第1話(1話で完結です)

文字数 1,982文字

(フランツ)・カールが泣き止まない。

おはよう、と言っては泣き、おやすみ、と言っては泣く。

彼は本当に、がっくりきていた。



9歳年下の甥が死んだのだ。

ライヒシュタット公フランツ。21歳だった。結核だったという。



ナポレオンと、オーストリア皇女マリー・ルイーゼ(フランツ・カールの姉)の間の子。父の没落に伴い、ウィーン宮廷に引き取られた。

[F・カール大公]


初めて会った時、あいつ、俺のことを何て言ったか知ってるか、ゾフィー



*F・カールの妻

[ゾフィー大公妃]


いいえ。

 だとよ。



詳しく

まあ!

まだ5歳になる前だよ。ほんと、くそ生意気なガキでさ。でも、かわいいんだ。放っておけなかった……。

(傍白)

この人は過去の思い出に逃げているのね。


(鬱屈)

亡くなるまでの17日もの間、私は彼を見舞っていない。夫が止めたからだ。

彼はあんなに、私を慕ってくれたのに。



*次男出産の時期。出産前日まで彼女は甥を見舞った


鼻の頭を真っ赤にし、F・カールは、一枚の絵を見ていた。

の死後、所蔵庫から出してきた絵だ。


1826年の夏。ウィーンに里帰りしていた(マリー・ルイーゼ)の姿もある。



*わが子フランツが幼いうちに彼と離れ、イタリアの領土で暮らしている

見ろよ。このフランツの顔ったら! まるで、いたずら小僧そのものだな!
よく覚えているわ。気持ちのいい夏の日だった。

皇帝一家(みんな)でプラーター公園を歩いていて、画学生から、声を掛けられたのよね。絵を描かせてほしいって。


皇帝は、気さくに応じた。


出来上がったら、是非、見せてほしい。

口々にそう言って、一行は、あずまやを後にした……。


フランツルは15歳だった。でも絵の中の彼は、ひどく幼く見えるわ。

当時、背丈はお義姉様と並んでいたし、声変わりもしていたのに。

(絵の方を向き、背中を見せたまま)


それは、ほら。あの頃は、いろいろ物騒なことが続いて……

ナポレオンの遺言執行人たちが、ナポレオン2世(フランツ)に遺品を届けようと動き出した時期だった。彼の馬車に、三色旗が投げ込まれた年でもある。


宰相(メッテルニヒ)辺りが言って、幼く描かせたんだろ? 顔が知れて、誘拐でもされたら大変だから。
あなたでしょ。
へ?
フランツルを幼く描くよう、画学生に指示したのは、あなたよ、F・カール。
[ライヒシュタット公]


(回想)


叔父さんは、下品だ!

フランツルも知っていたわよ。あなたの仕業だって。
………。





(回想)


(あずまやに最後まで居残って、画学生に)


君は、ライヒシュタット公のこと、どう思った?

[画学生]


(頬を紅潮)

魅惑的な、若い貴公子だと思いました。

久しぶりで母親に会えてさ。あいつ、クジャクのように得意なんだ。
普段、離れて暮らしていらっしゃるから。

たとえばこれ。あいつが母親に書いた手紙。


(読み上げる)


「お祖父様に聞かれたので、母上は6月の終わりにお帰りになると申し上げました。でも、大好きなママ。どうか僕のことを、『嘘つき』にして。お願い。5月になったら、こっちに来てよ……」

…………。

ライヒシュタット公のイメージが、どんどん幼くなっていく)

にやり



(回想ここまで)





(ぼそぼそ)

だって君が、フランツとばかり外出してたから。

フランツルと一緒なら出掛けてもいい、って言ったじゃない!
うん、言った。でも悪い噂が立ち始めたから。
噂?

君とフランツができ……、その、つきあってるって。
彼は、甥よ! くだらない噂を気にするなんて!
妻の噂を気にしない夫なんて、いないよ!
それが私の夫だと思っていたのよ! 人の言うことなんか、気にしないのが!


(はっ)

じゃ、お産の後、私に、フランツルの病室に行かないほうがいいって言ったのは……?


生まれたばかりの次男……マクシミリアンは、実は、ライヒシュタット公の子だと、ウィーン宮廷では、まことしやかに囁かれていた。


そんな……。くだらない噂のせいで、私をフランツルから遠ざけたというの? 瀕死のフランツルから!
違うよ!

フランツは、礼儀を何よりも大事にしていた。病が重くなった後でさえもね! でも、ベッドの上に起き上がることさえ、あの子にはもう、難しくなっていたんだ……


おいおいと、F・カールは、泣き出した。


逆だ。逆なんだ。僕はね、ゾフィー。マクシミリアンが、フランツの子だったら、どんなに良かったかと思ってる。だって、そうしたら……

そうしたら?

(鼻を詰まらせ、涙を口の中に流し込みながら)

そうしたら、まだ、フランツが、生きているような気がするじゃないか……


ベビーベッドで、むずかる声がした。

父親の泣き声で、小さなマクシミリアンが目を覚ましたのだ。


生まれたばかりの息子を抱き上げ、ゾフィーは尋ねた。


あなたのお父様は、ライヒシュタット公フランツ。それでいい?


よだれで濡れた拳を、マクシミリアンは、突き上げた。










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登場人物紹介


ライヒシュタット公(ナポレオン2世)

(フランツ/フランツル) 1811 - 1832

― 回想で登場 ―


フランス皇帝ナポレオンと彼の二度目の妻、オーストリア皇女マリー・ルイーゼの間に生まれる。父ナポレオンの没落後は、母の実家であるウィーンのハプスブルク宮廷に引き取られる。


3歳になる直前に父と、5歳になる直前に母と引き離され、孤独に育つ。


長じて、父と同じ軍務を志すが、自分の意志でウィーンから出ることは、生涯、許されなかった。


21歳で結核(と言われている)の為、没。



F(フランツ)・カール 1802-1878


オーストリア皇帝フランツの次男。ライヒシュタット公の9歳年上の叔父。


野心もやる気もなく、ハプスブルク宮廷での評判は良くない。ライヒシュタット公は、親友プロケシュに、叔父フランツ・カールは、「下品」であると話したという。


その反面、彼は、病床についたライヒシュタット公を頻繁に見舞い、亡くなった時は、従者の前にもかかわらず、大泣きした。


なお、在位68年にも及ぶフランツ・ヨーゼフ帝は、彼の長男。



ゾフィー大公妃 1805-1872


フランツ・カールの妻。ライヒシュタット公より6歳年上。公が13歳の時、バイエルンから嫁いできた。夫との間には、6年間、子ができず、周囲からの無神経な期待に苦しんだ。


その間、成長したライヒシュタット公をエスコート役に指名、共に劇場などに出掛けるようになる。すぐに、二人の関係が噂されるようになる。


ライヒシュタット公が病に倒れると、しばしば病室を訪れ、気遣った。当時彼女は次男を妊娠中で、ライヒシュタット公の死の直前に生まれたこの子は、彼の子だと、今に至るまで囁かれている。



レオポルト・フェルトバウアー 1802-1875


1826年、美術アカデミーの学生だった頃、「あずまやにてライヒシュタット公爵のまわりに集う皇帝一家(タイトル翻訳:ウィーン・モダン展 クレムト・シーレ世紀末への道;2019)」を描く。



マリー・ルイーゼ 1891-1847

― 登場はしていません ―


オーストリア皇帝フランツの長女。フランツ・カール大公の姉。フランス皇帝ナポレオンの2度目の妻で、ライヒシュタット公の母。


ナポレオンが没落するとフランツ(後のライヒシュタット公)を連れて、実家のハプスブルク宮廷へ帰った。


ウィーン会議でイタリアのパルマに領土を与えられたが、これは彼女一代限りのことで、子どもを連れて行くことはできなかった。


フランツが5歳になる数日前、彼女はパルマへ赴き、21歳で亡くなるまで、息子の元には、7回しか訪れていない。(最後の1回は、死の近づいたフランツが、最後の秘跡を受けた後)



注記


本文中のライヒシュタット公の手紙は、実際この年の春、彼がパルマの母親宛てに書いた手紙です。


画像は、公式さんからお借りした以外はすべて、wiki からのパブリックドメイン作品です。


表紙は、本文最後に出てきた赤ん坊、後のメキシコ皇帝、マクシミリアン1世(1832 - 1867)です。


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