我が母

文字数 1,084文字

 弁護士連合会からの封書の下に、手紙が埋もれていた。
 友達など、弁護士になってからようやくできたくらいで、文通する仲間など私にいるわけがない。
 弱視の私は、対象となる物体に眼球スレスレまで目を近づけないと、「それ」が「何」なのかが判らない。
 淡い桃色の封筒に綴られた文字を見て、「なるほど」と腑に落ちた。
 落胆と驚き、困惑をないまぜにしたような複雑な気持ちが、胸を貫いていった。
 規則性のある丸い文字は母の文字だ。
 私は、弁護士連合会からの封書をいったん脇において、母からの手紙を先に開封した。
 
 母は、完璧主義者であり、何時間もかけて文字を丁寧に書く。学校に提出する書類を書くときもそうだった。

 母が数時間かけて構築したであろう文字の羅列を目で追っていった。

ーー弁護士になって、さぞ忙しいのでしょう。
ーー毎晩晩晩、おお父さんのののの夢はは決ししててて見なないいいののにに、、、、、恋恋似のの夢夢ばかばかばかりり見見ますすす

 私は眉間を摘んで揉んだ。
 疲れると眼振がひどくなり、文字がぶれてしまう。
 自分の意思ではとめることのできない、眼球の左右の揺れ、揺れ、揺れ、揺れ。

ーお母さんは、恋似に会いたいです。
ーだって自慢の娘ですもの。
ー英語もできて、弁護士もやっていて、弁護士もやっっつつててていて、本当に、すごいなあと
ー自慢の娘ですよ
ー恋恋恋似のことを心配配ばかばかばかばかりりりりしりしてていいいて最近、いいいいいデザイインの白杖を見つけたから今度そっちにに送ってあげーーーーーーーー・・・・・


 玄関の傘立てに、立てかけた白杖に、横目でぞんざいな視線を向けた。
 私はあの白杖を学生の頃から愛用している。

 あの白杖には、擦ったような傷がついている。

 母に、窓から投げ捨てられたことがあった。

「学校にきちんと行くか、仮に1日でも休んで私の娘を辞めるか今すぐ選べ」

 極端な二分法を、母は高校生の私に突きつけた。

 本当に、白か黒か、0か1の人だった。

ーー恋似は、障害者にも拘らず、ひとつもグレずに目立った反抗もせず、真っ直ぐに育ってくれて、私の誇りですよ


 母の中では、完璧な子育てを終えた満足感と安心感と使命感があり、さらにそれを確実に証明する手立てが欲しいらしかった。

 弁護士になって、直面するのが当事者同士の認識のズレだ。

 ズレが争いを生む。

 母が期待していることは、私が「お母さんお母さん」と母を頼りにし、懐くことだ。

 母は私が好きなのではなく、私を育てあげた自分が好きなのだ。

 なぜかわからないが、私は、母からの手紙を雑巾を絞るみたいに捻じ曲げてしまった。



 

 
 

 
 
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