第1話 その太陽の光すら届かない一隅に

文字数 19,143文字

序章


   ある小さな町で、一人の男が必死に走っていた。彼の体には赤い菱形のマークがあった。どこに逃げても、そのマークから逃れることはできなかった。ついに裁きが下った。空から真紅の光の束がまっすぐに放たれ、男を襲った。空は血のような赤から元の青に戻り、何事もなかったかのように、処刑された男は存在しなかったかのようになった。

   遠くから、銀灰色の髪をした若い男性がこの全てを見ていた。彼はこの作品の主人公だ。



【ナレーター】
さて、どこから話そうか。俺の名前はルードヴィック・ドラクロワ。この話は俺が自分の存在の意味を探す旅の物語だ。俺が踏み込んでいるのは「法則世界」と呼ばれる、いくつかの国が連合した世界だ。この世界では、ごく一部の人間が「法則」と呼ばれる人工的な超能力を持っている。この力で英雄になるやつもいれば、独裁政権を築くやつもいる。幸運なことに、俺もその一人だ。俺は強いから、法則世界のあちこちを旅してきたんだ。

   ルードヴィックは近くのビルの屋上に飛び乗り、足を組んで空を眺めている。

【ナレーター】
俺には家族も友達もいないし、帰る場所もない。自分の力だけが頼りの流れ者なんだ。だけど、1972年に遡ると、俺が人里離れた町に一時的に住むことを選んだその瞬間から、運命の歯車が動き始めて、俺の人生が一変したんだ。

I


   朝霧が町を包み、街道はぼんやりとした朝の光の中で静寂に包まれている。法則の力を使ったルードヴィックは、まるで幽霊のように静かに街を歩いている。その歩みは軽やかで迅速だが、冷酷な雰囲気が漂っている。

   ルードヴィックの装いは町の住人とはまったく異なり、彼の存在は朝日の中の影のようだ。しかし、彼に気づく者はいない。彼はまず「英雄通り」を通る。そこには町の象徴である堂々たる英雄像が立っている。台座には「町の英雄——ル・ペール」と刻まれている。ルードヴィックはその像の前で一瞬立ち止まり、目を軽く走らせるだけで、過去の栄光には無関心な様子だ。彼は振り返り、何事もなかったかのように歩み続ける。朝日が彼の背中を照らし、足音は次第に遠のいていった。

   ルードヴィックは道の中央を歩いている。両側には低くて単調な建物が並んでおり、どれも二、三階建てだ。しかし、建物の外壁には巨大なテレビスクリーンが取り付けられている。

【ナレーター】
町中には英雄を称えるテレビスクリーンが至る所にある。これらのスクリーンは驚くほど大きく、まるで野外映画のスクリーンのようだ。広場や住宅の壁、見上げればどこにでもある。これらのテレビは24時間絶え間なく、町の英雄であるル・ペールがインタビューを受けたり戦ったりする映像を流している。彼は法則の力を操る者として、権力の頂点を象徴しているのだ。

   ルードヴィックは豪華な建物の前で立ち止まり、まるで自宅に入るかのように古びた木の扉を押し開け、中に消えた。扉が閉まると同時に、世界は再び静寂に包まれ、朝の光の中で一片の塵だけがこの神秘的な瞬間を証言していた。

【ナレーター】
毎朝、官僚が出勤する前に俺は先に到着し、内部専用の最新の新聞を盗んでコーヒーを飲んでいる。ちなみに、俺はテレビが嫌いだ。娯楽のためのものではなく、英雄の宣伝ばかりだからだ。さて、この町の官僚階層について紹介しよう。ここは彼らのオフィスだ。彼らの主な仕事は、子供たちにル・ペールの像に敬礼することを教えること、淫らなパーティーを頻繁に開くこと、そして住民の税金で贅沢をすることだ。もちろん、全員がそうではない。例えば、マーカス・ヴィンセント。彼は学校の教官も兼任し、官僚の中で唯一実力のある人物だ。

   ルードヴィックはコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。新聞の一面には「三日間で5人の英雄が反体制組織に殺された。我々の損失は甚大で、反撃が急務だ」とある。一方、テレビでは「1972年6月5日、多数の英雄が反体制組織との戦闘に参加。我々は圧倒的な勝利を収めた。38人の覚醒者が逮捕され、21人がその場で撃ち殺された」との勝利報が流れている。

【ナレーター】
それが内部文書の面白いところだ。マスメディアは真実を語らないから。

   続いて、テレビではル・ペールの戦闘シーンが流れ始める。背中しか見えないが、町の住民たちは沸き立つ。ル・ペールは火を操る能力を持つ覚醒者と戦っている。敵は法則を使い、近くの民家に火を放った。

【ル・ペール】(大げさに腕を振りかざし、空を指す)
嵐を呼び起こせ、私が命じるまで止むことなかれ —— 法則・征臨嵐境(ポセラムプレシピト)

   ル・ペールも法則を使い、瞬く間に大雨を降らせて火を消し去った。町の住民たちはテレビに映るル・ペールの戦いに熱狂している。

【テレビの声】
ル・ペール様が反体制組織のメンバーと戦っている! 敵はまだ抵抗しているが、もはや勝ち目はない ——見ろ、ル・ペール様の姿だ! 彼がこの戦いを終わらせた! 犯人が逮捕された! そいつは常習犯で、何度も少年院に通っていた。顔には若さの欠片もない。たった16歳で、学校に通うべき年頃なのに、放火で自分の人生を台無しにしたのだ!

   テレビ画面にル・ペールの正面が映る。彼は屈強な中年男で、像よりも少し太っている。

【ル・ペール】
皆さんの支援に感謝する。敵は我々を倒せない。彼らは我々をより団結させ、強くするだけだ。この町の平和のために、我々は戦い続ける。決して闘争を諦めることはない。

   外では歓声が絶えない。ルードヴィックは部屋から出ようとしている。彼は手を軽く振ると、部屋の物が紙のように浮かび上がり、元の位置に戻った。扉を閉める瞬間、無精ひげを生やした男がやってきた。ルードヴィックはわざと彼と肩を擦れ違わせたが、相手は反応しなかった。

   ルードヴィックが建物を出ると、三人の不良がリュックを背負った少年をいじめているのが見えた。

【いじめっ子A】
この落ちこぼれがさ、今日、弱者組のやつらに「この町は洗脳で溢れてて、ル・ペールは嘘つきだ。どうしてもここを抜け出したい」って言ってるのを、俺、聞いちゃったんだよ!

【いじめっ子B】
弱者組?最底辺の、試験に落ちまくるクズどもだろ?笑えるぜ!ねぇ、マルセル、次はどうやって苦しまずに人生を終わらせるかでも話してろよ!

【マルセル】
僕は間違ったことを言ってないよ。この町はまるで閉ざされた牢獄だ。町の出口は全部ル・ペールに封鎖されてて、普通の住民は特別な許可がないと自由に出入りできないんだ。その理由は言わなくても分かるよな。もし町を出たら、ル・ペールは唯一の英雄じゃなくなるから。そうなったら、テレビの宣伝も全部無意味になる。あの牢獄——物理的にも精神的にも——は崩壊するんだよ。

【いじめっ子C】(マルセルの顔を足で押さえつけながら)
外の世界の方がこの町よりいいって言いたいのか?それに、ル・ペール様に不満があるなら、町の封印を解いてもらうように頼んで、貴様が出て行けばいいんじゃないか?

【いじめっ子A】
そういえば、シルヴァはどこ行った?あの臆病者、最近数ヶ月見てないし、学校にも来てない。法則世界には、「天罰」って法則で犯罪者が処刑されるって噂があるし、シルヴァは小物を盗む癖があったから、多分天罰にやられたんだろうな。これが正義の裁きってやつか、ハハハ。

   マルセルの目が急に険しくなる。

【マルセル】
シルヴァを侮辱するな!彼はそんなことする奴じゃない——

   言い終わる前に、いじめっ子たちの拳がマルセルの顔に飛びかかる。ルードヴィックはマルセルを数秒見つめ、言いたげな様子だったが、何も言わずにその場を去った。


II


   ルードヴィックは学校の教室に現れた。そこには彼のための椅子がなく、彼はマルセルの机の上に腰掛けた。マルセルの隣の席は空いていて、それは元々シルヴァの席だった。教官はヴィンセントで、以前ルードヴィックが出会った顔に無精ひげを生やした男だ。

【ヴィンセント】
私は教官のヴィンセントだ。この町の中でル・ペール様に次ぐ実力者だ。もちろん、私も法則の力を使うことができる。この授業では、ル・ペール様の物語を続けていく。ル・ペール様の貴族出身の家庭背景や、力を得た経緯、そしてなぜル・ペール様が英雄となったのかを話していこう……

【ナレーター】
時々、自分の力がどこから来るのか分からなくなる。ただ瞑想し、法則の名前を唱えるだけで、それが効力を発揮するのだ。これが俺にますます確信させるのは、思考を続けなければ自分の存在を確認できないということだ。しかし、俺はどこへ行っても見つからないように、常に自分を隠す法則を使わなければならない。もうずっと人と交流していない。まるで街角をさまよう幽霊のように、俺は実存しないのだ。

【ヴィンセント】
まずは彼のコードネームから話を始めよう。ル・ペールとは「父親」を意味する。もちろん、これは彼の本名ではない。この名前は彼に対する愛情を示すために人々が付けたものであり、我々が英雄をどのように扱うかを表している。

   ヴィンセントは視線の端で、マルセルが机に伏せて寝ているのを見つけた。

【ヴィンセント】
では、次にルポン公爵について話そう。彼がル・ペール様の父親だ。ルポン家は非常に強力な力を持ち、法則世界に多大な貢献をしてきた……

   マルセルが依然として眠り続けているのを見て、ヴィンセントの怒りは限界に達した。

【ヴィンセント】
マルセル!態度を改めて、我々の父親——ル・ペール様に敬意を払え!

【マルセル】(眠そうに立ち上がる)
でも、先生、彼は僕たちの父親ではないです。こんなに多くの人が同じ父親を持つなんてありえません。全町の人が彼の子供だとしたら、どれだけ積極的に種をまかないといけないか、想像もつきません。

【ヴィンセント】
もし君が「生物学的な父親」のことを言っているなら、当然それは現実ではない。君のような貧民街出身の子供は、生まれたときから親元を離れて育てられているから、自分の親を知らないのは当たり前だ。しかし、君がその発言をした意図は何だ?何を言いたいのか?

【マルセル】
実は、ずっと疑問に思っていたことがあります。町の人々が「英雄」をこんなに熱狂的に崇拝するのは、本当に正義感からですか?それともただ力と権力を崇拝しているだけなのでしょうか。僕がいじめられているとき、英雄は一度も現れませんでした。皮肉なことに、僕をいじめている人たちもル・ペールの信奉者です。それに、ル・ペールは僕たちに安定した生活をもたらしてはいません。僕たちには自由がないし、町を出入りする最低限の自由すら許されていません。学生として、僕たちは毎日洗脳され、高い淘汰率の競争にさらされている。そして最も重要なことは、彼の力は僕たちの安全を守るものではなく、むしろ僕たちを支配する道具に過ぎません。

【ヴィンセント】
君は我々の英雄を疑うのか?警告するぞ、英雄は絶対に正しく、疑うことなど許されないのだ!

【マルセル】
この世に絶対的に正しい者なんて存在しないのです。それに、疑うことすら許されないなら、彼は英雄ではなく、独裁者じゃないですか!

   教室全体が静まり返り、他の生徒たちの視線が一斉にマルセルに向けられた。その目には、疑念、怒り、軽蔑、恐怖、嘲笑が混ざり合っていた。ヴィンセントは顔を歪め、拳を握りしめた。彼の掌には青紫色の炎のような法則のエネルギーが現れたが、マルセルを罰するのではなく、短い躊躇の後、そのエネルギーを壁に向かって放った。壁には大きな穴が開いた。

【ヴィンセント】
君はこんな風に奇抜な発言をして、自分の個性を際立たせたいのか?それとも自分が死んだ後、湖に沈んで魚に食われるあの同輩に、「見てくれ、思春期の頃なのに俺はあえて権威に挑んだんだ!」って自慢したいのか!

【マルセル】(涙声で震えながら)
お前はシルヴァを侮辱する気か——

【ヴィンセント】(遮って)
今回は警告としておこう。次に同じ過ちを犯したら、マルセル、(冷静に、一語ずつ区切って)君は

ことになる。


III


   学校の授業が終わり、突然の雨が降り出した。ルードヴィックは雨の中、マルセルの後ろを歩いていった。二人とも傘を持っていない。マルセルはしょんぼりとした様子で、全身がびしょ濡れだった。一方、大きなスクリーンにはル・ペールがインタビューを受ける映像が映し出されていた。

【司会者】
ル・ペール様は、最近法則世界に現れた英雄狩りを目的とする反体制組織について、どのようなお考えをお持ちですか?その組織のメンバーは主に学生で、自らの暴挙を「革命」と称しているとは、全く理解に苦しみます。

【ル・ペール】
ふん、ただの能力を得たガキどもが調子に乗っているだけだ。話す価値もない。強いて言えば、社会のエリートに嫉妬し、不労所得を得ようとするゴミどもだ。この哀れな連中は、不幸な家庭に生まれ、成績も悪く、ただ目立ちたくて小細工を弄し、最終的には学校を退学させられ、警察に捕まり、人生を台無しにするだけだ。それがやつらの運命だ。

【司会者】
では、ル・ペール様は学生時代、とても優秀だったのでしょうか?その努力と勤勉さが、偉大な英雄への道を切り開いたのですね……

【ル・ペール】
違う。実は、私は学校が大嫌いだった。15歳の時、学校が嫌になって2年間休学した。祖父は裕福な農場主で……そう、この期間中、祖父の農園でゴルフや乗馬の練習をし、ヘリコプターの操縦も学んだ。話を戻すが、私が英雄になれたのは、父が連合政府の高官だったからだ。父の助けで一流大学に入学し、キャリアも順調そのものだった。だから、今こうして君のインタビューを受けているんだ。

【司会者】(一瞬呆然とし、すぐに調子を合わせる)
あははは…エリートの道はやはり違いますね!

【ル・ペール】
言っておくけど、学校なんて役に立たない、ただ毎日毎日洗脳して空虚な理論を教えるだけだ。普通の人間が勉強や試験で人生を変えられるなんて嘘だ。成功者がどれだけの名門出身で、コネや人脈がどれほど重要か、教科書には書かれていない。だから、ド田舎出身の反逆者たちに一言忠告しておこう。学校が嫌いなら、さっさと退学しろ。教科書も捨ててしまえ。どうせ貴様らがどんなに騒いでも、上に立つことはできない。(肩をすくめる)最後に覚えておけ。我々は生まれながらのエリートだ。決して我々を超えよう、取って代わろうなどとは考えるな!

   マルセルはスクリーンに向かって唾を吐きかけた。が、白昼のいじめっ子三人組が静かに近づいてくるのに気づかなかった。三人は横から近づき、マルセルを囲んだ。

【いじめっ子A】
よぉ、マルセル。今日は英雄様を侮辱するなんて、よくもそんなことが言えたもんだな。

【いじめっ子B】
貴様は本当に懲りないな。前のことを覚えてるか?あの時、20人以上が貴様を殴ったよな。病院で三週間も寝込んだんだっけ?

【いじめっ子C】
安心しろ。今日もあの連中に連絡したからな。ただ、その前に少し貴様を痛めつけておかないとな!

   いじめっ子が一斉に拳を振り上げ、マルセルの顔に向かって打ち下ろそうとした——

【ルードヴィック】
疾風怒濤の中で永遠の眠りにつけ——法則・極風天牢(キャルセポラヴォンテュス)

   ルードヴィックが手を上げると、瞬く間に竜巻が空中で形を成し、巨大な風の球体となって三人のいじめっ子に迫った。

【いじめっ子ABC】(一斉に)
な、何だこれは?

   風球は瞬時に三人を飲み込み、地面に接触した瞬間、半円形に変わった。この半円形の風の球体は高速回転し続け、巨大なボウルのように三人を閉じ込めた。

【いじめっ子ABC】
助けて……助けてくれ……!出してくれ!

   現場には、雨の音、狂風の咆哮、そしてかすかに聞こえる助けを求めるか弱い声だけが残った。

【ルードヴィック】
これでもう誰もお前をいじめない。

【マルセル】
あなたは……一体何者だ?どうしてル・ペールやヴィンセントのような力を持っているんだ?

【ルードヴィック】
ルードヴィック・ドラクロワ。俺に住む場所を提供してくれないか?その代わり、法則世界についていくつか情報を教えてやろう。

【ナレーター】
これまでの多くの場面で、俺はただの傍観者であった。今回も助けに入る必要はなかったかもしれない。もしかしたら、この話をする前に、まずル・ペールについて話すべきかもしれない。ル・ペールのインタビューを見て、なぜ彼があれほど傲慢でありながら、その威信が全く揺るがないのか、不思議に思うだろう。実際、彼がこういった発言をするのはこれが初めてではなく、民衆は彼に対して一切疑問を持たず、むしろ歓声を上げている——もしかすると、彼らはすでに何らかの法則にがんじがらめにされているのかもしれない。正直なところ、これは俺にとって恐ろしいことだった。だからこそ、マルセルのような異端の存在は非常に貴重なのだ。彼は俺がこれまで出会った中で唯一、俺の好奇心をかき立てる人物だった。


IV


   マルセルはルードヴィックを寮に連れて帰った。ドアを開けると、まず目に入ったのは、一つの机と二つのベッドだった。一方のベッドは乱雑で、何枚かの古着が散らばっており、それがマルセルのものだとすぐにわかった。もう一方のベッドはきれいに整えられていて、長い間誰も使っていないように見えた。机の上には一人の男の子の写真が飾られていた。写真の左下には「シルヴァ」とその名が書かれていた。ルードヴィックは、これまでの会話で二度も言及された人物の姿を初めて目にした。写真の中のシルヴァは微笑んでおり、明るく快活な少年のように見えた。

【マルセル】(空いているベッドを指さして)
ここがあなたの場所です、ルードヴィックさん。元々はシルヴァのものだったんだ。

【ルードヴィック】
マルセル、前から嫌な予感がしてたんだ。教えてくれ、シルヴァはどこに行った?——いやむしろ、……彼に何があったんだ?

【マルセル】
勘が鋭いですね。ルードヴィックさん。 それなら、シルヴァは死んだと言える。 彼を死に至らしめた犯人は……ル・ペールにほかならない。

   マルセルは思い出に浸っていた。それは二ヶ月前の週末、ルードヴィックがこの町に来る前のことだった。二人は寮でその日の予定について話し合っていた。

【マルセル】
まだ時間はたっぷりあるじゃないか。とにかく本人に会えれば十分だろう。

【シルヴァ】
今行けば、ル・ペール様のサインをもらえる可能性が高いっすよ!彼が姿を現したら、そっと後をついていけば——

【マルセル】
そんなこと、何の意味があるんだ。毎日あの彫像とテレビ画面に映る顔を見ているだけでもう十分じゃないか。

【シルヴァ】
マルセル、お前にはわからないんだ。ル・ペール様は僕にとって、本当の父親のような存在なんだ。かつて僕が最も落ち込み、心が最も脆くなっていた時、彼が勇敢に戦う姿が僕を救ってくれた。彼が僕の魂の拠り所になったんだ。もし一度でも本人に会えたなら、もうこの人生に悔いはないんだ!

   そうして二人は急いで出発し、学校の方向へ早足で走った。 やがて二人は、学校の裏庭でル・ペールの姿を見つけた。 しかし、ル・ペールは一人ではなく、ある少女の手を握っていた。

【シルヴァ】
あれがル・ペール様?なぜ女の子と?

【マルセル】
彼の娘か?いや、何か不自然だ。

   マルセルとシルヴァはその二人に近づき、盗み聞きと状況観察の準備を整えて隅に隠れた。その少女が非常に抵抗している様子であることに気づいた。

【少女】
あなたは……町の英雄です。サインが欲しくて会いに来たのに、服を脱げって言うなんて。

【ル・ペール】
俺が国のためにどれだけ貢献してきたか知ってるか?毎日、君みたいな女の子が数えきれないほど俺に近づいてくる。ただ、事後で仲間に「自分が英雄様と一緒に寝てきた」って自慢するためにな。確かにそれは一生自慢できることだろうな。たとえ将来、君が卒業した後、必要であれば私が仕事を手配する。しかし、こんな好機が巡ってきたのに、君が積極的にそれを断ることになったのは残念だ。

【少女】
これは明らかな犯罪行為——私は警察に通報します、必ず警察に通報します!あなたは自分の私欲で名誉を失うことになります……

【ル・ペール】
フンフン……俺が定めた法律で俺を裁くつもりなのか?

【少女】
やめて......触らないで......その噂を......法則世界の噂を......考えて......犯罪者に......天罰が下る......

【ル・ペール】
まだ抵抗し続けるつもりか?言っておくが、これが単なる娯楽、あるいは気ままな行為だと思うなら、大間違いだ。教えてやろう。英雄にとって、心と体をハッピーに保てばこそ、町の人々によりよく奉仕するためのエネルギーを持つことができる——そう、これが公務なのだ。英雄の公務執行を妨害すれば、法的措置がとられる、それはわかっているよね?——この法則世界では、警察も、法律も、法則の力も、すべては我々の管理下にある......

【シルヴァ】
何だよ、英雄がそんなに下品なことをしてるとは.....!

   マルセルは回想から現実に戻った。

【マルセル】
シルヴァは精神崩壊し、突然ル・ペールに詰め寄って行った。あの時、あの女の子はその隙に逃げられたみたいで、助かったんだ。でも……でも……僕は臆病者だ。あの光景を見て、恐ろしくて、シルヴァを見捨てて逃げ出してしまった。

   マルセルの声は徐々に詰まり始め、やがてすすり泣きに変わった。

【マルセル】
その夜、シルヴァは寮に戻らなかった。...... 翌朝、彼の身体が町の湖で見つかった。彼は殺されたんだ——あのル・ペールに!

   ルードヴィックは一瞬言葉を失ったが、その後、まるで慣れているかのように平静な態度に戻った。

【マルセル】
ル・ペールは法則の力で罪を隠した。この出来事はすぐに隠蔽され、その後町で話題にすることは許されなくなった。ル・ペールは我々の目に映る英雄ではなく、暴君なんだ。その後、僕は彼を暴こうとしたが、放課後に二十人以上の同級生に殴られた。——彼らは皆、ル・ペールの忠実な擁護者で、自分たちのことを「団結した集団」と称していた。僕のような異端者には、ただ排除される運命しかなかった。

   マルセルはルードヴィックに目を向けた。ルードヴィックはうつむいて黙り込んでいたため、マルセルは話を続けた。

【マルセル】
ルードヴィックさん、あの人たちは本当に英雄を崇拝しているのですか?それとも、ただ強権を崇拝しているだけなのでしょうか?ル・ペールのような能力者たちは、誰からも束縛されない特権と力を持っていて、誰も彼らを制裁できない!……もし今日ルードヴィックさんが僕を助けてくれなかったら、どうなっていたかわかりません。あなたはなぜ僕がヴィンセントの授業であんなことを言ったのか、不思議に思っているかもしれません。でも——言わなくても、僕はいつかシルヴァのように無意味に死んでしまう運命だったでしょう。これ以上、ただ生き延びることに何の意味があるのでしょう……

   ルードヴィックは息を呑んだ。何かを決意したように、彼の目はマルセルと対峙した。

【マルセル】
次はあなたの番です。ルードヴィックさん。あなたの情報を教えてください。

【ルードヴィック】
ここは安全な場所とは言えないから、とにかく他の場所で話そう。

   二人は静かに荷物をまとめ、寮を後にして町の端へと向かった。背景には依然として暗い空が広がり、迫り来る嵐の兆しを告げていた。


V


   二人は山頂に登り、町全体の風景が見渡せた。びっしりと並んだ建物には、例外なく巨大なスクリーンが設置されていた。

【ルードヴィック】
ここに来よう。山頂にはスクリーンがないから、あいつの顔を見ずに済む。

【マルセル】(少しためらってから、うなずく)
そうだね。

   二人は土の丘に腰を下ろした。

【ルードヴィック】
まず、法則というものについて説明しよう。それは連合政府が開発した人工的な超能力だ。誇張抜きに言えば、法則世界全体がこの超能力の実験場だ。俺の旅の経験から言うと、法則を手に入れる方法は「他者から授けられる」と「自ら覚醒する」の二つがある。

【マルセル】
あなたが言っていることは、教科書に書かれていることと全然違います。教科書には「法則は国家から授けられるもの」と書いてあって、それで学校の競争があんなに激しいんです。みんな法則の力を授かり、ル・ペールのような能力者になりたいと願っているんです。

【ルードヴィック】
そして、自ら力を覚醒した者たちを覚醒者と呼ぼう。彼らは異端の方法で法則を手に入れたため、法則世界全体から追われることになる。それが反体制組織の由来だと言えるだろう。ただし、俺は彼らを擁護するつもりはない。覚醒するには厳しい条件が必要なようで、特定の出来事に刺激される必要があるらしい……だが、俺自身の力の源についてはほとんど知らない。ただある日目が覚めたら突然能力者になっていて、その前の記憶が曖昧になっているんだ。

【マルセル】
授けられた法則を持つ人たちは、その後どうなるんでしょう?まさか皆がル・ペールのように……

【ルードヴィック】
十中八九そうなるだろう。結局、これは連合政府から授けられた力で、合法的に使えるんだ。制約のない力はそういう結果を招くものだ。

【マルセル】
だから皆が力を求めるんですね。「力は皆を守るためにある」なんて話は嘘だったんですね。

【ルードヴィック】
官僚たちから聞いた話では、今の法則世界は隠れた形でA、B、C、Dの四つの階級に分けられている。明示されてはいないが、官僚たちは法則世界の階級制度を熟知している。階級は出身によって決まり、上に上がるのは非常に難しい。ル・ペールのように権力と力を持つ者は、当然最高のA級だ。階級と能力は直接関係していて、高級な法則はA級やB級の者しか使えず、彼らは低級な法則の効果を免れる。だが、この規則は俺には通用しない。俺はただの傍観者に過ぎないからな。

【マルセル】
じゃあ、僕はD級に違いないですね。

【ルードヴィック】
そうかもしれないな。このことをお前に言うのが適切か分からないが、——D級の人たちは最初から淘汰されるために生まれてきたと言われている。だが、多くの人はその事実を理解せず、無駄な努力をしている。なぜ法則世界が彼らを「淘汰されるべき存在」として設定したのか……その意味が俺には分からない。

【マルセル】
英雄になるにはどれだけ優れた資質が必要なんでしょうか。たぶん……何万人もの競争者の中で上位に立たなければならないんでしょうね。同じ環境で育ったのに、僕は学力テストでいつも不合格でした。校医に検査された結果、みんなの前で『劣った出自と血統のせいで潜在的な知的問題がある』と酷評されました。もちろん、言われなくても僕が争いに全く向いていないことは自覚していますけど。

【ルードヴィック】
もし成功を測る基準が「英雄になること」じゃないなら、お前は将来優れた探検家や登山家になるかもしれない。探索への渇望は十分に持っているし、それにこれらの仕事は激しい競争を必要としないだろう?

【マルセル】
でも、この弱肉強食の社会では、ル・ペールのように力を持つ強者だけは尊敬される。たとえ普通の人には理解しがたい過ちを犯しても、多くの追従者がいる。そうじゃないですか。

   ルードヴィックはしばらく黙っていた。マルセルが続ける。

【マルセル】
この町に最も多いのは、嘘とスクリーンです。たぶん、この町だけでなく、世界全体がそうなんでしょうね。僕はこの町から一歩も出たことがないので、外の世界がどうなっているのか分かりませんが……でも一つだけ確信しているのは、この世界の最大の誤りは、強者に対して寛容すぎて、弱者に対してあまりにも残酷だということです。

【ルードヴィック】
そうとも限らない。力を持つ者も少なくない。いつか誰かが、このひどい現状を変えるために行動を起こすだろう。英雄や救世主に期待するのではなく、自分たちを信じるべきだ。ただ、それは長く困難な闘いだ。

   二人はただ座って、黙って風景を見ていた。しばらくして、マルセルが口を開いた。

【マルセル】
ルードヴィックさん、あなたならこの町を出て行けるでしょうか?でも、なぜ出ないのですか?——正直なところ、外の世界を見ることが僕の長年の夢なのです。何としても叶えたいです。

【ルードヴィック】
俺自身がここを出るのは簡単だ。力はあるが、動機がないんだ。出たところでどこへ行けばいいのか分からないから、この町にとどまって情報を集めている。だが、お前を連れて出るとなると……お前の安全を保証できない。ル・ペールか誰かが法則を使って町を囲んでいるんだ。この仕掛けは俺には通用しないが、お前が町の門を出た瞬間に罠が発動するだろう。

   マルセルは唇を噛み、困った表情を浮かべた。

【ルードヴィック】
さて、少し気楽な話でもしようか。知っているか?実は、ほとんどの場合、法則は戦闘に使われていない。多くのケースでは、法則は日常の複雑な事柄を処理するために使われるか、サービスとして提供されているんだ。例えば、誰かが歯を抜く必要があるとき、歯医者に行く代わりに、麻酔の法則を持つ能力者のところに行くことがある。能力者はまず患者を気絶させて、そして不思議な力で歯を引き抜くんだ。

【マルセル】
面白そうですね。他に町について何か知っていることはありますか?

【ルードヴィック】
例えば……あの官僚たちのオフィスはまるで発情期の雄豚の群れみたいに臭い。——まあ、オフィス自体は豪華に装飾されているけど。その中で、唯一ヴィンセントだけがいつも清潔だ。彼の引き出しの中に、いくつかの若者に宛てた手紙を見つけたことがある。暗号で書かれているらしく、俺には解読できなかったけど。そういえば、彼はたまに厨房を占領して料理をしている。「食堂の飯は豚の餌だ」って言ってたな——あいつの料理は確かにうまい。

【マルセル】
ヴィンセント教官ですか?ル・ペールに比べれば、彼はまだまともな人ですよ。厳しいけど、責任感がある。ただ、彼の授業は嫌いです。「価値のない者は法則世界から排除される運命だ」とか言ってましたが、能力が足りないからって淘汰された人は見たことがありません。彼はただ人を怖がらせるのが好きなんです。

【ルードヴィック】
俺も彼は少し神経質だと思うよ。長い間あんな人と一緒にいたら、一日も早く天罰が下ることを祈るだろうな。

【マルセル】
ああ、天罰ですか——以前、ヴィンセントさんも僕に「君は天罰を受けることになる」って言ってきました。法則世界の噂だと思ってたんですが、実際には誰も見たことがないんですよね。ルードヴィックさんはどう思いますか?

【ルードヴィック】(突然真剣な口調になる)
マルセル、それは噂じゃない。

【マルセル】
え?

【ルードヴィック】
言い忘れていたが、正直お前の勇気には驚いた。よくあんなことを公然と言えたものだ。ヴィンセントが「天罰」を使ってお前を処刑するんじゃないかと思ったよ。俺は何度も天罰の執行を目撃しているからな。

【マルセル】
ルードヴィックさん、教えてください。天罰って……何なんですか?

【ルードヴィック】
それは……空が突然血のように赤くなって、受刑者の体に赤い菱形の印が現れる。次に、雷のような光の束がシュッと地面に向かって落ちて、その人を撃つんだ。光線が落ちるのは一瞬で、どこに逃げても無駄なんだ——

【マルセル】
え?空はいつも青いんじゃないんですか?

【ルードヴィック】
なんだって?お前は赤く染まった空を見たことがないのか?俺が言っているのは、赤い空に光線が走り、その光線に撃たれた者は瞬時に粉々になり、血の塊たまりに変わるんだ。

   マルセルは首を振った。

【ルードヴィック】
……そして処刑が終わると、その血液は地面から蒸発してまるでその人が……待て、——最初から存在しなかったかのように。

   マルセルは頭を回し、驚愕の表情でルードヴィックを見つめた。

【マルセル】
まさか——!!

   一方、ヴィンセントは道を歩いていた。突然、地面に巨大な高速回転する半球形の風の塊が見えた。中からかすかに叫び声が聞こえる。

【ヴィンセント】
これは何なんだ……あいつがやったのか……

VI


   一週間後。外地にいるル・ペールが、非常に重要なテレビ演説を行っていた。町のすべてのスクリーンでこの演説が同時放送されていた。町ではヴィンセントが秩序維持を担当していた。

【テレビの中のル・ペール】
まず、不満を抱いている異端者たちに一つアドバイスをしたい。環境に文句を言うのはやめ、自分自身の問題を見直すことだ。社会が何をしてくれるかではなく、自分が社会に何を貢献できるかを考えるべきだ。我々は一つの団結した集団だ。個人の利益は最終的に集団の利益に従うべきであり、個人の思想も常に集団に向かうべきだ……

【ルードヴィック】
聞いたか?あの野郎、すぐに昇進するらしい。

【マルセル】
それじゃあ……この町も彼の支配から解放されるの?

【ルードヴィック】
そんなわけないさ。この町はまだ彼の管轄内にあるんだ。それどころか、彼はもっと多くの人々と町を管理する権力を持つことになる。

【マルセル】
どうしてそんなことに……どうしたらいいんだ……

【テレビの中のル・ペール】
私が皆のリーダーとなるのは当然の結果だ。私は常に自分の力で皆を守り、公平公正に事を運んできた。その成果はあまりにも多く、まるで伝説のようだ。私の一つ一つの決断は深い熟慮の結果であり、一歩一歩が成功への確かな歩みだ。私の過去を振り返ってみよう——私はこの州の誇りであり、全国、そして法則世界全体においても輝かしい存在だ。なぜなら、私はルボン家の栄光を代表しているからだ。

   民衆は歓声を上げる。マルセルは何か反論したいと思ったが、ルードヴィックに止められる。

【ルードヴィック】
こんなに人がいるんだ、今は黙っていろ。

【テレビの中のル・ペール】
私の政策は、前のリーダーたちのように軟弱ではない。私は強力に行動し、目標を達成するために全力を尽くし、我々の前進を妨げるすべての障害を容赦なく排除するだろう。私の指導の下で、我々は今後も戦い続け、勝利を重ねていくのだ——

   ドカン——!!! 
   
   突然テレビから大きな音が鳴り響き、青紫色のエネルギーがル・ペールの頭部を貫通した。その後、すべてのテレビ画面にシンクロして、ル・ペールの頭部から血が流れ倒れている映像が映し出された。

【マルセル】
なんだって?

   町全体が静まり返った。しばらくしてから、皆がようやく気づいた。ル・ペールは、テレビ演説の最中に暗殺された。 その直後、民衆は恐怖に満ちた悲鳴と泣き声を上げ始めた。現場は大混乱に陥った。

【民衆たち】
な、なんだ? 英雄が......死んだ? 町の英雄…… ル・ペール様が死んだァ? ギャアアア——!!

   そしてテレビの画面は、ル・ペールを暗殺した反体制組織に乗っ取られた。

【テレビの中の声】
天罰はA級のヤツらには下らないが、俺たちはそれを下らせた! ——これは我々の手で下された裁きなのだ!ル・ペールは自業自得。ヤツは英雄じゃなく、むしろ、 殺人鬼・強姦魔・吸血鬼・税金泥棒だ!そして——

   ヴィンセントは顔を陰らせながら、掌に青紫色の法則のエネルギーを浮かび上がらせた。

【ヴィンセント】(町の民衆に呼びかける)
たとえル・ペールが死んでも、その後にはまた新たな「ル・ペール」が現れるんだ!何も起こらなかったかのように、町の秩序を乱すな!

   しかし、ヴィンセントが法則を使っても、何も止めることはできなかった。ル・ペールの暗殺映像が町中のすべてのテレビ画面にリアルタイムで映し出された。町は完全な狂気に陥り、混乱と無秩序が大通りから路地裏にまで広がった。普段はル・ペールを熱烈に支持していた人々が突然豹変し、盗み、略奪、放火などの犯行を始めた。


VII


   町中は火の手が上がり、連続する悲鳴、泣き声、そして火が物を燃やすパチパチとした音が混じり合っていた。その光景と対照的に、ルードヴィックはカフェの店先にある椅子に腰掛けていた。そこへマルセルが三人を連れてやって来た。

【ルードヴィック】
マルセル、来たか。しかも仲間も連れてきたんだな。

【マルセル】
助けて、ルードヴィックさん!僕たちはもう行くところがないんだ。——町の暴徒たちがほとんどの家を放火で焼いてしまった。あなたは彼らのことを知らないかもしれないけど……そうだな、昔、いじめっ子たちが僕たちに付けたあだ名があるんだ。「弱者組」って呼ばれてた。僕が他の弱者組のメンバーたちにあなたの話をしたら、みんなあなたに会いたがっていたんです。

【ルードヴィック】(自分に言い聞かせるように)
見てみろよ、今や町全体がめちゃくちゃだ。あのル・ペールは以前やってたことは最低だったが、かろうじて町の秩序を保っていたんだ。結局、大悪党がいないと小悪党は抑えられないってことか。

   ルードヴィックは遠くで一人の男が店の陳列棚を壊しているのを目撃し、その方向を他の四人も見つめた。

【マルセル】
あの人は——

【ルードヴィック】
ああ、お前をいじめていた、あのル・ペールの熱狂的な支持者だ。

   ルードヴィックは足を組み、テーブルの上のコーヒーを持ち上げて一気に飲み干した。その直後、背後で大爆発が起きたが、彼は全く気にしない様子だった。

【ルードヴィック】
マルセル、俺はここを出るつもりだ。どうやらお別れの時が来たようだ。一週間の付き合いだけだったけど、この経験を大切にしたいと思う……

   ルードヴィックが話し終える前に、空が一瞬にして血のように赤く染まった。彼は再び見覚えのある赤い菱形の印を目にした。

【マルセル】
これは……天罰の前兆なのか?つまり、天罰はただの噂じゃなくて、本当に存在するんだ。

   突然、数十本の眩しい光の束が天から降り注ぎ、町の各地に正確に命中した。猛烈かつ容赦ないその光は、遠くで店を壊していた男も逃れられず、彼の身体は瞬時に光に打たれ、血の塊に変わった。その血液は徐々に蒸発し、完全に空気中に消え去った。町はその瞬間、異様な静寂に包まれ、空気中には言い表せない殺気が漂っていた。

【ルードヴィック】
これが天罰だ——本物の天罰だ!俺ですら、これほど壮絶な光景は初めて見た。正確に言えば、同時に数十人が天罰で処刑されたんだ。

   天罰の執行が終わり、空は青に戻り、町も平静を取り戻した。しかし、マルセルと他の三人はルードヴィックを驚愕の目で見つめた。

【マルセル】
さっき何が起こったんだ、ルードヴィックさん?僕は何も思い出せない。なぜ町でこんなに大きな火事が起きたんだ?僕が弱者組の三人を連れてきたのは、あなたに助けを求めるためだったんだよね?

【ルードヴィック】
やはり、お前たちの天罰に関する記憶は消されてしまったのか。それじゃあ手短に説明しよう——ル・ペールが死んで、町は暴動に陥った。でも制裁が降りてきたんだ。暴動に加わった連中、お前をいじめた奴も含めて、たった今、全員が天罰で処刑された。全員死んだんだ。

【マルセル】
確かに、あなたが山頂で話してくれた天罰の詳細、血のように赤い空、赤い菱形の印、天から降る光の束……それは覚えてる。でもさっき一体何が起こったんです?あなたは天罰と言ったけど、本当に見たことがないし、誰かが暴動を起こしたとか、誰かが僕をいじめたとか、全く記憶にないんだ。

【ルードヴィック】
なんだって……?まさか、「あの連中が存在していた」という事実さえも天罰で消されてしまったのか……


   突然、町のテレビがまたついた。今度はヴィンセントの顔が画面に現れた。

【テレビの中のヴィンセント】
ル・ペールの後継者は明後日就任する。その時、町の秩序は元通りになる。「あの事件」の目撃者は、何もなかったことを思い出してほしい。ル・ペールはいつもと変わらないあのル・ペールだ。

【マルセル】
どうか、何が起こったのか詳しく教えてください。僕たちはあなたを無条件で信じます。

【ルードヴィック】(長い溜息をついて)
……分かった。

   ルードヴィックは四人に全てを語った。四人は静かに話を聞き、その目には驚愕と信じられないという表情が浮かんでいた。呼吸が荒くなり、心臓の鼓動が胸の中で響き渡った。数分が過ぎても、四人は驚きから立ち直ることができなかった。彼らの思考は混乱の渦に巻き込まれ、抜け出すことができなかった。それぞれがルードヴィックの話を理解しようとし、自分たちの知っていた世界とつなぎ合わせようとしたが、どれだけ努力しても、無限の茫然と困惑に包まれていた。

【ナレーター】
世界は巨大なマッドハウスだ。どの角にも独特の狂気が渦巻いている。このマッドハウスには高い壁も鉄格子も守衛もいない。その境界は曖昧で広大であり、ほとんど全ての心を覆っている。誰もが自分の狂気の中で苦しみ、時に覚醒し、時に沈没する。ある者は解放の鍵を見つけ、ある者は無秩序という名の迷宮にますます深く迷い込む。俺にとって、解放の答えは「何を選ぶか、そして何になるか」だ。自由を放棄することは俺の本心に反することだと知っている。俺は争いを嫌うが、状況に応じて妥協せざるを得ないこともある。

【ルードヴィック】
かつて、俺は風来坊のようにこの世をさまよい、広大な土地を旅し、さまざまな社会の階層を見て回り、権力の腐敗と圧政の残酷さを目撃し、無数の不正行為を目の当たりにし、無力感を抱いた。そして今、もうこれ以上黙って見過ごすことはできない。俺はルードヴィック・ドラクロワ、ここに誓う——法則世界に秩序を創ることを!

【マルセル】
ルードヴィックさん、僕らをここから連れ出してください。今がその時だよね?

【弱者組メンバーA】
ルードヴィックさん、お願いします!

【弱者組メンバーB】
どうか僕たちを連れ出してください、ルードヴィックさん。

【弱者組メンバーC】
お願いします!僕もここから出たいです。どんな代償を払っても構いません。

【ルードヴィック】
本当にここから出る覚悟ができたなら、約束しよう。出発は明日の朝、このカフェの前で集合だ。


VIII


   翌日の朝、ようやく火の勢いが収まった。町全体には焦げ臭い匂いが漂い、朝の薄霧と混じり合って重苦しい雰囲気が広がっていた。暴動に加担した町の暴徒たちは全員天罰を受けた。しかし、ルードヴィックとヴィンセントを含む官僚たち以外、町の人々は彼らの存在を完全に忘れ去っていた。カフェの前で、朝の微かな光が厚い霧を通して五人の人物に当たっていた。彼らは黙って集まり、全員が未来への不安と過去への複雑な思いを抱えていた。

【ルードヴィック】
もう一度確認する。本当に代償を払ってでも成し遂げる覚悟ができているか?

【弱者組メンバーABC】
はい。

【マルセル】
外の世界を一目でも見られるなら……たとえ死ぬことになっても構わない。

【ルードヴィック】
わかった。お前たちはこれから、精神的に強くなって、誰よりも勇敢になるんだ。最後の瞬間まで、自分の選択を後悔しないでいてほしい。

   五人は町の門の前に立った。それは重厚な鉄の扉だった。ルードヴィックは最大の力を発揮し、全身が灰白色の法則のエネルギーに包まれた。彼は腕を上げ、その全力を扉に注ぎ込んだ。鉄の門は大きく裂け、五人はついに町から脱出した。ルードヴィックは地平線に向かって両腕を広げ、外の空気を深く吸い込んだ。

【ルードヴィック】
さあ、行こう。地平線へ、そして未知の遠くへ。

五人はどれだけ走り続けたかわからない。ついに、彼らは一つの丘の上で足を止めた。丘の頂上は視界が開け、周囲は静まり返っていて、聞こえるのは互いの荒い呼吸音だけだった。

【弱者組メンバーA】
ここ……安全なの?

【弱者組メンバーB】
俺たち、本当に逃げ切れたのか?

   ルードヴィックは答えなかった。真剣な表情で遠くの空を見つめていた。元々白かった雲が、夕焼けのように染まっていた。

【マルセル】
ありがとう、ルードヴィックさん。これで、僕は自分と和解しました。

   ルードヴィックはマルセルの方を振り返った。マルセルは微笑みながら彼に感謝していた。しかし、再び空を見上げると、空が血のように赤く染まり、ルードヴィックを除く四人の体には菱形の印が現れていた。誰もがこれから何が起こるのかを理解していた。

【マルセル】
来た……天罰だ!

【弱者組メンバーC】
僕たちは、ここまでなのか……

【ルードヴィック】
やめろ、やめてくれ——!!

   ルードヴィックは叫んだが、無駄だった。彼の目の前で、天から四つの光が降り注ぎ、マルセルと彼の仲間たちを一瞬で処刑した。

【ナレーター】
町の門が破られ、彼らを縛っていた枷が消え去った時、彼らの目には希望と解放の光が映っていた。しかし、天罰が彼らを襲った瞬間、人生の最後の瞬間には、マルセルと他の三人の目には恐怖、怨恨、無力感、そして未練が浮かんでいた。そして――彼らは本当に後悔しているように見えた。

   空は再び青くなり、マルセルと三人の弱者組のメンバーは完全に世界から消え去った。ルードヴィックはすでに疲れ果て、足元がふらつきながら、ついに地面に倒れ込んだ。

   ……

   どれほどの時間が経ったか分からない。ルードヴィックが目を開けると、目の前には無精ひげを生やした中年男が立っていた。それはマーカス・ヴィンセントだった。

【ヴィンセント】
牢獄の外が自由ではないこともある。時には、それはただのもっと大きな牢獄にすぎない。我々は皆、見えない鎖に縛られた奴隷だ。鉄の鎖はなくなったが、新しい枷はより隠密で強固だ。見えない社会の規範、果てしないプレッシャー、心に深く根付いた恐怖や不安――これらの見えない牢獄から逃れることはできない。真の自由は、我々がかつて想像したよりも遥かに手の届かないものだ。一歩一歩が薄氷を踏むようなもので、どの選択も未知のリスクに満ちている。

【ルードヴィック】
ヴィンセント?お前は何をするつもりだ?

【ヴィンセント】
君はルードヴィック・ドラクロワだな?普通の人間よりはたしかに強い。だが、この私と比べればまだまだだ。実は前から君に注目していたんだ。もし君がその狂気と傲慢を抑えていたら、今日のような結果にはならなかったかもしれない。

【ルードヴィック】(戦闘態勢を取る)
お前が天罰を下し、マルセルたちを殺したのか?

【ヴィンセント】
いいえ、誤解だ。私にはそんな権限はない。ルードヴィック、私は君と敵対するつもりはない。むしろ、君を私の陣営に誘いたいんだ。組織のために力を貸してほしい。

【ルードヴィック】
組織って、まさか、お前は……

【ヴィンセント】
そうだ、「組織」については聞き覚えがあるだろう。ル・ペールや他の偽善者たち、英雄や救世主を装って悪事を働く連中を排除した団体だ。我々は「英雄狩り」とも呼ばれている。

(第1話 完)
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登場人物紹介

ルードヴィック・ドラクロワ(19)

Ludovic Delacroix


この作品の主人公かつ語り手

マーカス・ヴィンセント(37)

Marcus Vincent


ルードヴィックの師匠

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