第1話

文字数 2,809文字

 切った。激しい疲労感と共に冷や汗、脂汗。なんだ。いつもこうなる。四十五歳にもなって。大きく息を吸う。
 そうしないと呼吸困難になりそうなので。
「じゃあね、みさと。風邪なんか引きなさんなよ!」 
 命令形か。いつこの物言いは、改まるのか。一生無理だろう。
 母親が。いつにも増して受け入れがたいことを電話で言ってきた。そもそも電話をかけたのは、私だ。三ヶ月以上も音信がないから、もしかしたら死んでいるかも、と思ったから。
 十回コールくらいで出てきた。実家の間取りを目に浮かべる。リビングルームにある電話機。あわてて出ようと小走りをして、何かにつまずいたら・・・。
「あんたのせいで転んじゃったじゃないのよ。あんたがこんな夕飯の仕度の時間に電話なんかかけてくるから」
 と言われる。
すぐに起き上がれればいいが、大怪我の場合、本当に面倒くさいことになるので、時間帯には細心の注意を払うし、なるべく電話もしないようにしている。しかし、もし人知れず死んでいて、腐乱していたら・・・と思うから、こうして定期的に電話するまで。七十代の母が一人住む六LDKの実家。父は十年前に亡くなり、妹はオーストラリア人と結婚して、メルボルンだ。
 ひとしきり近況を報告された後、
「そう言えば・・・」
 と切り出してきた。
私からの近況報告は、ない。途中で話を遮られ、自分の話に無理矢理持っていかれるのが、とても疲れるから最初からしない。
「みさとの部屋にあるマネキンだけど」 
 出た。またその話か。
「だからもう捨てていいって言ってるでしょう」
 ここ二十年間で何度も交わされた会話。
 結婚前に友達から、十歳くらいの女の子のマネキンをもらった。古ぼけていて、ところどころ塗装がはがれているから、廃棄処分になったのかもしれない。声をかけられた時、欲しいと思って、もらうことにした。
 けれども結婚して入居したアパートは、狭くて一DKしかなかったので、当分実家に置いてもらうことにしたのだ。
 一年、二年。
 最初は、
「あのマネキン、どうするの?」
「広い家に越したら持って行くので、もう少し待って」
 と伝えていたが、広くなっても同時に物も増えてしまい、なかなか引き取れなくなってしまった。
「この次ね」
 と話題をそらし、引き取ることを先に延ばした。十年以上経つと、マネキンへの執着心が薄れたのか、
「粗大ゴミの日に捨てちゃって」
 と言うようになった。年に一、二度しか実家へは寄らないし、車がなければ運べないから、もうそう言うしかなかったとも言える。
「あんな大きいもん持って玄関から出られないわよ」
 怒ったように。
「じゃ、この次車で来た時に運んで、私の方で粗大ゴミに出すから」
 けれども、この次がなかなか実現しない。私は、なるべく実家に行かないようにしているし、夫が来なければペーパードライバーの私は車に乗れない。運びようがない。子供も作らなかったから、里帰り出産のような長期滞在もせず、思い返しても結婚後実家に泊まったことはないのでは、と思う。
なんとか凌いできたが、今日は状況が変わっていた。
「この間マルヤマホームセンターで、小さいノコギリを買って来て、マネキンの足を切ってみたんだけど」
 どういうこと? 最初は、わからずに黙っていた。
「かったくてかったくて、やっとの思いで、一本切ったけど、もうこの年じゃ無理よ」
 ノコギリを、買った。マネキンの足を切るために。事実として、受け入れるのに時間がかかった。台座のようなものが三十×三十センチくらい。畳半畳のスペースも、取っていない。あの日広い家の、三十×三十センチが、そんなにも邪魔なのか。それとも、私の所有物だから目ざわりだとでも? 邪推する。
 母が、私の部屋で背中を丸めてマネキンの足を切っている姿を、想像する。猟奇的。七十代の老婆が、ノコギリを上下に引いて。その音は、どんな音色なのだろう。
 私の部屋。母に暴言を吐かれ、一人泣いていた私だけの場所。定期テストで九十九点を取ったら、
「あとの一点は、どこに行ったの?」
 と決してほめてはくれず、いつも満たされない日々。そのくせ過度の期待をかけてきて、有名大学に合格することを、暗に強要してくる。きゅうくつで救いのない思いをたくさん吸いこんだあの部屋。今は、殆ど納戸と化しているが、あそこで作業したことさえ許しがたい気もする。
 けれども。母は、私が何度言っても過去のことは覚えていない。
「そんなこと言った覚えがない」
 と全面否定をするので、今は言わない。本当に忘れているのか? それとも、自分は良い母親だったと過去を美化しているとでも? 
「孫の顔見ないと死ねないからな」
 結婚後数年は、そうやって脅しもしてきた。
「じゃ、永遠に生きてれば?」
 と言いたかったけれど、こらえて、
「子供なんて、欲しくないわ」
 と最近の若い女性が言うような、自分の時間がなくなるから、という理由をほのめかしてかわそうとした。
 そうしたら。一瞬世界が止まってしまったかと思うくらいの衝撃。
「あら、子供はか~わい~いわよ~」
 と真顔で。
 本当か? 本当にそう思っていたら、あの暴言の数々は、何だ。一度も抱きしめてもくれなかったくせに。 
 美化するのも、大概にしろ。けれど、言い返すと反論に大きなおまけやふろくがついてきてしまうので、そのあたりで、止めておいて。
 そして、本当にありがたいことに、妹が四人子供を産んで、夏休みは実家に長期滞在してくれるようになり、私への攻撃は止んだ。四十歳を過ぎて、出産が物理的に不可能になってきた。この時をずっと待っていたとも言える。
 妹に確かめたことはないけれど、そんなに長くいられるのだから、母のことを嫌がっているわけではないのだろう。そうか。かわいい子供は、妹の方だけか。
 母の文句は、まだ続いていた。足の中に芯が入っていて、それがなかなか切り離せなかったとか、切った足を持って階段を下りた時、よろめいて危険だったことなど。聞くだけで私の具合が悪くなりそうなので、
「わかった、わかった。この次必ず引き取るから」
 と言って、受話器を置いた。すでに相当に、苦しい。掌にも、汗をかいていた。
 母は、
「そろそと、終活しないと」
 などと、テレビで聞きかじったことを実行しようと思ったみたいだが、死に仕度をするのなら、もっと先にやるべき場所があるだろう。死んだ父の遺品整理とか、押入れをふさいでいる壊れた電気ストーブや電子レンジなどの処分とか。または、いつか使うかも、と取ってある菓子折りの箱やデパートの紙袋をせめて半分捨てるとか。
「ああ、疲れた」
 思わず大きな独り言が、出る。いつものパターンだと、二、三日得体の知れない不安感にさいなまれるはずだ。

 
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