第3話 素晴らしきこの世界

文字数 8,915文字

 大陸『ウィルダネス』は、異種族間の婚姻にて生を受けた”混血”の者や、出稼ぎのため移民してきた者の集う、多民族国家で構成されている。

 もとは、一大陸に一人種が暮らし、独自の文明を発展させてゆくことが一般的な『マザー・アース』においては異質の地であった『ウィルダネス』だが、時代の移り変わりにより、生活の多様化と移民の受け入れ寛容化を無視することはできず、未だに根強く残る純血思想もなんのその、比較的、自由が保障され始めて久しい。

 その、自由と革命の地の僻地、治安もお行儀もよろしくない街『ルクメリ』に、便利屋事務所『チームクラウンズ』が設立され、二年経った。

 事務所の経営は楽ではないが、幸い、なんとか食って行けるだけの稼ぎは得られている。というのも、冒険者が最も多く訪れる大陸である『ウィルダネス』に、腕試しに丁度いい依頼が受けられると評判の便利屋があるとなれば、金に困った冒険者なら一度は訪れるからだ。

 国の運営する冒険者組合(ギルド)に所属するほどこの地に長居するつもりの無い冒険者が仕事を斡旋してもらう場合、チームクラウンズのような便利屋に仕事の仲介を頼むケースがある。
 それこそ、初めは猫探しやら廃墟の後片付けといった案件から、組合を通す時間の無い緊急性の高いモンスターの討伐など、仕事内容は玉石金剛だった。しかしユリスはその全てをそつなくこなしてみせた。
 少年はまるで限界などないのではないかと思うほど、息を吸うように魔術を使った。一つ一つの呪文の完成度も高く、使える術式も豊富で、魔術師としての素質だけを見るなら右に出る者がいない程だった。
 そのおかげで新たな依頼が途切れる事はなく、従業員志望者も後を経たなかったという。
 ある日唐突に、ふらりとやってきて下積み期間もろくに経験しないうちに便利屋稼業の手柄を総取りした猫目の少年は、その派手な戦果が原因で何度となく暗殺を企てられることになるのだが、どういうわけか、のらりくらりと刺客の手をかいくぐってマイペースに日々を過ごしていた。
 同業者から一通りの反感を買った後、ユリスがその存在を許されるに至ったのには、彼の出生に関する以下の噂が関係しているという。

 ユリスの色素の薄い儚げな見目は、どうみても純血の『白の民』である。
 滅多に自分たちの大陸から外へ出ない閉鎖的な民族が、多民族国家の『ウィルダネス』にいるということは即ち、彼はよっぽどの事をしでかして故郷を追い出されたに違いない。そういえば彼は、魔力と引き換えに精神状態を高揚させる『リグの実』をわんさか購入している――
 そんな噂がスラム街を飛ぶように駆け巡ると、それまで目の上のたんこぶだった新入りに、なんとなく同情だの憐れみだのが集まった。
 当人はどこ吹く風で日々の仕事をこなしていたが、その姿勢がある層の感傷を刺激したのかも知れない。ともかく、同業者からの嫌がらせや暗殺の件数は日に日に減っていった。
 ユリス自身はそれを、自分の仕事実績が築いた結果だと言って聞かない。その言葉に嘘はないけれど、少年の預かり知らぬところで「あいつはいじめるには哀れすぎる。強いからめんどくさいし」と言われていたことも、ほんの少しは影響しているかも知れない。
 そんな他者を圧倒した魔術の天才が、今では”猫の便利屋”扱いされているのだから、世は無情である。

 ルクメリには、ユリスのように故郷を追われたものや、根無し草として生活しているものも少なくない。
 その多くが、魔術師を筆頭とする魔法を扱う冒険者であり、次点に、己の魔力を魔装機械(マシン)で補い、魔術師と同等のパフォーマンスを働く”魔装戦士”が挙げられる。

 魔装機械(マシン)は、ボタンを押下するなどの一定の動作を合図として、機械の中に保存してある魔法を発動させる物がほとんどである。拳銃や防護壁発動体など、個人でも扱える商品の普及によって、血統重視かつ魔力至上主義のこの世界『マザー・アース』の体制に一石を投じる存在となった”魔装戦士”なる冒険者たちの存在は、魔力の乏しい自分のような者にとっての希望である――
 ――そう、マリア・デルーテは信じている。

(魔力が無くても治癒魔法が発動出来る機械が、もうすこし安かったら助かるんだけど)

 ショーケースに陳列されている、ロザリオ型の魔装機械をぼうっと見ていたマリアだったが、値札に視線を落とすなり、煩悩を振り切るかのごとく肺の空気を吐ききった。
 装飾品(アクセサリー)型の魔装機械がずらりとならぶディスプレイは、きらきらと輝く照明が眩しすぎて、とても自分のような人間には相応しくないように思える。そのくせ、未練がましくその場から立ち去れないのだから、嗤ってしまう。

 混血の民は得てして魔術が不得意なことが多いが、代わりに身体能力に優れており、冒険者としての資質はユリスのような純血の民ではなく、マリアのような混血の民に軍配があがる。
 そのため、魔装機械で不足を補う混血の民の存在は、冒険者という職業においては「鬼に金棒」であり、それは便利屋家業にとっても同じことなのだが、魔装機械はまだまだ、庶民が気軽に購入できる程の値段では無いのだ。

 気分転換のつもりで、男性用のアクセサリーコーナーをのぞいてみれば、双子の弟である、ダルット・デルーテが常日頃身につけているペンダントや、同僚の、ユリス・ゾンネが三日で壊したイヤーカフスなど、見知った商品が目に飛び込んできた。
 急に、頬を叩かれ、夢からたたき起こされたような気持ちになって、マリアはとぼとぼと店を後にする。

(――あの子たちは、キレイだから……ああいうのも似合うんだよね……)

 上着についているフードを目深にかぶり、足早に役所へ向かう。
 桜色の長い髪がこぼれ落ち、スラリと長い足の周りでふわりと舞った。
 人の視線を避け、憧れてやまないはずの煌びやかな装飾品を見るのも避け、余計な物を目にし無いようにと歩みを進めれば、自然と己の足元ばかり眺めている。そんな自分にうんざりしつつも、どうしても顔を上げられなくて、鉛のような重苦しいものを胸の中に仕舞い込んだまま黙々と足を動かしていると、目前に現れた水たまりに突っ込みそうになってしまった。
 おそるおそる、水鏡を覗き込む。
 マリアは、水面に映る自分の顔面に、醜い痣がはっているのを幻視している。
 実際には二年前にその痣は消えて無くなっているし、美青年と名高い弟に負けず劣らずの美貌の持ち主にもかかわらず、見る者の嫌悪感を掻き立てる、その赤黒い呪いのせいで、彼女は生まれた時から化け物として扱われた。

 チームクラウンズの一員となった当初も”化け物”だった頃の癖が抜けず、幼い頃からつけていた仮面が手放せなかったのだが、ユリスの不注意でその仮面を壊されてからというものの、特注のそれを作り直す費用も心もとなかった為に、素顔で外出せざるを得なくなってしまったのだ。
 はじめは、魔術師でもないのにローブを被ってすごしていたマリアだったが、体術を武器に仕事をする彼女にとって、魔術師の装備品は邪魔でしかたがなく、しょうがないので、フード付きの上着を羽織ることで妥協した。
 奇しくもそれが、マリアの自己認識を更新するためのリハビリとして作用するのだが、未だ、幻視は隙をついて彼女のそばに忍び寄る。
 ユリスの雑な性格が引き起こした仮面の悲劇を思い出し、なんだか腹が立ってきたマリアだったが、ふと、耳に飛び込んできた演説に心臓を掴まれたような気持ちになって、我に返った。
 それは、電子掲示板から放送されている映像のものだったが、浪々と誇り高く、雑踏に紛れてかき消えるなど考えられぬような力をもって、街頭にこだましていた。
 多くの通行人と同じように、マリアもまた、その声に惹かれて足を止める。

<百年前、ある偉大な国民が、奴隷解放宣言に署名した。この極めて重大な布告は、容赦のない不正義の炎に焼かれていた『赤の民』たちに、大きな希望の光明として訪れた。
 しかし、百年を経た今日、赤の民は依然として自由ではない――>

 穏やかながらも強い意志がくゆる低い声は、聴衆の感情に爪痕を残し、天へ駆ける。

<我々の世界は、はじめに混沌があったという。
 創造主は混沌の渦の上に、魔力を用いて、秩序の柱をお創りになった。

 水は、高きから低きへ流れるよう。
 炎は、大気を食み燃え盛るよう。
 
 いくつもの秩序を創り、それを世界の礎と定め、大地とした。
 次に、創造主は”始りの人”を創り、大地に住まわせ、この秩序だった世界を彼らの手に委ねた。
 ――この世界と、我らの命を創った「魔力」への信仰は高まり、いつしか、より多くの魔力を持つ者こそ至上の者として讃えられることになる。
 『赤の民』は、魔術を不得意とする民族である。民族としての個性は、誤った神話の解釈によりその本質を歪められ、彼らを人種差別の鎖に縛り、長い夜へと誘った>

 マリアは、ぎゅっと握った拳を胸の中央に添え、何度も聞いてすっかりそらで暗唱できる演説の続きを、そっとつぶやいた。

「私には夢がある。それは、いつの日かこの世界が立ち上がり、『すべての人間は平等に作られている』ということを、自明の理とする事だ」

 マリア――本名、マリアーヌ・デルーテは、赤の民の混血児として『レッドグラウンド』にて生を受ける。
 人種差別の痛みを知り尽くしているはずの同胞は、皆、彼女の醜い痣を見るや否や、石を投げた。
 彼女を持て余した母親が、娘を雑技団に売ることで――最後まで半狂乱に反対した弟の意思もむなしく――故郷との縁は周囲によって強制的に断ち切られたはずなのだ。
 楽しかったことなど数えるほどしかなかった、故郷という名の監獄を憎み、二度と足を踏み入れるものかと心に誓ったはずなのに。
 電子掲示板の映像が暗転し、共通語のテロップが表示される。次に場面が切り替わったら、映し出されるのは被災して廃墟と化したかつての故郷の変わり果てた姿だ。
 食い入るように映像を見ていたせいだろう、

「もしもし、マリアさんではありませんか?」

 ぽんと肩に手を置かれるまで、背後の気配に全く気がつけなかったのは。
 マリアは心底動揺して飛び上がってしまいそうになったが、かろうじてその衝動を抑えつけた。しかしすぐに、声の主を振り返って、肝を潰すことになる。

「失礼、驚かせてしまいましたね」
「あ、アルバート・シッカートさん!?」

 マリアに声をかけたのは、先の映像の中で平等な世界を呼びかけていた、アルバート・シッカートその人だったのだ。
 しまった、と思ったが時すでに遅く、思わず声をあげてしまった少女に向けて、道行く人々の好奇の視線が突き刺さる。血の気が引くのを感じながら周囲をうかがうと、先ほどまでは気がつかなかったが、人込みの中にシッカート氏の護衛を担っていると思わしき戦士が何人か見受けられた。彼らは鋭い目つきで周囲を威嚇し、興味本位で注がれていた野次馬の視線を蹴散らしている。
 無用なトラブルに時の人を巻き込む事態は回避したものの、護衛の一人に鋭い目つきで射すくめられ、申し訳なさと恥ずかしさで、マリアは今すぐ消えてしまいたくなった。
 小さくなっている少女へ、老紳士は「どうぞお気になさらないでください」と鷹揚に笑う。

「此の度は我々の活動にご興味を持っていただき、誠に有難うございました。説明会に参加していただいたこと、よく覚えておりますよ」
「あ、ありがとうございます!」

 マリアは姿勢を正し――抵抗はあったが、そのままでは失礼にあたるため――目深にかぶっていたフードを脱いで、一礼した。
 しゃらりと舞った桜色の髪のカーテンが開けられると、アーモンド型の緋色の瞳がまっすぐに、シッカートを見つめていた。赤の民特有の褐色の肌とは違う、なめらかできめ細かな白い肌に、さくらんぼのような唇がよく映える。

「私に出来ることであれば、微力ですが全力で取り組む所存です。何卒、よろしくお願いいたします」

 紡ぎ出される声音もまた美しく、シッカートの護衛達すら、マリアの蕾が綻ぶような笑顔に目を奪われていた。無論、すぐに彼らは我に返るが、咳払いをしながらそわそわと目の端で少女の姿を追っている者もおり、老紳士は苦笑した。
 当の美貌の持ち主は、今まで経験したことのない周囲の反応に当惑しきりで、心細そうに上着のフードをかぶりたそうな仕草をしているのだが。
 この、形容しがたい空気を一変させたのが、

「あれ、マリアじゃん。まだ役所に行ってなかったのか?」
「ユリス!」

 場違いに明るい少年の声だった。

 予期せぬ男の登場に、護衛の目が警戒の色に染まる。自分たちの怠慢を棚にあげたようなその変わり身の早さに、ユリスは動じることなく

「お邪魔だったかな?」

 と、おどけた仕草をしてみせた。彼が着ていたボルドーのロングコートがひらりと舞って、腰に巻かれたホルスターに、白金色の魔装拳銃が収納されているのが見える。
 いたずらっぽい笑みをうかべつつも、ちっとも笑っていない瑠璃色の目をした少年の背後には、いつでも抜刀できるよう身構えた、銀髪の美青年が控えていた。

「ちょっと、二人とも失礼なことをしないで! シッカートさん、大変失礼いたしました。こちらは私の同僚である、ユリス・ゾンネと、弟のダルットです」

 得体の知れない態度の同僚と、警戒心だだ漏れの弟の存在をなんとかごまかそうと、あわあわしているマリアをよそに、

「おや、それではあなたが”猫の便利屋”のユリスさんですね。以後、お見知りおきを」

 仰々しく礼をして、シッカートはユリスに握手を求めた。背後に控えるダルットの視線に鋭さが増し、真っ青な顔をした姉をよそに、護衛と睨み合っている。
 高まる緊張感など意に介していないかの如く、

「やっだなー、猫専門の便利屋ってわけじゃないんですよ? うちの職員がお世話になってます~」

 と、些か軽薄とも言える態度で紳士の握手に応じたユリスだったが、双方の手が触れた途端、表情の読めなかった猫目がわずかに見開かれた。
 対するシッカートは、仮面をかぶっているかのような笑顔を貼り付けたまま、ユリスをじっと観察している。
 握手をしたきり、ふっつりと黙ってしまった二人に驚いたマリアは、シッカートの強い意志がゆらめく緋色の細い双眼が、束の間、金色に輝いたように見えて目を見張った。

 アルバート・シッカートは、赤の民である。
 電子媒体で公開されている若い頃の写真では、褐色の肌のたくましい体躯と燃えるような緋色の瞳に希望を湛え、豊かな桜色の髪をかきあげながら、事業の指揮を執っている姿が確認できる。すなわち、彼は典型的な赤の民の特徴を兼ね備えた外見をしていると言っていい。
 魔力に乏しい赤の民が、己の瞳の色を変えるために魔術を使うのは珍しい。外見に気をくばるよりも、身を守るために力を温存しておいた方が有意義だからだ。
 勿論、絶対に無いとは言い切れないし、運良く”変化”の効果を発揮する魔装機械を手に入れたなら話は別だが、赤の民の代表として世間に主義主張を訴えかける人間が、民族の象徴を変質させるだろうか。そもそも、一介の便利屋との挨拶の中で、そんなことをしなければならない理由など見当たらない。

 奇妙な沈黙を破ったのは、シッカートの方だった。笑顔の仮面はとうに剥がれており、押し隠しきれない何かを噛みしめるかのような歪んだ表情を浮かべつつ、握手していた右手をそらへと泳がせる。

「常ならば混沌を根城にしている『闇の民』が、秩序に反し、我らの地上に姿を現して災厄を引き起こしているのは、皆様もご存知でしょう。
 中でも一番被害がひどかったのは、『混沌の暴走』が災害となって現れた、赤の民の大地『レッドグラウンド』です。
 マリアさんには、レッドグラウンドの復興活動をお手伝いしていただく予定でして」
「――レッドグラウンドの?」

 ダルットが眉根をひそめる。姉の咎めるような視線に負けて抜刀の構えこそ解いたものの、鋭い双眸には敵意の刃がぎらついたままである。
 弟の様子に気圧されつつも、マリアが話の続きを引き継いだ。

「シッカートさんは、この間の災害で住む家を無くしてしまった被災者の方々に、ご自身の団体が所有している施設を貸し出すことで支援していらっしゃるの。
 細々とした雑用をお手伝いできればと思って、ボランティアに志願しようとしていたんだ……」

 少女がチラ、と、電子掲示板の液晶に目を向ける。ユリスとダルットがつられてそちらを見ると、見るも無残な『赤の大地』の映像が流れている所だった。
 暴風と浸水の被害を正面から受けたのだろう、住宅はまるで壊れたおもちゃのようにぺしゃんこで、とても人が住める状態ではない。
 被災地を見下ろす曇天には、翼の生えた闇の民たちが己の戦果を誇るかのように、地上の様子をせせら笑う姿が多数見受けられる。
 やがて映像が切り替わり、赤の民のために力を貸して欲しいと切に訴える、アルバート・シッカートの姿が放映される。

 レッドグラウンドが未曾有の災害に見舞われたのは、シッカートが人種差別の撤廃という「夢」を語った直後のことであった。
 時の人はすぐに赤の大地への支援を呼びかけて、群衆の熱狂を冷ますことなく、むしろさらなる波動を生み出したのだ。

「シッカート殿、私は大事を理解出来る器ではありませんが、貴殿には本当に、頭が下がる思いです。
 しかし、一つ無礼を許していただけるのなら、教えていただきたいことがございます」

 それまで黙っていたユリスが突然、声を発したことに驚いた同僚二人は、止める間もなくつらつらと続く言葉の行方を、見守ることしかできなかった。

「何故、国の指針を待たず、民衆に救済を呼びかけたのですか? 同盟国がここまで大規模な被害を受けたのです、民間の方が先導せずとも、我が国は援助をするはず。
 まさか、『アームクラフ』が『レッドグラウンド』を見捨てるとお思いなのでしょうか?」

 つまるところは、「アンタ随分身の丈を知らないお節介をしたな」と言ってのけたユリスに、マリアはもちろん、険しい顔をしていたダルットですら目を剥いている。
 シッカートの護衛たちが一斉に攻撃態勢に入り、肌がひりつく殺気をユリスに向けた。ユリスは臆することなく、シッカートの返答を待っている。
 アルバート・シッカートはいきり立つ護衛を制し、少年に向かってゆっくりと歩み寄った。

「アームクラフは、同盟国であるレッドグラウンドの救助要請を保留にしている状態です。今、赤の大地ほど、『混沌を切り裂く閃光の力』――もとい、アームクラフ王家の力を欲している場所は無いにも関わらず。
 国が沈黙を貫くならば、私は自分に出来ることをするまでです。事態は一刻の猶予も許されぬ、逼迫したものだと思うのでね」

「成る程、いや、何て素晴らしい行動力なのでしょう! 
 ――俺はてっきり、貴殿には、国が動けない理由に心当たりがあるのかと……」

 シッカートの顔から表情が消える。唯一残った冷徹な目で、一瞬だけデルーテ姉弟を盗み見たあと、ゆっくりとユリスを見下ろした。

「あなたの志が私の抱くものと同じであるよう、切に願いますよ、ユリス・ゾンネ」
「――それは、お互い様でしょう」

 火花が散るかのような睨み合いはすぐに終わり、シッカートはマリアーヌへ一礼をして、護衛とともに去っていった。周囲はしばらく、一連の騒動に好奇の眼差しをむけていたが、これ以上進展が無いと知るや否や、一人、また一人と日常へ帰っていった。

「――びっくりした……シッカートさん、あんなに怖い顔するんだね……」
「姉貴はやたらと人を信じすぎる」
「あんたは疑ってかかりすぎ! 失礼だよ」

 緊張をほぐすため投げ交わされる軽口に、ユリスは関わろうとせず、じっと押し黙っている。

「さっきのは何なの? ユリス。二人とも随分不穏な空気を醸し出していたけど」
「何って、別に。誤情報(バグ)同士の挨拶だよ」

 見かねたマリアが水をむけると、ユリスはケロリとした様子で言ってのけた。

「じゃあ、あの男も……」

 確認するように同僚の顔を覗き込むダルットだったが、

「最近多いよね、禁じられた知に触れるタイプのバグ」

 対するユリスは、口調こそ飄々としているものの、決して目を合わせようとはしなかった。

「バグだからって、悪い人とは限らない。少なくとも、レッドグラウンド復興支援活動に悪意は感じられないよ」
「相手は民衆をも動かす大物だぞ、例え裏に何があろうと、姉さんを丸め込むくらい容易いだろ」

 すぐそういうことを言う、と頭を抱えたマリアは、その仕草で自分がずっとフードを外したままだったことに気づき、あわててかぶり直した。

「ユリスはどう思う? シッカートさんは悪い人に見えた?」
「俺の力じゃそこまでわからないよ。ま、あのオッサンが俺と仲良くしたいと、これっぽっちも思っちゃいないってことだけはわかったけどな」
「……先にふっかけたのは誰?」
「俺ー!!」

 マリアの苦言を「ま、縁があるならまた会うだろ」と乱暴に片付けたユリスは、背後にむかってちょいちょいと手招きをする。
 怪訝な顔をしたマリアの目に飛び込んできたのは、いつからそこに隠れていたのか、物陰からひょこりと姿を見せ、こちらへ駆け寄る白髪の少女の姿だった。
 驚いて説明を乞うマリアに、

「今日の依頼主だ。失った記憶を探してるんだと」

 と、ユリスはざっくり言った。説明と言うにはあまりにも言葉の足りない同僚の返答に、少女は絶句する。しかし、

「はじめまして」

 レーゼの花が綻ぶような笑みを眩しそうに眺めた途端、マリアは血相を変えて言った。

「大丈夫? このお兄ちゃんたちに怖いことされてないよね?」
「人聞きの悪いことを言うなよな、依頼人に手を出したことは無い––……はず。多分」
「俺とこいつを同じにするな。不愉快だ」

 語尾の怪しいユリスの返答と、心底嫌そうなダルットの声音は、マリアの懸念をただただ煽るばかりだったのだ。
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