こたつの気持ち

文字数 4,794文字

 俺がこの家にやって来て、もう二十年になる。特に変わった何かがあることもなく、ここの家族はごくごくありふれた普通の生活を送っている。
 じーじは幼い頃に戦争を経験し、家族は疎開を強いられ離れ離れに暮らしたらしい。ばーぱは、細かいことに口うるさく。特に食べ物に関しては、米一粒にも神様が宿っていると、口酸っぱく言うのが癖だ。じーじとばーぱの息子にあたる父の(さとし)はひょろりと細い体格をし、寡黙ながら時々ひょうきんなことを言うが、あまり面白くないのか家族は笑えないようだ。俺も諭の冗談に笑ったことはないかもしれない。
 ここへ嫁いできた母の喜代子(きよこ)は、食べることが大好きなせいか恰幅がよく。ばーばの小言などなんのその。米粒一つどころか、娘の祥子(しょうこ)が残したご飯も綺麗に平らげる。恰幅がいいのは、そのせいとも言える。娘の祥子は今年二十七歳になり、一つ年上の夫、雅也(まさや)と二歳になる娘のちーちゃんを連れて里帰り中だ。そして、もう一人。いや、もう一匹か。祥子が嫁いで寂しくなったせいか、父の諭が突然フレンチブルドッグを連れてきたのは四年前のことだ。名前は、ロン。潰れた鼻のせいか、こいつはやたらとフガフガ呼吸を繰り返している。首に寄った沢山のしわの間に汚れがたまるのよ、と喜代子がタオルで拭いてやっている。賑やかなこの家族のいる家で、俺は二十年目の正月を迎えている。

 俺がこの家に初めてやって来たのは、祥子が小学校へ入学する年の一月だった。新聞の折込チラシに載っていた俺をいち早く見つけて購入計画を立てたのは、米粒一つにも煩いばーばだ。買い物に関してじーじに相談するにはしたが、あまり物に頓着する性格ではないため、ばーばの言うことに口出しはしない。
「ちょっと(さとし)。これ見なさいな。こんなに大きなおコタが安売りだよ。あんたちょっと行って買ってきておくれよ」
 ばーばが、諭の目の前にチラシを突きつける。
「母さん。急になんだよ」
 ぶつぶつと言いながらも、母親の言うことには逆らえないのが息子というものだろう。三つ折りにした一万円札数枚を手に握らされてしまえば、買いに行かないわけにはいかない。
「数量限定だからね。急ぐんだよ」
 ばーばに急かされた諭は、喜代子を連れてチラシを握りしめ、お札を財布に捩じ込み俺を買いにやって来た。
 店内に着くと、俺たちは大人気だった。正方形の小ぢんまりした物よりも、長方形で家族みんなが仲良く使える大きめに造られた俺は、馬鹿みたいに売れていき。諭が買うときには、展示されている現品のみになっていた。そしてここからが喜代子の腕の見せ所だった。普段買い物で値切っている手腕を、ここで遺憾なく発揮したのだ。
「ねぇ、ちょっと店員さん。現品だし、ほらここ。ちょっと傷になっていない? これ現金で買うから、値引きしてよ。それから、このコタツ布団も。ほら、ここ。ほつれがあるじゃない。うちが引き取るから、これも安くしてちょーだいね」
 有無も言わせぬ態度に、店員もたじたじだ。喜代子の手腕によって、俺はガッツリと値引きされ。その値引きした分を利用して、喜代子はコタツ布団もしっかりと安く購入したのだ。なんとも頼もしい。こうして俺は、この家族の住む家にやって来たのだ。

 俺はこの家族と、たくさんの時間を共有してきた。
 俺の上では、じーじとばーばが茶を淹れてテレビを観戦し。ダイニングテーブルはあるものの、時にはみんなでご飯を食べることもあった。諭は仕事から戻ると晩酌をし、プロ野球ニュースを観る。時々、じーじと酒を酌み交わすこともある。ばーばは、裁縫をしたりチラシを利用してゴミ箱や傘を作ったりもする。祥子は宿題をしたり、お絵かきをしたり。小学校の時は、クレヨンで俺に直描きしたこともあるが、孫に甘いばーばは怒らずに、上手に描けたと褒めていたな。母の喜代子が「掃除をするのは私なんですからねっ!」と激怒していたときは、俺まで叱られている気がして冷や汗が出たぜ。
 孫には甘いばーばと、娘に厳しい母の小競り合いに、他人のようなのんきな顔をしているじーじと諭だが。実はこの二人は曲者で、足の臭いが強烈なのだ。あれは何だ。親子というのは、体臭も似るものなのか? 俺の中に入れられた二人の足は温められ、異臭は濃度を増すのだが、本人たちは一向に気がつかないのか頓着する様子もない。頑張って働いている二人だから、足の臭いくらいは何とか我慢だ。と言い聞かせることが、毎年冬の恒例となっている。
 そんな臭いに気がついているのは、喜代子と祥子だ。喜代子は、俺とともにやって来たコタツ布団を小まめに太陽に浴びせ、空気の入れ替えもしてくれる。おかげで、こたつ布団はいつも快適にふかふかだ。しかし、正月のように長い時間二人の悪臭がこもるというのは拷問だ。今日も滞りなく二人の足は臭いぜ……。ブォーン。
 異臭に反応した俺の体から機械音が鳴る。俺が何か言うたびに、体からはブォーンと音が鳴る。それに反応するのは、フレンチブルドッグのロンだ。ワンというよりも、アンというように小さな声で鳴き、俺の体をフガフガと嗅ぐ。くすぐったいぞ、ロン。
 二十三歳で祥子が嫁いでいき、家族が減って寂しくなった時、ロンは諭の腕に抱かれてやって来た。まだまだ小っちゃくて、目も開いたばかりの頃のロンを、じーじもばーばも。諭も喜代子も、本当によく可愛がっていた。しかし、動物の成長は早い。あっという間に大きくなっていったロンの面倒を誰がみるのか。擦り付け合いにならないよう、役割分担が決められた。足腰が弱らないよう、じーじを散歩係に任命し。餌やりはばーばが担当し。ブラシや体を綺麗にするのは、喜代子の役目になった。おっと、父の諭は? と言えば。時々思い出したように「ロンっ」と言って構うだけだ。しかも、そのロンのロに力を入れるものだから「ドンっ」に聞こえてしまうため、今では誰もロンのことを正しい名前で呼ぶ人はいない。みんながみんな、ドンというものだから、本人でさえもドンで振り向く始末だ。
 俺にしてみれば、ロンでもドンでも構いやしないがね。ブォーン。
 ロンがやって来たその二年後に、祥子の娘のちーちゃんが生まれた。ちーちゃんは、とっても可愛らしい小さな手をしていて。俺とコタツ布団を楽し気にバシバシと叩く。しかし、小さなちーちゃんが叩いたところで大したことなどなく。寧ろ可愛いから、こっちはあったかい気持ちになっていくんだ。おかげで、設定温度よりも張り切って温度を上げてしまうこともあり。
「あれ。なんだか急に熱くなったんじゃない?」
「長いこと使って古くなってきたから、仕方ないんじゃないの」
 祥子と喜代子がそんな会話をしているのを聞きながらも、ちーちゃんのバシバシは止まらず。ばーばがリズムをとって、手拍子まで始めている。なんとも賑やかだ。
 ブォーン。
 アンッ。
「ちーちゃん。炬燵が壊れちゃうよ」
 バシバシ叩き続けるちーちゃんに、祥子の夫、雅也(まさや)がにこやかな笑顔で注意する。そして、そのままちーちゃんを抱き寄せて、ほっぺとほっぺをぎゅっとくっつけるんだ。
 俺が雅也に会ったのは、まだ数回だが。雅也のちーちゃんを愛するこの姿が、たまらなく好きだ。あ、言っとくが、俺にあっちのけはないからな。ブォーン。アンッ。
「しかし、この炬燵。年季が入ってるな」
 雅也は、テーブルの上にあるみかんに手を伸ばしながら俺の中に足を入れる。こいつの足は臭くない。
「私が小学校の時からあるからね。もう二十年かな」
「ひぇ。二十年て。ちーちゃんなら成人だ。ドンならおじいさんだな」
 ケタケタと笑いながらみかんの皮をむき、雅也は三粒ほどを一気に口に頬張る。
「酸っぱ」
「そう? さっき私が食べたのは甘かったよ」
「はずれか」
 酸っぱいみかんを一気食いした雅也は、買い換えないのか? なんてとんでもないことを言いだした。
「そうねぇ。確かに古くなったから、そろそろそういう時期なのかもしれないけれど。この炬燵には思い出があるからなぁ」
 祥子はそっと目を閉じ、思い出を探るように穏やかな表情をする。
 そうだ、俺にはたくさんの思い出が詰まってるんだぞ。新参者が余計なことを言うんじゃない。ブォーン。アンッ。
「ここには、家族みんなが自然と集まるのよ。私もここで宿題をしたりおやつを食べたり。あと、お祖母ちゃんと一緒にいるのも好きだから、チラシを折り紙代わりにして遊んで貰ったり、裁縫しているところを眺めているうちに寝ちゃったり。ね、お祖母ちゃん」
「祥子は手先が器用だから。何を教えても、上手にできる」
 ばーばは孫の祥子を見て、誇らしげに言う。
 そう。俺のもとには家族が自然と集まってくる。じーじと諭の足か臭いのはなんだが、晩酌も裁縫も、野球観戦も食事も。他愛のない話があって、あったかい気持ちがあって。時々けんかや言い合いもあるけれど、結局家族は俺のところへやって来て「あったかいね」っていい顔をするんだ。ブォーン。アンッ。
「でも、ほら。なんか変な音もしてるし。うちで新しいの買ってもいいけど」
 雅也のやつがまた余計なおせっかいを言いだした。この音は壊れている音じゃないぞ。俺の心の声が音になるだけだ。ブォーン。アンッ。
 この家族にしてみたらお前の気持ちはありがたいだろうが、俺にしてみたら恐怖以外の何物でもないぜ。ブォーン。アンッ。
 ドンだってそう思うだろ。ブォーン。アンッ。
「雅也君の気持ちはありがたいけど、まだ平気よ」
 そうだ喜代子。もっと言ってやれ。ブォーン。アンッ。
 さっきまでキッチンで洗い物をしていた喜代子が、エプロンで手を拭きながらやって来た。
「私もね、このおコタが好きなの。この角が丸くなってきた感じも、馴染みのある風合いも、時々唸りを上げるこの音も」
 テーブルを布巾で拭きながら、喜代子が穏やかに話す。
 俺は、喜代子の優しく丁寧に扱ってくれる気持ちが、本当に嬉しいんだ。ブオォーン。
 そこで不意に、ちーちゃんの姿が見当たらないことに祥子が気付いた。
「あれ。お母さん。ちーちゃん見なかった?」
「え? 知らないわよ」
「一緒にキッチンにいると思ってたんだけど」
 祥子と喜代子。それに雅也がキョロキョロとしていると、ばーばがククッと笑う。
「祥子の娘だね。やることが一緒だよ。ね、ちーちゃん」
 ばーば―がそう言って、俺にかかる布団を少し持ち上げて中をのぞき込む。ばーばに倣って、三人も中をのぞき込む。そこには、いつの間に入ったのか。ちーちゃんがロンと一緒に絵本を眺めていた。
「ちーちゃん、何してるの?」
 少し驚いたように祥子が訊ねると、「ドンといっちょにえほんみてるのぉ」と笑顔を見せた。
 ちーちゃんの笑顔とロンの姿に、四人が微笑ましい表情をする。
「祥子もよく絵本を持ち込んで、炬燵の中にいたわよね」
「うそー。全然覚えてないよ」
 すっかり忘れてしまっている祥子だけれど。俺は、しっかり憶えているぞ。祥子が俺の中に潜り込んできて絵本を広げる時。俺はやっぱり幸せであったかい気持ちになっていたんだから。ブォーン。アンッ。
「お母さんに叱られた時も、炬燵の中に隠れて泣いてたっけねぇ」
 ばーばが懐かしい顔をして話す。
「そうそう。どこへ行ったのか見つからなくて、冷や汗が出たこともあったわ」
 喜代子も懐かしい顔をする。
「ドンだって隠れるよなぁ」
 じーじと一緒に近所の挨拶周りから戻ってきた諭も、話に加わりながら俺の中に入ってくる。
「ドンだって寒いから、あったかくなりたいさね」
 じーじがワシャワシャとドンのことを撫でまわす。アンアンッ。
 雅也がちーちゃんを抱き寄せ、ほっぺをくっつける。キャッキャと楽しげに笑うちーちゃんを家族みんなが微笑ましく見ている。
 そして、俺は今年もブォーン。とみんなに話しかけるんだ。
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