッションモデルが印刷されていた。そのモデルが纏う服は、今ハツネさんが着ている白いスーツと全く同じものだった。

わたしはこれから、これらの本を読んでいる場面をカメラに記録させなければならない。
白いスーツも買わなければいけない。

わたしは知っているからだ。このユートピアが暗い世界に繋がっていることを。赤い炎を挟み、地続きで。
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