第1章 海

文字数 9,241文字

‎ 案内された部屋に入ってまず目に飛び込んだのは、真っ白な壁にウッド調で揃えられた上品な家具が並ぶだだっ広い部屋。塵も生活感もないところはさながらホテルの一室のようだ。今日は天気が良く(いつもそうらしいが)、真っ青な空と真っ青な海が窓の向こうで眩しく輝いている。季節はないと聞いているが、きっと春と夏の間くらいの気候なんだろうな。過ごしやすい季節が永遠と続いているようだ。
 俺をここへ連れてきた、白服の案内人は何も言わず消えていた。既にここでの過ごし方の説明は受けていたので、特に白服から言うことは何もないのだろう。旅行と違って、今の俺に荷物は何一つない。とりあえず、ベランダに出て陽の光を浴びた。
 部屋の外に出ると、穏やかな風と波音が心地よかった。横を見ると、よくリゾートなんかにあるイメージの、ほぼ寝っ転がれる長い椅子(名前は知らない)やローテーブルがあってくつろげるようになっている。なんだか、ここも俺が知っている「ベランダ」って感じじゃないんだよな。「豪華なベランダ」か「テラス」か「バルコニー」の3択だ。ふと、スマートフォンで「ベランダ テラス バルコニー 違い」で検索しようしたけど──そうだ、スマホはもうないんだ。
 スマホがないのは不便、いや、そもそもスマホがいらない世界。再び海を眺めて、やっと実感した。
 そうか、これが天国なんだな。

 部屋に戻ると、室内のテーブルの上に、ラミネートされた説明書きのようなものが置いてあるのに気づいた。もちろんホテルの館内案内ではなく、「天国」での過ごし方が説明されているものだった。既に説明された内容が書かれてる。

【天国について】
・ここは、生前に清い心を持って生き抜いた魂が来ることのできる天国です。「生まれ変わり」の時が来るまで、ごゆっくりお過ごしください。
【シーサイド・ガーデンハイツについて】
・当マンション『シーサイド・ガーデンハイツ』は、天国に来てまもない、魂の記憶と形が残っている方向けの物件です。
・別紙メニューにあるお食事をご用意することができます。ご要望の際は、部屋に備え付けの電話でご注文ください。
※なお、魂の記憶や形がなくなってきた方へは、次の物件へのお引越しをお願いしておりますので、何卒ご了承ください。
【豆知識!魂について】
・魂は「記憶」「形」「重力」でできています。
・「記憶」は、生前の記憶です。
・「形」は、魂の見かけ上の姿です。生前「人間」だった方は人間、「猫」だった方は猫の形をしています。
・「重力」は、生前の世界(いわゆる「この世」)に魂があるために必要なエネルギーです。お亡くなりになる際に、この「重力」が魂と分離することで、魂が「この世」から離れます。
・天国にお越しいただいたときに持っている、魂の「記憶」と「形」も、時が経つにつれ薄らいでいきます。
・生前の記憶がなくなり、魂の形もなくなり「光の霊」の姿になると、生まれ変わりの準備が完了します。
・魂は食事や睡眠をとる必要はありませんが、食事は娯楽として楽しむことができます。
・その他、ご不明点は下記コールセンターへお問い合わせください。【天国コールセンター:〇〇〇‐〇〇〇〇】

 天国はいいところだ。勉強もしなくていいし働かなくていい。でも、勉強したり働いたりしたいならそれもできるようだ。食事にも(ある意味)困らないし、街中にカラオケや映画館や飲食店だの「この世」と変わらないような娯楽もたくさんある。それらを利用するのにお金はいらない。
 一通り復習して、説明書きをテーブルに戻す。せっかくコールセンターがあるなら聞いてみたいことがあり、さっそく説明書の番号へかけた。
「こちら、天国コールセンターです」3コールくらいで出た声は、女性の機械音のような声だった。「お名前とご用件をおっしゃってください」
「橘悠一です。自分が死ぬ5年ほど前に両親が交通事故で亡くなったので、もしかしたら先に天国に来ているかもしれません。一度会いたいのですが、どこにいるか探すことはできますか?」
「お見込みの通り、ご両親は先に天国へお越しいただいている可能性はありますが、探す方法はございません。また、5年も経過しているとなると、恐らくご両親の生前の記憶はなく、お会いしても悠一様のことはわからない可能性が高いです。偶然再会することを止めることはできませんが、会うのはおすすめできません」
「そうですか。ありがとうございます」
 そう言って俺は電話を切った。まぁ、残念だが仕方ないか。
 それから、俺は椅子に身体をあずけると、目をつぶってため息をついた。
 天国で、楽して過ごせるのはわかった。
 でも、何を言われようと俺には、この世への「未練」がある。両親に会うより諦めきれない未練だ。
 きっと俺だけじゃない。ここに来た時に未練ってやつを持ってる人はたくさんいるんじゃないか?その人たちはいったいどう過ごしているんだ?
 どれだけ未練があってもこの世へ行く方法はない。ここは充分楽園のようだし、その未練もなんとか飲み込んで、気持ちに折り合いをつけて、生前の記憶がなくなるのを待って過ごしているのだろうか。
 俺は、そんなのは嫌だった。
 それから、俺は有り余る時間を使って、「この世」へ戻る方法を探りだした。

「ぴんぽーん、ぴんぽんぴんぽーん」
 突然、女性の声と一緒に、コンコンコンと部屋の扉がノックされる。このマンション、インターホンがないのか?
 扉を開けると、俺と同い年くらいの女子がいた。学校の制服姿だったので、たぶん年下の子だろう。
「あ!」なぜか嬉しそうに手を振ってくる。「やっほ、やっほ」
「・・・悪い、もう覚えてない」
 俺は、早速魂の記憶が薄れたことにした。この子誰だ?
「うそつけ、昨日死んだのにもう忘れてるわけないでしょ。あたしたち、同じ事件で亡くなった仲じゃない」
 俺はとりあえず彼女を部屋に入れて、椅子をすすめた。椅子は数種類あり、彼女は安楽椅子を選んだ。
「あたし、喜見鳥なぎさって言うんだ。君と隣の部屋になったよ。よろしく!」
 彼女は、ふかふかのクッションがのった安楽椅子が気に入ったようで、これでもかというくらい揺らしている。
「俺は橘悠一。喜見鳥さんは、俺のことわかるの?」
「あたしのことは呼び捨てでいいよ。そう、君のことは、顔は覚えてるんだ。橘君か、ちば君って呼んでもいい?」
 橘(たちばな)だから「ちば」君か?どこ取ってんだよ。
「まぁ、いいけど」俺も、先程座っていた椅子に座り直す。目の前のテーブルには、室内に用意されていた求人誌を広げたままだった。
「え、ちば君もしかして、もう働くつもりなの?」喜見鳥は、信じられないという顔をしている。
「いや、ここがどんな町で、どんな仕事があるのか調べるの、面白そうだなって。「この世」と違う仕事とかありそうじゃん?」
「まぁ、たしかに、天国特有の仕事ってありそうだけど・・・あたしだったら、まずはあの事件のこと悲しんだり、愚痴ったり、海とか美味しいものとか楽しんだりしたいなぁとか思ってたな。ちば君はもう、その辺は割り切ってるの?」
「・・・いや、言われてみれば割り切ってないかな・・・」
 この世に戻ることばかり考えていて、事件のことは考えないようにしていた。そういえば、もとはと言えば、ここに来たのだってあいつのせいじゃないか。腹立つぜ。
「愚痴らず、悲しみもせず、職業調べか。いいね、ちば君はいい性格をしてるんだよ」
 ふふっと喜見鳥は笑った。

 20××年冬、俺は自分が住んでいた近所の大学に入学し、1年目の冬を過ごしていた。映画を見るのが好きという理由だけで映画サークルに入り、とはいえ映画制作には携わらず、サークル員とだべって好きな映画を勧めあって感想を述べあっていた。平穏で幸せな生活をしていたと思う。5年前に両親を交通事故で亡くし、2つ下の弟と二人暮らしをしていた。両親の遺産は少しあったものの、生活費も学費も稼がないとまずい状態だったので、バイトをかけもちして暮らしていたのがハードだったかもしれない。そんななか、自分の大学で実施するセンター試験の、誘導員のバイトの求人があったので応募し、当日出勤していた。
 俺が通う大学は、名前は有名だったけれど、特別偏差値が高い大学ではない。多くの学生が今でも「現実的に」合格を狙ってくる大学だろうと思っている。当日も受験生が多くやってくるので、迷っている子や変な方向へ行こうとしている子を捌いていると、俺は突然背後から刺された。
 意味がわからなかった。あと、めちゃくちゃ痛かった。
 どうやらでっかい包丁で背中を一発刺されたらしく、説明できないほどの痛さだった。今まで骨一本負ったこともない、救急車に乗るような怪我をしたこともない人生だったのに、本当に一瞬で俺の人生は惨劇に変わった。あんまり思い出したくないな。死ぬほど痛かったというか、あれで本当に死んじまったんだ。
 倒れた俺が見たのは、黒いニット帽に黒いジャケットを着た、マスクの男。金髪が帽子の隅からのぞいていた気がする。
 そいつが、俺のことなんて放っておいて、包丁片手に悠々と去っていく。最後に聞こえたのは、そいつに気付いた周囲の人々の叫び声と雑踏。俺の意識はそこで消えた。

「あれ、ぜったい他の大学であった事件の模倣だよね!まじムカつく!!」
 喜見鳥は、電話で頼んだサイダーをあおって喚いた。彼女は俺が刺されたのを目撃し、その次に犯人に刺されてしまったらしい。彼女は、他県からはるばるやって来てセンター試験を受けに来た受験生だった。
 何恨んでんのか知らないけど、人様刺しても解決しないよばーか。人を怖がらせたりトラウマ植えつけたりすることで、生きてる実感もつタイプの変態だったのかなぁ、早く地獄に落ちればいいのに。などと、めちゃくちゃ悪態をついている。二十歳を超えていたら酒をあおっていただろう。
「テレビで「この世」のニュース見れないのかなぁ。あの犯人誰だったのかとか、捕まったのかとか、どう報じられてるのか気になるのになぁ」
 彼女は、壁に備え付けられた薄型テレビの電源を付けたが、チャンネルを回してみても天国でやっている番組やニュースしか放送されていないようだった。
 それから俺たちは、電話で頼んだ食事を食べたり飲んだりして、放送されているバラエティ番組をぼーっと見ながら、しばらくお互いのことを話した。喜見鳥は俺の顔を覚えていたが、話すのは初めてのほぼ初対面だったので、話すことは尽きなかった。天国にも朝と昼と夜が用意されているようで、いつの間にか外は真っ暗だった。
「お邪魔しちゃったね。ちば君は明日も職業調べ?」
 喜見鳥が自室に帰るとき、部屋の入口まで見送った。遠いところにある家へ帰るような雰囲気をしているけれど、隣の部屋である。
「そのつもり。あとは──天国でどんな映画がやってるのか、気になる」
「あぁ!映画好きって言ってたもんね。もし映画観に行くことがあったら、あたしも連れてってね」
 そう言って喜見鳥は、ご機嫌そうに自室に入っていった。
 俺も自室に入るために扉を閉めようとしたとき──扉のすぐ横の壁に備え付けられているボタンを発見した。いやインターホンあるんかい。

 事件のことは、正直相当嫌な思い出である。あんな死ぬような目に遭ったのは初めてだったし、生き残っていたって、恐ろしくてもう大学に通えなくなる可能性だって十分あったのだ。俺はそのことに向き合わずにいるつもりだったが、彼女があまりにもしっかり向き合い、あまりにも悪態をつくものだから──少し、心が救われた気がした。
 友達(?)もできたし、このまま天国で遊んで暮らすのも悪くないかもしれないと頭をよぎったが、はっと我に返る。俺は、この世に戻らないと。
 弟を──誠を、一人残しちまったんだ。
 犯人なんて、喜見鳥が言う通り地獄に落ちりゃあいい。でも、両親にも兄弟にも先立たれた、高校生の俺の弟は、大丈夫なんだろうか。いや、やばい気がする。
 俺がいなくても、誠はなんとか生きていくだろうし、そうするしかないんだ。それは分かっているつもりだが──俺がたとえ何もできなくても、誠のそばにいたい。あいつが幸せな大人になるのをきちんと見届けたい。それが、俺の未練だった。

********

「うーん、困った困った、こればまずい」
 城内の倉庫は暗く、持ってきたペンライトだけで「在庫」の確認をするのは難しい。しかし、わしが白昼堂々と倉庫なんかにいたら絶対怪しいし、こんな真夜中に倉庫の明かりなんてつけたら警備の者が来てしまう。はぁ、なんて惨めなんだ、わし神様なのに。
 魂の数と重力の数が合っているかなんて、あんなの生物が亡くなった時に勝手に昇ったり堕ちたりするものなんだから、数える必要なんてないだろうに。天国と地獄、どちらかに行かないならば、逆にどこに行くというんだ。それなのに魔王のやつ──
『こっちの魂の数が、重力の数より一つ足りないのだ』
『それがどういうことがわかるか?魂がひとつ、地獄から脱走している可能性がある』
『生き物が亡くなった時、まずは重力が天国と地獄の有力な方へ流れ、後からやってきた魂が裁かれてどちらの世界へ行くか確定するというのに、もしかしたら、その魂は裁かれもしないまま天国に行っているか、何かしらの方法でこの世に戻っているかもしれないのだ!』
 などと、わぁわぁ喚きおって。
『毎日毎日天国にやってくる魂とその重力、地獄と違ってめちゃくちゃ量多いんじゃよ?人間はともかく、人間以外の魂はほとんどこっちに昇ってきちゃうし、数が合っているかなんて分からないし、正直ちょっとくらいずれてたって問題ないでしょ──』
『お主は愚かか!お主のところの、のほほんとした魂の民と地獄の民では話が違うのだ!悪知恵が働く小賢しいやつなんてたくさんいる。魂の仕組みを知って裁きや罰を逃れているかもしれない。どこにいるか知らんが、悪党の魂が脱走したなら被害に遭う者も出るかもしれないんだぞ』
『えー、そんなこと言ったって、それはそっちの珍事じゃん!そっちでなんとかしてよー!』
『だから、万が一悪党の魂が天国へ紛れていたなら、被害者が出たときに責任を問われるのはお主だからな!お互いに魂の数と重力の数の監査をするぞ!日程は来週の今日だ、準備しておけよ。お主の物言いからして、普段からずぼら事務なのはばればれだが、きちんと整理して是正するのだ。わかったな!』
 そう言って、あいつは電話をがしゃんと切りおった。まったく、電話の切り方も知らないやつめ・・・。
 あーあ、そして数が合わないのぉ、何回数えても魂の数(天国の住民票の数)と重力の数(倉庫に保管された重力の在庫)が合わないのぉ。魂の方が一つ多いのぉ。
 魂の方が、重力の数より一つ多い?ということは?
『こっちの魂の数が、重力より一つ足りないのだ』
 重力の方が地獄に堕ちた魂が──暫定地獄行きの魂が、天国に来ているということか?だから一つ多いのか?
 嫌じゃのぉ、物騒じゃのぉ。うーん、困った困った。
 よし、ここまでわかったのだから、あとはしもべ達に明日数え直してもらおう。
 それより、この天国から一人の悪党をどうやって見つけたら良いのか・・・数よりそっちの方が重大じゃな。正直に魔王に話したら、ヘルプの人員くれるかのぉ。あーでも、もとはと言えば悪党の魂を逃したのは地獄の方なんだろうし、天国の人員だけで解決したら魔王に貸し一つ作れそうじゃな。天国の民の中から雇うか?探してくれる人を雇おう。レアな仕事だし、報酬もつけたら早く応募が来るかもしれない。早速求人誌に載せないとな。

「神様。事情は分かりましたが、そんな極秘任務をどうやって求人誌に載せるおつもりですか」
 次の日、自室に朝の紅茶を運びに来たクラウド君に相談すると、渋い顔をされてしまった。
「求人誌は、天国に潜む悪党にだって読まれる可能性がありますよ。悪党を捕まえたいのなら、その悪党が天国にいることを我々が把握していること自体、伏せなければなりません。雇うのではなく、身内の従者が任務にあたった方が賢明ではありませんか?」
「えー、じゃあ、例えばクラウド君がやるとか?」
「まだその方がいいかと」
「それじゃあ、側近兼、執事兼、用心棒兼、相談役は・・・」
「他の従者にやらせるか、人手が足りないなら、その業務を天国の民から雇うのはどうですか」
「さすがに、君の代わりになる人いないでしょうよ・・・」
 しかし、クラウド君の言い分は理解した。例えで言っただけだが、クラウド君がいなくなって、毎朝のおいしい紅茶がお預けになるなんてごめんだし──今日の紅茶はベルガモットの良い香りがするのぉ。誰を任務に行かせ、何の業務を誰でまかなうか、真剣に考えるか・・・。

********

 部屋に備えつけられた求人誌に一通り目を通したけど、内容はこの世とたいして変わらないようだった。時給が書いていないくらいで、あとは見慣れた職種が並べられている。天国ならではの仕事、この世へ戻るヒントが手に入りそうな職業は見当たらないか・・・。
 働かなくてもいい天国だけど、遊ぶ側がいるなら働く側もいるのは世の常だろう。休日に町で娯楽を楽しめるのは、休日に働いている人達がいるからだと、ゴールデンウィークにバイト先で連日働きながら実感した。天国で労働者は足りているのだろうか?
 
 お昼ごろ、喜見鳥が散歩に行きたいと言って部屋に誘いにきたので、一緒にでかけることにした。彼女は、今日は学生服ではなく、薄黄色の花柄のワンピースに白ニットのカーディガンという格好だったので、一瞬誰だかわからなかった。洋服は、部屋のクローゼットにあらかじめ何着か用意されているので、喜見鳥に廊下で待ってもらい、俺も適当な格好に着替えた。
 マンションを出て、海からのそよ風を感じながら海沿いの道路を歩く。天国についての情報が欲しかったので、本屋に立ち入り、この辺りの観光ガイドを買う。その本屋は、木造で通路の狭い小さな本屋で、古本屋の雰囲気を醸していたが、扱っている本は情報の新しいもののようだった。店の奥では、小さなレジの傍でお爺さんがのんびり本を読んでいる。
 天国では、お店で物を買うのにお金はいらない。それでも商品をレジに持っていき、バーコードを読んでもらう。本当はもう不必要なことだろうけど、この世の生活で「勝手に持っていく」ことに躊躇が生まれた俺たちにとっては、確かに必要な「儀式」だった。物をもらう礼儀な気もした。
 お爺さんに「儀式」をしてもらってから、観光ガイドをその辺のベンチで見ようとすると、喜見鳥に止められた。「せっかくだからカフェ行きたい!」と彼女が言うので、たまたま見つけた喫茶店に入る。
「この辺りのカフェは、だいたいオーシャンビューでいいよねー」
 テラス席に二人で座ると、喜見鳥はまぶしそうに顔の前に手をかざした。
「なんか、ちば君、髪の毛綺麗すぎて眩しいんだけど」
「そんなことある?」飲み物飲んでたら噴き出してた。男で、眩しいほど美しい髪か。
「今まで言われたことないけど。ここの天気が良すぎるんだろ」
「えー、そうかな?うらやましい・・・」
 今日も空は真っ青で、テラス席のテーブルや椅子も眩しいほど真っ白に輝いていた。天国に雨は降るんだろうか?
 俺はコーラ、喜見鳥はアイスのフルーツティーを頼み、早速先程買った観光ガイドを開く。
「なんて名前のガイドブック?」
「『天国ガイド』」
「名前ださいな」喜見鳥は容赦なくついた。「『〇るぶ』みたいなセンスのいい名前ないのか」
「まぁまぁ」『〇るぶ』の名前の由来ってなんだ?
「天国の公式ガイドっぽくていいんじゃないか」
 表紙をめくってテーブルに広げる。まず最初に、天国全体をエリア分けした、ざっくりとした地図が見開きで載っていた。その天国全体の地図は、あくまで「この辺」の全体地図のようで、地図の淵はぼやかして書かれており、それより広い範囲については省略されているようだ。
「そういえば、天国で『県』や『国』って概念あるの?」
「今のとこ、聞いたことないよな。日本語が通じる場所ってことくらい」
「あたしたち、天国の『どこ』にいるんだろ・・・」
「・・・・・・。」
 途端に頭がくらくらしてくる。
「とりあえず日本語が通じるエリア。『日本エリア』って呼ぼう」
 喜見鳥に命名された「日本エリア」は、その中を5つのエリアに分けられているようだった。俺たちがいる「海の町」の他に、「郊外」「繁華街」「森と山の町」「中央エリア」がある。やはり特段命名されていないようだ。
 中央エリアってなんだと思い、詳しく載っているページを開くと、真っ青な空の下にそびえたつ、某遊園地の城のような西洋風の城の写真がでてきた。
「ここ、あそこじゃない?最初に天国の説明受けたところ」
「あーあそこか。」
 俺たちは天国行きが確定すると、まずこの城で天国についての諸々の説明を受け、今暮らしているマンションに連れて来られた。
 この世に戻るヒント。やっぱり怪しいのはあの「城」だよな・・・。
「あの辺、いかにも行政機関が集まってる町って感じだったよね。見た目はテーマパークだったけど。建物素敵だったのに、言われるがまま連れて来られたから、ゆっくり見れてないなぁ」
 運ばれてきたフルーツティーを、夢見るように飲む喜見鳥。フルーツティーにはこれでもかというくらいカットした果物が詰め込まれており、予想以上に華やかな見た目をしていて二度見した。
「見学できるのかな」
 彼女もあの城の辺りに興味があるなら、いっそのこと足を運びたかった。本当の目的は、喜見鳥には話さない──少なくとも今はまだ。俺の狙いは、なんとなく「悪いこと」である自覚があった。
 中央エリアの建物一つ一つの詳細を確認したところ、予約なしで見学できる場所もあれば、予約が必要な場所、見学不可の場所もあった。城は見学不可か・・・でも、そばにある「資料館」が気になる。ここなら、天国についても資料が何かしらある気がした。

 喫茶店を出た後、中央エリアに行くことになったが──結局行かずに帰ることになった。
俺も喜見鳥も、この辺りを歩くのが初めてだったので、近所のスーパーだとか、目についた服屋だとか、飲食店だとか、気になった店に立ち寄りまくって一日が終わってしまった。しまいには映画館で映画を観た。    
 古いけれど名作の映画を上映していて(映画館で見られるのが逆に感銘を受けた)、字幕版の『ス〇ィング』を観た。喜見鳥は初めて見る映画だったので、見事に騙されていた。
「まぁ、予定通りじゃないけどいいよね!楽しかったし」
 そう言って俺たちは帰った。確かに、時間ならいくらでもあるような気がした。


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