○第11章 新しい勇者と新天地

文字数 12,263文字

「ちょっとぉ……実験中だったんですけどなんなんですか! ここは!」

 白衣を着たメガネの男は、長い髪をかきむしりながらたずねる。先ほどハジメが簡単にまとめておいた日本語のノートを見ながら、大臣は話を進める。

「君……ニート?」
「ニートなんて気楽なことやってませんよっ! 自分は今、スライムを作るのに忙しかったんですからっ!」
「す、スライムを作る……!? き、君は何者なんだ!」
「え……俺は西芝第5中学科学部の部長の、冴木だ!」
「ニート……じゃない!! 彼が勇者だっ!!」
「……勇者?」

洗剤でスライムを作っていた冴木という少年は、頭にいくつもクエッションマークを浮かべている。自分が今、どこにいるのかどんな状況に陥っているのか理解していないのだ。それも当然だろう。まさか異世界に来て、勇者にされそうになっているなんて夢にも思っていないだろう。

「勇者が、勇者が見つかったぞ~!!」

勇者をやっと見つけたと勘違いしている大臣は、冴木をテラスまで引きずっていて腕を高々と挙げる。それを見ていた国民も、喜びの声をあげる。

「前の勇者はニートという無職でなぁ……ようやくまともな職に就いた人間を見つけたんだ。カガクブブチョウという職とは、一体どんなことをするんだ?」
「えーと……実験したり、スライム作ったり……?」
「実験! 勇者として魔王を倒したあとも、科学者として国に貢献してもらえますよね!」
「は……?」

 冴木はまだも混乱している。自分が勇者……? そんなもの、ゲームの中の世界じゃないのか? 
確かに小さい頃は勇者に憧れたこともある。RPGの世界へ飛んで、モンスターを倒して、お姫様と結婚して金持ちに……。でも、それは夢でしかないと思った。お姫様と結婚した後は……? 自分は国王になるのか? 勇者は案外わかりやすい。敵を倒していけばいい。経験を積めば強くなれる。でも国王は? 国を治めるって何するんだ? ……それを考えたら、あっさりと夢は覚めた。覚めたはずだったのに……。

「なんでいまさら勇者に!?」
「いまさらも何も、今、この国はピンチなんだ。魔王が攻撃を始めてる」
「う、嘘だろ!? なにこのテンプレRPG!」

 頭を抱える冴木に、大臣は耳打ちした。

「君が魔王を倒してくれたら、なんでも礼をする。金でも女でも好きなだけ用意しよう」
「いや、中学生に金と女はちょっと早いような……」
「チュウガクセイ? 君はカガクブブチョウだけではなく、チュウガクセイという職にもついているのか!?」
「え、いや、ちが……」

 完全に大臣は冴木少年を勇者に仕立て上げようとしていた。だんだんと冴木もこの世界が自分のいた世界とは違うことに気がつく。部屋には真っ赤でふかふかな絨毯。中心には王座。演劇部のセットにしても出来がよすぎる。
 逃げようにも逃げられない。自分が来たのは多分、あそこの黒いゲートだ。ただ、くぐったところで本当に元の世界に帰れるのかわからない。かといって、この世界に適応して、勇者としてモンスターを退治する!? できっこない! 体育会系で運動ができるとか、空手をやってるとかそういう能力があれば、まだワンチャン何かできたかもしれないが、冴木は単なる理系少年だ。理系……というのも少し怪しい。なぜなら、実験なんて言っても、スライムばかり作っているスライム愛好家なだけなのだ。

「さあ、勇者殿! 資金はいくらでも出そう! 街で装備を整えたら、魔王城へ出発するがいい!」
「いきなり魔王!? 普通はなんか山のモンスターとかからじゃないの!?」
「……まぁ、魔王城の近くにも、ドラゴンがいたっけなぁ。魔王のペットらしいから、ついでに狩ってきてもいいですよ?」
「ついで!? いや、そうじゃなくって……ああ」

 冴木はどう話そうかと悩んでいた。どういっても説明なんてつかない。『この世界は
ファンタジーの世界で、自分が来た世界とは違う。だから勇者になんてなれない』。いや逆だろうか。

「俺がいた世界には、勇者なんていないんです! だから俺は勇者には……」
「いやいやそんな謙遜を! 勇者がいない世界なんてない! よく考えてください。本当にあなたの世界には勇者なんていないんですか?」

 大臣に押され、思わず考え込んでしまう。勇者、勇者……。

「まぁ、100mを世界で1番速く走る人とか、世界一の雪山に登頂した人は勇者といえるかとは思いますけど……」
「ほら! やっぱり勇者はいるのだ! 君が勇者! いいな、君が勇者だ!」
「え、えぇ……」

 なかなか金や装備を身につけない冴木を見た大臣は、無理やり重い兜をかぶせる。

「うわっ! なんだ、この帽子! 首が折れる~!」
「我慢しなさい! 頭をかち割られるよりもマシでしょうが!」
「俺、頭かち割られるの!?」
「その可能性はないとは言えない。あとはこの鎧!」
「か、身体が潰される~!!」
「くそ、うるさい勇者だな……ともかくもう行ってくれ!」
「うわぁっ!」

 近衛兵によって、城の外へと追い出される冴木。城の外へと出されると、今度は国民に囲まれる。

「この少年が勇者様ねぇ……」
「大丈夫かい? こんなひょろっちくって」
「この白いマントのような服は……?」
「ちょ、腕とか足とか引っ張らないで~!!」

 今度は国民に担がれると、街の入口の方へと流されていく。冴木がぽいっと街から出されると、もうそこからは戻れなさそうだ。街の入口には国民たちがスクラムを組んでいる。何を話しているかはわからないが、その目はまるで『さっさと行け!』と言っているようだ。

「逃げられないのか……」

 冴木は道の真ん中でひざをついた。勇者っていうのは、パーティーを組んでみんなで戦うんじゃないのか? そんな、勇者単体で追い出されたって……しかも兜も鎧もクソ重い!
外してしまいたいけど、これから先、どんな敵が待っているかわからない。

「ああ、もうクソ! 行けばいいんだろ、行けばっ!」

 冴木少年は仕方なく、悪魔の森の方面へと向かっていく。武器はなんか知らないが持たされた重い剣と、自作のスライムぐらいだ。こんなもので勝てるとも思わないし、早く元の世界へ戻りたい……。そう考えていたら、森の入口に先ほどの異世界につながるゲートのようなものがあった。
 ごくりと唾をのむ。ここに入ればもしかして、またもとの世界に帰れるかも……。でも、なんでこんなところにゲートがあるんだ? 国王のいる場所にあったのはなんとなくわかる。新しい勇者を探していたみたいだから。でも、このゲートは?

「ええい! なるようにしかならない! 行くしかないっ!」

 冴木は足をゲートにつっこむ。するとそれを引っ張る何かがいる。

「う、うわああっ!」

 再び冴木は誰かに引っ張られ、ゲートをくぐる羽目になってしまった。

「おいしょっと!!」

 引っ張られて、出てきた先は大きなお城。……また城か。どうなっているんだ? どこの国も異世界からの勇者を探しているのだろうか? 

「新しい勇者は、中学生か?」
「え……?」

 この人、俺が『中学生』だってわかってるのか? しかも言葉が通じる? 冴木は目の前に現れたユタカたち一家を見て驚く。

「ああ、びっくりさせちゃったかな。俺はユタカ。昔この世界を救う勇者として、君のいた世界……日本から呼び出されたんだ。そして君が二代目勇者」
「え!? 前にも勇者が呼び出されてたんだ……。でもなんで俺まで呼び出されたんですか? 勇者、魔王退治できなかったの?」
「魔王はここよぉ~」

 出てきたのはすでに魔力をほとんど失った元魔王・フェリアと娘で母の血を濃く引いたため、魔王の才能の塊とでも言い表せそうな見た目・10代、本当の年齢0ヵ月のフェリスだった。

「私はダーリンの妻で、この子は娘」
「ちーっす、クソ勇者。あたしはフェリス。……世界を滅亡させようと思ったのに、失敗したバカな魔王の娘でぇ~す」
 
 フェリスをぎゅっと抱きしめるフェリア。フェリスは完全に魂が抜けている状態だが、美人ゆえそこだけ見ていれば華やか。だが、登場人物はそれで終わりではなかった。

「俺とスグルはフェリスの兄で双子。ついでに勇者と魔王の息子ね」
「ちょ、ちょっと待ってください! 何かおかしくありませんか!?」

 家族総出で自己紹介が終わると、冴木は今目の前にいる人物たちをじっと見つめる。
まず問題1、勇者と魔王がなんで結婚してるのか。問題2、勇者の息子たちはどうみても双子じゃない。年齢が違う。そして問題3、勇者と魔王が結婚してたら、魔王倒せないじゃん!

「あの~、ユタカさんは、奥さんを倒さなかったんですか?」
「惚れられてしまったからなぁ。しかも美人だし、サイコー!」
「やあん、ダーリンったら!」

 くだらない質問で、夫婦ののろけが始まってしまった。しかしこれは大きな問題だ。勇者が魔王を倒さなかった上に、子どもまでできてしまったから、自分が勇者として召喚されてしまったのだ。何はともあれ、魔王を倒さないと元の世界に戻れない。だが、ただの中学生。せいぜい科学部部長ってだけの自分に何ができるのか。できることなどない。大きな鎧も兜も、剣も意味がない。振るうほどの力がないのだから。
でも運がいいのか、この勇者や魔王たち一家は、話ができる。むやみに襲ったりはしてこなさそうだ。日本語も通じるし、ユタカはどうやら同じ世界からやってきたみたいだし、なんとかなるかもしれない。

「俺は大臣に魔王を倒して来いと言われたんです。でも、そんなことはどうでもいい。とりあえず元の世界に帰りたい。お願いします、帰らせてください」
「それについて、案があるんだけど」

 ハジメはみんなを見回す。勇者・魔王一家はハジメの意見に同意しているらしく、強くうなずいた。

「俺たちさ、家族で異世界に引っ越そうと思うんだ」
「はぁ!? 何言ってるんですか! そうやって異世界を乗っ取る気ですか!?」
「……いやぁ、そうじゃなくって。僕とハジメとフェリスの魔力はすごく限られてるんだ。だから多分、異世界で何かできはしないし、とりあえず安定な暮らしを求めてる」
「俺はこの世界では仕事見つからなかったし、異世界で職につけたらなぁって思ってる」

 やる気のなさそうなイケメン・ハジメは、だらっとした口調で適当なことをほざいている。話を聞くと、息子2人と娘ひとりに魔力を分けてしまったので、母であるフェリアも魔力はほぼない。ユタカは、異世界では勇者の力を使えたが、元の世界ではなんの力も持たない上に、元ニートだったらしい。確かに、この一家が異世界に行ったところで害はなさそうだ。

「でも、俺は魔王を倒さないと、元の世界に帰れないんですよ!?」
「そんなの簡単だよ。俺たちと一緒に異世界に戻ればいいんじゃない」

 ハジメはあっさり言い切った。目の前にあるのは、ゲートだ。悪魔の森とこの魔王城をつないでいるが、国王の元にあったゲートは異世界と繋がっている。ここにある悪魔の森とのゲートは、ほとんど使い切ってしまった息子と娘のありったけの力でゲートを開いている状態だ。新しく来る勇者が迷うことなくこの城へたどり着けるようにと、わざわざ開いたのである。フェリアが現役だった頃は、ひとりで異世界の戦場に息子たちを送り込むことができたが、今その力はフェリスに引き継がれてしまった。しかも面倒なことに、フェリスの力は兄たちのさじ加減で使える分量が減る。今は悪魔の森と魔王城くらいの短い間しかつなぐことができないのだ。

「でも、この国はどうなるんですか!?」
「え、平和になるでしょ。勇者が居なくたって、魔王が存在しないんだから。せいぜいモンスター退治するくらいだよ」

 冴木は言葉を失った。その通りなのだ。どんなゲームでも、まずは魔王が世界を征服していなければ話は始まらない。魔王がいて、勇者が召喚される。魔王がいない世界に勇者を召喚したところで、なんの意味もなさない。それだったら、この一家とともに元の世界へこっそり戻ってしまえばいいんじゃないか? 自分はただ、部活中にこんな変な世界に連れてこられただけだし、今すぐ帰れればいい。この世界のこと? 魔王が消えて、めでたしめでたしだ。

「だから君にお願いがある。俺たち一家を捕えたってことで、国に連れて行ってくれないか? 国王の部屋にある異世界につなぐゲートを使って、異世界にワープするんだ。そのために俺たちは勇者を待っていた」
「え、えぇ……」

 異世界に飛ばされたこともむちゃくちゃだけど、この一家の言ってることもむちゃくちゃだ。しかし結局自分がもとの世界に戻るにも、あのゲートをもう一度くぐらないといけない。それならついでだ。

「わかりました。勇者として、みなさんを国へ連れて行きます」
「……これが本当の勇者、なんだなぁ」

 真剣な表情でみんなを見つめる冴木を見て、ハジメは小さく笑いながらつぶやいた。

 全員で旅支度を終えると、城のゲートをくぐり、悪魔の森の入口に立った。

「もうドラとは会えないのか……ステーキうまかったのに」
「長年住んだ城だ。少し寂しくはあるな」

 ハジメとユタカは少しだけ感傷的になっていた。だが、これからが大変だ。街までの距離はさほどないが、国王の部屋へ入れるだろうか。冴木は勇者として入ることができるかもしれないが、他のみんなは……。
そこでハジメが提案したのが、スグルの存在を使うことだ。スグルはムリークという偽名で諜報兵をしている。彼もまた、ユタカとハジメともに魔王フェリアを倒すようにと命令を受けていた。スグルに、ユタカとハジメが魔王について大きな情報を持っていると言っていると嘘をつく。そこで大臣自らフェリアに話を聞きだすように仕向け、その間に異世界にワープするという寸法だ。フェリスはまだ生まれたことにも気づかれていない。彼女は森で薬草を探していた魔法使いだとでも話そう。見た目は完全に魔王だけど。

街にはすんなりと入ることができた。みんなは魔王の存在を恐れているのに、その姿を見たことはない。フェリアとフェリスは変装無用だ。男性陣はハジメ以外布をかぶり顔を隠している。街のみんなに面識があるからだ。城まで行くと、冴木は顔を隠していた布を取り、
大臣への謁見を申し出る。しばらくすると了承され、冴木とハジメ一行は大臣のいる部屋へと通された。

「勇者サエキよ! よく魔王を退治した。褒美をつかわしますよ」
「いえ、実はその……勇者ユタカとムリーク諜報兵が大きな秘密を持っているようだったので、連れてきました」
「な、なんだと!?」

 ユタカとスグルが前に出ると、その横にいたフェリアとフェリスが近づく。全員は王座の横にあるゲートを確認すると、声を上げた。

「今だっ!!」

 全員が走ると、フェリアとフェリスから順に、ゲートへ飛び込む。ユタカとスグル、冴木もだ。しかし、最後に残ったハジメが飛び込もうとしたところ、足をつかまれる。

「何を考えてるんだ!」
「魔王のいない世界……あんたが望んでた平和な世界をプレゼントしてやるっていってんだよ! じゃあね!」

 ハジメは魔王を蹴飛ばすと、ゲートの奧へと吸い込まれていった。


「――ん、ここは……」

気づいたとき、ハジメはある部屋にいた。5人の大人が横たわっていると狭いが、ベッドと机、そしてよくわからない箱が置かれている。本もある。この文字は日本語――ユタカの世界の言葉だ。

「ちょっと父さん! 起きて。ここ、見覚えない?」

 叩き起こすと、父は目を擦った。ユタカにとってこの部屋はとても見覚えがある場所だ。前はゴミで汚かったが、今はきれいに整理されている。きれいに布団が敷かれたベッドに、よく使っていたパソコン。そしてマンガや小説。全部自分のものだ。ここは――。

「俺の部屋、だな」

 しばらくすると、みんなが目を覚まし始める。ゲートはもうない。ハジメたちにとっての異世界は、ユタカの世界だ。

「あ、あそこは第五小学校ですね。よかった、俺も帰れそうだ」

 冴木も喜ぶ。冴木のいた場所からも、どうやらここは近いらしかった。

「でも、ここ狭い!! あたしはこんな場所にいたくないわ! 出ていくっ!」
「ちょっと待て! フェリス。ここは俺の家なんだ。もし変わりなかったらここには……」
「……なんかドタドタ音が聞こえるでしょ? お父さん、大丈夫?」
「念のためゴルフクラブも持ってるんだし、大丈夫だ」

 もしかして。スグルは察した。父の家ならば、当然それ以外の家族も住んでいることになる。部屋がきれいになっているということは、父が異世界にいた時間の分だけ、ここの世界でも時が流れているということだ。

「ユタカさん、異世界にワープしたのって、いくつのとき?」
「18年前……だな」
「どうしたの、スグル」

 スグルは人差し指を立てて、静かにするように注意する。ドアノブがゆっくりと回り、みんなは息を飲む。ギイっと扉を開けると、いよいよご対面だ。

「……よ、親父、お袋」
「豊!? あんた、18年間も一体……てっきり死んだものかと!!」

 父の母……3人の子どもにとって祖母にあたる人間が、父を抱きしめる。祖父もクラブを下ろしてぽかんとしていた。

「豊、お前は今までどこに行ってたんだ。この家の何が気に食わなかった!?」
「全部だよ。ともかく、色々説明しないといけないんだ。みんなで居間にいこう」

 ユタカが仕切ると、祖父と祖母はまだ理解に苦しむという顔をしつつもうなずく。そのうしろを、4人の異世界人たちがついていく。冴木はその隙をぬって、家に帰った。彼は確かに勇者だったが、この家のこととは無関係である。
 たどり着いたのは、和室だった。広くて高級な素材を作った机が置かれている。掛け軸の前に祖父が座り、横には祖母。ユタカの妻のフェリアやハジメたちは、ユタカとともに正面に座った。

「……要するに、お前は18年間異世界にいたと。そこでこの外国人みたいな嫁さんと子どもをこしらえた、ということか?」
「うん。異世界で俺は勇者になったんだ」

 祖父と祖母は頭を抱えている。信じたくないという顔だが、実際に妻のフェリアはもちろん、ハジメたちも存在している。完全に嘘だと決めつけることもできない。

「ハジメ、僕たち何か挨拶したほうがいいよね?」

 そうだった。フェリアとハジメは日本語もできるが、スグルとフェリスは話せないんだった。ハジメはとりあえず『こんにちは』という言葉を教えた。話しができると思わせないと、ダメだ。この世界の人たちは、もしかしたら自分たち異世界人のことを、他の動物だと思っているかもしれない。同じ人間だから、言葉は通じると理解してほしい。
 スグルは笑顔を作ると、祖父母に挨拶する。

「こ……コニチワ」
「はぁ、こんにちは」

 少しは心の垣根も飛び越えられただろうか? 不安に思って様子をうかがっているのはハジメだけじゃない。祖父母も同じように、ビクビクしながら自分たちを見ている。

「どうも信じられないんだけど……18年間いなかったことは確かなのよね」
「だが、それならなんで今更帰ってきたんだ? すぐにでも帰れる場所じゃなかったのか?」
「俺……ずっと向こうの世界で暮したいと思ってたから。たまにこっちが懐かしくなってもね」

 祖父母と父の話し合いはまだまだ続きそうだ。ハジメたちは仕方なく、父の部屋へと移動して、今後どうやって生活していくかを考えなくてはいけなくなった。

「とりあえず、日本語はわからなくちゃダメだよ。まぁ、スグルもフェリスもあのおじいさんおばあさんとは違う人種だっていうのは見た目で分かったから、外国人のフリはできるかもしれないけど、やっぱりここで暮すんだし」
「あたしヤダ! 元の暮らしに戻りたい。お城が恋しいよ……」

 世界を征服しようと思っていた妹とは思えない弱音を吐くフェリス。それも仕方がない。彼女はまだ生まれて数日しか経ってない赤ん坊なのだ。どんなに見た目が美しくても。

「だけど、ユタカさんの家に住むとしても、この人数じゃね。家を借りないとまずいんじゃない? あと、職も……」

 スグルの言葉に、思わずハジメは笑ってしまった。

「なんだよ、それ。前の世界と変わらないじゃん。俺はずーっと職を探してる。この世界でもそれが続くなんてな」
「言っておくけど、僕を頼ったりはしないでよ? キミのほうが見た目大人だし、僕だってこの世界じゃ仕事も家もないんだから。吟遊詩人にもなれるかわからない。……それに、歌は苦手なんだ」
「えぇ!? 歌、苦手って自覚してたの?」

 今日は珍しい。スグルの代わりにハジメがツッコむ。確かにあの歌はひどいものだった。センスの欠片もなかったんだから。よく吟遊詩人をやってられるな、くらい思っていたし。

「クソ兄貴たちはどうでもいいんだよ! あたしとママはどうすればいいの!?」

 笑っていた年の離れた双子に怒ったのは、末娘だった。傍若無人に振る舞っていた元の世界とは打って変わって、今は泣きそうな顔をしている。

「魔法も使えるかわからないし、ワンワもいないし~……! あたしひとりじゃ何もできないよ!」
「そうだわぁ~、魔法! 3人はどの程度魔力は残っているの?」

 フェリアの質問に、3人は顔を見合わせる。ハジメの力は菓子の材料が出るというどうしようもないもの。フェリスは攻撃魔法しか使えない。しかも今はハジメのせいでそれも抑えられている。スグルもふたりが魔力をたくさん使ったので、ほぼ魔力はないが……。

「そう言えばスグルの魔法ってどんなの? 見たことないよね」
「僕が今の魔力でできるのは、これくらい」

 指先に集中すると、ぽんと小さな家ができあがる。ハジメの力は菓子の材料が出てくるもの。それに対してスグルの力は、木材や工具など大工用品が出てくるという兄弟そろって使えない力だった。

「このくらいのミニチュアサイズだったら、そのまま出せるんだけどね。だから、ハジメがワンワちゃんの道場の柵を直してたとき、見ていられなかったよ」

 ふたりが顔を見合わせて乾いた笑いを浮かべていると、ようやく父が戻ってきた。祖父と祖母も一緒だ。

「……みんな、親父とお袋が、みんなのことを認めてくれた。これからはここの土地で、新しい暮らしにつくぞ!」
「新しい暮らしって……?」

 先行き不透明。疑問はまったく解消されない。どうしようもないけど、元の世界にも戻れない。それでもハジメたちは立ち上がらなくてはならない。この世界はちょうど春。何かを始めるにはちょうどいい時期だ――。

 初日は全員で寿司というものを食べた。生魚を米に乗せたものだが、なかなかうまく、泣きそうだったフェリスも満足したようだ。その晩、ユタカとフェリスはユタカの部屋。フェリスは客間、ハジメとスグルは居間で寝た。その日からだ、全員の新たなる門出を迎えたのは。

「お兄ちゃん、遅刻しちゃうよぉ~!」
「ハジメ、じゃ僕たち学校行くよ!」
「はいはい、いってらしゃ~い」

 ハジメたち兄弟は、ユタカの家ではなくアパートで3人暮らしを始めていた。ユタカの実家は広いが、さすがに大き目の子ども3人一緒というのはキツイ。だから今はフェリアとユタカ、ユタカの父母の4人がここで暮している。

「フェリアちゃん、ニボシはちゃんと頭としっぽを取ったの?」
「取っちゃうんですか? もったいない気がするんですけど」

 そう言いながら、ニボシをぽいっと口の中にいれるフェリア。それを厳しい目で見ていたユタカの母が注意する。

「こら! つまみ食いなんてはしたないですよ」
「ふふっ、ごめんなさぁ~い。お腹がへってたから!」
「まったくもう……」

 ユタカの母はため息をつくが、どことなく嬉しそうではあった。息子が消えて18年。ずっと自分たちの何が悪かったのかを責め続けていた。でも今は違う。異世界から……というのはよくわからないが、外国人の妻を連れて帰ってきてくれた。作法や生活のこまごまとしたことはまだ何もできない嫁だが、できない分、お教え甲斐があるというものだ。

「……ちょっとお味噌が濃いみたいだけど、合格点を上げましょ」
「やったぁ! お母様、嬉しい~!」
「ふ、フェリアさん! 抱きつくのはやめなさいっ!」
「……仲良くなったなぁ」

 お茶を飲みながらのんびりしていたのは、ユタカと父だ。父は正座をして新聞を読んでいるのに対して、息子のユタカは寝そべりながらテレビと妻と母の様子を交互に見ている。

「最初は色々心配だったけど、なんとかなるもんだね」
「……豊、お前が一番色々なっていないんだぞ。自覚を持たんかっ!」
「ひっ!」

 フェリスは中学校、スグルは高校に通っている。年齢的にも見た目的にも学生だからだ。
ふたりとも勉強にはなかなかついていけていないが、良い友人には恵まれているようである。特にフェリスは見た目の美しさから、ファンクラブがあるとのこと。スグルは『田中英』と漢字で名を表すようになった。ハジメもだ。異世界ではキラキラ姓&ネームだったのに、この世界ではまったく平凡な名前すぎる。
高校3年生の英は、今後就職をしないといけないと今から大忙し。たまに『吟遊詩人でいいや』なんて冗談もいうが、この世界にはやはり吟遊詩人なんて職業はない。いるのは路上ライブをしているバンドマンくらいだ。でも、以前いた世界で仕事をやっていたから、働くことへの意識はしっかりしている……ほうだろう。少なくても父・豊よりは。
元・ニートで最大の元凶・豊は、いまだに仕事にありついていなかった。それもそのはずだ。18年間行方不明で、現在30代後半の無職が、今更就職活動をしたところで就職先はコンビニくらいだ。だからと言って、両親の年金で暮らすことはできないし、子どもだって3人もいるのだ。妻も養わなくてはいけない。……そこで選んだ職というのが、『小説家』だった。今まで異世界であったすべてを書き、ライトノベルの大賞に応募するという。「うまくいけばデビュー! それから印税でがっぽがっぽだ!」なんて言っている時点で、父は終わっている。ハジメはそんな父を見て、『自分は絶対そうなりたくない』と、強く思っていた。
ふたりの学生を見送ったあと、ハジメは父の元へ訪れていた。別に用事はないが、聞いておきたいことがあったのだ。

「父さんはさ、なんでニートになってたの?」
「……お前と一緒だ」
「え?」

 今まで語ろうとしなかった父は、ゆっくり話し始めた。祖父は散歩中。春の日が優しく差し込む縁側は、とても心地がいい。

「うちのじいさんは国会議員だったんだ。親父も議員でな。お袋は今じゃフェリアに色々教えてるが、前までは外科医だった」
「コッカイギイン? ゲカイ?」
「政治家と医者だ」

 ユタカはぽつぽつと話し出す。聞いているうちに、ハジメは自分と父を重ね合わせていた。偉い仕事に就き、周りから信頼されている両親に、出来の悪い息子。魔王は信頼されていなかったが、偉くて周囲が一歩距離を置くような人物たちだ。

「お前も小さい頃は学校に通っていただろ? なんで行かなくなったんだ?」
「それは……」
「俺も同じだったんだよ。『俺』がどうかじゃない。『俺の両親』がどうか。お前もそうだったんだろ? みんなが評価するのは親だ。俺は一応同情してたんだぞ? だから家庭教師も雇ったんだ。だけど俺は違った。この小さい部屋にずっと……18歳のあの日まで、閉じこもっていたんだ」

――18歳のある日。父は異世界にワープした。きっとそれは、今まで引きこもっていたからなのだ。異世界に住む、無茶苦茶な人間たちは、引きこもることを許さなかった。だから、強制的に『世界の外』へ連れ出した。
父はカラーシの国の言葉が理解できなくても、初めて自分自身が必要とされていることはわかった。それからだ。必死にこの世界の言葉を覚え、それなりに修業して、仲間を集めて……フェリアと出会ったのだ。

「やっぱ、引きこもってたんじゃダメだったんだな。30代後半で、やっとわかった。異世界でもどこでもいい。外に出て、何か強烈な体験をする。それが大事なんだ」
「でも、一度言ってたよね。『元の世界に戻りたい』って」
「それはだな……。この世界でまともな職に就いていたら、まともに、普通に生きていられたのかなと思ったんだ。引きこもる原因ってさ、自分が世界に適応できないって絶望したときそうなるんだろうな」

 ハジメは父の言葉に黙った。自分もそうだ――。あの世界に適応できなかった。有名な親を持つことは自慢にならない。自分に親しげに近づいてくる人間は、大抵親の権力が必要なやつ。それ以外の人間は、親の悪口を子どもにささやく悪魔だ。その中で、ムリークだけは違ったが……彼はハジメの双子の兄弟だから別だ。そんな世界は嫌だ。だからハジメは現実逃避した。世間から離れて暮らしていた。父はそれに遅くても気づいたから、きっとハジメに仕事をさせようとしたのだ。

「……ハジメ。ここは異世界だ。親である俺たちのことを知っている人間なんていない。お前はこの世界に、適応して生きて行けるか?」

 珍しく真剣な眼差しを息子に向けるユタカ。ハジメはお茶を飲むと、静かに立ち上がった。

 この世界では、仕事を探す際に利用できる公共機関があるらしい。自分たちの世界みたいに職業を啓示するような場所ではないようだが、人手が足りないところが自分のところで働いてほしいと求人を出しているとのことだ。

 ユタカはもう、自身を諦めているが、自分は――。
 ハジメは仕事に必要な『履歴書』と呼ばれる紙を買う。学歴とかその辺は、『留学していた』で済むだろうか。慣れない日本語でそれを書き上げると、履歴書在中と書かれた封筒で会社に送る。
ハジメが申し込んだのは、広告制作会社だ。ここなら以前、武器屋を営もうとしていたときにやっていた、『売れない品を売れるように札をつける』という経験が生かせそうだから。
いくつかの会社に応募して、家に帰るとスグルが夕食を作っていた。
 待ちきれなかったらしいフェリアは、すでに食事についている。

「なあ、スグル。俺にも今度、料理教えて。君の仕事、多すぎだから」
「うん、ところでハジメ。駅前のケーキ屋で、仕事募集してたんだけど、どうかな? キミに合うと思うよ?」

 スグルの提案に、ハジメは遠慮しがちに答えた。

「俺、趣味は仕事にしないんだ」――。
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