第3章 森

文字数 8,650文字

フィオレさん達と別れたあと、トロッコは明かりのないトンネルの中をひたすら走り続けた。人が来るのを想定していない道だからか、本当に真っ暗だった。時計も見えないので、いったい何時間、何日走り続けたのかもわからない。天国では空腹になることがないのが救いだった。
 どこかのタイミングで地上に出たとき、夜なのに外の方が眩しく感じた。気になって思わずトロッコから外を眺めようとして──フィオレさんの言葉を思い出す。途端に、すぐにまた背の低いトンネルに入った。危ないところだった。
 眠れないけど目をつぶる。トロッコの走る音が心地よい。そうやって永遠のような時間を体験していると、トロッコは長い長い上り坂に差し掛かり、突然地上に出て止まった。また夜だった。
「いち、に、さん、し・・・」
 大人しくしていると、何かを数える男性の小声が近づいていた。
「ご、ろく、なな、はち──おお!でた!君か!」
 見上げると、白服の男と目が合った。俺より少し年上?くらいの、想像していたより若い人で驚いた。この人がシルワさんか?
「このトロッコに乗って走るなんて、僕でもやったことないよ。よくご無事で」そう言って手を差し伸べてくれたので、手をつかんでトロッコから外に出る。膝が固まりすぎて痛かった。
「・・・橘です。よろしくお願いします」
 声を出すのも久しぶりで、きちんと出ない。
「僕はシルワ。身体がないとはいえ、気持ち的に疲れただろう。このトロッコ、城からここまで三日はかかるから。小瓶の処理は明日でいいから、とりあえず宿で休もう」
 それから、僕はシルワさんに連れられて、夜と木々の匂いがたつ森の中を歩いて行った。トロッコを振り返ると、何やら黄色い光がたくさん光っていて美しかったが、それについて質問する元気がなかった。見えなくなるまで、ただぼーっと明かりを見つめて歩き続けた。

********

「僕がやっている仕事は、森の中に漂う『光の霊』の世話。意味がわからないと思うけど、実際やればなんとなくわかってくるよ」
 夜が明けて陽の光が差し込んでくるころ、俺はまたシルワさんに連れられて、昨日歩いたのと同じ道をたどりトロッコの場所へ戻ってきた。トロッコに乗り続けた疲れはだいぶなくなっていて、身体が軽い。辺りの草木は朝露で濡れており、きらきらしていて美しかった。海辺でない場所も、天国は綺麗なんだなとつくづく思った。
 シルワさんは、俺が天使見習いをしている間ずっと一緒にいるわけではなく、最初の3日間しかいない。他の仕事にいかなければいけないようで、4日目から数週間は俺一人で仕事をする。めちゃくちゃ不安だった。仕事覚えないとまずい。
「朝の仕事は、ひたすらこの小瓶の蓋をあけること」
 シルワさんは、まずトロッコに山積みになっている小瓶を一つ取ると、俺に近づけて中身を見せた。小瓶は指半分の高さもなく、口はコルクで閉じられている。修学旅行のお土産でこんなの見たことあるな。
 中には、蛍の光をもっとあいまいな形にしたような、ふわふわした薄黄色の光が入っている。昨晩トロッコの中で輝いていたのはこれだろう。光はよく見ると、白い綿毛のような塊がくっついている。
「この黄色い光が、光の霊。そもそも光の霊って何かわかる?」
 俺は、天国に来た時に説明されたことを思い出した。「魂には記憶と形があって──それが薄らいで、生まれ変わる準備ができたもの、みたいなのでしたっけ」
「そうそう!魂は記憶と形が薄らいでいくにつれて『引っ越し』を求められてね、光の霊になったら、この森で暮らすことになる。ちば君もいつかこうなる」
 残酷なお告げをされた。
「俺の未来の姿・・・見たところ喋ったりはできなさそうですけど、コミュニケーションとれたり、考え事とかはできるんですか?」
「いや。できないって言われてる。あーでも、呼ぶと来るんだよなぁ。不思議だよね」
 シルワさんでも悩ましいらしい。
「植物とほぼ同じ。ちば君もいつかこうなる」
 なぜか2回言われた。
「そして、この白い綿毛が『魂の重力』。魂が『この世』にあるために必要なエネルギーだ。この魂の重力も不思議でさ、この世で身体が死んだときに先に飛び出しちゃうんだけど、持ち主の魂を覚えていてね。また巡り合うとその魂とくっついて、この世に戻ろうとする。この世に新しい身体──まぁ、胎児とかのことさ。人間とは限らないけど──が用意されていると、身体に入り込んで生まれ変わり完了!ってかんじ」
「なんか、化学っぽいかも」魂って思ったより法則ちっくなんだ。
「まだ解明されてないことも多いけどね。」
「魂の重力って、亡くなった時に先に飛び出ちゃうって言ってましたけど、勝手に天国に昇ってくるんですか?」
「そう!天国か、地獄か、どっちかに行く。有力な方に行くって言われているね」
「有力な方・・・?」
「天国行きか地獄行きか、魂は審査される。暫定天国行きだと、重力は先に天国の方に飛んで行っている。天国行きの場合だと、後から昇ってきた魂の形は、天国に入る巨大な門の前に並ばされて、一人一人簡単な質問をされる。魂の数が多すぎるから、天国の審査は『ざる』って揶揄されてるみたいだけど・・・ちば君も、審査されたよね?」
「あぁ。何か一つ懺悔しなさいって言われて──大学で映画サークルに入っていたのに、映画を一本も制作しなかったことを懺悔しました」
「大学生だったんだね・・・いい青春だ」
 いい青春だろうか?
「光の霊は森の中にいて、この魂の重力はどこにあったんですか?」
「場所は極秘みたいで僕も詳しく知らないんだけど、多分城のどっかに倉庫があるらしくって、そこで保管しているみたい。他の天使がこの世から飛んできた魂の重力を捕まえて、その倉庫に保管する。僕が光の霊を小瓶に詰めて、森から城へトロッコで送り込むから──その仕事も後でやるんだけど──城にいる側の天使が、倉庫にある重力とその持ち主の光の霊をつけ合わせて、小瓶に入れてトロッコで送り返してくる。それが、この小瓶の山」
 シルワさんは、トロッコの小瓶の山を示した。
「なんか、どの魂に生まれ変わりの準備をしたか、向こうでは記録しないといけないみたいだよ。転出手続きって言ってるけど・・・大変だね。あとは僕らが小瓶を開けて、魂を送り出す」
「その送り出しの作業、城でできそうですけどね・・・」わざわざ送り返してくるのはなぜなんだ?
「城は忙しいから森でやって、ってことらしい。まぁたしかに、魂の送り出しくらい、城で慌ただしくやられるより、こっちで落ち着いてやってあげた方が魂も嬉しいだろうね」
 それから、シルワさんはごそごそとトロッコの中の小瓶を漁ると、「あった、あった」と言って別の小瓶を持ち出した。
「これは、だめなやつ」
 だめなやつ?俺はまた小瓶を覗き見た。
 光の霊も、魂の重力も小瓶に入っているけれど──くっついてはいなかった。二つとも、分離したままふわふわ浮いている。
「重力と持ち主の魂が合っていないんだ。城側の作業ミスでこういうことがあるから、これは目印をつけて城に送り返す」
 シルワさんは、どこからかペンを出すと、小瓶にバツ印をつけてトロッコに戻した。
「このまま瓶の蓋を開けても光の霊は森に戻るだけだし、重力が行方不明になると、最悪の場合、この重力の本当の持ち主は永遠に生まれ変われなくなる。この二つがきちんとくっついているか確認して蓋を開けるのが、一番大事なポイントだね」

 小瓶の蓋を開けて魂を送り出す作業は、やってみると、案外のほほんとした作業だった。
 小瓶の中身をチェックする。
 蓋を開ける。
 くっついている光の霊と重力が一緒に浮かび上がる。
 小瓶から少し離れた辺りでふっと消える。
 この繰り返し。

 作業している間、俺とシルワさんはほとんど無言だった。集中したおかげか、トロッコ8両分はあっという間に片付いていく。
 途中、一度だけシルワさんが話しかけてきた。
「そうそう、あまりにも魂が消えていくスピードが遅いときは、この世で魂を受け取る身体が足りていない時だよ。魂がまったく消えなくなったら作業は止めて、日を改めてね」
「身体が足りないって、よくあるんですか?」
「僕が担当するようになってからは、まずないな。でも、戦争とか病であまりにもこの世の出生率が下がるとあり得るらしい」
 僕たちはこの世の様子を見ることができないけど、魂の送り出しができなくなったら、なんかやばいことがこの世に起きてるって察することができるねと、縁起でもないことにシルワさんははっはと笑った。 

 天国では食事を摂る必要はないけど、シルワさんは毎食食事を作ってくれた。
 また、寒くなくても、夜になると宿のロビーにある暖炉に火をつけるのが彼の日課らしく、シルワさんと俺は、夕食後は暖炉の火を眺めながらロビーのソファでくつろいだ。
「僕の仕事は、たまに量がえげつないけど、単純作業だからすぐ身につくよ。ちょっと休んだら、仕事をもう一つやろう。明日と明後日で作業に慣れれば、僕がいなくても大丈夫だろう」
「シルワさんって、何の仕事に出かけるんですか?」
「あー、なんかね。極秘任務って言われた」
「あ、そうなんですね・・・」それは言えないだろう。
「君には魂と重力の話をしたからわかると思うけど・・・濁して言うと、重力の持ち主が見つからない魂があるから、それを探せって話。僕が任されたのは、その任務に行く都合がつくのが僕しかいなかったからだってさ。しかも、探す当ても作戦もないから頑張れって。ひどいよねぇ」
 行きたくないなぁ、森にいたいなぁと、シルワさんはぼやいた。ソファの上で両膝を抱えている。
「森には毎晩帰ってくるんですか?」
「本当は帰りたいけど、帰ってこれないな・・・」
 彼はため息をついて、今度はソファの背もたれに頭を乗っけて目をつぶった。
「でも、見つかった後の魂の運命はどうであれ──このままだと、その重力の持ち主の魂は、いつまでも生まれ変われないからね。見つけてあげないと・・・」
 それを聞いて、偶然であれ、その任務はシルワさんが適任なんだと察した。

 夜の仕事は、朝の作業の時にシルワさんが言っていた、光の霊を城へ送り込む作業だった。これを夜やるのは「夜やる方が綺麗だから」らしい。
 俺たちは、朝空にしたトロッコの元へまた向かい、空にした小瓶たちをまた用意する。
「朝の仕事より簡単さ」
 そういうなり、シルワさんは夜の森へ向かって叫んだ。
「集合ー!」
 シルワさんの声が数回こだますると、徐々に光の霊が遠くから集まってくる。確かに、小さな黄色い光が集まってくるのは絶景だった。求人誌に書いてあったのはこれのことか。
「はい、並んで並んで」
 シルワさんが両手で並ぶようにジェスチャーすると、光の霊達はその通りに並んだ。通じているようだ。
「一つずつ来るから、小瓶に入ってもらって蓋をして、トロッコに入れる。それだけさ」
 今日は俺とシルワさんの二人いるので、光の霊達には2列になってもらった。瓶詰は小瓶がなくなるまで続け、残った光の霊達が瓶に入るのはまた別の機会になる。
 またトロッコ8両分の小瓶の山ができると、作業は終了となった。それから、実際にトロッコを発進させる機械の操作を教わり、城へ送り出した。
「トロッコはほぼ毎日来るから、この朝と夜の作業の繰り返しになるよ」

********
 
 仕事は順調、多分4日目からは一人で働けるだろうと思っていたのに──次の日の夜、俺はすっかり自信を無くした。
 朝の仕事は、今日も二人で行って終わった。夜の仕事の時、シルワさんではなく、俺が光の霊に声をかけてみた。
「集合ー!」
 俺の声が森にこだました後、光の霊が──来ない。一つも来ない。
「あー、そうか、そうなんだ」シルワさんは、大発見をしたように感嘆していた。「これは──まずいねぇ」
 光の霊は、シルワさんだから呼びかけに応えていたらしい。
 俺じゃ、だめらしい。
 心が折れた。
「悲しくて仕方ないんですけど」
「そうだねぇ、でも、あれかもよ?僕は天使で、ちば君は天使じゃないから、その違いかもよ?」なんとか慰めようとしてくれるシルワさん。
「僕もよく分からないけど、もしかしたら新顔に警戒しているだけかもしれないから、散歩に行こうか。光の霊に慣れてもらえば、呼びかけに応えてくれるかも」
 そういえば、トロッコと宿の往復しかしていなかったので、その道以外の森の道に入っていくのは新鮮だった。歩き始めたころは光の霊は見当たらなかったけれど、奥に入っていくとだんだん数を増やしていく。何回見ても蛍みたいだ。
 散歩をしているとき、俺は気になっていたことをシルワさんに聞いてみた。
「魂と重力について、気になっていたことがあって、聞いてもいいですか」
「なんだい?」
「光の霊って、魂の記憶も形もなくなって生まれ変わりの準備ができたものだって言ってましたけど・・・まだ準備できてない魂、俺みたいなのが自分の魂の重力と出会っちゃったら、どうなるんですか?」
「理論上、この世に戻るね」
「・・・・・・。」
「記憶を持ったまま、この世に戻る。でも、身体は滅びているはずだから、何か違う身体に入るだろう。魂の形が残ったままそれをやるとどうなるかは、僕も聞いたことないな・・・同じ形──人間の魂の形なら、人間の身体に入るんだろうか──わからないなぁ」
 歩いている道が上り坂になった。どこへ向かっているんだろうか。周りはいつの間にか、光の霊だらけになっていた。
「でも、前世の記憶を持ったまま、選べない身体に入って人生を歩むのは──得策じゃないね。なんだか、壊れた存在だ」
 坂のてっぺんに辿り着くと、まずは真っ黒な影のような森が下方に広がっていて、その向う側には、あの中央エリアの城が見えた。ライトアップされて、夜も美しく輝いている。それから、郊外の家々の明かり、繁華街の夜景、海辺のマンションの光──この辺りの街並みが一望できる場所だった。
「夜景の穴場なんだよねぇ、ここ。多分一人で夜に来ると迷子になるから・・・あ、でも、光の霊と仲良くなれたら助けてくれたりするのかな?」
 ふふっと、シルワさんは笑った。
 それから、シルワさんは、夜景を見つめたまま言った。
「ちば君。僕たちは、もう死んだんだ」
「・・・・・・。」
「少なくとも、橘悠一のこの世の人生は、とっくに幕を下ろした。こうやって死後も意識があると、人生の続きみたいに思えちゃうよね──でも、魂は繰り返せても、その命と存在は、やっぱり誰もが最初で最後なんだよ──せめて、壊れた存在になんてならないでほしい」
「・・・・・・。」
「光の霊になる前に、自分の重力と出会ってしまったら、全力で逃げる。あぁ、だから、重力を保管している場所は極秘なのか・・・。」
 最後はなんだかシルワさん自身が感心しているようだった。
「帰ろっか。きっと、光の霊も、もう君のことは警戒してないよ。帰って試してみよう」

 シルワさんの言う通り、もう一度トロッコの前から光の霊へ呼び掛けたところ、今度はきちんと集まってくれた。本当に安心した。もうだめかと思った。
 順調に光の霊の瓶詰を終え、トロッコを城へ送り出す。いつもより作業を終えるのが遅くなってしまったが、おかげ様で安心して休むことができそうだった。

********

 3日目は、明日からの仕事に備えて、俺一人で仕事をした。夜の仕事も夕飯前に済ませて、シルワさんとの最後の晩餐をした。しばらくおいしいご飯が食べられなくなるのは残念だな・・・自分で作れなくはないけど・・・。
「ちば君、髪の毛綺麗って言われたことある?」
 シルワさんとの最後の夜、暖炉の前で言われたのは髪の毛のことだった。
「髪の毛ですか?ない──いや、あります」
 そういえば、喜見鳥と海辺の喫茶店に行ったとき、そんなことを言われたな。
「死ぬ前は、そんなこと言われたことないですけどね。最近、言われましたけど、何かあるんですか?」
「頭に輪っか状の光沢──天使の輪ができるのが、天使になる資格を持っている証なんだ。生前から髪の毛が綺麗な人だと、元から頭に天使の輪があるのか、天使の資格を持ったのか、たまに見分けがつかないらしいよ」そう言ってシルワさんは笑った。
 頭に天使の輪──思い返せば、今まで出会った天使の人達は、確かにみんな頭に天使の輪があった。ただの髪の毛が綺麗な人達ではないらしい。シルワさんも、暖炉の光に照らされて、髪の毛に綺麗な天使の輪ができている。
「この仕事は、数週間僕の代わりになる人が見つかれば最悪よかったみたいだけど、そのまま正式な天使になれそうな君が来たから、神様も他の天使も浮足立っているんだ。久しぶりに新人君がきたってね」
「天使の資格って・・・」
 俺は、求人誌に書いてあったことを思い返した。
・魂の生まれ変わりが不要となった方には、自然と頭の上に光の輪が生まれます。
・「魂の生まれ変わりが不要となった」とは?
 「もう生まれ変わらなくても良い」と思っている心の状態です。
「俺はもう、生まれ変わらなくて良いと思ってる・・・?」
「そういうことだね。ちば君はまだまだ若いけど、充分な人生を送ったらしい。そうなのかい?」
「充分な人生・・・」そうだったのか?
「その人生に未練があっても──充分な人生を送ったって、言えるんですかね」
「未練があるの?」
 シルワさんは、にやにやしながら俺を横目にコーヒーを飲んだ。詳しく聞きたいらしい。
「・・・俺は、両親と弟がいたんですけど、両親は数年前に亡くなって」天国でこの話をするのは初めてだった。「弟と二人で暮らしていたのに、弟を残して俺も死んじまったんです」
「あー、そういう未練か」シルワさんは、何か納得したようだった。
「未練にもタイプがあるだろうけど、要は『他の人生が欲しいか、いらないか』『他の人生でやり直したいか、やり直したくないか』が天使になる資格に関わるんだ・・・ちば君の場合は、確かに他の人生をもらっても意味がないんだろうね。他の何者かになったところで、その人生に『君の弟』はいない。『ちば君』として生き返らないと意味がない」
 夢を叶えたかったけれど、叶えられずに死んでしまったから生まれ変わってリベンジしたい。幸せになりたかったけど、境遇が悪すぎて幸せになれなかったから人生をやり直したい。そういう、他の人生で消化できるかもしれない未練を抱えていると、まず天使にはなれないという。
「他の人生に価値がないと思うほど大事な人がいた。天使になる資格と、ちば君の未練は矛盾しない」
「他の天使の人達も、そうなんですか?」
「天使の資格を得るに至った理由は十人十色だけど、生前に大事な人がいたって話はよく聞くよ。満足な人生を送ったという人には、だいたい大事な人がいる。先立たれたか、残してきたかはさておきね」
「・・・・・・。」
 俺みたいに、残してきた大事な人に執着なんかせず、気持ちに折り合いをつけられた人もいるんだろうか。
「ちば君は、やっぱり天使になる資格があるよ。ところで、ちば君は天使になりたいの?」
 みんな、ちば君が天使になれるって喜んでるから、誰にも確認してもらえなかったでしょうとシルワさんは笑った。まさにその通りだ。
「天使になることもできるし、ただの髪の毛が綺麗な魂でいることもできる。天使の仕事に興味がある民はいるだろうけど、永遠に天使として働くかどうかは重大な問題だね」
「天使になりたいかは・・・まだわからないです」
「それがいい。天使はやりがいがあるから、ぼーっと天国で過ごすよりはおすすめかな。でも、目の前のやりがいのために、生まれ変わりを捨てなくてもいい。まだ無理に決めなくていいさ」
 とりあえず僕がいない間、光の霊達をよろしくねと、シルワさんはにこっと笑った。


********

 次の日の朝、シルワさんは俺に朝食だけ残して姿を消していた。極秘任務とやらに行ったのだろう。無事遂行できるといいけど・・・。
 数日間一人で仕事をして、誰とも話さない日々が続いて虚しさを覚えてきたころ、なんとなく光の霊が俺をなぐさめるように傍でふわふわ漂うようになってきた。親しまれているなら結構です。暖炉の火も毎晩つけて、夕飯も自炊して食べた。

 そんなある日、俺に運命の日がきた。
 朝の作業で、トロッコでやってきた瓶詰めされた光の霊と魂の重力の送り出しをしていると、シルワさんが言っていた、いわゆる「だめなやつ」を見つけた。光の霊と重力のセットが合っていないことはちょくちょくあるので、対処の仕方は慣れていたが──魂の重力の方の、様子がおかしい。
 小瓶の中で、魂の重力だけ俺の方向へがんがんぶつかってくる。
 なんで暴れてるんだこいつ、と思ってその綿毛のような重力を観察していると、俺の中でシルワさんから聞いた数々の話が合致した。
 これ、多分──俺の魂の重力だ。
 城側の作業ミスで、偶然俺の魂の重力が小瓶に詰められてここまでやってきた。
 俺はそこでやっと、そもそもどうして俺が天使見習いに応募し、トロッコに乗ってここまでやってきたのか、本来の目的を思い出した。
 この世に戻るために。残してきた弟のところに戻るために。
 目の前の小瓶をしばらく見つめ、しばらく見つめ──俺は、小瓶にバツ印をつけてトロッコに戻した。

 FIN



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