3.1 よどみに浮かぶうたかたは

文字数 2,264文字

 土曜日。お気楽学生であるわたしにとっては平日とそう変わらないのだが、ふと思い立って街をぶらついてみることにした。大学と下宿先、それからバイト先の往復で貴重な20代を浪費するのもいかがなものかと思ったのだ。とはいえ、何か目的があるわけではない。何か新しい発見ができればというのは、少々浅はかだろうか。要は気分転換である。
 最寄り駅から電車を乗り継いで、上野駅まで行ってみる。公園口改札から出て、とりあえず動物公園の方へ歩いてみた。やはり休日ということで、人でごった返していた。子供連れの家族や、カップル、それから友人同士で来ているであろう集団。ぱっと見では、1人でいる人は見当たらなかった。
 少し歩いていくと、広場に人だかりができていた。何だろうと思って寄って見てみる。どうやら大道芸人が芸を披露しているらしい。アップテンポな音楽にのせて、コマを回している。わたしは歩みを止めて、少し見ていくことにした。人込みから少しだけ離れた場所に立つ。
 大道芸人は軽妙な話術も交えながら、コマをあれやこれやと回したり、宙に放ったり、ぐらぐらする足場の上で操ったりする。技を披露するたびに、拍手が沸き起こった。よくもまああんなふうに器用にコマをまわせるものだと感心した。あそこまでの技量を身に着けるために、相当な努力を重ねたのだろう。
 翻って自分はどうだろうか。何かのために努力しているだろうか。そんなことを思うと、少し暗い気持ちが首をもたげる。
 一通り芸をやり終えて、大道芸人はすっきりしたような笑顔だった。拍手をしながら、わたしはちょっとだけ彼に嫉妬した。いや、これは羨望だろうか。
 最後に、もったいぶったような、遠慮している体で、お気持ちで結構ですので、できれば四角い方を……と、おひねりの時間になる。楽しんだ分と自分の懐の余剰を掛け合わせて、気持ちばかりのおひねりを、彼の前に差し出された帽子に入れて、立ち去った。
 公園をそぞろに歩きながら、思考をくゆらせる。楽しい気持ちが少しと、もやもやした気持ちが同居している。今の自分は、何かの目標に邁進しているわけでもなく、かといって、毎日が楽しいことで充実しているわけでもなく、ただ自堕落に何もなく生きている。まったくの無だ、と言っても過言ではないと思う。友人もわずか、恋人もおらず、学問にも学生生活にも打ち込んでおらず、ただ酒に浸って過ごしている。そんな生活で満足しているわけでもなく、かといって、ある種の諦めも持っているわけではない。そんな宙ぶらりんの生活だ。間違っても幸福だ、なんて言えはしないだろう。じゃあ、不幸かと言われればそんなこともない。不自由なく大学に行き、食うに困らず暮らしている。よっぽどの下手を踏まなければ、就職だって何とかなるだろう。ただ気分が晴れない、それだけで不幸を表明したならば、本当に不幸な人たちに怒られてしまう。衣食住にすら困る人が、この国にだっているし、海外に向ければごまんといるだろう。そんな中で、自分が不幸だなんて、間違っても言えない。自分は、幸福であるはずなんだ。
 でも、どうして、こんなにも不安なんだろう。
 人込みを避けつつ、足が歩くに任せて歩いている内に、不忍池までやってきた。なんとはなしに、池をぐるっと回ってみる。蓮に覆われた池を歩いて過ぎると、ボートの浮かぶ池が見えてくる。みんな思い思いに、のんびりとボートを漕いでいる。のどかな風景だった。
 不意に聞こえてきた大きな笑い声に思わず身を竦める。ちらりと目線を向けると、たぶん同年代ぐらいの大学生の集団がいた。5、6人ぐらいだろうか。大きくて、下品な話し声。身内向けの言葉の癖に、周囲を憚らず余計な音を立てる様は、自己主張の大きさが現われている、ような気がする。
 なにがそんなに面白いのだろうか。いや、仮に面白いのだとしても、あそこまで声をあげたり、大げさな手ぶり身振りをする必要があるだろうか。そんなことを思ってしまう。横を通りすぎるときに、彼ら・彼女らの姿を改めて見てみる。今時の服、今時の髪型、今時のしゃべり方。どこにでもいそうで、何者でもない。
 わかっている。半分ぐらいはやっかみなんだ。あいつらに混ざりたいかは置いておいて、あんなふうに騒ぎたいわけでもないけれど、あのように楽しく仲間とつるんでみたい、そんな風に心の一部では思っている。でも、あんな風にはなりたくない。なんだか自分でも矛盾しているような気がしている。楽しく日々を過ごしたいという思いと、そのためには何かを諦めたり変えるべきでないものを変えたりすることが必要なのではないだろうかという思い。うまく説明ができないけれど、その違いは結構重要なような気がする。
 また、どっと笑いが湧いた。それがどうも、わたしに対する嘲笑なのでは、という感じがして、思わず胸が縮み上がる。全身に緊張が走って、動かす手足がぎこちない。もちろん、自分の思い過ごしのはず。でも、頭は一瞬で彼らの笑いとわたしの不安を結びつけてしまう。そんな自分がやっぱり嫌だった。
 なんだか疲れてしまった。結局なにも真新しいことは無かった。もう家に帰ってしまうことにしよう。
 そう思って、駅の方へ向かおうとした時だった。スマホに1件の通知が出てくる。見てみると、それは友人のカオルからだった。今夜何人かで飲む予定なので来てほしいとのことだった。あまり人と会う気分ではなかったけれど、断る理由も見つからなかった。少し迷った後、返事を返してまた駅の方に向かっていった。
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