第1話 女子高生、ボディーガードを付けられる

文字数 2,695文字



 高校2年になったばかりの日曜日。
 バカ親父が海外の赴任先から連れ帰ってきた青年を前にして、玄関で言葉を失った。

「今日から天寧(あまね)のボディーガードをしてくれる、ハルジくんだ」

 黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方に浄水プラント技師として赴任して、3年2か月で4回しか家に帰って来なかった男の第一声は「ただいま」じゃなかった。

「……なに言ってんの?」

 相変わらず年齢不詳で、黒々と日焼けしているバカ親父。

 その隣であたしと同い年ぐらいのハルジと呼ばれた青年は、砂漠色のバックパックを背負って、節くれ立った右手を差し出して握手を求めている。

「ハルジだ、よろしく」

 もっさりした前髪に隠れて表情もわからないけど、口元に浮かんだ白い歯だけはやけに印象的だ。

「……誰、これ」

 その前に意味がわからない。
 なんで、女子高生にボディーガードがいるのよ。

 小説の投稿〆切りは迫っているけど、命の危険は迫っていない。
 勤勉・誠実・謙虚をテーマに、黒髪のショートボブに化粧をすることもなく、なるべく目立たないように地味な高校生活を送っている。

 誰が、こんな陰キャに殺意を抱くのよ。

「ほれ、シェイクハンド」

「ちょ――」

 ムリヤリ手を取られて、ハルジと握手させられた。
 その節くれ立った大きな手は、クラスの男子とはまったく別物。
 最後に男子から手を握られた――というか業務的に手を繋いだのは、去年の文化祭だったからかもしれない。
 これだけで心臓が一気に血液を吐き出し始めるのは、どうにも情けない。

 しかも、なにがハラ立つかといって。

 いきなり色んなことが降ってきて頭がパンクしているのに、バカ親父は奥から飛び出してきた母さんと激しいハグ&キスを交わしている。

歩美(あゆみ)さぁーん、いま帰ったよーん!」

「もー、郡司(ぐんじ)くぅーん! 寂しかったんだからぁ!」

 なんか、ハラ立つなぁ。

 いい歳したバカップルもバカ夫婦も、まぁいいとして。
 母さんが手にしてる、大きな旅行カバンだけはダメだと思う。

「待って、母さん。なにそれ……まさか、どこか行く気なの?」

「あら。やっぱ石垣島のバカンスに、これだけじゃ足りないかなぁ」

「ばっかだなぁ。歩美さんがいれば、他はいらないのさー」

 親指を立ててウィンクする、バカ親父
 やだもぉ、と照れる母さん。
 すべての話に置いて行かれた、あたし。

 おかしいでしょ、この日曜のはじまり方って。

「なに言い出すの!? あたし、なにも聞いてないんだけど! 誰この人、なにボディーガードって! だいたい急に石垣島なんて、あたしの都合はどうなんのよ!」

「いや、おれと歩美さんのふたりで行くんだヨ? ずいぶん寂しい思いをさせちゃった、つ ぐ な い? ということで」

 すでに手を繋いで、玄関を出ようとするバカ夫婦。

 マジで、なに考えてんの?
 そういうことって、あらかじめ話があってもよくない?

「ちょっと! 何年かぶりに帰ってきたと思ったら、ひとり娘を置き去りに玄関でUターンってなんなの!?」

「そのためのボディーガードだろうに」

「なッ――いきなり見知らぬ男とひとつ屋根の下とか、娘を持つ父親として」

「それは大丈夫だ、問題ない」

「なにを根拠に!」

「根拠は信頼だ」

「ハァ!? だからあたし、この人のことなにも知らないし!」

「おれはよく知ってるからいいの。その護衛対象(パッケージ)、頼んだぜ? ハルジ」

 きゅっ、とハルジはブーツの踵をそろえて背を正した。

「もちろんです、チーフ」

「じゃ、おれら行ってくるわ。楽しみだねー、歩美さん」

「ねー、郡司くん」

「ちょ――母さん!」

「新しい水着、買った?」

「もちろんじゃなーい」

「待て待て、待て!」

「マジで!? どんなの、スゴイの、ヤベーやつなの!?」

「行けばわかるってー」

「アッ――待ちなさいって、バカ夫婦!」

 ぱたん、と玄関のドアは閉まった。
 しかもハルジはバックパックから地図を取り出し、お構いなしに上がり込んで来る。

 もう、ヤダ。
 誰か、ひとつでも説明してよ。
 マジでこの状況、異常すぎない?

「じゃあ早速だが、アマネ。これが明日からの通学路(ルート)だ。なるべく大きな通りを選ぶと少し遠回りになるが、ルートは4つ確保できると思う。もちろん毎日変えるが、一番安全(セキュア)なのは――」

「あ、あの、ちょっと」

「心配するな。オレは向こうじゃ、この歳で第一警備(プライマリ・リング)を任されてたプロだ」

「いや、あの、そういう問題じゃなくてさ」

「なにか他に問題が……もしかして、十字路の手前に建築中のビルのことか? だったら大丈夫。遮蔽物が多すぎるし、朝は逆光になるので狙撃には不向きだ」

「はぁ!? 狙撃!?」

「あぁ。あそこはスナイパーにとって、絶好のポイントになるだろう」

 思わず溜め息が出ると、どんよりと肩の力が抜けていった。

 なにこれ、どうすればいいわけ?
 この人、ちょっとイカれちゃってるの?
 それとも、あたしがイカれたの?

「っていうかさ。今日から、本気でウチに泊まる気なわけ?」

「日本に来たばかりで、他に知り合いはいないが」

「めっちゃ日本語、うまいじゃん」

「日本人だから当たり前だ」

「もぅ、カンベンしてよ……てか、マジで誰なわけ?」

「だから、向こうではチーフと一緒に――そのあたりは、今から詳しく説明を」

「ちょちょ、待って待って! 靴、クツ!」

「ん?」

 思いっきり、ブーツのまま玄関を上がろうとするハルジ。
 もっさりした前髪からのぞいたその茶色い瞳は、まっすぐでキレイで、とても嘘をついているようには思えない。
 少なくとも、学校の男子たちよりは澄んでいる。

 けど、見知らぬ男に変わりはない。

「だいたい、上がっていいって言ってないでしょ!?」

「いや、さっきチーフが……」

「あっちでも、こう……男女っていうの? 知り合ったばっかなのにふたりっきりとか、そういうのは常識的にダメな感じってないの?」

 今さら気づいたのか、ハルジは動きを止めた。

 なにをどう許しても。
 いきなり同い年ぐらいの男とふたりっきりってのは、全世界的にもダメでしょ。
 そのあたりは、さすがに話せばわかってくれると思うけど。

「そうか、そういうことか……」

「ね? あたしの言いたいこと、わかるでしょ?」

「大丈夫だ、問題ない」

「ハァ!?」

「オレには、心に決めた女性がいるからな」

 そんな状態が、日の沈むまで玄関で続いて。
 結局、ハルジを家に上げることになった。
 遙か彼方から見知らぬ日本に連れてきたのは、ウチのバカ親父。
 それでも家に入れないというのは、あまりにも一方的で酷すぎると思ったからだけど。

 その日。
 部屋にカギをかけて、トイレも朝までガマンするしかなくなってしまった。



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