○第9章 とりあえず妹ができる

文字数 9,388文字

 ユタカとハジメと一緒にムリーク、ワンワは、フェリアの部屋がある塔の一番てっぺんへ階段を駆け上る。

「フェリア!」

 ユタカがドアを開けると、そこには赤ちゃんを抱いたフェリアがベッドに横になっていた。

「もう、あなたったらぁ~……何してたのよ! 妻の出産にも立ち会わないでっ!」
「それは……」

 さすがに街でふらふらしているところを捕まえられていたとは言いにくい。言い訳しようと考えていたところを、ハジメが勝手に代弁する。

「父さん、大臣に捕まってたんだよね。母さんを倒させるため」
「お、おい! ハジメ!?」
「へぇ……私を倒すためねぇ~? 身重の妻をねぇ~?」

 子どもを産んだばかりのフェリアだが、笑顔でブチギレている。これは完全にやばい。

「ふ、ふ……ふんぎゃあぁっ!」
「あらやだ」

 フェリアの胸の赤ん坊が泣くと、雷や火の玉がドゴーン! ドゴーン! と空から降ってくる。ムリークが窓から外を見ると、街のほうにもそれは降り注いでいて煙が出ている。どうやら赤ん坊は、両親がケンカすると空気を察して泣いてしまうようだ。これではフェリアも怒ることはできない。それに、泣くだけで周りの森は大火事。街にも大損害だ。これはまずい。

「……ところでこの子の名前はどうするんだ?」
「もう決めてあるのよ。『フェリス』っていうの。女の子なのよぉ~。私に似て、かわいいでしょ?」
「あ、あはは、そ、そうだな」

 フェリアは抱いていたフェリスを夫で父親のユタカの胸に預ける。すると、また大泣きだ。

「ぎゃあああっ!!!」
「な、なんで!? パパは嫌いか!?」
「加齢臭でもするんじゃないの」

 兄であるハジメは辛辣だった。そこで初めて母は、イケメンになった息子の存在に気がつく。

「ハジメちゃん、呪いを解いたの? 何のために?」
「これにはちょっと色々あったんです……」

 ハジメが説明するとまた厄介なことがあるので、ムリークがひとことで説明する。最初は母を父に倒させようと街を出た。しかし、父は母を倒す気はない。その上ワンワが邪魔をしてくる。だったらもう面倒だから、国を滅ぼそうぜ! という周りに流れされ過ぎたのだ。
そして今、魔力……といっても菓子作りができる程度のものを手に入れたハジメは、母とも合流したのでいよいよ国を滅ぼそうと考えていた。

「結局さ、勇者と魔王の息子に、適当な職なんてないんだよ。やっぱりここは、二代目勇者とか二代目魔王が妥当ってこと。堅気の職につけないって、よくわかったから」
「それはともかく、ハジメも手伝ってくれ! フェリスが泣き止まん!」
「え? ああ」

 フェリスは生まれたばかりのせいなのか、魔力を放出しまくっている。フェリスはどうやら母親の血を強く引いたみたいだ。これでは魔王城や悪魔の森、街だけではおさまらず、この世界自体を壊してしまうかもしれない。

「ちょっとヤバいね。かといって赤ちゃんに言葉は通じないし」
「フェリア様! フェリア様の力で、フェリス様の暴走を止めることはできないのですか?」
「それが……どうやら私の力のすべてをフェリスに
奪われてしまったみたいなのよね」
「ええ!? ってことは、フェリア様はもう魔力が……」

 ムリークの質問に、こくんとうなずくフェリア。それを見たユタカは、拳をぎゅっと握るとそれを頭上に掲げた。

「よっしゃ! ってことは、もうフェリアにひどい仕打ちをされなくてすむ! ハーレムに行っても怒られないし、お仕置きもされないっ!!」
「んぎゃあああ!!」

 ユタカが大声を上げたせいか、またフェリスは大泣きする。フェリスを再びフェリアが抱っこすると、ようやく泣き止むが、また次何がきっかけで泣きだすのかはわからない。自分たちが持っているのは爆弾だ。

「困ったわねぇ。せめて意思疎通ができれば、言い聞かせることができるのかもしれないけれど……」
「意思疎通……言い聞かせる……あ」
「どうしたの、ムリーク」

 ムリークはイケメンになったハジメから上から自分を見下ろされるのにムッとしつつも、あるひとつの提案をした。

「さっきの小屋! 時間をコントロールできる部屋フェリア様を置いて、10代くらいまで成長してもらえば話は通じるんじゃないかな? 一酸化炭素中毒になる可能性もあるけど、フェリア様は平気だったんでしょ? 同じ魔力を持っているフェリス様ならきっと平気だよ」
「でも、フェリス様はまだ赤ん坊よ? ひとりにして、平気かしら……」

 ワンワに指摘され、またムリークは考え直しを迫られる。いい案だとは思ったのだが。

「この子と早くお話ししてみたいとは思うけど、育ての楽しみがなくなるのはもったいないわぁ~」
「フェリア、それもわかるけど、世界の危機なんだから……」
「はぁい」

 珍しくフェリアがユタカの言うことを聞いていて、ハジメはびっくりしていた。母も父のいうことを聞くことがあるのだな、と。それ以前に、両親の意見が一致するほど、世界が娘の気まぐれや癇癪でなくなってしまう可能性があり、危険だということなのだが、ハジメはまだどこかのほほんとしていた。
 まぁ、世界がなくなったところで、みんなが死んでしまえば自分ひとりじゃ生きていけないし……くらいのレベルの思考。完全に人任せ。自分の人生も人任せにできるところは、尊敬を通り越して狂気にも感じる。
 ハジメ以外のみんなは、これからフェリスをあの小屋へ入れようと話し合っていたが、問題はフェリスだけをひとりで入れて平気かどうかというところだ。

「誰か一緒に入ってくれる人がいたほうがいいよね」

 ムリークはそうつぶやくが、自分はその役をやりたいとはまったく思っていない。十数年も自分の人生に空白なんて作ってたまるか。一応、『年下薪』を使えば戻れるとはいうが、自分みたいな普通の人間が入って、生きて帰れるのだろうか。ハジメもなんだかんだ言って魔王の息子だ。だから命は何とかなったのかもしれない。だったら、自分やワンワはこの小屋に入ることは……。そう思っていたのに、ワンワは自ら手を挙げた。

「それならワンワが入るよ」
「ワンワちゃん!? ダメだよ、ここには煙突がないし、魔族だったら命は平気かもしれないけど、キミは普通の女の子でしょ!?」
「あのね、ムリークのお兄ちゃん。ワンワはこれでも道場主よ。火の魔法に対する呼吸法だって学んでる。だから煙をできるだけ吸わないでいることもできるわ」
「それならお嬢さんにお願いしようか。フェリアは産後だし、俺は一応、ほら、勇者だから。
何かあったら戦わないといけないから……な。娘と」

 先ほどまで王国に牙をむいて世界を手に入れようとしていたのに、勇者ユタカは真剣な眼差しでつぶやいた。もし、戦いの相手がフェリアだったら、言葉が通じたし、街を地獄絵図に変えたり、すべての宝を強奪するということまではしなかっただろう。昔のフェリアだったらそのくらいはしていたが、今の彼女はすっかり平和ボケしている。むしろ大臣が国を治めるよりも、うまく政治を行っていたかもしれない。フェリアとともに反逆を起こすと言ったが、それは国権を握って普通の、安全な街づくりをするというだけだ。別に恐怖政治を行おうとしていたわけではない。
 だが、たった今生まれた娘はどうだろう。母のことは認識しているかもしれないが、父や兄のことはわからないかもしれない。それにそもそも今のように魔力をガンガン発散させてはいけない意味だって理解していない。やっぱり年齢をコントロールする小屋へ入れ、無理にでも成長させて、理解させないといけない。

「ワンワちゃん、本当にいいの? キミまで20代になっちゃうんだよ」
「あははっ! そしたら、ハジメお兄ちゃんやムリークお兄ちゃんより年上になっちゃうね」
「いけませんっ!! ワンワさまっ!!」
「わぁっ!?」

 いきなり声をかけてきたのは、城の外で待たせていた弟子の数人だった。胴着を着たむさくるしい男たちは、涙を流しつつ熱弁した。

「ワンワ様は今のワンワ様だからいい……っ! ツルペタこそ至高! 細い脚に華奢な身体つき! むっちりしておらず、性的魅力がないところが魅力だというのに!」
「そうです! 20代なんてババアですよ! ワンワ様、今一度お考え直しいただけませんか? 俺たちはロリなワンワ様を愛しているので……」

 必死に説得している男たちの腕を、ワンワは素早く取ると、ひとり、ふたりと投げ飛ばす。最後に首をゴキッとしめると、男たちは気を失ったようだった。

「……何がロリよ! ツルペタなのも気にしてたのにっ! こうなったら意地でも入ってやるんだから!」

 ワンワはユタカから包帯を持ってきてもらうと、フェリスの身体に巻き付ける。それだけじゃない。スライムを凍らせたものも一緒に用意する。ワンワ自身も身体中を保護するように包帯を巻いて、身体が熱さでやけどしないように防御すると、フェリアにもう一度ひざまずく。

「フェリア様、それではフェリス様を10代の女の子にしてきます。成功したら、たくさんお話ししてあげてください」
「もちろんよぉ~、ワンワちゃん、ごめんなさいねぇ。うちの男たちはダメンズばかりで」

 ユタカとムリークはびくっとした。こういうとき強いのは、やはり女性だ。そんな彼女たちの冷たい視線をまったく気にしなかったのは、ハジメひとり。ハジメは先ほど小屋に入ったばかりだ。だからもう、入る必要はないと勝手に思っていた。みんなは世界を必死に守ろうとしている。だけど、なるようにしかならない。自分たちがどうあがいたって、どうしようもないことも多いんだから。もし、フェリアが10代になって、言葉ややっていることの意味がわかったところで、それでも破壊活動を止めなかったら? 母以上の魔王の器を持っていたとしたら? 結局はどうにでもならないのだ。それに、本当にフェリスの魔力の暴走を止めたいと思うなら、最終手段。今の段階で殺すしかほかはない。それができないのだから、みんなは甘い。その甘さがあるから、結局世界なんて救えやしない。
 父が昔言っていたことがある。父と母と仲良く3人でピクニックをしたときだっただろうか。自分はまだ5歳くらいで幼かったがよく覚えている。『勇者に必要な力は、モンスターを倒す強さでも、一瞬で相手を殺してしまうような強力な魔法を使う魔法使いでもない。『愛』がある人間――それが勇者だ』と。
 ハジメはその父の迷言を思い出して笑った。『愛』がある人間が勇者。愛があるから隙ができるんじゃないのか? 愛があるから、一番重要な決定を下せないんじゃないのか? そりゃ、ハジメだって妹に愛着がないわけではない。泣いていないときはとてもかわいらしいと思うくらいだ。だけど、もし彼女が世界を潰すなら――。自分の考えに思わず笑ってしまう。結局自分も国益と妹の命を天秤にかけている。魔王の息子が国益を考えてるなんて、おかしいことこの上ない。街が好きだという訳でもない。ムリークやワンワなど、知り合った人を助けたいわけでもない。ただ、一番ものごとが大きく変化せず、平和に解決する方法。それが妹を殺すことなのだ。自分は、平穏でゆるい毎日を過ごしたい。それだけなんだ。

「おい、行くぞ? ハジメ」

 フェリアの部屋を出ようとするユタカの声ではっとするハジメ。自分の横には妹を抱いたワンワがいる。殺るなら今だ。

「ワンワ、フェリスを俺にも抱かせてくれない」
「……いいけど」

 ワンワからフェリスを受け取ると、たどたどしい手つきで抱きかかえる。――よし。このまま窓から落としてしまえ。そう思ったのにフェリスは、兄の指を握るとにぱっと笑った。

「フェリス様はハジメのことが気に入ったんじゃないか? 実の兄でもあるし」

 ムリークはハジメの考えを知らず、微笑ましい一場面を見たといった感じで笑う。やめろ、やめてくれ。こんなことされたら俺は――。ハジメの心の中は、妹を自ら殺すかどうかで迷っている。国益のためか、それとも家族を守るか。どうするか迷っていると、ワンワが手を差し伸ばした。

「ハジメお兄ちゃん、もういいでしょ? 行こう、小屋へ」
「あ、うん……」

 結局どんなに自分で考えたところでも、最後の決定は人にされてしまう。だから自分で考えることを止めたのにな。ハジメは栗色の前髪をかきあげる。どんなに外見を変えたところで、中身が変わらないと意味がない。同じことをつい最近、考えたところだったな。あれはどこでだっただろう――? ハジメは少し考えてから、母の部屋を出る。母はそんな息子の考えにも気づいていたような、そんな表情を浮かべていた。

 小屋の前に来ると、さっそく薪の用意だ。赤ん坊にこの小屋を使うのは大変危険らしい。もちろん、煙突がないから……という当たり前なこともそうだが、もし間違って『年下薪』が混ざっていると、年齢が若返ってしまうからだ。フェリスは生まれたばかり。これ以上若返ることはできず、消滅してしまう。だからユタカはよく薪をチェックしてから小屋へと運び込んでいた。先ほど息子で初めて使ったが、見事成功した。これなら娘に使っても平気だろう。娘ひとりじゃない。付き添いでワンワもついている。何かあったら助けてくれるはずだし、たった十数分ここにいるだけだ。大丈夫。

「それでは行ってくるね! 美人になったワンワとフェリス様を見て、驚かないでよね!」

 ワンワはそう言うと、小屋の中へ入っていく。それと同時に砂時計をひっくり返した。小屋は木造なのに、なぜか燃えることがない。魔力を帯びているからなのか。
 ハジメたち3人とワンワの弟子たちは外で彼女が出てくるのを待つ。ハジメたちは特に無言で待っていたが、弟子たちの話題は『ワンワがどんな美人になるか』だ。

「やっぱりワンワ様のことだ。ぺったんこだったのが成長して、逆にボーン! と」
「いや、ないね。ツルペタはツルペタだ。スレンダー美人最高!」
「……俺はロリワンワ推しだったんだけどなぁ……くそぉ」

 本当にどうでもいい話題である。そんな中、ユタカが口を開いた。

「なぁ、ハジメ」
「なに」
「フェリスに『パパ嫌い!』って言われちゃったらどうしよう!」
「……知らないよ。俺だって『お兄ちゃん嫌い!』って言われるかもしれないし。ま、どうでもいいけどね」
「ハジメ、ずっと思ってたことがあるんだけど、行ってもいい?」
「なに」

 ムリークはハジメに向かい合うと、真剣な目を見せる。そしてゆっくりと口を開いて、今まで思っていたことを話し始めた。

「ハジメってさ、『どうでもいい』とか多いよね。なんでそこまで無関心になれるの? しかも妹に関してだって……普通嫌われたらいやでしょ?」
「別に」
「僕、そこがわからないんだよね。なんでそんなに無気力で無関心で、自分で何ひとつ考えないのか。仕事を探すことになったのも、ユタカさんのひとことで決めたんでしょ?
それ以外だって……」
「『自分で考えることを放棄すること』が、俺の仕事なんだよ。これはムリークにはわからないかもしれないけどね」

 そう言われたムリークは憤慨するが、ハジメは聞いていなかった。
 『自分で考えることを放棄すること』が仕事。それはあながち間違いではなかった。ハジメの父と母は現在『国の象徴的存在』だ。ふたりは国の政治に口を挟むことはできない。何か反社会的な思想を持たないことを約束して、生活を保護してもらっていた。そのふたりの息子であるハジメは、最初から意思を持つことを許されなかった。学校に通っていた時期だって、いつも第三者的立場、中立な立場を取ることにしていた。それが正しいことか間違っていることかなんていうのは自分には関係ない。自分に課せられていることは、思想のバランスを取ることだ。
 家の仕事はみんな他人がやってくれる。自分が着る服も、勝手に用意されているもの。食事だって、勝手に出てくる。風呂の時間になれば、勝手に着替えも置いてくれる。自分が支持することややらなきゃいけないことなんて、何もなかったのだ。だけど救いだろうか。ハジメは唯一菓子作りの趣味を持っていた。なぜ菓子を作ろうかと思ったかというと、いい暇つぶしになると思ったからだ。甘いものは嫌いじゃない。それだったら、菓子のレシピに書かれているもの以上の芸術作品を作り上げたい。ハジメが菓子作りを趣味にし出したのは、たったそれだけの理由。菓子作りを趣味にすることだけが自分で決めたことだ。だからパティシエや菓子職人として菓子作りを仕事にすることが嫌だったのだ。誰かの命令を聞いて、菓子なんて作りたくなかった。
 でも、もう火は放たれてしまった。しばらくすれば王国のほうから兵が来るだろう。こちらが宣戦布告したと勘違いして。実際は妹が生まれた際、その魔力が駄々漏れしてしまっただけなのだが、説明できる環境ではないだろう。なるようになれとは思っていたが、完全に魔王対王国の戦争の幕開けだ。
 自分も戦わなければならないのだろうか。ワンワは多分、フェリア側として戦うだろう。ムリークは? もともとはこちら側の人間ではない。諜報兵だ。だが、この状態じゃ王国側に戻ることはできないだろう。父の力は弱くなったし、剣ももう出すことはできない。母はフェリスに力を奪われた。すべての未来はこの小屋に入っている妹・フェリスが握っている。

「12分経ったな。扉を開けよう」

 また中からは黒い煙がもわっと出てくる。その中から、黒い塊がのそのそと出口に向かって歩いてくる。ひとつじゃない、ふたつ……いや、『ふたり』だ。

「どうよ、20代のワンワは!」

 ワンワの周りに弟子たちが集まってくる。大きな声でワンワをたたえる弟子たち。だが、その中にはちょっとした悪口も挟まっていた。

「巨乳じゃないな」
「そこに成長はなかったか……」
「あんたたち、破門にするよ!」

 しっかりワンワには聞こえていたようだ。大きな声でツッコんでいると、ワンワが肩に腕をかけていた少女が顔を上げる。……これがフェリスだ。

「フェリス? パパだぞ?」

 ユタカがそっと近づいて声をかけると、大きく咳をする。すぐに水を飲ませてやると、口元を腕で拭い、ワンワから離れた。フェリスはじろりとユタカとハジメを足の先から頭のてっぺんまで見る。今は灰をかぶってはいるが、見た目はフェリアと同じく巨乳の美少女だ。

「あんたらさぁ、あたしの家族とか親類とか、口にしないでくれない?」
「え?」

 ユタカがショックを受けたような顔をするが、ハジメは動じない。それを見たムリークは、『やっぱりな』という表情を浮かべる。ユタカにとってはかわいい娘だが、ハジメにとってはかわいい妹ではなく、家族とはいえ一他人なのだ。

「あたし、弱い人って嫌いなの。あんたたちから魔力の気配がほとんどしない。そっちのそこそこ顔が整ってる人からは、よくわからない気を感じるけど……あたしの魔力の100分の1も力はないわ」
「まあ、そうかもね」

 ここでもあっさり受け入れてしまうハジメ。ムリークはかなり焦っていた。この様子……フェリスは国を滅ぼす気満々だ。置いてあった地図を見ると、中心の城がある位置を確認する。

「これからお風呂に入って準備をしたら、召喚魔法でモンスターを呼び出して城を襲う。あとは適当に火でも放っておくことにするわ。ワンワ、あんたはあたしについてきてくれるんでしょ?」
「もちろんです! フェリス様!!」

 ムリークは手で顔を覆った。もともとワンワは強くてナイスバディな美女、フェリアの大ファンだった。その彼女に瓜二つの美少女・フェリスのファンにならないわけがない。ワンワがフェリス側につくとなると厄介だ。街に道場はいくつかあるし、格闘家も多くいるが一番強いところはワンワのところなのだ。しかもワンワは20代になって腕や足が伸びた。細くてきれいではあるが、その分リーチが長くなる。それに子どもだった頃の俊敏さが加われば、最強の戦士だ。

「ワンワ、お風呂場に向かうわよ」
「わかりました、フェリス様! ちょっとハジメお兄ちゃん、お風呂の準備するように、下働きの人に言ってよ! あと、絶対お風呂、のぞくんじゃないわよ!?」
「……わかった」

 くそ、ここまで来てしまったか……。娘に嫌われたユタカと、完全に下っ端扱いのハジメを見たムリークは、この城の新しいランキングを察してしまった。前はとてもわかりやすいものだった。魔王のフェリアがトップ。その下に息子・ハジメ。そしてランクの最下位に夫・ユタカがいた。しかし今は違う。トップはフェリスだ。2番手にいるのは多分ワンワかフェリア。そして最下位に父・ユタカと兄・ハジメが肩をそろえている。
 フェリアが世界を滅ぼす計画をしているのなら、それを止められるのは勇者だったユタカか、兄であるハジメだ。だが、今の様子を見る限り、どちらもフェリスの下僕状態。ユタカは言うことを聞かずに一方的に嫌われる悲しい父親だし、ハジメに関しては多分どうでもいいと思っているだろう。
 最終手段はなくはない。それにはハジメの力が必要だ。ハジメがしっかりと、妹を叱ることができるなら……世界を変えることができるかもしれない。一瞬で闇に包まれ、戦争になってしまった世界を、元ののんびりした世界に。ムリークは準備を頼まれたハジメとともに、風呂場へと向かった。

「ねぇ、このままでいいと思ってるの?」
「このままって?」

 予想通り、ハジメは何も考えていなかった。ふたりで風呂のブラシでこすりながら、ムリークは力説する。

「今の……フェリスが国を滅ぼそうとしたら、本当に簡単に滅んじゃうんだよ!?」
「それはそれで仕方のないことじゃない」
「キミはいつもそれだ! 仕方のないことじゃない! 何人もの人が死ぬんだよ!?」
「俺も死ぬでしょ? みんな一緒だよ」

 魔王の血を引いているからか、まったく他人の命にも自分の命にも無頓着なハジメは、最初から考え方を変えてもらわなくてはならない。
 ……いや。ムリークは一瞬、口から出そうになった言葉を抑えた。『キミには血も涙も情もないのか』。そんなことはない。証拠は先ほど、フェリスを抱っこしたときに見た表情だ。
驚いたような、恐れているような、それでも大切に、壊さないように優しく抱きしめていたときのあの顔。
 ――本当のハジメは、アホでも鈍感でも無頓着でもないんじゃないか? そんな考えがムリークの頭をよぎる。だとしたら、なんでそんなフリをしてるんだ。自分の感情にふたをしてるなんて……。これは自分の考えすぎなのだろうか。だけど、その考えを間違いだと否定することもできない。確かにやっていることは箱入り息子をこじらせたバカなのかもしれない。でも、感情面では自分に嘘をついている……。ハジメの『どうでもいい』は『どうでもよくない』、『自分ではどうしようもないから、誰か助けてくれ』という意味なのでは?

「ムリーク、流すよ?」
「あ、うん……」

 タイルの上を水で流す。風呂をきれいにしたあとは、湯を沸かさないと。新女王の言いつけだ。まだやることはたくさんある。ハジメを説得するのに時間はかかるかもしれないけど……いいチャンスだとムリークは思った。

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