二日目(2)/幕間『重たい剣』

文字数 6,843文字

 ……――喧騒に包まれていた。
 エングルスでは滅多に聞かない喧騒である。
 同じ国なのに、異世界みたいだった。
 人の往来が激しいのだ。
 右も左も見渡す限りの人人。
 誰も彼も我が物顔で公道を歩いている。
 規律は無い。
 まとまりもない。
 厭に密度が高いのだ、此処は。
 ぼんやりしていると簡単に逸れてしまうだろう。
 ちゃんと手でも握っていなければ――誰と?
「おい、ノート!」
 上から声が降ってきた。
 聞き馴染みのある男の声だ。
 しかし、最近に聞いたモノよりも幾分か若かった。
 ずんと重力任せに男の視線が落ちた。
 線も眉も太い面である。
 いつか誰かが、猿みたいだと彼に言っていた。
 また、子供はお前に似なくて良かったな、とも。
 ……親父だ。若かりし頃の彼だ。

 なるほど、と。

 僕はそこでようやく、夢の中に居るのだと気が付いた。
「大丈夫か? 人に中てられたか?」
 彼の目は気遣わしげに動くため、どこか頼りない。
 母は、それこそが彼の良い所だと言っていた。
 子供の僕には、何故だか分からなかった。
「日陰でちょっと休むか?」
 立ち上がると、彼は周囲をきょろきょろと見回して、何かを見つけたのか、何の合図も無く勝手に歩き始めた。強引に僕の腕が引っ張られる――思えば、この男は、昔からそう云うところがあった。足並みをそろえるのが苦手なのだ。
「いやあ、それにしても、王都は人が凄いな」
 僕も彼も、エングルスを離れるのは、これが人生で初めての経験だった。
 それだもの、身の振り方や歩き方については皆目見当もつかないのだった。
 ――人だかりに流されていると、不意に冷たい風に頬を叩かれた。
 大通りから外れて、路地に入ったらしい。
 路地は大通りと打って変わって活気がない。その所為か、雪も積もっていた。
 華やかな劇場の裏側を見たような気分だった。
「これは……このまま進んで良いのか?」
 男は誰にともなく尋ねておきながら、足を止める気は無いようで、恐る恐るという風に路地を進んだ。彼は、ヘンなところで不思議な勇気を発揮する男だった。悪く云えば、鈍感なのだ。
「しかし、お前の身体に見合う剣と云うのは、中々見つからないもんだな」
 それはそうだろう。どれだけ治安が乱れていたとしても、十歳やそこらの子供が振るうことを前提に設計される武器など存在するはずもない――否、それ以前に、存在してはならないのだ。そんなことは考えるまでもなく分かりそうなものだけれど、熱に浮かされている男には分からないようだった。
「流石に王都まで来れば、一つくらい有るだろうと踏んだんだけどな……、貴族の坊ちゃんが扱うような玩具紛いはそこそこ見つかるが、どれも高いんだもんな」
 情けない声を出す男の懐には、一枚の金貨がある。それも、穴の無い金貨だ。去年の今頃から、酒を控えてコツコツと貯めていた男の小遣いであるらしい。母さんには内緒だ、などと抜かして、子供に剣を買い与えようと云うのだ。
 十歳になる御祝。
「……こんなことなら、大人しく辺境伯様に剣を見繕ってもらえばよかったなあ」
 路地を抜け、再び似たような大通りに入り、人の大群に包まれた彼は、辟易と顔を歪めて見せた。多分、一週間前のことを言っているのだ。一週間前、息子の誕生日プレゼントを買うため、生まれてから一度も飛び出したことの無いであろうエングルスを出で、ウルメティアラへ向かうと宣言したあの日――男にしては空前絶後の勇気を振り絞ったであろうあの日、宣言を聞いた母の友人からは難色を示されていた。
 王都は複雑だから、土地勘のない人が行っても仕方ないわよ。
 剣ならウチの旦那が面倒見ますから。
 そう直截的に忠告を受けたのだが、鈍感な彼には、注意(アドバイス)程度のニュアンスとして伝わったらしく、こうして一週間が経ったこの日、蛮勇は迷子の体を成していた。当然の結果と云えば当然の結果なのだけれど――なかば強引に連れられて来た僕は、それでも、それなりにはしゃいでいた。生まれて初めての親子二人旅だったから、この程度のアクシデントなど苦でも無かったのだ――と思う。
「この通は武器商人の店が多いみたいだが、どうもなあ……、さっきの通の店とは別のベクトルで敷居がたけえ」
 慥かに男の言う通り、迷い込んだ通は先の通よりも幾分、趣が異なるようだった。価格帯だけで云えば、随分と手頃になっているのだが、一方でその客層が芳しくない。見るからにイリーガルな者こそ居ないものの、堅気の顔はしていないように思えた。少なくとも、親子連れが割って入れるような店は見当たらない。
 しかしこの男、妙な勇気ばかりはいっちょ前である――敷居がたけえだの、遠慮したいだのと宣いながらも、難なく人だかりに割って入っていった。もっとも、大概の店は相手をしてくれなかった。物色すら許してもらえず、にべもなく去れと言われ、仕方が無いのでその隣。けれどまたもや去れと言われるのでまた隣。さらに隣。もう一つ隣。隣、隣、隣――経てして辿り着いた、あるいは追いやられた、通の終着点に鎮座した露店は、厭に古ぼけた感じのする店主が経営していた。掛けられた眼鏡の右レンズにだけびっしりと罅が生えていたのをよく覚えている。
「へえ、冷やかしですか?」
 店主の第一声は、そんなだった。
 いや、慥かにこんな汚い武器屋に親子連れが顔を見せたのなら、そう思うことだろう。そう云う意味では、店主の反応は至って普通で、古ぼけた感じとは不思議とアンマッチだった。その草臥れた鷲鼻から紫煙をくゆらしながら、罅割れたレンズの向こうの目だけを凄める。斜視だったのか、隻眼だったのか――罅割れていない方の目は明後日の方向を向いていたのだ。
「お客さんらが何を求めてこの辺をうろついているのかは知りやせんが、多分、ここいらでの探し物は無駄でありゃあしょう。さっさと踵を返して、元居たとこに戻ることをオススメしやす」
「息子の剣を探しに来たんです」
「はあ、子供に剣ですか……なんです、この国はいったいいつからそうも物騒になったんです? いやあ、あたしは海外の方から行商として此処へ来たんですがね、前に来たのは二年前で、少なくともそん時にゃあ、子供の客はおりやせんでしたよ」
 見た目のわりに随分とまともなことを云う男だった。
「いやね、べつに物騒とかってんじゃあないんですよ。ただ、この子には剣の才能がありまして、だから僕は、この子のその才能を伸ばす手伝いがしたくて、剣を求めてるんです」
 彼は、何故か他人様と話す時には、一人称が『僕』になる。
「へえ、剣の才能ですかい。そりゃあ、可愛くない才能ですな」
「ええまあ、平和な世界では無用な長物なのかも知れませんが、才能は才能です。持って生まれたことに罪はありませんでしょう?」
「そうですかねえ? まあ、こんな島国で暮らしているあんたさんは知らんでしょうがね、海外にはねえ、武器を所持してるだけで罰せられる国があるんですよう。つまり、凶器は待つこと自体が罪なんでございます。でありゃあ、その凶器を達者に振るう才能もまた、所持しているだけで罪悪に成りやせんかね?」
 ――試しているのだろうか?
 当時の僕は、古ぼけた男の厭味な視線を浴びながら、そう思った。
「……そうかもしれません」
「だったらお帰りなせえ。ここにゃあ、女子供に売れるような剣はありゃしやせんから」
「でも、僕の息子は、ちゃんと狂気を従えられる強い人間です。凶器を、凶器のまま終わらせたりはしません」と、そこで男は僕の手を振りほどいて、そのままその手を僕の頭に載せて見せた。「どうか、この子に見合う剣を見繕ってはいただけませんか?」
「……だったら、ほれ、その樽に刺さってるのから選びなさいな」
 そう指差した樽には、十二、三本の剣が刺さっていた。どれもなんだか個性的で、奇抜な装飾の物やら、錆錆でまったく何も斬れなさそうな物まで、鞘が当てがわれることも無くおざなりに一緒くた。おもちゃ箱のようにチープだった。しかし、剣など握ったことも無い田舎者の父には、それもあるいは歴とした剣であり、言われた通りにいくつかを手に取って見ていた。
「坊やも難儀だね。たまにいるんだよ、息子に特別な才能が有ると思い込む輩が」
 いつの間にか、店の裡から出てきて僕の傍にしゃがんでいた男は、玩具のような剣共を矯めつ眇めつする親父を嗤っていた。彼からすれば、素人目で売れ残りの剣もどきから、何かを見い出そうとする親父が滑稽だったに違いない。
「おい、ノート」
 振り返った親父は、一振りの剣を僕に差し向けた。当然、切先は僕に向いていない。刃を握る形で、それこそ鋏でも渡すかのように、彼は僕へ剣の柄を向けていた。
「これなんかどうだ?」
 それは、おもちゃ箱の中で唯一まともそうな剣だった。いたってシンプル。エングルス傍の砦に駐屯する騎士の中でも貴族ではない、一般騎士だとか下級騎士だとかと呼ばれる物が腰にぶら下げているような物で――つまりは使い捨てを前提として造られたような、そんな剣だった。
「ほれ、どうだ、握ってみなせえ」
 古ぼけた男は、厭な笑みを浮かべていた。
 僕のことをも笑い者にしているのだろう――僕は、ほんの少しだけ男の鼻を明かしてやろうと思い始めていた。だから、柄を力強く握って――親父が刃から手を離すと同時、あらん限りの速度で刃を振るい、レンズとレンズの間――ブリッジと云うらしい――を切って見せた。無論、男の顔には触れていない。ブリッジだけを切り裂いたのだ。
「…………」
 男は物凄い形相で僕を見ていた。
 腰を抜かしてしまったのか、尻もちを突いている。
 馬鹿みたいだった。
「たまげたね。こりゃあ……」
「どうだノート、使いやすいか?」
 僕は――なんと答えたんだったか。
 でも確か、最大限の皮肉を言ってやったのは憶えている。
 此処のしょぼい通の中ではそれなりに斬れる方だ、とか。
 馬鹿面を斬り伏せられるくらいには、とか。
 なるべく大きな声で、それまで相手にしてくれなかった店の連中にも聞こえるように、何かを言った筈だ――すると、古ぼけた男は、いそいそと店の裡に戻り、青っ白い顔をしながら、
「他の剣もご覧になってくだせえ」
 と、分かりやすく下手に出て見せた。
 僕は気持ちが良かった。
 見上げた親父の顔も、気分が好さそうだった。
「いや、他のところも見て来るよ」
 気を良くした親父はそう云うと、店を離れ、元来た道を引き帰した。
 その時にはどの店も、相手してくれないと云うようなことは無かった。
 胡麻すり、手を揉み、僕らの顔色を伺っている。
 滑稽だった。
 ――しかし結局、この通でも買い物をすることはなく、僕らはまた別の通に向かった。王都は呆れかえるくらいに広い。どの店を選べば好いのか困ることはあっても、店が見つからなかいことに困ることは無かった。選択肢があり過ぎるがゆえに決まらない。兎にも角にも煩雑としていた。
 相当な時間を二人で歩いた。
 いくつもの通を渡った。
 無論、全てを網羅することなど叶わない。
 僕らの王都滞在期間は二日しか無かったのだ。
 明日の朝には此処を離れて、家路に付かなければならなかった。
 それで最後――何件目の店だったかは定かではないが、約近い店を冷やかしていたように思う――あまり人気の無い、どこか寂れた、閑古鳥が鳴いていそうな店を最後にすることとした。ここで好いものが見つからなければやはり辺境伯に任せよう。親父は少し恥ずかしそうにそう言って、その店の戸を叩いた。
 迎え入れてくれた店主は、如何にも職人らしい風貌の男だった。
「いらっしゃい……、包丁だのナイフだのは、向こうの棚にあるよ」
 多分、親子連れだったから、そう云う、日常品を買いに来たのだと思ったのだろう――男は、椅子に座ってカウンターに肘を突き、僕らのことをつまらなさそうに眺めていた。
「そっちにあんのは見た通り武器だ。あんまり不用意に物色すんなよ」案内を無視して武器が並べられた方へ近づいた僕らに、彼は、少しだけ苛立たしげな声を上げた。「子供に触らせるようなモンは置いてねえぞ」
「そうは言いますが、今日はこの子のための剣を買いに来た次第でして」
 親父は、やはり下手に慇懃な態度を取って見せた。
「ガキに触らせるなんて正気か――いや、そうか、なんか外でやたら噂されてた、腕の立つガキってのは、お前さんか……」
「剣を選ばさせてもらえませんか」
「……駄目だ」
「そこをなんとか――」
 親父の台詞が終わらないうちに彼は、
「駄目だが、もし噂のガキがこっちまで流れてきたら、売りつけてやろうと思ってたのがあんだ。ちょっと待ってな」
 と、店の裏へ引っ込んだ彼は、向こうから、紙包みを持ってきた。長さ的に見れば、剣が包まれているに違いない――果たして、紙を剥して見れば、黒い鞘に収まった、同じく黒で統一されたシンプルな柄の直剣が現れた。どことなく、無骨な印象を受けるその剣を、男は親父に両手で手渡した。
「え、あ、重い! こりゃあ重すぎますよ!」
 慌てて両手で直剣を抱きかかえた親父の声は情けない。
「ああそうだ。タンタルってぇ金属で拵えられた剣でな。海外の物好きな職人が作ったそうだ。貰い物なもんで、俺も詳しいことは分からねえが――硬くて腐りにくくて、何より頑丈なだけが取り柄の、無駄に重たい剣だよ」
「何でそんな物を!」
「どれだけそのガキが天才なのかは知らねえが、ガキに振らせて善い剣なんぞ、この世にはただの一本として存在しねえからだ。いいかい? どうしても剣を振りてえなら、その剣を振るえるだけ大きくなってからにしろ」
 男はそんな教訓じみた能書きを垂れた。
 そして親父は、何故か反論しなかった。
「タンタルは一応、希少な金属だからな。その剣も、かなり希少なんだが、如何せん、重すぎて誰にも扱えなんだ。だから、そうだなあ……ホールド金貨一枚でいい」
 反論しないのを好いことに、男はそのまま売りつけるつもりのようだった。
「ほれ、どうした買わんのか? 言っとくが、それ以外には売るつもりねえぞ」
「……いえ、これを貰います。買わせてください」
 男の説法が響いたのか、親父は、一年コツコツと貯め続けてやっとの思いで手にした金貨を男に渡した。受け取った男は「その鞘は一応、別売りなんだが、その分は負けてやる」などと恩着せがましいことを言いつつ、お釣りのホールド金貨を親父に寄越した。
「それじゃあな、ガキンチョ。間違えんなよ」
 最後のその台詞が、僕は嫌いだった――……

 ……――どれだけ眠っていたのだろうか。
 部屋はまだずっと暗い。
 日は跨いでいるのだろうか。
 月明かりでは時計を確認できなかった。
 布団も被らずに寝たはずなのに、体が妙に熱い。
 きっとまた、ミナーヴァが傍にいるのだろう。
 ひどく喉が渇いた。
 たしか、ソファの前のテーブルに、水の入ったボトルがあったはずだが――。
 それにしても。
 随分と鮮明な夢だった。在りし日の光景が、まったくそのままにありありと再生された、恐いくらいにリアルな夢だった。懐かしくって懐かしくって、全く以て阿保らしい――が、どうしてこんな夢を見てしまったのかは、考えるまでもなかった。今朝、辺境伯様からあの直剣が返却されたからだろう。十二歳の時に取り上げられてそれ以来、ずっと触れられずにいた、あの名状し難い愚鈍な感触が、酔った僕に見せた幻影こそ、先の夢である。
 そう思うと、やはり阿保らしい。
 自分はこんなにも父親からのプレゼント大事に思っていたのかと自覚すると。
 阿保らしい。
 あれだけ拒絶され、否定され、たまに殺意を憶えるほどに憎々しく思っている男との縁が、こんなにも恋しかっただなんて。阿保だ。真正の阿保である。
 …………。
 僕は、ミナーヴァを退けようと、体をゆっくり動かした――体温が一つ多い。明らかに、僕とミナーヴァのとは違う体温が、僕の左腕を包み込んでいた。何となく憶えのある感触だ――セレナが、僕の左腕に絡みついている。
「両手に花…ってか」
 僕が眠ってからの間に、いったい何があったのかは想像もできないが――二人の間でろくでもない遣り取りが交わされていたのは間違いないだろう――あまりにきつく抱きしめられているため、どうにも逃れられない。僕の右半身に被さるミナーヴァだけでも退けようと、彼女の首下にある右腕をそのまま下にスライドさせ――感触が、どうにもおかしかった。布じゃない。今、僕は腰の辺りに触れているはずだが、小指は肌に触れている。服がめくれているのか――いや、腹や背などの感触では無い。恐る恐る、更に手を下へスライドさせる……穿いていなかった。スカートはおろか、パンツも無い。上のシャツだけ着たまま、臀部を露わにして、僕の下半身に右足を掛けている。
「これじゃあ流石に動けないか」
 僕は大人しく、目を閉じた。
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