第2話 謎への出発点 

文字数 2,908文字

 先刻まで高遠氏が腰かけていた椅子に座った来海さんとともに早速僕は謎の招待状の解読に着手した。
 既にご承知と思うが、この城下来海嬢こそ僕の最初の依頼人だった。彼女の持ち込んだ謎の暗号を解いて僕たちは仲良くなったのだ。高校では美術部とミステリ研究会に所属している来海さんは今では僕の有能なワトスンでありミス・レモンなのだ。え? 現在の僕たちのリアルな関係? うーん、友人以上恋人未満ってとこかな。
 さて、今回の案件は、突き詰めれば一枚の招待状から差出人の〈家〉を特定することだ。
 情報は全て(高遠さんが置いて行った)眼前の紙片の中にある。これを書いた差出人、六十数年前の女学生は、明らかに憧れの男子学生高遠氏を自宅へ招きたかった。と言うことは、正しく文章を〝読み解き〟さえすれば解決する、至ってシンプルな謎解きである。
 行にして8行、書かれた言葉に隠された〈意味〉を僕たちは丁寧に読み解いていくことにした。

 馨さま

 私の夏の夜のお茶会へ、ぜひお越しください。
 この季節だけ とくべつの通路(みち)が開きます。
 下車したら、まず△ この△は右で止まる△です。
 さあ、止まったその場所から地図に従って。
 但し、私の地図は目を閉じなければ見えません。
 見えない道案内をたよりに、
 どうぞ、いらっしゃって!
 夏の間中、私は毎夜お待ちしています。
 

「なんだかワクワクする!」
 一読するや上気した頬で来海さんが呟いた。
「これこそ〈見えない地図〉だわ! そうじゃない? 私、ウィリアム・レグランド氏の気分よ」
 なるほどね。彼女が口にしたウィリアム・レグランドはエドガー・アラン・ポーの〈黄金虫〉に登場する。髑髏が浮き上がる謎の紙片を手に入れた人物だ。
「僕は坂口安吾の〈アンゴウ〉を思い出すなぁ」
 なんてね。実際、僕と来海さんは日々こんな会話を楽しんでいるのさ。
 そういうわけで――
 ミステリマニアの二人に掛かっては招待状の謎解きはそんなに難しくはなかった。1時間も経たないうちに僕たちは招待状の解読に成功したのである。
 その夜、僕は高遠氏に連絡して、明日〝現場〟で解読した謎について説明したいと告げた。落ち合う場所は六十二年前の招待状の主が降りた駅だ。そう、そここそが出発点となる。まぁ、これは誰でもわかること。肝心なのは時間帯だ。
「では、夜の7時に」と僕は高遠氏に指定した。

 6時40分頃、高遠氏はやって来た。
 市電比治山下(ひじやました)駅。
 駅前に瀟洒な交番がある。実はここ比治山交番は美術が好きな人には広く知られている。昭和の日本を代表するアーティスト横尾忠則(よこおただのり)氏が三叉路を題材にした〈Y字路シリーズ〉の一枚にこの交番を描いているのだ。背景にキノコ雲を加えた幻想画は発表当時過激だと話題になった。平成に生まれ令和を生きる僕の目には唯々夕焼けの色が優しくて目に染みる。この歴史ある交番は六十二年前の夏の日、駆け去って行った招待状の主の女学生をきっと見ているだろうな。
「こんなに早く謎を解いていただけるとは! 感謝します」
 高遠氏は、今日はマジェンダ色のポロシャツにチノパンツ。渋いレザーのショルダーバッグを肩に掛けている。
「おや! こちらのお嬢さんは昨日の?」
 そう、僕は来海さんを帯同していた。いつもの制服ではなく紺地に白い水玉模様のワンピース姿だ。麦藁帽子がよく似合う。ルノワールと言うよりフイリップ・マーロウの探偵事務所の待合室に座っていそうな30年代風。
「紹介します。こちら城下さん。僕の優秀なる相棒です。今度の謎も一緒に解きました」
「はじめまして。城下来海と申します。あの、お邪魔だったでしょうか?」
「お邪魔だなどと、むしろありがたい。改めて御礼を言います。ご一緒していただけて何と心強いことか!」
 高遠氏は少年のような微笑を浮かべて挨拶した。
「この謎を僕に与えた人もちょうどあなたくらいの年齢でした。同年代のお嬢さんの意見は何よりの道標(みちしるべ)です」
 比治山の名が示す通りこの地域は緑濃い丘陵地だ。交番の先は緩やかな坂道が続いている。
 夏の夕暮れは遅くて7時を過ぎても周囲はまだ明るかった。
「もう暫く――完全に陽が落ちるまで待ちたいと思います」
 僕は高遠氏に言った。
「今回の謎の解明において大切なのはできるだけ招待状に書かれている〝時〟と〝場所〟――状況に合わせることなんです」
「そうですか、ならば明るいうちにこれをお見せしましょう」
 高遠氏がショルダーバッグから取り出したものはカンバス――Fサイズの1号(220×160mm)――だった。
「参考になればと思って昨夜の内に描き上げたんです」
「おお!」
「まぁ!」
 僕と来海さんは同時に声を上げた。
 これぞ、恋の力のなせる技……? 六十年以上も前の思い出と聞いていたのに微塵も色褪せない光り輝く少女がそこにいた。昨日、僕の店で買った絵具、オ-レオリン、目の覚めるような黄金の黄色が見事に効いている。
「素晴らしい絵ですね!」
 僕は心から称賛した。正直なところ少々敗北感を噛みしめながら。美大の油絵科を卒業した僕でもこんな風には描けない。上手く言えないけど、素晴らしい絵は技術ではないのだ。絵は筆ではなく心で描くもの……
「いやいや、お恥ずかしい。八十の手習いですよ。でも、お褒めいただいて嬉しいです」
 自分の絵に目をやって高遠氏は言った。
「あの日、車窓から見たその人は、まさにこうだったんですよ。さんざめく夏の陽差しの中で」
 暫くじっと見つめていた。
「昨日は言い忘れましたが。私は弁護士と言う自分の仕事に没頭しました。気づくと独身で今に至ります。それで、誤解しないでいただきたいのですが、今更、この人に会ってどうのこうのと言うのではないんです。ただ純粋に、あの日、私が解けなかった謎を解きたい。密かに恋していたこの人が私を招待してくれた夏の夜のお茶会、その場所に何としても辿(たど)り着きたい。ただそれだけなんです」
 僕たちに視線を戻す。
「この私の想いをどうかご理解ください」
 刹那、鳥肌が立った。
 老弁護士の言う夏の夜のお茶会――その時から現実には六十数年の歳月が流れている。テーブルや椅子はかたずけられ、招待状を書いた少女ももうそこにはいないだろう。だが……
 ひょっとして今回僕が依頼された仕事は、単に文面に隠された謎を解くことではなく過去と現在が交叉する隙間(あわい)、一度は閉ざされた時間の門を見つけることなのでは?
 時の入口の鍵を開けられれば、つまり、この謎を正確に解くこと(・・・・・・・)ができれば、僕たちは時を超えた夏の夜のお茶会に出席できるかも知れない――

 ハハ、いや、まさかな。今、僕の脳裏を過った妙な想いは、暮れなずむ美し過ぎる夏の夕暮れが見せた幻影に違いない。我に返るといつの間にか辺りには夜の(とばり)が降りていた。
 いよいよ解き明かした謎の説明を開始する時が来た。

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