01
文字数 3,179文字
01
ふしぎな名前の女の子と出逢ったなら
ぼくのとなりの席にはサカナがいる。
サカナのこと、はじめてみたときは、すみきったソラみたいな女の子だ、なんて思ったな。翼はない。けど、心はいつだって無重力。
彼女の虹彩をよくみてごらん。宇宙が打ちよせてくるような、そんなとってもうるわしいミドリの瞳をしているよ。ちょっぴり、冷たい宇宙の色をしているんだね。
とはいっても、彼女みたいな不思議っぽい子が、かならずしも人気があるとはかぎらない。このときのサカナはクラスでも、すっごく浮きまくっていた女の子だった。
クラスの子のサカナにたいする感想をひとことでいうなら。
きれい。――だけど、あの子ったら、かわいげがないの!
毎日、頬をふくらませ、怒っている。サカナが笑った顔なんかみたことがない。
あのね、きれいな子が怒っているところを想像してみてほしいんだ。
もともと寄せ付けない空気をかもしだしているそんな子がね、しずかに横で怒りつづけていたら怖いでしょ?
席がえをしてたって離れられない。いつだって、となりどうしの席になってしまう。ぼくらは小学生だけど、学年がかわって別のクラスにでもならないかぎり、サカナから離れることができそうになかった。
でね、ぼくはかなり、おっちょこちょいなところがあって、思い返すと冷や汗たらあり、なんだけど、サカナにこんなことをいったんだ。
ちなみにサカナというのは、ニックネームじゃない。彼女のほんとうの名前だ。漢字では「咲花菜」って書く。
ぼくは、たしかこういった。
「サカナって名前、チョット変わっているケド、え、……えっとね、悪くないと思うんだ。というより、ぼく、あのね、サカナって名前、とほうもなく好きだったりするんだよ」
キョトン、と、こっちをみてるサカナ。
いってから、ぼくはあわてた。
瞬時に後悔した。
どうかしてるよ、まったく。
席はとなり同士だけど、サカナとはそんなに親しい間柄じゃない。サカナだって好きこのんでぼくのとなりにいるわけじゃないだろう。なのに、妹でも何でもないのに、つい女の子を下の名前で呼んじゃった。
自習の時間のさいちゅうだった。みんなはそれぞれ自席から旅立ってゆき、なかよしのグループごとに集まっている。サカナだって、ふだんならそうしていただろう。
でも、彼女はその日、文庫本を読んでたんだ。
文庫本?
そう、色とりどりの花の刺繍がされた、きれいな布製のブックカバーをした本だ。その本のページをミドリの瞳が真剣なまなざしで追っていた。あと、時おり、文庫のページに何やら鉛筆で書き込みをしていた。
ぼくは興味をひかれた。文庫本を読んでいる小学生なんてはじめてみたからね。
だからかもしれない。ウッカリ、きいてしまった。なに読んでるのさ、って。
そしたら彼女、本から顔をあげ、ぼくのこと、きつくにらみつけてくるんだ。読書を邪魔されてイラついたって感じだった。べつにあんたのこと、ぜんぜん関心ないんですけど、というふうなミドリの冷たい眼だったよ。
「なんて本?」
押しつぶされそうになっていたぼくだけど、もう一度、きいた。
「おしえない」
ぶっきらぼうなサカナ。ぼくは泣きだしそうになった。
この時点でパニックになっていた。それで話をつなげるために考えもなしに彼女の名前のことを話題にしただけの話。
そう。――サカナって名前、チョット変わっているケド、え、……えっとね、悪くないと思うんだ、という、このお話の最初あたりにつながってくる。
「きみはだれ?」
サカナがきいてきた。
「え、どういうこと?
サカナがなぜ、そんこと、きいてきたのかわかんなかった。激しく怒っているようすにたじろぎながらも逆に質問してみた。
「だれって? わかるでしょ。ずっーと、となりの席にいたわけだし」
「ずーっと、となりにいるから名前を覚えなきゃいけない義務があるっていうの?」
ひどい、とぼくは思った。
でも、アタマをかしげて少しかんがえてみればわかる。サカナのいうこと、たしかに一理ある。
ぼくはどれだけ彼女のこと、関心をもって接してきたのだろう?
きれいな女の子だってことは認めていた。でも、これまでサカナの気持ちを想像さえしなかったのではないかな。サカナの立場からすれば、そんなヤツの名前を覚える義理なんか、チットモないよね。
でも、とりあえず。
「ぼくは米田コースケっていうよ」
「ふん。米田くんか」
サカナは思いっきり鼻にシワをよせた。憎たらしいとおもったけど、そんな仕草が意外にも女の子ぽくってぼくをドキドキさせてくれたし、彼女にとても似合っていた。
「そう。米田コースケ」
「コースケはいいよ。米田くんでわかるから」
ますますひどいこと、いうなぁ。くすん。
「で、米田くんはさっき、いったよね。なんでサカナがいいって思うわけ? わたし、このサカナって名前、だいっ嫌いなんだけど」
だいっ嫌い、なんていわれて、ぼくはあわてた。そうなんだ、自分の名前を嫌っている人がいるんだな、って、このとき、はじめて知った。自分の名前は特別で、かけがえのないもののはず。でも、そうじゃない人もこの世の中にはいるんだね。大発見だったよ。
そもそもは何の文庫を読んでいるのか知りたかっただけだ。
にしても、焦る。
背中にヤバい系の汗がジットリするのを感じる。
サカナの冷たいミドリの瞳がぼくのこと、ロックオンしている。風もないし、温度も感じられない。絶対零度の宇宙っぽい眼だった。ぼくはまわりに友だちのチョキをさがした。酸素を求める金魚みたいにアワアワしながら。
だめだ。救いを求める陽気な友はいない。もう逃げられない。覚悟をきめるしかない。
あきらめて息を吐くと肩が落ちた。そうすると楽にしゃべることができた。
ぼくは言った。
「その、なんだ、お得な名前だって思ったんだ」
とっさに何てこというんだ、と焦ったよ。思いつきでしかなかったんだもの。ひょうたんからコマがでてくればいいんだけど、青と赤の三角の帽子をかぶったネズミが、いきなり飛びだしてきそうで、ぼくはおっかなびっくり喋っていた。
でも、どういうわけか、ぼく自身、びっくりぎょうてんするくらい、口にアブラでもぬったみたいにペラペラとしゃべりまくった。
「あのね、よおく耳をかたむけて今からぼくのする話をきいてほしいんだ。きみの名前を漢字でかくと花がある。だって、咲花菜は、咲く+菜の花だからね。お花のクセして、なんと、お魚のサカナが名前の中にすんでいるんだ。これってすごいことだと思わないかい? ねぇ、眼を閉じて思いっきり想像してみてご覧よ。きみは海をおよく魚なんだ。あおいあおい海。でも、泳いでいるうちにいつしか水のなかではなく、羊みたいな雲がポカポカ浮かぶ空を飛んでいることに気づくんだ。そして見下ろせば、菜の花のお花畑がある。きみはそのお花畑に両腕をひろげ、一人の人間の女の子の姿となってストンと舞い降りる。それもサカナという名前の女の子としてね。
どう? すごいとは思わない?
海と花が一人の女の子になかに息づいている。きっと世界で、いや、宇宙に一つしかない名前なんだろうね。こんなすごぉーい名前の子に、ぼくはこれまでの人生でただの一度だって会ったことがない。
いや、違うね。
実は毎日、会っているんだ。
そう。毎日、そんな女の子がとなりの席にいることが、ぼくにはすごく奇跡的なことに思えてならないんだよ!」
サカナは驚いた顔をし、おおきな瞳をみひらいていた。
風のないミドリの瞳に、そよ風が吹きはじめたのでぼくはびっくりした。
変化はそれだけではなかった。サカナの冷たかった宇宙に星が一つ、うまれた。キラキラまたたきながら誕生すると風に吹かれながら、まばゆく輝きだした。