第5話 【書評】暴走族100人の疾走(2022.12.20記)
文字数 492文字
【文は人なり】
1.書名・著者名等
第三書館・編
『暴走族100人の疾走・増補』
1991、第三書館(親本は1979刊)
2.兎平亀作の意見です
本書に収められているインタビューの内、26編(の一部)を、私はwordで文字起こしした。
ハード・コピーじゃダメなのだ。スキャン・データのテキスト変換でもダメ。
一文字一文字、目で追って、指先で打ち込む。言葉の一つ一つを大事にして、「てにをは」一つでも、いい加減に扱わない。
そうやって初めて、話者の人間性に迫れる。「こころ」に触れることができる。
本書が暴走族をやっている若者たちの「こころ」の宝庫なのは、編集者の関心が「暴走族」ではなく「暴走族をやっている人間」に向けられているからだろう。
暴走族だの、親だの、警察だのは、ただの属性に過ぎない。社会関係の反映に過ぎない。
人間社会の中心には、人間を置くべきである。人間に対する関心は、具体的な人間(たとえば小林一郎や山田花子)を、世界の中心に置いた関心でなければならない。たとえそれが、子どもの一人よがりに過ぎなかったとしてもである。
ここに書くまでもない、当たり前の事なのだが、初心に立ち返った思いである。
1.書名・著者名等
第三書館・編
『暴走族100人の疾走・増補』
1991、第三書館(親本は1979刊)
2.兎平亀作の意見です
本書に収められているインタビューの内、26編(の一部)を、私はwordで文字起こしした。
ハード・コピーじゃダメなのだ。スキャン・データのテキスト変換でもダメ。
一文字一文字、目で追って、指先で打ち込む。言葉の一つ一つを大事にして、「てにをは」一つでも、いい加減に扱わない。
そうやって初めて、話者の人間性に迫れる。「こころ」に触れることができる。
本書が暴走族をやっている若者たちの「こころ」の宝庫なのは、編集者の関心が「暴走族」ではなく「暴走族をやっている人間」に向けられているからだろう。
暴走族だの、親だの、警察だのは、ただの属性に過ぎない。社会関係の反映に過ぎない。
人間社会の中心には、人間を置くべきである。人間に対する関心は、具体的な人間(たとえば小林一郎や山田花子)を、世界の中心に置いた関心でなければならない。たとえそれが、子どもの一人よがりに過ぎなかったとしてもである。
ここに書くまでもない、当たり前の事なのだが、初心に立ち返った思いである。