文字数 2,896文字

「あの、三浦先生。お話があるのですが」
 翌週のことである。毎週恒例となった仏聖大学での交換講義を終えて教室を出た気楽を呼び止めた女子学生がいた。
 身長150センチ台であろうか。女子大生にしては小柄でまだまだあどけない顔をした「少女」と呼んでもいいような彼女は、どこかしら思い詰めたような表情をして、気楽を見上げている。
「私に?……なんでしょう。」
「お忙しいのにごめんなさい」
 ぺこり、と頭を下げた彼女二つ結びの髪がぴょこんと揺れた。
「実は、折り入ってご相談したいことがあって」
 そう言いながら、女子大生は申し訳なさそうに尋ねる。
「あ、でも……。これから、同修社に戻られるんですか」
「ああ、向こうでの講義もあるので戻ります。でもまあ、次のコマまでは時間もあるのでいいですよ。そうだな、今宮神社あたりまで歩きますから、それでもよければ」
 ええ、ぜひ!と少しだけ笑顔になった女子学生は気楽と一緒に歩き始めた。
 仏聖大学がある京都市北区。少し歩けば今宮神社という由緒正しい神社がある。
 所々に竹藪なんかが顔を覗かせる京都の小道を、二人はゆっくり今宮神社をめざしながら話をした。

「あ、あたしは、千真希子と言います。播磨の大日遍寺という寺の娘で、仏聖大の仏教学部の二回生です」
 そう自己紹介をした真希子だったが、気楽はちょっと驚いてまじまじと真希子の横顔を見た。
「大日遍寺というお寺で、千さんってことはまさか……」
「さすが三浦先生。おわかりになるんですね」
 こくりと頷く真希子である。皆まで言わずとも通じるものがある、ということだった。
「お察しの通り、うちの実家は隠れキリシタンです。地元のものにしか知られていないし、公式には宗派の人間も、大学の友人も知りません。表向きは江戸時代から浄土宗の寺院のフリをしてきました」
「……なるほど」
 大日、というのは大日如来のことだ。大日遍照とも呼び、世界を照らす存在として神道のアマテラスとも神仏習合される。
 そして、戦国時代にヨーロッパから来たイエズス会によって日本にもたらされたキリスト教が最初に神を訳した訳語が「大日」であった。つまり、大日とは、キリスト教の神そのものでもある。そして、”千”の字はイエスの十字架を表す。隠れキリシタンの墓碑には、千の字が刻まれることが多いことは、気楽にとってはよく知っている事実だった。
 それにしてもいきなりの真希子の告白だったが、彼女にとってはまたとない機会であったろうということは想像に難くない。
 ふだんは仏教寺院の娘として大学に通っており、自分の立場を明らかにするチャンスなどはないだろう。しかし、ひょんなことでキリスト教と仏教のどちらにも通じた人間が大学に教えにやってきたのだ。彼女にとっては何か相談ごとがあるとすれば、こんなチャンスはないというわけだ。

「それで?話というのは?」
「実は、うちのご本尊が盗まれてしまったんです!先生なら、何か手がかりになることを知っておられるんじゃないかと」
 真希子は必死な顔をして、両手を握りしめて訴える。
「ただの盗難ではない、と言いたいんだね」
「……そうです。もちろん警察にも届け出ていますが、単なる古美術の盗難としてしか扱ってくれず、情報があればお知らせします、ぐらいの程度で……」
「ご本尊は、何か特殊な特徴でも?」
 気楽の問いに、真希子は声をひそめて小声で答えた。
「実は、……背面に十字架が刻まれた大日如来像なんです」
「ほう!そいつはすごい」
 思わず声を上げる気楽だった。
 隠れキリシタンの遺物は、全国各地で見つかっている。その多くは観音像に模したマリア像であったり、背面に十字模様を持った地蔵であったりする。教科書でおなじみのイエズス会伝導士フランシスコ・ザビエルのあの絵画も、実は隠れキリシタンが隠し持っていた遺物の中から発見されたのだ。
 しかし、大日如来像そのものがキリスト教と集合した仏像となると、さすがの気楽も知らない。おそらくは戦国時代頃のものであろうが、大日教とも呼ばれた初期キリシタンの実状を伝える貴重な資料に違いない。
「それは、実におもしろい。……もうちょっと、詳しい話を聞かせてもらえないかな」
 すでに今宮神社のあたりに差し掛かっていた。その門前には「あぶり餅」という白みそ仕立てで、竹串に指した小さな餅を食べさせる店が二軒あって、このあたりの名物になっている。
「どう?あぶり餅でも食べながら」
「はい!ありがとうございます」
 二人は、昔の旅籠のような風情を残した
店の中で、お茶を飲みながら詳しい話をすることになった。

 真希子の実家、大日遍寺は播磨の中ほどにある古刹で、現在は父親が住職をしているという。
 大日如来を祀る仏教寺院の体をしているが、檀家の多くは隠れキリシタンであり、古いカトリックの風習と土着の信仰が結びついた独自の形態を保っているらしい。
 その本尊である背面十字大日如来像が盗まれたのは、つい2週間ほど前のことであった。
 警察も一応の捜査はしてくれたものの、古美術店にでも流されなければ、その行方はおそらく掴めないだろう、ということだった。そうした文化財好きのマニアの間で個人売買でもされてしまえば、追跡する方法はないかもしれない、ということだった。
「なるほど。それにしても犯人は、隠れキリシタンの遺物であるということをわかってて盗んだのか、それとも単に古美術として盗んだのか、そのあたりは重要なポイントだな」
 気楽は、名物のあぶり餅を食べながら、ずずず、と熱い茶をすする。
「ほんとおいしいですね!これ!ファンになりそうです」
 真希子は、ほっぺを真っ赤にしながら喜んでいる。京自慢というわけではないが、本当に今宮神社前のあぶり餅はおいしいのだ。それが証拠に、周りは観光客や大学生らしいの若い女の子でほぼ満員である。
「でも、実はうちのご本尊がキリシタン遺物であることは、檀家にも言っていないんです。文化財登録もしていないし、知っているのはごく一部の千家一族だけで」
「でも、それなら単なる仏像の盗難ということもありうる」
 しかし、気楽がそう言うと、真希子はその説を否定した。
「でも、おかしいんです。それだったら同じくらい古い時代の仏像や、仏具などもたくさんあるのに、狙ったようにご本尊だけ」
「……まるで、価値を知っているかのように、ってわけか」
 こくこくと真希子も頷く。まっすぐな目をして、気楽を見ている。
 さすがの気楽も、仏像窃盗犯について何の知識もあるわけではないが、こんなに純粋に頼られてしまったら、力を貸さないわけにはいかない。
「わかりました。力になれるかどうかわからないけど、今度の休みにでも、一度ご実家を一緒に訪ねてみてもいいかな」
「本当ですか!やった!うれしいです」
 犯人探しには自信がないが、消えた十字架仏像には興味が尽きない。
 これはちょっと、面白いことになりそうだ、と気楽は変にワクワクするのだった。
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