第1話

文字数 1,240文字

 夜も明けきらない月曜日の早朝、タクシーに乗り込み仕事に向かった陽介が帰ってこなくなって早三日。ただいまの時刻は二十三時きっかり。なんの連絡も寄越さないということは今晩も帰ってこないつもりなのだろう。
 家を出て程なくして、『しばらく家に帰れないから戸締まりよろしく!』という短いメッセージがスマートフォンに届いたきり、その後音沙汰なしだ。
 しかし、あっそうなのね、と呑気にしていられるのは行方に目星が付いているから。陽介本人が明言したわけではないけれど間違いない。女。女のところだ。もっと正確に言うならば久遠あずさのところだ。

 陽介と久遠あずさは恋人同士で、その付き合いは十二年にもなる。
 一年前まで実家と久遠あずさの家を行ったり来たりの半同棲のようなことをしていた陽介だが、そろそろ結婚を、と周囲がそわそわし出した辺りで転職。すると、新しい職場は実家からも久遠あずさの家からも若干遠くなった。
 一方で俺の家は職場に近く、かなり年季が入っているとはいえ間取りは2LDK。その為にあっという間にこちらに入り浸るようになり、その図々しさに腹を立てた俺が追い出そうとすると家賃も光熱費も折半でいいから置いてほしいと懇願するので、大家に許可を取って正式にルームシェアをすることと相成った。
 まぁ、分かっている。陽介は逃げたのだ。久遠あずさから。久遠あずさとの結婚から。だから通勤時間を理由に物理的に距離をとったのだ。
 この一年、ふたりの間にどんなやり取りがあったか知らないが、さすがの久遠あずさも陽介の思惑には気づいているだろう。一年たっても変化のない陽介に対し、いよいよ腹に据えかねて何らかの通達を寄越したのかもしれない。それで陽介は慌てて久遠あずさの元に赴いた。
 半同棲が解消となっても時々滞在することはあったようだから細々した日用品やら衣類やらには困らない。それを良しとして話し合いを続けるもののなかなかの難航具合。久遠あずさにだって仕事があるわけだから二人の時間を擦り合わせながらで早三日。大方そんなところだろう。
 馬鹿げている。別れる気なんてないんだから、さっさと腹をくくって結婚すればいいものを。まったく往生際の悪い男だ。呆れる。
 
 さて、馬鹿のことは放っておいてそろそろ風呂にでも入ろうかな、と重い腰をあげたところで突如玄関チャイムがビービーっとけたたましく鳴り響いた。いやいや、こんな時間にだれ?あ、陽介か。陽介しかいないか。帰ってきたのか。痴話喧嘩は終わったのか。なら連絡くらいしろよ。っていうか、鍵持ってないのかよ、失くしたんじゃねぇだろうな。いちいち面倒なやつだな。何てことを玄関に向かう一瞬で思い巡らせながら、がちゃりと解錠してドアを開けたところそこにいたのは陽介、ではなく見知らぬ女、いや、見知ってはいるが実物を見るのは始めて。久遠あずさだ。久遠あずさが立っていた。
 身一つ手ぶらで突っ立っていた久遠あずさはポカンとした顔で俺を認めると、男、とひと言呟いた。
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