第6話
文字数 1,939文字
そして、今になって思うことは、紗久良ちゃんや澄美玲ちゃんがやめた年齢と同時期に、母が私にバレエをやめさせたのは、それ以上続ければ発表会での衣装を自前で用意しなければならないという計算があったからではないかと思えてしまいます。逆に彼女たち以外にその当てがあったなら、強制的にやめさせたりはしなかったかも知れません。
よく考えてみれば、おかしな話です。お金を出しているのは祖母で、それは私のお稽古の為の費用、なのにそれを一円たりとも支払わずに済ませ、当初のお金はまるまる着服。本来の目的でその費用が使われるとなると、お稽古自体をやめさせてまでも支出をストップする。
元々他人(祖母)のお金であり、一貫して自分は一円も払っていないのに、極力お金を出させまいとするのは、その時点で着服出来なくても、やがて父に入るであろう祖父母亡き後の遺産が減ることを、阻止しようとでも思っていたのかと勘繰りたくなるくらい、お金に対する執着心は異常でした。
そうまでして出費を嫌うのに、発表会や表彰式などで私が受賞・称賛されると、そのときばかり『母親』という立場で表舞台に出て来ます。お金も時間も労力も使わないけれど、名誉や称賛は自分のものにしたいという、まさに美味しいとこ取り。
でも、普段誰がお世話をしているのかを、人様はちゃんと見ているものですから、自分が浮いているのを気づいているのかいないのか、有頂天になっている母に対して、子供の私から見ても世間はクールでした。
とまあ、ここまでなら、子供の頃の習い事のでの、ちょっと切ない想い出、というお話しですが、これだけでは終わらず、その後私は、さらなる悲劇に見舞われることになるのです。
バレエをしていた人にとって、トゥシューズを履けることは、大きな勲章のようなものです。まだこのシューズでレッスンを始めたばかりで、ポワントでポーズを取るのがやっとというレベル。それでもバレエシューズのときとは全然違う鏡に映る自分の姿は、何物にも代えがたい喜びでした。
やめた後も、まだ真新しいシューズを自分の部屋の壁に飾って、時々こっそり履いてはポーズをとったり、簡単なステップを踏んでみたり、何でもサクサク出来る子ではなかった分だけ、私にとっては何よりの宝物であり、プライドでした。
ところが、ある日、学校から帰ると、私の目に飛び込んできたのは、足に包帯をぐるぐる巻きにされ、リビングのソファーに踏ん反り返るゆりと、帰って来た私の顔を見るなり、怒り心頭といった表情で、開口一番、私を怒鳴りつける母。
「あんたがあんなものをずっと置いとくから!!! もう、本当に腹が立つ!!! 大体、あんたのせいでこうなったんだから、ゆりの面倒は看なさいよ!!!」
いきなり罵声を浴びせられ、初めは意味が分からなかったのですが、ヒステリックに叫びまくる母の言葉を繋ぎ合わせ、ようやく状況を整理して分かったことは、私の部屋に掛けてあったトウシューズをゆりが勝手に履き、踊って(ゴリラ踊り?)いたところ足を捻挫してしまい、病院で手当てを受けたということらしいのです。
捻挫自体は大したことはなかったのですが、念のため一週間ほどの通院と安静が必要ということでした。母が怒っていたのは、ゆりが怪我をしたこともですが、それよりもむしろ、ただでさえ手の掛かる(主に性格的な部分で)ゆりをお世話をしなければいけないからでした。
そもそも、こんなことになったのは、祖母がバレエなんか習わせたからだ、とか、もうよく分からない八つ当たり三昧。
この発言には、これまでの経緯もあることから、さすがに普段温和な祖母もキレまして、珍しく言い返しました。
「じゃあ、こちらも言わせて貰いますけど、そもそもゆりちゃんがそんな子になったのは、母親として、どういう躾や教育をしてきたのかっていうことになるでしょう?」
すると、母も言い返します。
「ゆりはまだ小さいんだから、仕方ないでしょ!」
「それは違うでしょう? こうめちゃんにも、ゆりちゃんと同い年だったときがあるけれど、そんなことはなかったし、ゆりちゃんと同い年の子たちが、皆そうかっていったら違うでしょ?」
「でもそれは、いつも面倒看てるおばあちゃんの責任じゃないの!? 全部私だけが悪いって言いたいの!?」
「そうやって誰かに責任転嫁しても、親の責任というものもあるでしょ? それに一番可哀想なのは、きちんと躾をされていない子供なのよ?」
「もういいです!! どうせ全部私が悪いんでしょ!?」
そう言うと、それ以上は聞く耳持たないといった態度で、乱暴にドアを閉めて母は部屋を出て行きました。部屋に残された私と祖母は、目を合わせて思わず苦笑い。
よく考えてみれば、おかしな話です。お金を出しているのは祖母で、それは私のお稽古の為の費用、なのにそれを一円たりとも支払わずに済ませ、当初のお金はまるまる着服。本来の目的でその費用が使われるとなると、お稽古自体をやめさせてまでも支出をストップする。
元々他人(祖母)のお金であり、一貫して自分は一円も払っていないのに、極力お金を出させまいとするのは、その時点で着服出来なくても、やがて父に入るであろう祖父母亡き後の遺産が減ることを、阻止しようとでも思っていたのかと勘繰りたくなるくらい、お金に対する執着心は異常でした。
そうまでして出費を嫌うのに、発表会や表彰式などで私が受賞・称賛されると、そのときばかり『母親』という立場で表舞台に出て来ます。お金も時間も労力も使わないけれど、名誉や称賛は自分のものにしたいという、まさに美味しいとこ取り。
でも、普段誰がお世話をしているのかを、人様はちゃんと見ているものですから、自分が浮いているのを気づいているのかいないのか、有頂天になっている母に対して、子供の私から見ても世間はクールでした。
とまあ、ここまでなら、子供の頃の習い事のでの、ちょっと切ない想い出、というお話しですが、これだけでは終わらず、その後私は、さらなる悲劇に見舞われることになるのです。
バレエをしていた人にとって、トゥシューズを履けることは、大きな勲章のようなものです。まだこのシューズでレッスンを始めたばかりで、ポワントでポーズを取るのがやっとというレベル。それでもバレエシューズのときとは全然違う鏡に映る自分の姿は、何物にも代えがたい喜びでした。
やめた後も、まだ真新しいシューズを自分の部屋の壁に飾って、時々こっそり履いてはポーズをとったり、簡単なステップを踏んでみたり、何でもサクサク出来る子ではなかった分だけ、私にとっては何よりの宝物であり、プライドでした。
ところが、ある日、学校から帰ると、私の目に飛び込んできたのは、足に包帯をぐるぐる巻きにされ、リビングのソファーに踏ん反り返るゆりと、帰って来た私の顔を見るなり、怒り心頭といった表情で、開口一番、私を怒鳴りつける母。
「あんたがあんなものをずっと置いとくから!!! もう、本当に腹が立つ!!! 大体、あんたのせいでこうなったんだから、ゆりの面倒は看なさいよ!!!」
いきなり罵声を浴びせられ、初めは意味が分からなかったのですが、ヒステリックに叫びまくる母の言葉を繋ぎ合わせ、ようやく状況を整理して分かったことは、私の部屋に掛けてあったトウシューズをゆりが勝手に履き、踊って(ゴリラ踊り?)いたところ足を捻挫してしまい、病院で手当てを受けたということらしいのです。
捻挫自体は大したことはなかったのですが、念のため一週間ほどの通院と安静が必要ということでした。母が怒っていたのは、ゆりが怪我をしたこともですが、それよりもむしろ、ただでさえ手の掛かる(主に性格的な部分で)ゆりをお世話をしなければいけないからでした。
そもそも、こんなことになったのは、祖母がバレエなんか習わせたからだ、とか、もうよく分からない八つ当たり三昧。
この発言には、これまでの経緯もあることから、さすがに普段温和な祖母もキレまして、珍しく言い返しました。
「じゃあ、こちらも言わせて貰いますけど、そもそもゆりちゃんがそんな子になったのは、母親として、どういう躾や教育をしてきたのかっていうことになるでしょう?」
すると、母も言い返します。
「ゆりはまだ小さいんだから、仕方ないでしょ!」
「それは違うでしょう? こうめちゃんにも、ゆりちゃんと同い年だったときがあるけれど、そんなことはなかったし、ゆりちゃんと同い年の子たちが、皆そうかっていったら違うでしょ?」
「でもそれは、いつも面倒看てるおばあちゃんの責任じゃないの!? 全部私だけが悪いって言いたいの!?」
「そうやって誰かに責任転嫁しても、親の責任というものもあるでしょ? それに一番可哀想なのは、きちんと躾をされていない子供なのよ?」
「もういいです!! どうせ全部私が悪いんでしょ!?」
そう言うと、それ以上は聞く耳持たないといった態度で、乱暴にドアを閉めて母は部屋を出て行きました。部屋に残された私と祖母は、目を合わせて思わず苦笑い。