第2話

文字数 2,699文字

 六年生になると、クラスのみんなは二つの人間に明確に分けられる。中学受験をする人と、中学受験をしない人だ。
 もちろん、中学受験をする人としない人、ごちゃまぜでクラスは構成されているわけだから、クラス内のグループだって中学受験する人だけのグループと、しない人だけのグループと綺麗に分けられるわけではない。現に、美緒ちゃんは中学受験しないようだけど、美緒ちゃんと一番仲良しの紗里ちゃんは中学受験するらしい。将暉くんは受験しないようだが、将暉くんにいつもくっついて歩いている玲央は受験するらしく、祥太朗は受験する予定だったけどやめたという噂だ。わたし、奈央、優奈の三人グループもわたしだけ中学受験する……はずだった。
 放課後、家に帰って塾の準備をしながらわたしはため息をついた。
 塾に行きたくない。
 昨日、入塾試験を受けた直後は、あんなにわくわくしていたのに……。
 塾のテキストやノートをいつも異常に重く感じながら、わたしはゆっくりとリュックに塾で使うものを入れていった。
 わたしには五歳離れた、今高校二年生のお姉ちゃんがいる。お姉ちゃんは中学受験をして見事第一志望だった私立中に合格して、今もその学校で青春を謳歌している。わたしもお姉ちゃんと同じ中学校に入りたくて、ずっと中学受験がしたい、だから塾に行きたいと両親に訴えてきた。最近はだいたいどこの子も四年生から塾に入る。でも、どちらも教師をしている両親が決める我が家の教育方針では、塾に入るのは六年生からだと決まっていた。六年生までは自宅学習で頑張って、六年生になったら初めて入塾試験を受ける。入塾試験に合格できたら、やっとそこで中学受験の許可がおりるのだ。両親いわく、本当に中学受験の勉強に耐えられるのかどうか、しっかり見極めてからじゃないと、塾代がもったいないのだとか。これまで、今すぐ塾に通いたい、みんな通っている、といくら両親に訴えても、受験したいなら今はお家で勉強を頑張りなさいと、ずっと言われ続けてきた。だから、わたしはみんなが次々と塾に行くようになる姿を見て、焦る気持ちを抑えながら、時にはお姉ちゃんに勉強を教わったりして、家で地道に勉強していた。
 そして昨日の日曜日。ついにお母さんとお姉ちゃんが通っていた塾に足を運び、入塾試験を受けて、無事、わたしは合格したのだった。
 だから、今日から平日三日は塾通い。夢にまで見た、塾通いなのに……。
 こんなに気が重くなるなんて、思ってもみなかった。
 ずっしりと重い塾のリュックを背負って、リビングに行くと、今日は部活がないお姉ちゃんがソファでゆったりと本を読みながらクッキーを食べていた。ソファーテーブルにはマグカップが置かれており、アールグレーの良い香りが部屋中にたちこめている。
 我が家は共働きなので、夕方のこの時間帯はまだ誰も帰ってきていないのだ。わたしが塾の支度をしてリビングに来たのを見て、お姉ちゃんは本から顔を上げてニヤッと笑った。
「いよいよだね。どうですか、塾のカバンは」
「……重たい」
「冬になったらもっと重たくなるよ〜。あ、今日はあんたのお迎え、わたしがいくから。塾が終わったら駅の本屋さんで待ってて」
 黙ってうなずくわたしを見て、お姉ちゃんは首をかしげた。
「なに? どうしたの。めずらしく緊張でもしてんの?」
「いや……ううん。大丈夫……」
「そう? まあ、平気だよ。はじめは授業が難しくてわけわからないかもしれないけど。すぐみんなに追いつくようになるよ。まあ、あまりにもドキドキするようなら、うまくいきますようにって神さまにでも頼むんだな」
「かみさまぁ?」
 もう高校二年生なのに、お姉ちゃんはときどきこういった子どもっぽいことを言う。読む本も子どもっぽい童話やファンタジーが多いし、美術部で描く絵も不思議な世界観のものが多い。なんだか変な人なのだ。
「そ、神さま。この街のシンボルツリーってなんだか知ってる?」
「シンボルツリー? そんなのあるの?」
「ええ? あんた生まれたときからこの街にいるのに知らないの? ミモザよ、ミモザ」
「ミモザ……。どんな木だっけ?」
 わたしの答えに、お姉ちゃんは呆れたような顔をして、ちょうど読んでいた本を開いてみせてくれた。お姉ちゃんが読んでいた本は、花や木の妖精がたくさん描かれているもので、開かれているページにはバラ色のふっくらした頬と豊かな金色の巻毛をもった黄色い妖精と、ふわふわとした綿毛のような小さな黄色い花をたくさんつけている木があった。
「この黄色い花をつけている木がミモザ。駅前を歩いたとき、マンホールがあったらよく見てごらん。ミモザが描かれてるから。この街には昔、大きなミモザの木があったんだって。春になったらそりゃあもう、黄色い花がいっぱいついて、わっさわっさついて、綺麗だったんだけど……駅周りを開発したときに切っちゃったらしいよ」
「そうなの? 知らなかった」
「そうなんだってさ。だからこの街のシンボルツリーはミモザなの。でね、この本によると、木や花には妖精が宿ってるんだって。木や花に妖精が宿るなら、古い大木には神さまでも住んでそうだと思わない? この街にそれだけ大きいミモザの木があったなら、きっとミモザの神さまが宿ってたんだろうなって思うのよ」
「……でも、切っちゃったんだから、もういないんじゃないの」
「ばっかねえ、あんた。ずっと自分が住んでいた街から、住むところだけなくなったらどうする? 新しいお家に引っ越すだけで、街からはでていかないでしょ」
「そうかなあ?」
 お家を壊されちゃったのが嫌で、街ごと嫌いになって出ていっちゃうってこともありえるんじゃん。
 わたしが不服そうに口をとがらして首をかしげると、お姉ちゃんはとにかく! と、ばんっと本を閉じた。
「きっとこの街にはミモザの神さまがいるの。せっかくミモザがあった駅の方にいくわけだし、なんか困ったことがあったらミモザの神さまにでもお願いしな。どうにかしてください〜って。ほら、もう出ないと、授業間に合わなくなるよ!」
「ぅえ⁉ うわ、ほんとうだ!」
 はじめての授業なのに遅刻、なんてことはどうしても避けたい。
 わたしは慌ててカバンに連絡用に持たされた携帯電話と、鍵を入れて、玄関から飛び出した。
「神さまにお願いするときは、ちゃんと自分の名前も言うんだよ〜。できれば住所も! じゃないと、神さまはどこの誰からのお願いか、わからなくなるらしいからね!」
 お姉ちゃんのそんなどうでも良い助言を片耳で聞きながら、わたしはいってきまーす!と声を張り上げて、塾に向かって走り出した。
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