第3話 目を閉じなければ見えません

文字数 3,262文字

 交番の門灯の下で僕は高遠氏から預かった六十二年前の招待状を広げた。
 傍らに立つ来海さんと一度頷き合ってから、いよいよ僕たちがどのように読み解いたのか、説明を始める。

  馨さま

 私の夏の夜のお茶会へ、ぜひお越しください。
 この季節だけ とくべつの通路(みち)が開きます。
 下車したら、まず△ この△は右で止まる△です。
 さあ、止まったその場所から地図に従って。
 但し、私の地図は目を閉じなければ見えません。
 見えない道案内をたよりに、
 どうぞ、いらっしゃって!
 夏の間中、私は毎夜お待ちしています。
 

「まず、この招待状の文面で、確実な言葉(コード)は〈夏〉と〈夜〉です。それらは変換する必要がありません。〈夏の夜のお茶会〉〈夏の間中〉〈毎夜〉と繰り返し出てきます」
 高遠氏は唸った。
「うーむ、確かにそうですね」
「では。次に△」
「ええ、その△にはひどく頭を痛めましたよ」
 大真面目に腕を組む元弁護士に僕は笑顔を向ける。
「高遠さんは考え過ぎたんだと思います。そのまま声に出して読んでみてください」
「△をそのまま? 声に出して?」
 元弁護士は素直に従った。
「さんかく」
「そう、〈さんかく〉。それでですね、普通の文章ならここは字が記されるはずだと考えてみてください。〈さんかく〉を〈三画〉の字と僕らは推理したんです」
 来海さんが歌うように復唱する。
「〈この三画は右で止まる三画です〉……」
「ね? つまり、書き順の最後の止めが右で終わる三画の漢字を捜せばいいんです。三画の漢字はさほど多くない。しかも道案内の文章だからズバリ〈上〉で、どうです?」
「あ、なるほど! 確かに右で終わる――」
 高遠氏は宙に〈上〉の字をなぞりながら頷いた。
「電車を降りたここから道を〈上〉へ。あるいは〈(のぼ)〉る。では、僕らも実践してみようではありませんか」
 三人は交番から続く坂道をゆっくりと上って行った。すぐに左手に多門院が見えて来る。境内に頼山陽一族の墓所がある由緒ある寺院だ。またここには原爆投下で焼け焦げた鐘楼が現存する。更に進むと現代美術館や公立では日本初のまんが専門図書館へ至る道と交差するが、僕たちは兎に角、道なりに進んだ。
 桜の名所の比治山公園へも瀬戸内海が一望できる展望台へも僕らは寄り道をしなかった。唯黙々と歩いて行った。頭上の梢が風にそよぎ、その隙間から星たちが僕らを見ていた。
 上り切った場所、これより先は下り道という処で足を止める。いよいよここからだ。招待状にもそう書いてある。

   さあ、止まったその場所から地図に従って。
   但し、私の地図は目を閉じなければ見えません。

「僕と来海さんが最も注目したのは次の行に記された〈目を閉じなければ見えません〉です。それについて僕たちは推理したんです。〝目を閉じる〟と言うことは、視覚を排除して神経を集中すること、感覚を研ぎ澄ませることではないか? つまり、視覚以外の感性なんですよ。それは何だろう?」
 高遠氏が瞬きする。
「視覚以外の……感覚……」
「聴力、音、この場合は音楽では?」
 僕はズバリと言った。
「ここで耳を澄ませて聞こえる音楽こそ〈見えない道案内〉だと招待主は言っているんです」
「なんと!」
 老弁護士はくぐもった感嘆の声を上げた。僕は続ける。
「彼女の自宅はこの近辺にあったのでしょう」
 確かに。緑の木々に塞がれていた丘の道は緩やかに下って、その先に何軒か民家の灯が見えている。
「この場所で目を閉じて耳を澄ませると聞こえて来る音楽。その方向へ進めという意味ではないかと僕と来海さんは読み取りました」
「あの、きっとその女学生さんはピアノとかフルート――楽器を演奏できたのではないでしょうか?」
 夏の夜の坂道に来海さんの澄んだ声が響く。こちらもまた音楽のように僕には聞こえた。
「あるいはレコードだったかもしれません」
 CDなどと言わないところがミステリ愛好家のJKならではだ。六十二年前にCDは無いが日本中の家庭にステレオは普及していた。最後は僕が締め括った。
「招待状を書いたその人は夏休みの間中、毎夜音楽を響かせていたのです。見えない道標として。QED:以上で証明終了です」
「そうだったのか! あの日、私がここに立てば――そして目を閉じ耳を澄ませていたなら、私は彼女の夜のお茶会へ出席することが出来たのか!」
 パシッと元弁護士は両手を打ち鳴らした。
「そんな簡単なことだったのか! 部屋の中で謎が解けなくてウンウン唸っていないで――ともかく、この場に立てば良かったんだ! 私にその気概さえあれば全ては解決したんですね?」
 それは僕には答えられない。代わりに言った。
「これをお返しします。大切なものを貸してくださってありがとうございました」
 僕が返却した水色の封筒を受け取る。
「彼女が失望したのがわかります。私のことを勇気のない男と思ったことでしょう。それに――謎解きは出来なくても夏の間に、いや夏が過ぎたって、せめてその人の名前を調べることぐらいできた。彼女の制服から高校を推測し、それがわかれば同じ高校へ通ってる私の友人だっていたはずだからその伝手(つて)で探し出せたろう。現に彼女の方は僕の名前をちゃんと知っていたのだから。ほら、彼女がくれた招待状にははっきりと私の名が書かれているじゃないか!」
 目を伏せて思い出の招待状を優しく撫でながら高遠氏はもう一度繰り返した。
「彼女は招待状にはっきりと私の名を書いてくれた!」
 ここまで言って元弁護士は大きく息を吐いた。僕らの方を振り返る。
「いや、謎を解いていただいて、この結末を(なじ)っているのではないですよ。あの日の自分に少々呆れて……叱ってやったんです。18歳の私は全く愚かで行動力の無い不甲斐ない奴ですね」
 高遠氏は握手の手を差し伸べた。その顔は晴れ晴れとしていた。
「ありがとうございました! これでスッキリしました。明日からは心置きなく趣味の絵を描きまくりますよ。ところで、どうですか? よろしかったら御礼に夕食を奢らせてください。これから皆でレストランにでも寄って――」
 僕は無反応だった。高遠氏の申し出に返事もせず棒のように突っ立っていた。来海さんが訝し気に顔を覗き込む。
「新さん?」
「今、高遠さんが言った言葉……」
 僕は掠れた声で呟いた。
「名前――」
 それだ! なんてこった! 僕は見落としていた! こんな重要な情報を……!
「高遠さん、もう一度、招待状を見せていただけませんか?」
「え? ああ、いいとも」
 握手の手を引っ込めて反対の手に握りしめていた水色の封書を差し出す高遠氏。今一度、中の紙面を検めて僕は叫んだ。
「やっぱりそうか! クソッ、これだけの文章――たった8行の中でこれほど決定的な情報を見逃すとは!」
 謎解き専門を銘打つ画材屋探偵としては大失態である。
「どうしたの、新さん? 何か見落としていた部分があった? 新しい鍵を見つけたの?」
 小首を傾げる来海さんに僕はピシリと一行目を指差した。
「これだ、答えはここだった――」
 来海さんは僕の指が指す部分を声に出して読み上げた。
馨さんへ(・・・・)
「そう、馨……かおる…… 聴覚じゃない、嗅覚だ!」
 女学生は意図的に書いて暗示した。〈馨〉と。いや、そもそも、好きな人の名に引っ掛けて謎を作ったのだ! そうではないのか、六十二年前の君?
 思わず、僕たち三人はそれをやってみた。
 目を閉じ、息を吸う。鼻孔に満ちる(かぐわ)しい香り……
 季節は7月。夏の初めの濃密な闇の中、漂ってくるもの……
 信じられないことに、はっきりと僕たちはその香りを嗅いだ。
 時間の門が開いた? 今この瞬間、僕たちは〈時空〉を突き抜けたのだろうか? 
 ほら、確かに、甘い香りがする――
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