第2話 物件を探します。
文字数 2,881文字
「勇敢なるマッコイ・モッコイよ。我ら忘却の五大精霊はそなたへの恩をけっして忘れません」
七色に輝きだした泉の中央から、暖かく光る光子と共に現れたのは、ボロボロの羽衣を纏った乙女だった。
1人の男がその泉のほとりで呆然と立ちすくみ、その傍らには白眼をむいて尻餅をつくダークエルフの少女がいる。
少女の口からぶくぶくと泡が吹き出しているのは、驚愕からなのだろうか。
泥にまみれた作業着姿の男の名は、そう、マッコイ・モッコイーー
会社を辞めた彼が、1ヶ月後にこれほどの転機を得るまでに何が起きたのか。それをこれから語らなければならない。
◆◆◆◆
ーーマッコイ・モッコイがリノアと共に会社を辞めてから3日後。彼らは街の不動産屋の中にいた。
カウンターに並んで座る2人の前には、渋い顔をした女性店員がいる。
店員は手元の資料の束を眺めながら「うーん、これは金額が、あ、これ、は狭すぎるし、うーん」などとぶつぶつと独りごちていた。
「ごめんねマーサ。やっぱりこの資金では厳しいかな?」
それを眺めていたマッコイが申し訳なさそうに声をかける。難しい顔の2人と対照的に、ニコニコと隣に座っているリノアは、おそらく何も考えていないのだろう。
「いいえ、他ならぬマッコイさんの頼みです。必ず条件に見合った物件を探して見せますから!」
「頼むよ。立地は多少不便でもいいんだ。ただ、どうしても広いプールが必要だ。それも、なるべく隣家から距離がある場所で」
「了解です! 不動産の女王マーサの名にかけて、必ず探してみせます!」
そう言うと、マーサは再び書類に目を落とす。しかしすぐにまた「うーん」と唸り始めるのだった。
(やっぱり、この金額で借りれるプール付きの物件なんて、そうそう見つからないか)
そう考えながらも、祈るようにマーサを見つめるマッコイ。2人の関係は、マッコイが会社を辞めるまで、業者と顧客の間柄だった。
マーサは街の大手不動産屋の社員。中々の辣腕で、若くして業界では女王と呼ばれている。その彼女が以前、上客に広大な牧草地を売った時のこと。
マーサはそれ以前の土地取引において、すでに騙されていたのだ。破格の値段で購入し転売したその土地は、ミミックの巣窟だった。
引き渡しまでにミミックを駆除しなければ、女王マーサの名が地に堕ちる。だが、土地が広大すぎて、並みの業者であれば、駆除にひと月は有する大仕事だった。
期日は7日間。困り果てたマーサが、そこで頼ったのがマッコイだった。
マッコイの手腕は実に見事であり、また、7日間ろくに寝ないで働いてくれたこともあり、その土地のミミックは一匹残らず捕獲することができたのだ。
そのような経緯で、マーサはマッコイに恩義を感じている。またそれはマーサだけでなく、街には誠実で情に厚いマッコイのファンが、至る所に存在するのだった。
ーーそのマーサに、マッコイが頼んだ依頼。それは、格安で借りられるプール付きの事務所を探してもらうこと。つまり、マッコイの言った「次の職のあて」とは、事務所を借りて自らが社長となり、起業することだったーー
だが、その計画の第一歩、物件探しはこうして難航を極めている。条件に見合う物件が見つかりさえすれば、マッコイには事業を成功させる自信があるのだが。
「ふんふー、ふふんふー」
隣から気楽な口調の鼻歌が聞こえてきて、マッコイは隣のリノアを見る。彼女は満面の笑みで、今回の話とは全く関係のない借家や一軒家の物件チラシを眺めていた。
(まったく、自分の人生がかかってるはずなのに、この女は)
思考の中で愚痴を吐き、マッコイはため息をついた。
マッコイには、長年相棒として仕事していたリノアの考えが、手に取るように分かる。つまり、完全な他力本願。リノアはマッコイがどうせなんとかしてくれると、そう考えて、何も考えていないに違いなかった。
ーー2人の出会いは5年前、雪の降る日だった。
リノアはマッコイと同じように孤児だ。見た目がソックリな母親に15歳まで育てられた。2人はよく姉妹に間違われるほどで、人を疑うことを知らない性格まで瓜二つだった。
母親は街の食品工場で働いていた。流れてくる食品に食材を盛り付ける仕事。働いても働いても手に入る賃金は安い。それでも彼女は将来リノアが嫁ぐ時、恥ずかしくないだけの家財を持たせられるように、身を粉にして働いた。
純粋で教養もない彼女は人からよく騙され、世間から食いものにされるような扱いを受けたが、彼女はいつでもニコニコ笑って働いていた。
全ては娘のために。愛するリノアのために。
だが、そうして蓄えたささやかな資金でさえ、彼女は奪われた。職場で出会ったある人間に騙されて、全てを失った。そのうえ、消沈した彼女に言葉巧みに近づく者もいて、とうとう借金まで背負わされた。
そして失意の中、彼女は流行病にかかり、あっけなく命を落とした。
母親が残した借金のカタに、リノアは娼館に売られそうになっているところで、この不運なダークエルフが出会ったのがマッコイ・モッコイという男だったーー
紆余曲折を経て、マッコイはリノアを助ける事になり、その後自分の職場で後輩としてリノアの面倒を見てきた。
前職に引き入れたのも自分だ。その職場を頼まれたからとは言っても辞めさせたのも自分。だからマッコイにはリノアに対して責任がある。リノアの能天気なニコニコ顔を守っていかなければならない責任。それは亡くなったリノアの母親との約束でもあるし、やっぱり駄目でしたじゃ済まされない。責任は果たすつもりだ。
ただ、事業のパートナーとして、これから2人でやっていこうとしているのだから、事前に説明した事業計画について、リノアが本当に理解しているのか心配になるのだった。
「あの、マッコイさん、あの……」
突然そのリノアが、身体をもじもじとさせ、何かを言い淀んだ。
「何だよ?」
聞き返すマッコイに、リノアは顔を近づけて、耳元でこう囁く。
「おトイレ、何処ですかね?」
「ああ、こっちじゃない。反 対 だよ」
マッコイはトイレ方向に顔を向けて示してやる。
するとリノアは「ああそうですか」と呟いて席を立った。そしてマッコイの隣から反対の隣に移動してーー
「おトイレ、何処ですかね?」
反 対 の耳に、そう囁くのだった。
ーー無事にリノアがトイレにたどり着き、マッコイがリノアをパートナーに選んだことを改めて後悔している時、物件を探すバーサの手は、いよいよ書類の最下に伸びて、そこに埋まった資料を引っ張りだしていた。
「……マッコイさん、もう、これしかないかもしれません」
そう言われてマッコイが受け取った資料には、文面の上に、赤字で印が押されていた。
【いわく付き】
七色に輝きだした泉の中央から、暖かく光る光子と共に現れたのは、ボロボロの羽衣を纏った乙女だった。
1人の男がその泉のほとりで呆然と立ちすくみ、その傍らには白眼をむいて尻餅をつくダークエルフの少女がいる。
少女の口からぶくぶくと泡が吹き出しているのは、驚愕からなのだろうか。
泥にまみれた作業着姿の男の名は、そう、マッコイ・モッコイーー
会社を辞めた彼が、1ヶ月後にこれほどの転機を得るまでに何が起きたのか。それをこれから語らなければならない。
◆◆◆◆
ーーマッコイ・モッコイがリノアと共に会社を辞めてから3日後。彼らは街の不動産屋の中にいた。
カウンターに並んで座る2人の前には、渋い顔をした女性店員がいる。
店員は手元の資料の束を眺めながら「うーん、これは金額が、あ、これ、は狭すぎるし、うーん」などとぶつぶつと独りごちていた。
「ごめんねマーサ。やっぱりこの資金では厳しいかな?」
それを眺めていたマッコイが申し訳なさそうに声をかける。難しい顔の2人と対照的に、ニコニコと隣に座っているリノアは、おそらく何も考えていないのだろう。
「いいえ、他ならぬマッコイさんの頼みです。必ず条件に見合った物件を探して見せますから!」
「頼むよ。立地は多少不便でもいいんだ。ただ、どうしても広いプールが必要だ。それも、なるべく隣家から距離がある場所で」
「了解です! 不動産の女王マーサの名にかけて、必ず探してみせます!」
そう言うと、マーサは再び書類に目を落とす。しかしすぐにまた「うーん」と唸り始めるのだった。
(やっぱり、この金額で借りれるプール付きの物件なんて、そうそう見つからないか)
そう考えながらも、祈るようにマーサを見つめるマッコイ。2人の関係は、マッコイが会社を辞めるまで、業者と顧客の間柄だった。
マーサは街の大手不動産屋の社員。中々の辣腕で、若くして業界では女王と呼ばれている。その彼女が以前、上客に広大な牧草地を売った時のこと。
マーサはそれ以前の土地取引において、すでに騙されていたのだ。破格の値段で購入し転売したその土地は、ミミックの巣窟だった。
引き渡しまでにミミックを駆除しなければ、女王マーサの名が地に堕ちる。だが、土地が広大すぎて、並みの業者であれば、駆除にひと月は有する大仕事だった。
期日は7日間。困り果てたマーサが、そこで頼ったのがマッコイだった。
マッコイの手腕は実に見事であり、また、7日間ろくに寝ないで働いてくれたこともあり、その土地のミミックは一匹残らず捕獲することができたのだ。
そのような経緯で、マーサはマッコイに恩義を感じている。またそれはマーサだけでなく、街には誠実で情に厚いマッコイのファンが、至る所に存在するのだった。
ーーそのマーサに、マッコイが頼んだ依頼。それは、格安で借りられるプール付きの事務所を探してもらうこと。つまり、マッコイの言った「次の職のあて」とは、事務所を借りて自らが社長となり、起業することだったーー
だが、その計画の第一歩、物件探しはこうして難航を極めている。条件に見合う物件が見つかりさえすれば、マッコイには事業を成功させる自信があるのだが。
「ふんふー、ふふんふー」
隣から気楽な口調の鼻歌が聞こえてきて、マッコイは隣のリノアを見る。彼女は満面の笑みで、今回の話とは全く関係のない借家や一軒家の物件チラシを眺めていた。
(まったく、自分の人生がかかってるはずなのに、この女は)
思考の中で愚痴を吐き、マッコイはため息をついた。
マッコイには、長年相棒として仕事していたリノアの考えが、手に取るように分かる。つまり、完全な他力本願。リノアはマッコイがどうせなんとかしてくれると、そう考えて、何も考えていないに違いなかった。
ーー2人の出会いは5年前、雪の降る日だった。
リノアはマッコイと同じように孤児だ。見た目がソックリな母親に15歳まで育てられた。2人はよく姉妹に間違われるほどで、人を疑うことを知らない性格まで瓜二つだった。
母親は街の食品工場で働いていた。流れてくる食品に食材を盛り付ける仕事。働いても働いても手に入る賃金は安い。それでも彼女は将来リノアが嫁ぐ時、恥ずかしくないだけの家財を持たせられるように、身を粉にして働いた。
純粋で教養もない彼女は人からよく騙され、世間から食いものにされるような扱いを受けたが、彼女はいつでもニコニコ笑って働いていた。
全ては娘のために。愛するリノアのために。
だが、そうして蓄えたささやかな資金でさえ、彼女は奪われた。職場で出会ったある人間に騙されて、全てを失った。そのうえ、消沈した彼女に言葉巧みに近づく者もいて、とうとう借金まで背負わされた。
そして失意の中、彼女は流行病にかかり、あっけなく命を落とした。
母親が残した借金のカタに、リノアは娼館に売られそうになっているところで、この不運なダークエルフが出会ったのがマッコイ・モッコイという男だったーー
紆余曲折を経て、マッコイはリノアを助ける事になり、その後自分の職場で後輩としてリノアの面倒を見てきた。
前職に引き入れたのも自分だ。その職場を頼まれたからとは言っても辞めさせたのも自分。だからマッコイにはリノアに対して責任がある。リノアの能天気なニコニコ顔を守っていかなければならない責任。それは亡くなったリノアの母親との約束でもあるし、やっぱり駄目でしたじゃ済まされない。責任は果たすつもりだ。
ただ、事業のパートナーとして、これから2人でやっていこうとしているのだから、事前に説明した事業計画について、リノアが本当に理解しているのか心配になるのだった。
「あの、マッコイさん、あの……」
突然そのリノアが、身体をもじもじとさせ、何かを言い淀んだ。
「何だよ?」
聞き返すマッコイに、リノアは顔を近づけて、耳元でこう囁く。
「おトイレ、何処ですかね?」
「ああ、こっちじゃない。
マッコイはトイレ方向に顔を向けて示してやる。
するとリノアは「ああそうですか」と呟いて席を立った。そしてマッコイの隣から反対の隣に移動してーー
「おトイレ、何処ですかね?」
ーー無事にリノアがトイレにたどり着き、マッコイがリノアをパートナーに選んだことを改めて後悔している時、物件を探すバーサの手は、いよいよ書類の最下に伸びて、そこに埋まった資料を引っ張りだしていた。
「……マッコイさん、もう、これしかないかもしれません」
そう言われてマッコイが受け取った資料には、文面の上に、赤字で印が押されていた。
【いわく付き】