壱の戦 ≪ 空っぽの男

文字数 7,133文字

 

『廻しを持ってこい! 土俵入りだ!』── 玉錦三右エ門


──────────────────




■ 狂犬グループの中層構成員
  京師(きょうし) (わたる) ── 曰く




『手搏のあるかないかよ』

 小学3年生の時、祖父の薦めで通っていた高田馬場の空手道場『五熊塾(いつくまじゅく)』に、塾頭の父親がふらりと顔を覗かせたことがある。

 彼の名は五熊総學(いつくまそうかく)

 日本を代表する空手組織『旋心会館(せんしんかいかん)』の開祖にして「獅子殺し」の異名を持つ天才空手家、湖山大観(こやまだいかん)の武道人生に唯一の土をつけた武人である。この立ち合いをもって湖山との間には友情が築かれ、やがて彼の急逝の後に旋心会館の相談役ともなって陰日向と支えた。同時に、湖山の目指した空手を研究、さらに門弟獲得の一助を志願して空手塾を立ちあげることに──これが五熊塾である。

 グローバルな活躍を見せるまでとなった現在の旋心会館、その綺羅星の隆盛を語る上で、五熊総學とは、決して欠かすことのできない伝説の武人なのである。

 が、すでに引退、隠居の身となり、塾の運営はすべて息子へと引き継がせていた。この日はどうやら、ふと運営が気になって様子を見に来たようである。

 鼈甲(べっこう)の丸眼鏡をかけた、人のよさそうな禿頭(とくとう)(おきな)だった。痩せていると言うよりも枯れていると言ったほうが正しく、背筋こそスクと通って矍鑠(かくしゃく)としていたが、いかにも畑仕事の似合う好好爺。道場の片隅でにこにこと頬を緩めながら見物していて、お世辞にも伝説の武人とは思えなかった。

『ね。武道とスポーツの違いってなに?』

 体操を終え、いよいよ帰り支度を始めようとする塾生たちの中、大先輩に向け、少年部では最も好戦的な兄弟子が尋ねた。ひとり歩きする「伝説」の噂に対する、彼なりの猜疑心だったのではあるまいか。

『空手も柔道も剣道もさ、世界的に見たらスポーツじゃん』

 その不躾なタメ口には、さすがの温厚な塾頭も顔色を変えざるを得なかった。

 しかし、

『ねぇ。なにが違うの?』

 好好爺は微笑みで塾頭を制し、枯れていながらもよく通る声で、こう答えた。

『それはな、手搏のあるかないかよ』


 手搏(しゅはく)


 当然、当時はその意味することは少しもわからなかった。だが、つい最近になり、たまたまネットで見かけてついに知った。

 意味は「素手で殺すこと」。

 第二次世界大戦中までには使われていた日本語らしい。しかし、今となっては辞書にも載っていないという。そんな言葉を児童に教えたところでキョトンとされないほうが可笑しいというものだが、なるほど、その意味を考えれば現代日本から消えた言葉というのも頷ける。

 逆に言えば、現代日本にはもはや武道自体が存在しないのかも知れない。とうの昔に滅亡しているのかも知れない。伝える気のない自分を棚にあげ、単に「武道」という言葉の鋭利(ソリッド)さに心酔し、かつては存在していたという履歴書を都合よく利用しては、日本は武道大国なのだと世界中にアピールしてみせたいだけなのかも知れない。そのための、名義的な道具に過ぎないのかも知れないのである。

 手搏は、今や、ただの犯罪なのだから。




     ☆




 絵面清貴からの通話が絶えた。そして相方の銀鏡和毅の反応もない。

 どうやら、葬られたらしい。

『キヨもシロもよくやったよ』

 鬼束甚八(おにつかじんぱち)はそう称讃したが、心の底から讃えたわけではないだろう。どうせ彼にとっては、絵面も銀鏡も、成るも成らざるも勝手の、世話の要らない歩兵なのだから。

 とはいえ、方便としての称讃しかしない鬼束の冷淡(ドライ)さを鑑みれば、人を利用するしか芸のない絵面や聞かん坊の銀鏡に対し、わずかなりにも同情が湧かぬでもない。

 鬼束や幹部たちには簡単に(へつら)うが、他のメンバーには素っ気ないのが絵面清貴という後輩だった。いや、素っ気ないどころか眼中にもないほどで、どこか人を見下しているような風情さえもあった。野心家と言えば聞こえはよいが、相手の肩書きによって態度を変える卑屈な少年──たぶん彼のことを好きな者などいなかったはず。

 寄居枝忍を(なぶ)ったのも彼なのだという。某国の大将のように、粛正の末の国威発揚を狙ったとでもいうのだろうか、その理由は定かではない。ただ、いずれにしても、自分の手を汚すことが大嫌いな彼のこと、どうせ相方の銀鏡を利用して蹂躙(じゅうりん)したのだろう。そして自分は高みの見物で、あげく狂犬の気に入られる術だと信じたに違いない。

「駒でしかなかったわけだ」

 今、絵面が葬られ、彼もまた駒の1個だったと証明され、同情を念ずる手前、そうは言ってもザマァミロという清涼さを禁じられないでいる。つまり、この同情というのもまた鬼束の称讃に負けず劣らずの方便に過ぎないのであり、しかし方便だという真実にはツユも気づいていない。

「やれやれ。可哀想に」

 ぼそぼそとひとりごちるこの男、絵面と同じく狂犬グループの中層構成員であり、名を、京師航という。

 鬼束や幹部の企てる騒動において、下層構成員が実行部隊であるのならば、中層構成員は企画補佐官に当たる。敵やその所属組織の実態、弱点をリサーチしたり、決行日時を決めたり、下層構成員に向けて段取りを説明するのが彼らの主な役回り。なにせ鬼束や幹部が自由奔放で面倒くさがりなので、なかなかどうして多忙を極める役回りなのである。ちなみに、上層構成員はグループ内の風紀を(ただ)す役目で、いずれも最高幹部の巣南重慶(すなみじゅうけい)が構築したシステム。

 とはいえ、今となっては、


【頭】
・鬼束甚八
【幹部】
・巣南重慶
奥貫晶杯(おくぬきあつき)
・大隣憲次
鞍馬潮(くらまうしお)
【中層構成員】
・京師航
新垣契永(にいがきせつな)
鐙谷董吉(あぶみやとうきち)
【下層構成員】
・冨永理人
・野呂賀明


 とてもではないがグループとして機能している状態とは言えなくなっている。しかも鐙谷と野呂は実質的にはメンバーではない。前者は幽霊部員だし、後者はパシリだし。また、本気を出せば実力者であるはずの新垣も、

『この件に関しては、俺は外れる』

 そんなメールを最後に音信不通。

 鬼束と4人の幹部、奥貫の性奴隷である冨永、そして京師の7人だけで最後の砦を死守しなくてはならない。まったく皮肉なことに『七人の侍』の構図なのである。

「その自信はどこから来るんだ?」

 絵面と銀鏡の戦線離脱(リタイア)に至ってなお柏手(かしわで)を打って称讃の方便に酔う鬼束たち。

 勝利できると踏んでいるからなのか。

 なるほど、鬼束も幹部も曲者である。空手の黒帯もいれば暗器(あんき)の使い手もいる、ジャパニーズマフィアに属している者までいる。一筋縄にはいかないだろう厄介な面子ばかり。

 しかし、相手はあの百目鬼歌帆である。

 たった1年半の間に、およそ40人はいた狂犬グループを両手で数えられる人数まで激減してみせた張本人なのである。

「俺も戦いに参加するんだろうか?」

 図面どおりでいいのならば京師が参戦することはない。あくまでも与えられた任務を遂行していさえすればいい。危険な役目は鬼束と幹部が請け負ってくれるのであり、だから京師は安心して任務に集中していさえすればいい。それでいいとする図面なのである。

 脱線しないように見張りながら順繰りに案内する任務である。背後に建つヒナ高、その1階から屋上へと、関所を巡りながら対象を誘導するという巡礼ガイドの任務である。ただそれだけの任務であり、この作業内容に「立ち合い」という項目は含まれていないのである。

 やはり、勝利できると踏んでいるのか。

 もしや、単なるパーティ感覚だろうか。

 勝つだの負けるだの、そんな危惧に束縛されていないということか。結果になんて(ばく)されず、あくまでもプロセスを楽しむという娯楽性の中に彼らは生きているということなのか。

 自由を愛する狂犬グループである、そう考えたほうが自然のような気もする。

「人の気も知らないで」

 確かに、ただ案内するだけの単純作業。しかし、相手が相手だし、時刻が時刻だし、ハードルの高さは天井知らず。だいたい、出だしでつまずくことだってあり得る話。例えば、ここで落ちあうよりも前に、あの女に勝手な暗躍を計られる可能性もあり、そうなってしまっては元も子もない。況して1番に自分が葬られるのかもわからず、

「つか、ちゃんと正面からやって来るとどうして自信満満に思えたろうか?」

 依然として大地は傾いたまま。


 ⇒ 20XX/09/12[水]20:XX
   東京都豊島区南池袋
   陽向ケ原高校の校庭にて


 ひりりり、ひりりり──玩具の鐘のような声で虫たちが鳴いている。実際には鳴いておらず、たぶん羽根の突起を擦りあわせているのだろうが、たったひとりで宵闇の校庭に立つ不安感が、彼らのソレが肉声でありますようにと熱望している。

 職員の消えた、夜の校庭。

「職務怠慢じゃないのか?」

 などとひとりごちてみる。確かに、どの高校よりも職員の帰宅が早い高校である。

「文科省に知れたら廃校モンだぜ」

 セキュリティという概念の滅んだ校舎である。窓を割ろうとガムテープを忍ばせてみれば8割が段ボールで、どういう目的のハニートラップなのかと泥棒のほうが狼狽するような校舎なのである。それなのに、教育者ともあろう者が宿直も置かずに一斉退散。これでは職務怠慢だと疑われても仕方あるまい。それとも、批判の時代である、これもある種の体罰だと非難されるやも知れない。

 教師が弱腰のせいで、

「事件が発生している」

 人質を取っている側の京師である。ヒナ高とは無関係の、なんの罪もない男子中学生を。

 未成年者略取誘拐罪? 加重人質強要罪? どんな容疑がかけられるのかはわからない。が、いずれにしても刑事事件として扱われることだろう。

「あれ? 俺の人生、終わってないか?」

 まだ17歳だが、補導で済むとはとうてい思えない。少年法がどう適用されるのかはさっぱりわからないが、少なくとも正当な職に就ける将来が見えようはずもない。

 空手の先生になるのが夢だった。まぁ、5年もサボっているから無理だろうけど。

「なんでこんなことになった?」

 鬼束たちが勝手に動き、知らないうちに中学生を拉致、なにがなんだかわからないうちに校庭で待機するよう命ぜられた。人質を取ったことを知らされたのも、つい1時間ほど前のことである。

「俺も人質と変わんないじゃん」

 変わるのだが。

「俺も被害者じゃん」

 そんなワケがないのだが。

 こうやって校庭にたたずんでいる以上、京師もまた共犯者である。しかし、共犯ではないと自己暗示をかけたい心境ではある。

 相手は、百目鬼なのだから。

 いつなん時、彼女の手に葬られないとも限らない。病院送りにされた上で御用となっては踏んだり蹴ったりである。

「なんだぁ。俺、被害者かぁ」

 現実的な1兎のほうを放して現実逃避を計ろうとする無様な京師である。

 夜の(とばり)はもうおりた。日の入りこそまだ遅いが、さすがにこの時間帯ともなれば、遠目に見える池袋のビル群たちも勝ち誇ったような明滅を始めている。どうせ明るい都会だが、こんな時間まで学校に残ったことのない京師の網膜には、あの明滅が冥府の鬼たちの瞳に見える。

 暗くはないが、あまりにも(くら)い。

 こんな逸話がある。

 暗闇の部屋の中央で正座して待つよう指示される。指示どおりに座していると、突然、背中が冷気に襲われる。次次に襲い来る冷気をどうにか回避(かわ)していると、ようやく灯が点って「よくやった」という激励をもらう。激励したのは師匠であり、彼の手には、ひとつとして錆の浮かんでいない日本刀が握られてあった──。

 戸隠流(とがくれりゅう)忍法の継承者として現在も各国の弟子に指導している武人が、若かりし頃に受けたという荒稽古である。そしてそれは、今や彼の武術指導法に応用され、日本刀ではなく竹刀ではあるものの、昇段試験の一角に据えられているという。

 すなわち、闇を闇とするだけの一般論の中に活殺(かっさつ)の作法は存在し得ないのだろう。闇が闇であればあるほどに、五感か、六感さえも超越した領域にこそ明暗が試されるものなのだろう。

 充分とは言えないが、充分なものに近い闇に京師が恐怖を感じられるのは、わずかなりにも、もしや心身に空手が染みているからなのかも知れない。そして、闇討ちを好む百目鬼の強さの秘訣も、もしやそこにあるのかも知れない。

「というか、もともと忍者だし」

 これから、その麗しき

に、5つの理不尽が凶刃を向けることとなる。素人の刃ほど恐ろしいものはないとある高名な武道家は言ったものだが、ならば、彼女にとってこの5名ほど生命を脅かす存在はおるまい。


『幻影』── 大隣憲次
『怪獣』── 鞍馬潮
『舞姫』── 奥貫晶杯
『奇人』── 巣南重慶
『狂犬』── 鬼束甚八


 この5名である。

 ヒナ高の各関所で待ち構える彼らを、これから彼女はひとりずつ、順番に倒して行かなくてはならない。このやり方だけが唯一の「人質奪還ゲーム」の定款(ていかん)である。そして京師は、彼女に定款を承らせ、関所案内をしなくてはならないのである。

 灯もない、忍者のフィールドへと。

「なんで俺なんだろう」

 むろん、京師しかいないからである。

「冨永じゃダメなのか」

 彼は奥貫専用の奴隷だからである。

「野呂じゃダメなのか」

 鬼束の嫌っている男だからである。

「俺にはムリだろうよ」

 可否なんてどうでもいいのである。

 人質を取った段階で百目鬼との縁は確定した。売られた喧嘩であれば遠慮なく買う彼女のこと、必ずや縁を手繰ってヒナ高へと舞い戻るだろう。飛んで火に入る夏の虫のゴシップなどどこ吹く風、むしろゲームに乗り、その試練の中で己の流儀を発揮し、人質奪還を目論むだろう。教師に頼らず、警察に頼らず、世論に頼らず、裸一貫で、もちろん批評せず、批判せず、非難せず、己の流儀に則する

でもって皮肉り、物理的な力で説き伏せようとするだろう。

 ガイドがいようがいまいが、百目鬼は必ずやヒナ高へとやって来る。

 京師はあくまでも、ゲームを盛りあげるための(ささ)やかな隠し味に過ぎない。可否なんてどうでもいいのである。

 そうとも知らず、

「ぜったい俺にはムリ」

 京師はひとりごちる。

「俺にはムリだってば」

 いや、うすうす勘づいてはいるのだが、

「そんな

はない」

 鼓舞するために、弱音をひとりごちる。

「俺には、手搏なんて、ない」

「さっきから独り言が多いですね」

 不意に、熱望した通り、背後の虫の音が肉声になった。

 首筋を爆発させ、京師は振り返る。

 ヒナ高の建つ高台から平懐(なだ)らかな勾配でくだる芝生、その中央に、どんな隕石(メテオ)よりも硬そうな人影が体操座りで落ちていた。

(い、いつの間に……)

 校門と、そして校庭の左右に立つ街灯のトライアングルに映される三面の人影は、不明瞭なはずなのに、瞳を掻き分けてくるほどの強引な凹凸を孕んでいた。まるで、シルエットだけで長考を匂わせるロダンのブロンズ像のよう。

 伸び放題の芝草がブレザースカートからこぼれる太ももを大挙して攻撃、見ているこちらの太もものほうがチクチクと痛む。しかるに、樹木をほうふつさせる太さを誇り、もしや剣山(けんざん)の上であっても涼しい顔でいるのかも知れない。

「とても用心棒(バウンサー)には見えませんで、もしや案内人(ガイド)と言ったところでしょうか?」

 膝を抱える腕も太い。まさに強打者(スラッガー)のバットである。その引き締まった僧帽筋、三角筋、胸鎖乳突筋でフルスイングすればバックスクリーンも倒壊必至。

 なのに、不思議と巨乳。どうやら偽乳(シリコン)ではない様子。だとすればミリ単位の筋トレをしたことになる。だが、そんな町工場のようなトレーニングがどこにあろうか?

「校舎の屋上に鬼束さんがいらっしゃると伺ったのですがね」

 見間違えようはずもない、彼女こそが百目鬼歌帆である。

「とまれかくまれ」

 引き締まった声を淡淡とつなげながら、百目鬼はおもむろに立ちあがった。そしてこれまた大きなお尻を掌で悠悠と払い、

「案内人がいる以上は、なんらかの順路を踏まえろと、そういうことでしょうか?」

 京師の顔を毅然と直視。

 坂のやや上方であるとはいえ、バベルの塔を思わせるほどに背が高い。記憶が確かならば、京師とは然程も変わらない背丈のはずなのだが、今は遥けき峰である。

 唖然と仰ぎ、彼は言葉に窮した。

 クラスこそ違うが同学年である、まるで知らない女ではない。数えるほどだが擦れ違ったこともある。そのたびに逞しい女だと感心したものだが、改めて意識する彼女の存在感たるや卑怯なほどである。緊張感を抱く必要もない同学年の女子を前にして、京師は今、脂汗に(まみ)れている。制服であるワイシャツはジクジクに湿り、残暑を残暑とも思えないまま、しかし残暑に相応しい不快感を全身にまとっている。

「いかに?」
「は」

 ころんと彼女に促され、京師は我に返った。そして、

「あぁ、まぁ、そうだね」

 視線を逸らし、唇を舐める。

「えと、歌帆……さんは」

 ひどく渇いている。

「イー・アル・カンフーを知ってるかな。大昔のテレビゲームなんだけど」

 すると彼女、

「ええ。1985年にKONAMIが発表したというアーケードゲームですね。後に家庭用に移植されました。各関門に配置されるボスキャラをひとりずつ倒して進んで行くという内容の格闘ゲームで、祖父が得意でした。ですが私は、個人的には、その続編である『イーガー皇帝の逆襲』のほうがラスボスの卑劣さという点で遥かに好みです」

 緊張感もなく、ちんぷんかんぷんな余談まで加えると、

「あぁ。なるほど」

 急に、溜め息まじりの低音で呟いた。

「つまり……そういうことですか」

 右手の指の関節だろうか、ぺき──手ぶらのままに深く鳴らしてみせる。

 幹を手折(たお)る音に聞こえた。

 巨像と思っていたが、違ったらしい。

(大樹か)

 忘れもせぬ、手搏の手。

 人、ならざる手。




   【 続 】



 
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