第8話 『声』

文字数 5,406文字

 ――強くなりなさい、ダルット。

 あなたは”力”を使いこなせなければ、価値がない。つまりは強くなければ、生きていても仕方がないの。

 あなたの弱さなんて誰も認めてはくれないし、非力だと知られればすぐに消されてしまうでしょう。

 よく覚えておいて。あなたは、強くなければ価値がないの。
 いつまでも泣いているなら、お姉ちゃんのように捨ててしまうわよ――

 白い両手が蛇のように、ダルットの首元にまとわりついた。徐々に指に力が入り、赤い染料を施した爪が首筋に食い込む。そのまま、首を締められて……――

 ――脳内に響く声と幻覚を振り切るように、ダルットは頭に手をあてて、ゆるゆると首を横に振った。

 ここ最近、この声はなりを潜めて、滅多に聴くことはなかったのだけれど――『レッド・グラウンド』へ行かねばならないかも知れないと思った途端、全身の血が引き潮になって、”あの女”の声と手を、思い出すようになった。

 ――うるさい、自分の価値は自分で決める――

 声を掻き消すつもりで強く念じるも、背筋を氷で撫でられるような、嫌な感覚からは逃れられなかった。

 ダルットは踵を返し、手にしていた一輪の花をゴミ箱に投げ捨てて、共同墓地に背を向けた。

 今日は”あの女”の命日だ。

 『ウィルダネス』にあの女の遺骨などあろうはずはないが、この共同墓地には、『レッド・グラウンド』で発生した忌まわしい大災害の被害者を弔う慰霊碑がある。
 ”あの女”も災害で死んだには違いないから、祈りが届くこともあるだろう。
 恐らく”混沌”(地獄)に落ちたであろう”あの女”の魂が、次の生命として産声を上げる時、”幾分かマシな存在になれるよう、時折祈りを捧げているのだ。

 それは恐らく自分のため――”あの女”言うことを大人しく聞かざるを得なかった、非力な幼少期の己を癒すための儀式なのだ――そう、ダルットは考えている。

 花に罪はなかったか、と、後悔しながら深呼吸をする。かといって引き返すつもりは毛頭もなかった。

 いつまでも故郷から逃げ続けるわけにはいかない。いつかは、故郷と、己の弱さと向き合わなければならない。……判っているはずなのに、覚悟が決まらない自分が腹立たしかった。

 ――俺の心はこんなにも弱かったのか……強くあらねばならないのに――

 無意識に抱く想いにすら、幼少期の洗脳が色濃く表れていることに、ダルットは気がつけないでいた。

 『ルクメリ』北東部に位置する墓地へ向かうには、一度大通りを通った後、人気の無い小道に入らねばならない。そこは、旧市街独特の狭い歩道が入り組んでおり、住人はどこへいったのやら、日中は人気の無い場所だった。
 まだこの地に来てまもない時、ユリスが何度か迷子になりかけたのを知っている。
 そんな場所だと知っていたからだろうか、目の端で動いた人影が珍しく、やけに鮮明に見えて、目を奪われた。

 一瞬、体が強張った。

 後ろ姿しか確認出来なかったが、その人影の正体は間違いなく、アルバート・シッカートだったのだ。先刻話をした時には持っていなかった、品の良いステッキを手に、路地を曲がっていった後ろ姿がスローモーションで網膜に焼きついた。

 周囲を見渡すも護衛の姿は無い。

 予想もしていなかった人物の登場に動揺していると、さっと小さな影が横切って、シッカートの後を追った。
 ダルットのいる位置からは死角になっているからか、もしくは動揺していたからか、自分とシッカートの他にもう一人居たと、気がつけなかった己の未熟さを苦々しく思いながら、”もう一人”の姿に目を凝らした。

 細身の少年のようだった。襟足を数房のみ長く伸ばした、桜色の特徴的な髪型をしており、褐色の長い手足は動きやすそうな装備に包まれている。その腰元に、華奢な体躯には不釣り合いな、大きい鞭が納められていた。
 後ろ姿だけで断言はできないが、外見的な特徴から言って恐らくは赤の民だろう。同族の希望の星であるシッカートに敵意を抱くとは考え難い。
 そう判断して目線を外したことを、その後ダルットは深く後悔する。

「シッカートさん、今日こそ本当のことを教えてください! 母さんを返して……うわっ!」

 悲痛な叫び声に、頬を叩かれた気分になった。
 シッカートも赤の民の少年も、すでに路地を曲がった後でダルットの視界の外に居る。
 考えるより先に体が動いて、抜刀の準備をしながら、二人が居るはずの路地を曲がった。その足元に、赤の民の少年が吹き飛ばされる。

 思わず息を飲んだ。

 少年が痛みに「うぅ」と呻き、四肢が絶命寸前の昆虫のように、弱々しくたたみ込まれた。

「おや、あなたはお仲間と一緒に行動しないのですか、ダルット・デルーテさん」

 地面に蹲る少年の存在など、はなから無かったかのように振る舞う老紳士の声は、不自然な程に穏やかだった。

「あんた、一体何を」

 怒り混じりの声でシッカートを詰問するダルットに、慈善事業者は当然のように言った。

「自分の身を守ったまでです。その人、こそこそと私のこと嗅ぎ回っていましてね。何か話でもあるのかと思えば、護衛がいる間はいつまで経っても出て来ないーー少々、対応に手を焼いていまして」

「――他にもやり方があったはずだろう」

 シッカートと赤の民の少年の間にどんな事情があったのかは判らないが、弱々しく己を掻き抱くか細い腕を見ると、とてもではないがシッカートの肩を持つ気にはなれなかった。
 当の老紳士は、憤りにより釣り上がったダルットの緋色の目を見て、満足そうに笑うのだ。

「それで良いんです。あなたは――”閃光の勇者”はそうでいなくては」

「!」

 先刻少しだけ読んだ、アルバートの妻であるヘレン・シッカートの児童文学を思い出し、肌が粟立った。

「何の話だ」

 怯んだ己を押し隠すように、返答するダルットの心中を見透かすような笑みを浮かべ、アルバートは杖を垂直に持ち、すらりと抜刀した。趣味の良い装飾品にしか見えなかったそれは、仕込み刀だったのだ。

 事情はさっぱり飲み込めなかったが、敵意を向けられている以上は、こちらも相応の態度で臨まねばならない。
 ダルットは少年を庇うように前に立ち、剣を抜く。左足をわずかに後方へ下げ、重心を丹田の奥に置く。
 空気が震え、刃の反射がぎらりと視界を奪い、シッカートの仕込み刀が襲いかかってきた。

(思っていたより荒い剣だな)

 と、どこか冷えた頭で相手の刃を受け止めたダルットは、あえて仕込み刀を弾き飛ばすことはせず、防御した衝撃を逆手に取って間合いを詰めた。
 ぶつかり合った剣の向こうから、老紳士の細い目が愉快そうに弧を描くと、シッカートはうっとりとした声音で、

「あなたたち御姉弟は、本当に美しい……」

 と言ったもものだから、ダルットは思わず嫌悪感を顕にしてしまう。一瞬、相手が何を言っているのか判らなくなって、思考回路がショートした。
 一方のシッカートは、ダルットの反応など気にも留めていないかの様子で、言葉を続ける。

「お姉様の美貌も、純血の赤の民の特徴から大きく外れていますが、言うまでもなくそれは、あなたの方が顕著だ」

「何が言いたいんだ、気持ち悪い」

「……私が何を言いたいのか、貴方は既にお判りなのでは?」

 動揺するまいと、剣を握る手に力がこもる。嫌な汗で濡れた手のひらに、舌打ちをした。

「”光を纏う銀の髪”を持つ赤の民など、居てはならないという話です。それに、あなたの目は確かに、赤の民のそれに似ていますが――」

 シッカートが力づくでさらに間合いをつめ、異様な雰囲気をまといながらダルットの顔を覗き込んだ。その細い緋色の両眼が金色に変わるのを、青年は見た。
 シッカートは金色の目をダルットに向けながらも、比喩でもなんでもなく、青年の姿を通り越して”向こう側”を”視て”いるようだった。
 老紳士は笑いながら言葉を続ける。

「光の角度によって、虹彩が光を反射しています。まるで、光を当てると結晶が輝くサンストーンのように。あなたの瞳には、純血の光の民に見られる特徴が散りばめられている」

「あんたの妄想に付き合うほど、俺も暇じゃない。単刀直入に言う。
 俺にどんな言いがかりをつけようが勝手だが、マリアに何かしてみろ。地の果てまで追いかけて、あんたを#混沌__地獄__#に落としてやる」

 怒気を帯びた低い声が響いた刹那、パリッという乾いた音がして、ダルットの剣に稲妻が走った。
 シッカートは目を剥いて、今や、刀身に稲妻が纏って、光の剣のようになったダルットの剣を薙ぎ払い、距離を取った。三日月のような金色の目が、緋色に戻る。
 体制を立て直した老紳士が青年に投げかけた言葉は、意外なほど静かなものだった。

「あなたはおかしいと思わないのか、変えようとはしないのか」

「……? 何の話をしている」

 眉を顰めたダルットの言葉を聞いているのかいないのか、シッカートは力強い声で続けた。

「“秩序”とやらから外れた存在をーー大切な一つの命をーー抹殺することで辻褄を合わせるこの世界を。そんな身勝手を“理”と感受して過ごす日常に、あなたは疑問を持たないのか、と尋ねています」

 ひゅ、と、呼吸が喉奥でガラスとなった。
 シッカートは言葉を続ける。力強い声で。

「”誤情報”であるというだけでまともに教育も受けられずに、スラムの片隅で泥を啜るしかないこの現状を、あなたは何とも思わないのか」

「――」

 まるで、電子媒体で繰り返し再生されている演説を聞いているかの如く、老紳士の言葉一つ一つには、逆らい難い”力”のようなものがあった。彼の主張はダルットの心に深く突き刺さる。
まるで、青年が抱えていた不満をシッカートが代弁してくれたかのような錯覚に陥り、知らず知らずのうちにダルットは、慈善事業家の話に引き込まれてしまう。
 老紳士は、言葉を続けた。

「だが、私は知っている。ダルット・デルーテ、あなたは特別な存在だということを。
 あなたなら、この世界を変える事ができるだろう。
 私の元に来なさい。そして共に、新しい秩序を生み出すのです――」

 その声は、先程問答した時のものとは全く異なる音質であった。何だかいつまでも聞いていたくなるような心地の良さがあって、青年は瞬きの間、我を忘れた。

(この男と共にあれば、今よりずっと強くなれる。そうしたら二度と、”あの女”の声に悩まずに済むはずだ――)

 何の根拠もないのに、それはまるで天啓の如くダルットに降り注ぐ。
 刀身から少しずつ、稲妻が引いていったその時だった。

 ゲホゲホという、少年が激しく咳き込む音に、はっと我に帰った。
慌てて後方を振り返れば、先程シッカートに吹っ飛ばされた少年が息苦しそうに喘ぎ、なんとかして起きあがろうとしている。
ボロボロのその姿を見て、ダルットは急激に夢から醒めた心地になった。

 シッカートの主張は確かに、一理ある。
しかし彼は、目的のために幼い子供へ手を上げる一面を持っているのだ。
 彼らの間に何があったかはさっぱり判らないが、彼のいう通り、赤の民の少年が、護衛がいる間は寄ってこないような相手なのだとしたら、捨て置いても構わないのではないだろうか。そうせずにあえて自ら手を下す様は、歪に思えた。少なくとも、信頼に値する人物の振る舞いには思えない――ダルットはそう結論づけた。

「自分の価値は自分で決める。誰と共に戦うのかも、な」

 シッカートはしばらくの間何も言わなかったが、すぐに、重苦しい空気を振り払うように言った。

「そうですか――非常に残念です。 気が変わったらいつでもご連絡ください。我々はいつでも、あなたをお待ちしています。お姉様と一緒に、ね」

 老紳士が言葉を終えるや否や、バタバタと複数の足音が響き、シッカートの護衛が次々と姿を現した。

「シッカート様、お怪我は――」
「無い。用は済みました。ご苦労様」

 そう言いながら刀をおさめると、アルバート・シッカートは紳士の仮面を貼り付けて、路地裏から去っていった。

(――”用は済んだ”……か)

 どうやら、たまたまシッカートのトラブルを目撃してしまったという訳ではなさそうだ。
もし、あえて人払いをした後、少年を犠牲にして自分の気を引いたというのなら――。
 ダルットは、剣に纏う稲妻を振り払った。刀身が通常の状態に戻ったことを確認して鞘におさめ、未だ地面にうずくまっている少年に駆け寄った。そっと抱き寄せ、気道を確保する。

「あんた、大丈夫か」
「……」

 少年はまだ意識がはっきりしていないようで、苦しそうに喘いだまま、質問には答えなかった。苦痛に歪むあどけない顔は、十歳位だろうか。幼い命が暴力にさらされる場面は、何度経験しても慣れそうには無い。
 ダルットは少年を抱き抱え、事務所に戻ることにした。治癒の魔法は使えないけれど、応急手当の心得ならある。

(――本当に俺を仲間に引き入れたいのなら、こんな手荒な手段は取らないはずだ。
つまりは、「お前もレッド・グラウンドに来い」と直々に言いに来たということだろう。
 悪趣味なことをしてくれる――)

 ぎりりと奥歯を噛み締めて、青年は足を早める。
 腕の中で気を失っているこどもの温もりを感じながら、腸が煮えくり返る想いだった。
 ”少年”だと思い込んでいたこどもが実は、”少女”だったことに全く気がつかない程、ダルットは怒りに震えていたのだった。
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