一話完結

文字数 1,996文字

 深夜の街をあてもなく歩いているうちに、こんな筈じゃなかったという思いが湧き上がってきた。
 十年前、俺は一国一城の主になりたくて二十代半ばで起業した。会社は順調に成長したが、それでは飽き足らなくなり、株式上場を目指した。規模拡大のために借金をして事業買収をしたものの、その事業は破綻し、借金が重くのしかかった。以後、資金繰りに奔走する日々が続き、心が疲弊していった。婚約者は去り、優秀な社員も辞めていった。借金の返済期日が迫っているが、返す当てなどない。会社が潰れれば、巨額の借金が連帯保証人の自分にのしかかってくる。
「借金に苦しめられるのはもう嫌だ」
 そう叫ぶと、海で亡くなった両親の顔が脳裏に浮かんだ。
「俺もそっちに行くよ」
 夜空に向かってつぶやいた。
 大きな通りに出て手を挙げていると、個人タクシーが目の前で止まった。今では見かけない古い型の車だ。ドアには【神薙タクシー】と書いてある。
「かんなぎ……」
 珍しい言葉だが、記憶の片隅にその言葉はあった。神薙は神に仕える人間のことだ。あの世からの迎えが来たのかと一瞬頭をよぎり、後部座席に乗り込んで運転手の顔を覗き見た。還暦を過ぎたくらいの男だった。
「どちらまで?」
「浄土岬に行ってくれ」
 振り向いた運転手は困惑した顔をしていた。戸惑うのも当然だろう。浄土岬には何もないが、自殺の名所としては有名なのだから。
「浄土岬ですか? かなり遠いですよ」
「遠いのはわかっている。早く出してくれ」
 強く迫ると、運転手は渋々車を発車させた。
 タクシーは市街地を抜け、暗闇の中を疾走した。しばらくすると、道路を跨ぐ大きな鳥居が現れ、タクシーはその下をくぐり抜けてトンネルの中に入った。
 奇妙なトンネルだった。不思議な感覚が襲ってきて、不安になる。
「この道でいいのか?」
「近道です」
 短く答えた運転手はルームミラー越しにこちらを見てきた。
「お客さん、私は沈黙が苦手でして、いつも乗客と話しをしているんですよ。少し話をしませんか?」
 黙っていると、運転手は勝手に喋り始めた。
「戦国時代に仙石秀久というの武将がいまして、この人は豊臣秀吉の配下になって数々の武功を上げ、どんどん出世した人なんです。中国攻めの際には城主を任され、本能寺の変の後の明智方との戦では海を渡って淡路平定を成し遂げ、淡路五万石の大名になりました。その後の四国攻めでも手柄を立て、讃岐一国の領主になったんです。土豪の男が一国一城の主に成り上がったんですよ。でも、秀久の出世はここまででした。国主になった翌年、九州征伐の先陣を任された秀久は秀吉の命令を守らず、独断で島津に攻めかかって大敗しました。その上、兵を見捨てて讃岐へ逃げ帰ってしまったんです。大失態を犯した秀久は領地を没収されて高野山に追放となり、家臣も散りぢりになりました。秀久は三十五歳にして富も地位も失ったうえに、世間から『三国一の臆病者』と言われるようになったんです」
 秀久が自分と重なった。俺も欲を出して失敗し、三十五歳で全てを失った。
「久秀はどうなった?」
「数年浪人した後、小田原征伐に勝手に加わりました。秀久は鈴を沢山縫い付けた陣羽織を身に着けて奮戦し、武勲を立てて信濃五万石の大名に返り咲いたのです。生きるのを諦めなければ、人生何とかなるもんですよ」
 運転手はそう言うと、前を指差した。
 トンネルの出口から光が射し込んでいた。俺はすうっと気を失い、意識を取り戻した時には見知らぬ無人駅のベンチに座っていた。

 俺は仏壇の前に座り、大叔父の位牌に向かって手を合わせた。
 大叔父は母方の祖父の弟で、俺の恩人でもある。五年前、俺は無人駅から会社に戻った。そこに現れたのが存在すら知らなかった大叔父だった。大叔父は会社の後始末や自己破産した俺の働き口を世話してくれ、その後も色々と面倒をみてくれた。
 俺は向き直り、正座している大叔母に頭を下げた。
「ご無沙汰してしまい、申し訳ありません」
「気にしなくていいのよ。ところで、仕事は上手くいってるの?」
「店長になりました」
「良かったわね。今頃天国で、うちの人はお兄さんに威張ってるんじゃないかしら」
「えっ、どういうことですか?」
「あら、聞いてないの? お兄さん、つまりあなたのお爺さんがうちの人の夢枕に立って『孫の秀一を助けてやってくれ』って頼んできたのよ。気になったうちの人が親戚のつてを頼ってあなたを探し当てたら、大変なことになってたのよ。それで、手助けしなければとなったの。お爺さんに感謝しなさいよ」
「感謝と言われても、物心がついた時には亡くなっていましたから、よく知らないし……」
 大叔母は仏壇の引出しから古いアルバムを取り出し、俺の前で開いた。
「この人があなたのお爺さん」
 大叔母が指差した写真には、ドアに【神薙タクシー】と書かれた車の横で微笑むあの運転手が写っていた。

<終>
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