第15話 ティファニーで飲茶を

文字数 1,831文字

 玉花と阿強が駆け落ちした話を後で聞いた暁子はちょっと肩をすくめただけだった。
多分、予想していたのね。
間も無く、空っぽだった部屋に、カーテンやら壁紙やらベッドやら新しい物を運び込んできたの。
「でも暁子、カーテンやドレッサーなんかはいいけれど・・・。ママのあのきれいなルビーや大哥の腕時計を持って行かれたのは私、とても惜しいの」
「大丈夫よ。あんたのママは物に執着しないし。大哥は、鳳とあんたが無事ならいいのよ。・・・それに、別にルビーが一番高いわけじゃないわ」
暁子は勝手知ったる様子でママの部屋のドレッサーから大きなブローチを持ってきた。
きらきらした大きな宝石のついた指輪やネックレスを好むママが、隅っこの方に追いやっていたカメオのブローチ。
「お月様以外で、この家にあるもので一番価値のあるものはこれよ」
小皿ほどもあるマリア様と天使ガブリエル、聖書の受胎告知のシーンが精密に彫られた美しいカメオ。
ぐるりと真珠で飾られていた。
「これで大夜総会(クラブ)上物(うわもの)が買えるくらいの価値がある。困ったら売ればいいわよ」
私はびっくり。
確かに美しいけれど、ママのルビーやエメラルドや、大哥の金時計やダイヤのカフスの方がどうみても高いと思っていたから。
「鳳に持たせとくと、また盗まれそうね。お月様が持ってたらいいわ」
「ええ?!だめよ!」
とんでもない話だ。
ところが、ママがそれは名案だわ、とにこにこして賛成してしまったの。
「なんで気づかなかったのかしら。そうね、お月様にあげればよかったんだわ」
「ママ!こんな高いもの、無くしたら大変だわ!」
「大丈夫よ。本当にアンタのものなら、失くしても戻ってくるわ。・・・だからそれ失くならないでしょ?」
暁子は、私の指に光るダイヤを示した。
そうでした。いつの間にかぴったりと中指に納まるようになったそのダイヤは私から離れたことがなかった。
一度だけ子供の時にまだ指が細くて、するりと抜けてしまったことがあったの。
どこで落としたのやら全く見当がつかない。
私は悲しくて泣きそうな日々だったの。
でもママがいい機会だから試してみたら?もうちょっと待ってて、と言ったの。
そうしてね、それはすぐに帰ってきたのよ。
この香港でよ?ありえないでしょう。
しかもね、私がママの娘でまだ子供だったと知った拾い主が、小さな落とし主は心配しているだろうからって箱入りのチョコレートまでつけてくれて届けてくれたの。
ママは、ほらね、それはもう貴女のものなんだわ、と、とっても嬉しそうだった。
ママは興味あり気に暁子の持ってきた壁紙や調度品を見ていた。
「暁子、今度は壁紙はどうするの?」
「これ。グリーンにするわ」
「グリーン!いいわね!今度は鳥と葉っぱの模様なのね。かわいいわねぇ」
雛菊(デイジー)の壁紙も剥がされてしまったから、随分大掛かりの改装になるようだった。
暁子が持ってきたのは、フランス製のペールグリーンに白い鳩とローリエの柄の壁紙。
「これでいい?」
暁子が広げて私に見せた。
「とってもすてき」
ならいいわね、と暁子はあれこれ点検を始めて。
大哥もやってきて壁紙を見て満足そうだった。
「暁子、前言ってた指輪を探して来てくれよ」
玉花が持ち去ってしまった、ママのルビーの指輪の代わりのことだろうかと思った。
さすがに大哥だって自分にも少なからず責任があると反省しているのかもしれないと私は思ったの。
でも違った。
「お月様、どんなのがいいの?」
「え?」
なぜママではなく私に聞くのだろう。
「だって、あなたの結婚指輪だもの。自分が気に入ったのにしなさいよ。ほら、今は映画のおかげでティファニー、あれが人気よ」
私はびっくり仰天。
私と大哥の甥っ子の縁談話は、数年前から何度か出た話ではあったけれど、立ち消えになったのだろうと思っていたから。
彼は結局、医学部を卒業してお医者になりましたしね。
ママと大哥はにこにことして話をしていた。
「そうね、あれはステキな映画だったわ」
「音楽も良かった。よし、週末は、ティファニーのダイヤを取り寄せる算段をしながら飲茶にしよう」
「私、中環(セントラル)士丹利街(シタレーストリート)陸羽茶室(ルックユーティーハウス)がいいわ」
「暁子は陸羽茶室(ルックユーチャーサッ)鮮蝦荷葉飯(海老入り蓮の葉包みご飯)が大好きだものねえ」
週末、陸羽茶室では、テーブルいっぱいに、点心が並んだの。
鮮蝦荷葉飯(海老入り蓮の葉包みご飯)笋尖鮮蝦餃(筍の海老蒸餃子)咕嚕肉(パイナップル入り酢豚)黒芝麻奶糕(黒胡麻スチームケーキ)西米局布旬(タピオカプディング)蔴蓉香蕉糍(バナナペースト入り揚餅)
ママと大哥と暁子の話題は、ティファニーのダイヤの結婚指輪や、映画で見た同じデザインのネックレスを取り寄せる事。
でも私はすっかり置いてけぼりの気分でした。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み