第2章 第4節 「ラパロPD」

文字数 13,460文字

 平成19(2007)年1月──。
 新年明けて、外科は仕事始めとなった。今年度最後の外科ローテート研修医との顔合わせや、指導担当の割り振りをした。外科入局を決めた2年目研修医の清水が少しでも外科を学んでおきたいと、予定を変更して外科に回ってきた。この2年目研修医の枠は元々、檜山のものだった。
 夕方、外科スタッフ一同は副院長室に参集していた。大和部長が話し始めた。
「以前から話のあった救急部の診療科昇格が本決まりとなった」
 卒後臨床研修制度必修化に伴う救急診療研修体制強化のための、救急部の診療科昇格に必要な人件費等について、市議会での予算措置の見通しが立ったという。要は、これでようやく救急部にも部長・副部長・主任医長の三役ポストを置けるということだ。せんだい市民病院の救急部は中央診療部門の一部署で、ヒラ常勤医長の平田先生を除いて専任のスタッフはおらず、各診療科による寄り合いのような形で運営されている。実態として、各診療科医師が日中に院外から相談を受けた際、あるいは夜間の当直当番の際に、めいめいのやり方で救急外来ブースとそのスタッフ、物品を利用して患者診療をしているに過ぎない。要は、救急外来から呼ばれたからその対応をしているというだけのもので、救急医療を主体的に実践しているというわけではない。それでも、それなりに救急部としては機能してきたが、研修医が体系だった救急医療を学ぶという点では──各診療科での救急的なやり方を学ぶことしかできないので──疑問の多い環境といえた。
「ここの救急も今後、いわゆる北米型ERってのを目指すらしい」
 日本の救急医療は、風邪や小外傷などの手当が必要な一次救急、詳しい検査や入院、手術が必要な二次救急、高度専門的・救命的医療が必要な三次救急に分類され、各病院がその規模に応じて、一次、二次、三次救急医療施設として迎え入れている。だが、心肺停止や全身熱傷などのケースを除けば、どの患者がどの時点でどの病院に行けばよいかはそう簡単にわかるものではない。重症感のある軽症患者も軽そうな重症患者も押し寄せる救急医療の現場では、病院側の都合や論理で診療機能を分担する日本式のやり方は理にかなってはいないし、患者が一人来るたびに全診療科を集めるわけにもいかない。そこで注目を浴びているのが、大きめの病院が充分な診療体制を整えた上で救急患者を事前に分別せずに迎え入れる「北米型ER(救急外来)」だ。それを担う医者には当然、循環器内科的とか脳神経外科的とかではなく、ニュートラルな救急医療という文脈で初期対応するための専門のトレーニングを積んでいることが求められるようだ。卒後臨床研修制度必修化後、日本各地の有名研修病院は、そういう医者を招聘して、この北米型ERへと逐次移行しているという。そして、どうやらその波が七州仙台にまでやってきたようだ。
「それで、新設救急科部長は公募で選考されることになった」
 大和先生がそう言うと、押切先生が続けた。
「どうやら、あの白神先生が立候補するという噂があるようですよ。内科側も消極的ながら応援に回るようです」
 神経内科の西宮から聞いたのと同じ話だったが、それを聞いて大和部長は舌打ちした。日本的でない白神総診のやり方については、外科外来をやっている大和部長も常々、コンサルトの仕方がなっていないとご立腹だ。
「日本には日本の救急医療がある。目指すのは北米型ERであって、北米ERじゃない。あんなやり方のやつらに引っ掻き回されたら、せんだい市の救急は崩壊するぞ」
 大和部長の言い方は極端だが、白神医師らのふだんのやり方──十分な検査や相談をすることなく、問診と診察のみで担当診療科を決めて患者を丸投げする──だと、院内医療資源が最大限利用可能な平日日中の一般外来ならともかく、それが極力制限されてしまう夜間の救急外来では全科から総スカンを食うだろう。内科側はそれで困りはしないのだろうか。
「ここの救急科部長には、せんだい市民病院を知り尽くした大ベテランの平田先生がふさわしいというのが外科系診療科の一致した意見だ」
 平田先生は現在、唯一の救急部専属スタッフとして日中の救急外来に常駐し、直接救急外来に受け入れ要請のあった症例の初期対応と、その後の交通整理(必要な診療科への橋渡し)の役割に徹している。研修医へは、個々の臨床事例に応じた指導をしているようだが、それでいきなり、北米型ERをやれと言われても困るだろうとも思った。ただ、なんちゃって北米型ERであるここでもう30年以上もやってこられたのだから、診療技能になんら問題はない。あとは確固たる肩書があれば、もっと指導面で活躍できるだろう。昨年、久斯のちょっかいで学位論文も完成したことだし、そろそろ医学博士号取得のための学位審査の時期だろう。医局に属さずに出世とは縁のないキャリアを歩んできたベテラン医師にようやく脚光が浴びる時が来たのだ。
「みんな、秩序と伝統あるせんだい市救急医療の維持のため、平田

の応援をよろしく頼む」
 それで解散となった。
 葦原は今晩、救急外来の当直だったので、総合医局で検食を食べはじめたが、救急外来のことを考えると正直、ため息が出る。このため息は今日一回のものではない。別に当直を(好きではないが)嫌がってのことではない──今般の救急部診療科昇格をもってしても、救急医療の抱える本質的課題の解決にはならないと思うからだ。
 救急科部長に立候補しているらしい白神医師は、アメリカで医療を学んできた人間だから、北米型ERとやらの研修指導面ではそれなりに活躍するだろう。ただ、救急医療という現場は特殊すぎて、一人の医者がどれほど有能だろうと、あるいは一つの病院がどれほど充実した診療機能を持っていようと、それで変わるものではない。むしろ、救急医療を売りにしてしまう医者や病院がいると、かえって医者や病院間の連携が崩れて、特定のそれにだけ負担がかかってしまう──ある病院が「断らない救急」の看板を出すと、これ幸いと他の病院は手を引いてしまうのだ。救急医療の水準とは当該地域の病院間の連携に左右されるのだと葦原は思う。そしてそれはこのせんだい市では現状、低水準だし、今後も期待薄だ。この市民病院を含め、診療・経営理念が全く異なる公的・民間、大・中・小規模の病院が市内あちこちでてんでばらばらに救急外来を開いているせいで、とにかくムダが多い。夜間当直に入っている当該地域の医者同士で、どこの病院がどれくらいの救急診療をしているのか全くわからない。外から見たら「たらい回し」と批判されるようなことが起こってしまうのも当然だ。
 葦原は昨年末、夜間救急外来から手術適応の虫垂炎(アッペ)の患者の対応で呼ばれて、そのまま手術に入った。無事に終わって帰ろうとしたところで、救急外来のスタッフから聞かされた話に愕然とさせられた──手術中に、重症の腹部外傷患者が新たに搬送されてきて、緊急手術が必要だったが、その時に(アッペの)全身麻酔手術中だということで、当直医の判断で大学病院へと転送されていたのだ。情けない話だった。市民病院のような三次救急医療機関こそ、臨機応変な手術と術後管理が必要な腹部外傷の手術をするべきで、アッペなら市内の他の病院でいくらでもやれたのだ。大学病院には、市民病院の外科はアッペの手術をして重症患者をやり過ごしたと思われたに違いない。自院で見つけた自院で治療可能な患者を正当な理由もないままに他院に送るわけにはいかないし、腹部外傷患者の相談を受けたわけでもないと自分に言い訳しつつも、葦原はその夜、明け方近くまで眠れなかった。翌日、真田医局長に電話で謝った。「気にするな」と言ってもらいはしたが、それで一件落着と思うほど葦原もバカではない。このような患者状態と病院規模のミスマッチのような事例は、なんでもかんでも受け入れてしまう北米型ERではかえって増えてしまうだろう──研修体制の充実は待ったなしだろうが、さらにその先の発想が必要ではないか。
 今回のようなケースを避けられないかと考える中で、いっそのこと、七刄会を中心として、外科の救急ネットワークを作ってみてはどうかと考えもした。年末のケースであれば、市民病院で虫垂炎(アッペ)と診断後に、それを経過観察や臨時手術が可能な病院に割り振ってしまうのだ。その後に重症患者が来なくても紹介元がラクをしたとみなされないという前提でだ。我ながら現実味のある話だと思えたのは、一人の医者、一つの病院に規定されない、地域横断的な医局があるからだ。
 きっと、外科に限った話ではなく、救急医療にこそ「医局」のような所属施設を超えた医者の団体が必要なのだろう。病院同士のネットワークを担うのは「地域連携」というおためごかしではなく、中で働く医者同士のつながりであり、その母体となるのはその地域を所掌する大学医局だからだ。そこが司令塔として、いざとなったらの最重症を受け入れるという保証のもとに、各病院で最大限、適材適所の診療ができるように監督するのだ。これは厚生省だの自治体だのがやれる芸当ではない。各病院に医者を継続的に還流させられる医局でなくては不可能だ──そこで、外科の範疇を超えて膨らんだこの考えはしぼんでしまう。
 現状、七大には救急医療の医局がない。旧帝大である七大病院では昔から救急医療というのは本来業務とみなされてこなかった。数年前に、七州大学医学部には救急医学講座が、七州大学病院には救急部が設置されたが、歴史が浅く所属人員も数えるほどしかいないとあって、当然、真の意味での医局は形成されていない。このアイディアが救急医療全体で実現できる余地はないのだ……。
 PHSが鳴った。救急外来からで、風邪の患者が来ているとのことだった。
「行きます」
 そう応えて、腰を上げた。


 1月末──。
 膵頭十二指腸切除術(PD)──押切執刀、狩野第一助手、葦原第二助手──が予定どおりに終わったあと、葦原は大和部長室に呼ばれていた。先に上がっていた押切先生もいた。
「トップシークレットだが、市長がIPMNらしい。

で手術することになった」
 大和先生はそう切り出した。膵管内乳頭粘液性腫瘍(IPMN)は膵臓内の消化液の通り道である膵管が凸凹(でこぼこ)と変形・拡大してくる病気だ。患者の自覚症状はあまりないが、膵臓の前癌病変と考えられていて、病変の増大傾向がある場合は手術適応となる。市長はそうらしい。病巣が膵頭部なら術式はPDだ。
「承知しました……あれ、市長さんっていま、マズいんじゃないんですか」
 現市長は近々任期満了で、次期市長選への出馬が取り沙汰されているものの、いくつかの金銭スキャンダルで再選が危ぶまれているというのを各種ニュースで知っていた。
「それだよ。これ以上、健康不安などのマイナス材料は避けたいらしくて、手術は受けるが長くは休めないって話でさ」
 PDは大手術だから手術成功後も退院まではそれなりに時間がかかる──まあ、市民病院(うち)ならば、それが最短化できるのだけれど。
「それでだ──市長さんは、大学で手術を受けたいってさ」
「えっ、大学(そっち)なんですか?」
 大和先生はうなずいた。PDなどの難関手術は、特定の施設で専門特化したほうが手術成績がよいというコンセンサスがまとまりつつあることから、近年の七刄会の取り決めとして、手術する病院を限定してそこに症例を集約している。PDを市内で受けるなら、大学病院か市民病院か警察病院だ。その中でもPD最速は押切先生と葦原のタッグのいる市民病院のはずだ。ただ、そういう事情を知らずに、なんでもかんでも大学病院がよいという人間も珍しくはない。医局側から、七刄会PD第一人者の押切先生への配慮があって、この話になったのだろうかと思って、葦原は言った。
「せんだい市長がせんだい市民病院でやれる手術をせんだい市民病院で受けないってなると、市議会でうるさい突き上げもあるのでは?」
「それがさ、市長さんはどこで聞きつけたのか、腹腔鏡下膵頭十二指腸切除術(LPD)をご希望のようだ」
「ええっ! 本当ですか?」
 葦原は驚いた。それが本当なら、確かに現状、牛尾のいる七州大学病院でしか受けられない。
「ああ。これから大学で合同会議(カンファ)をするから、プレゼンをしてくれ。玄関前集合」
 大和部長はコートを掴んで立ち上がった。葦原らも急いで自室に戻って上着を羽織り、タクシーで七大病院に向かった。大変なことになった。
 七州大学病院に到着し、となりの医学部研究棟3号館7階、外科フロアの会議室に進んだ。ここに来るのは、2年前に人事発令式で牛尾に負けたとき以来だった。
 すでに市長はじめ、関係者は集まっており、針生先生、牛尾の他、真田医局長もいた。合同会議が始まり、まず手術そのものの必要性を改めて中部班最高執刀責任者の針生診療助教授がプレゼンしはじめたが、市長サイドもすでに了承していたようで、あっさりと終わった。あとは術式の選択についてだった。葦原らは従来どおりのPDの提案をするために呼ばれたようで、大和部長、押切副部長の紹介の後、葦原が説明を始めた。
「市民病院外科の葦原です。私は標準術式について説明させていただきます」
 大学病院で勤務していた際にいつも使っていた患者説明用の資料ファイルをプロジェクタで映し出して説明した。市長相手というより牛尾相手だからか、葦原はアピールする語気を強めて言った。
「……このように、腹部の手術としては最も大掛かりな手術の一つです。ただ、我々のチームはこの手術において国内最高峰の成績を上げており、具体的には手術時間も短く、出血量も少なく、合併症も少ないものと自負しております。6時間もあれば病棟に戻れます」
 葦原はそうしてプレゼンを終えた。続いて、牛尾が説明した。
「七大病院外科の牛尾です。私の方からは新規的治療である腹腔鏡下膵頭十二指腸切除術、LPDについてご説明いたします。新規的と言っても海外ではすでに行われている術式です。しかしながら、日本国内ではまだ保険適応を取得する前の段階で、その安全性について当院を中心に国内の施設で臨床研究を開始したところです。今回は市長さんからのリクエストがあったとのことですので、本術式について説明させていただきます」
 牛尾は動画をまじえてプレゼンテーションした。
「この術式の最大のメリットはやはり低侵襲であるということです。大開腹を行わないので、術後早期に離床でき、結果的には早期退院も見込めるものと思われます。こちらの術式では開腹手術の2倍はかかると見込んでおりますが、手術時間が長いこと自体は麻酔が効いているので、市長さんが実感する負担にはなりません」
 牛尾のプレゼンの間、葦原は市長の顔に、葦原のそれにはなかった期待感のようなものを読み取っていた。
 合同会議終了後、葦原は真田先生に呼ばれたので、部長たちにはひと足先に帰ってもらった。医局長室のソファに座って、葦原は言った。
「ラパロPDを選ぶとは思いませんでした」
 市長サイドが選んだのは当初のリクエスト通り、「低侵襲」なラパロPDだった。ただ、腹腔鏡手術は常に緊急開腹術に移行する可能性があるため、その場合は七刄会PD最速の市民病院チームで対応することになった。当日は葦原たちも大学病院に来て立ち会う。
「うちのPDはちゃんと低侵襲で、すぐに退院させてやれるのに──一体、誰があんなものを市長に吹き込んだんですかね?」
「総裁だ」
「えっ、そうなんですか? これは失礼しました」
「中学校の同窓生らしい」
「そうでしたか……なるほど。しかし、総裁がラパロPDをお勧めに……」
 市長がラパロPDを選んだことよりショックで、葦原は悔し紛れに言った。
「牛尾のやつ、プレッシャーでしょうね。市長相手に、しかも総裁の勧めで、ラパロPD初陣なんて。うまくいかなかったら大変でしょう」
「お前たちがいれば大丈夫だろ。そのために来てもらったんだ」
「……へへっ、まあ、そうですかね」
 真田先生にそう言われただけで、すうっと気が晴れた。そうでなければ、今夜は眠れなかったかもしれない。
「ところで、今年は入局者確保、頑張ってくれたようだな。ごくろうさん」
「ええ。だいぶカミナリを落とされましたから」
 葦原はそう言ったが、結局のところ、清水・成瀬の入局は棚からぼた餅だったから、あまり胸を張れたものではなかった。市民病院からの研修医2名を加えて、今年の七刄会入局者は合計10名とのことだった。ギリギリ2桁というのはやはり少ないし、心もとない。2名を超えて入局者を確保できた病院も他になかったという。外科入局者が少ないのは当院だけの問題ではないのだ。
「やっぱり、限界のような気がします。今の若いやつらは外ばかり見てますよ。時代は、後期研修ってやつなんですかねえ」
「いい案が浮かんだか、葦原」
 葦原は頭を振った。「七刄会の後期研修」という

のようなこの宿題に葦原はいまも答えが出せていない。後期研修というのは初期研修後も大学に入局しないで学外で臨床修練するという意味合いだから、大学医局と後期研修というのは対局に位置するのだ。仮に大学医局が許認可して、希望者に市民病院など市内大規模(Aランク)病院で後期研修をさせてみるというのも考えてみたが、それでそれなりに成長したとしても、その後はどうするのかの答えが出ない。後期研修後に入局したとしても、初期研修後すぐの入局者とで同学年の医者の間でキャリアの差が生じる。そうと分かれば、後期研修組も入局しなくなってしまうのではないか。それでは元も子もない。大学病院の中で未入局者に後期研修プログラムを提供するというのも同じことで、どうしたって入局してそこにいる者とそうでない者には「身内」と「お客様」といった扱いの差が生じてしまう。このように、価値のある後期研修が仮にできたとしても、その後のキャリア設計との接続を考えると、迷宮入りしてしまうのであった。
「もう少し、考えてみます。辞表の件も、あと少し待ってください」
「ん、頼んだぞ」
 もう19時を回っていた。自宅はここから歩いてすぐだったが、抜け出してきたままだったので、葦原も市民病院に戻った。エントランスで帰りがけの藤堂先生に出くわして、葦原はギクッとしたが、正直に今度の大学病院の件を話した。
「そうか、頑張れ」
 それだけだった。避雷針代わりに、風神伏見のいる七州災害医療センターの今年の入局者が0名だったなどと余計なことを言わずに済んで、葦原もホッとした。


 2月28日、21時──。
 穿孔性腹膜炎の臨時手術──長野執刀、葦原前立ち──を終えて、葦原は総合医局で熱いコーヒーを淹れていた。ブラインドカーテンの隙間から外を覗くと、すでに人通りは乏しく、黒い道路に赤信号の色がうっすらと照り返っているのが寒々しく見えた。地下鉄で帰るとはいえ、今から身震いさせられるようだった。
 コーヒーを持って外科医局に戻ると、すでに帰り支度の済んだ押切先生がいた。
臨時手術(リンジ)、終わったか。おつかれさん」
「押切先生こそ、遅くまでお疲れさまです」
「明日の分をやっていたらこんな時間だ」
 明日は押切先生と大学病院での手術の助っ人として立ち会うことになっていた。
「これ、あとで目を通しておいてくれ」
「かしこまりました」
 押切先生から渡されたのは、去年の10〜12月の間に外科ローテートをしていた1年目研修医の研修レポートと指導評価表の書類の束だった。初期研修医は定められたカリキュラムに則って、手技や処置、疾病や病状などの診療を経験し、その習熟度を自己評価し、各診療科指導者に提出する。併せて、研修医側からもローテート科の研修指導について評価を受けることになっている。さっそくパラパラと書類をめくってみたが、前3ヶ月間のローテート研修医からも好評価だったようだ。葦原がここに着任した昨年度、研修医からの評価はおしなべて可もなく不可もなくといったところで、実際の研修満足度は低かったのだろうと今にして気付かされるのだった。
「葦原の指導プランがうまくいっているようだな」
「おかげさまです」
 押切先生にそう言われて、葦原も喜んだ。「2006年ショック」の甚大な被害を受けて、今年度から市民病院外科の指導方法も葦原が主導して変えていたのだ。上司の先生方や副主任医長トリオには、外科の伝統的な指導スタイルである「見て盗め」は意識的に慎んでもらい、明確に手技や手術の要点を教えてもらうことにした。特に、内科やマイナー科志望研修医には、その進路で役立つであろう外科のノウハウを積極的に考えて、教えることにした。手術室の外でも、清潔操作、縫合、糸結びといった外科の基本手技は必須の診療スキルなのだ。だからといって、内科やマイナー科志望研修医が外科に鞍替えするようなことはなかったが、勉強になって喜んでもらえているようなら報われるというものだ。
「先に上がるよ。明日は

でな」
「はい。おつかれさまでした」
 押切先生を見送ったあと、葦原は自分の机に座ってコーヒーに口をつけながら、研修医からの指導評価表を見ていった。12月まで外科ローテートしていた1年目研修医の高橋のものには、『外科での研修が一番勉強になった』と書かれてあって嬉しくなった。高橋は泌尿器科志望だったか、これで外科に鞍替えしてくれればバンザイなんだがな、と思いながら読み進めていったが、その後の言葉に瞠目させられた。『初期研修修了後はメジャー外科で後期研修をしてから泌尿器科に進みたいと考えておりますので、ここにも外科の後期研修プログラムがあれば助かります』とあったのだ。
 そのニーズに対する配慮が抜け落ちていた。
 これまでは、外科志望者にどうやって七大外科に入局してもらうかを考えていた。また、他診療科志望者には外科への興味関心を持ってもらって、あわよくば外科へ鞍替えしてもらえればと思っていた。だが、高橋の指摘するように、将来外科にならなくても、外科で教えてやれることは医者として役立つはずだ。そして、他科志望者であっても希望があるなら外科を学べる機会があってもよいはずだった。そのことを自身のキャリアの中でどう帳尻合わせするかは本人次第だが、七刄会で学んだことは決して損にはならない。七刄会外科はスタンダード・オブ・サージャリーだ。「七州地方のメスはすべて七刄会から発する」なのだ。いつだったか、医学生に対して偉そうに言っていた自分がそれを忘れていたのだから、我ながら情けなかった。つくづく、貧すれば鈍するだなと思った。だが、葦原はワクワクもしていた。外科志望者に後期研修が必要なのか、大学入局との兼ね合いはどうするのかの解決にはなっていないが、七刄会というものがなんであるのかを再確認できたことで、七刄会の後期研修をどうするかという暗中模索の日々に、光明が差した気がしたのだ。
「……………」
 もしやと思い、葦原は内科医局の方を覗きに行ったところ、果たして、白神医師はいた。すでに22時を回っている。
「外科の葦原先生じゃないですか、こんばんは」
「白神先生、夜分遅くにすみません」
 葦原は以前、白神医師に依頼された、総合診療部の後期研修医の外科短期研修の希望を断ってしまった。あれは、七刄会外科医としてあるまじき行為だった。その件を謝罪した。
「去年の話じゃないですか」
「あのときはちょっといろいろありまして……もし、今からでも遅くなければ、その後期研修医に外科の研修をさせてやりたいのですが」
 白神医師は笑った。
「もう大丈夫ですよ。彼はその間、東海災害医療センターに短期国内留学をしてもらって、外傷診療の勉強をさせてもらいましたから。その縁で、彼はこの春からそこで後期研修を続けることになりましたし。人間万事塞翁が馬、というやつですね」
「そうでしたか」
 七州に勉強に来た医者が、葦原が面倒を見なかったせいで七州から出ていったのだ──葦原は反省した。
「もしまた、似たようなリクエストがありましたら、外科も協力させていただきますので、遠慮なく言ってください」
「ありがとうございます」
 外科医局に戻った。人間万事塞翁が馬か──アメリカ帰りの医者にわざわざ故事成語で気遣ってもらって恥ずかしい限りだったが、時計を見るともう23時も近かった。明日は朝から大学病院だ──葦原は帰り支度をした。


 3月16日──。
 七州宮城仙台も3月は暖かくなり、あらくれ外科医にも素直に嬉しい季節である。例の光合成スポットで深呼吸をしていると、院内放送が流れてきた。
『本日17時30分より東棟10階大会議室で、平成17(2005)年入職初期研修医の研修修了式が行われます』
 檜山や成瀬たちの2年間が終わった。葦原がここに来てからの2年間もあっという間に終わってしまった。入局者確保のノルマは今年度分は果たせたが、それ以外の宿題(ミッション)は積み重なってしまっている。せっかくの光合成をため息で浪費するのももったいないと考えて、総合医局に戻ると、久斯がいた。
「おう、久斯、いまどこ回ってんだ」
「いまは消化器内科の肝胆膵グループです。知ってるでしょ」
「そういや、先週の合同検討会(キャンサーボード)で会ったばかりだな。訊くのがクセになっててな」
 消化器内科と外科、それから放射線科は定期的にカンファレンスを行っていて、悪性腫瘍症例の治療方針を相談しあっている。
「内科デスマーチも最終盤でお疲れか、大先生」
 久斯は浮かない顔をしていた。
「僕はいたって元気なんですが……平田先生が博士課程の学位審査を受けてなかったんです」
「えっ、だって、論文は間に合っていたんだろ?」
 すったもんだはあったにせよ、平田先生の英語論文は今年度9月に間に合って受理された。
「論文自体は間に合っていたんですが、平田先生が学位審査の手続きをされていなくて」
 学位取得には、大学院授業出席単位と学位研究成果を揃えた上で、学位審査が必要になる。研究内容を教授陣からなる審査委員にプレゼンして、学位に値する研究であったかの諮問を受けるのだ。ただ、審査に進むものの学位研究はすでに、その主たる成果を構成する英語論文が査読付きの学術誌に掲載されることでお墨付きが得られているため、審査で大きくつまずくということはない。ただ学位審査申請をしなければ当然、学位は審査されないし、授与もされない。
「忙しかったのかもなあ。まあ、次の機会でいいんじゃないか」
「次なんかないですよ。平田先生、自主退学しちゃったんですから」
「ええ、ウソだろ?」
 他学部では「単位取得満期退学」という非公式な博士課程の切り上げ方もあるようだが、医学系ではそういう転帰はない。退学したらそれっきりだ。履歴書の一行も埋まらない。
「納涼祭のときにはもう、怒っていないように見えたんだけれどな」
 そう言いはしたものの、その時の平田先生の苦い顔を思い出した。
「やっぱり、余計なことしましたかね」
「それはまあ、そうだろうけれど……でも、平田先生が自分でそうしたんなら仕方ないんじゃないか。平田先生はここで長らく勤めて、医者が人を救うには医師免許だけで十分だということを証明しつづけてきたわけだからな」
 医師免許だけでは出世もままならないということも証明しつづけたことについてはさておき、研究活動を続けないのであれば、医学博士号にも畢竟、意味はない。
「それでいいんですかねえ。大学院に入った以上は、学位を取るってのは相応の義務だと思いますがね。平田先生、大学院に足掛け8年いたんですよ。学費だけで400万円は超えるでしょう。なにがしたかったんでしょうねえ」
 久斯は不可解そうに言った。
「俺に言うなよ。自分より年上の人間には、自分には思いつかないような事情があるものなんだよ」
「あっ」
 久斯が明後日の方を向いた。
「自分より年上の人間の話を聞けよ!」
 久斯の向いたほう──医局のテレビから、せんだい市長退院のニュースが流れていた。術後2週間だから、膵頭十二指腸切除術後としては十分に早い。今朝の新聞朝刊一面にも、退院する市長が七大病院エントランス前で病院長である総裁教授そして執刀医の牛尾との3人で手を取り合っている写真が載っていた。紙面では腹腔鏡下膵頭十二指腸切除術についても解説されていた。
「これ、葦原先生の同期なんですって?」
「ああ。よく知ってるな」
 3月に入ってすぐに七州大学病院で行われたせんだい市長の腹腔鏡下膵頭十二指腸切除術は、10時間以上をかけて無事に成功した。万が一の事態に備えて待機していた自称七刄会PD最速チームの押切・葦原(と伊野)には出番はなかった。外科医が執刀なしに10時間も待つだけというのは拷問であった。ましてモニタ越しに他人の腹腔内操作を見つづけるのはただただ悶絶であった。
「悔しいですね、葦原先生」
 息が一瞬、止まった。そうと気づいて、葦原はヘタな咳払いをして、息をして、言った。
「なんでだよ。同期の誉れだよ。実際、

なんて日本で前人未到の快挙をやり遂げたんだ。あいつ、忙しくなるぞ」
「伊野先生曰く、だいぶヒヤヒヤさせられたらしいんですけど」
 七大病院で一緒に10時間立ち尽くした伊野が久斯にいろいろ吹き込んでいたようだ。
「でも乗り切ったぜ。外科医はこういう際どい経験をして、成長していくんだ」
「伊野先生曰く、これで、葦原先生の学年でいちばんはこの人だ、とのことです」
「……いや、2年前には、もう、そう、決まってたよ。伊野のやつ、なにを今さら」
 葦原の学年の中部班の出世レースは2年前にすでに雌雄を決していた。
「伊野先生曰く、結局は、大学に残った人間が功なり名を遂げる。これも、楡井先生かサイワイの業績になっていくって。楡井先生って、あの美人の先生ですよね。サイワイ氏のことは知りませんが」
「あいつはまたいらんことを」
 医局内部のことなんか言わんでいいだろうにと葦原はため息を付いた。この症例は文句なしに牛尾の功績だし、論文や学会発表を通じて「LPDの七大牛尾」として今後有名になっていくだろう。牛尾がそうして執刀経験を重ねていく一方で、そういう症例を継続的に集積し、その治療の妥当性について科学的に検証し、外科学に昇華させていくのは七刄会では楡井や栄祝などSキャリア、講座スタッフの仕事だ。それで手柄をどうこうというものではない。役割分担をしているだけだ。
「負けないでくださいよ。先生のもとで外科を学んだ僕に恥をかかせないでくださいね」
「うるせえよ。たった3ヶ月、外科にローテートしてきただけだろ、お前は」
「来月からまた外科でお世話になりますので、どうぞ宜しくお願いします」
「ああ、そうだったな。こちらこそよろしく」
 久斯は2年目選択ローテートでまた外科に来る。研修医は外科手術症例を1つこなさないと研修修了にならない。どの外科系診療科でもよいのだが、わざわざ外科を選んでくれた。研究医になる人間に外科で足踏みをさせるわけにはいかない。ここにいても、医者として外科医として、大した業績にはならない……。
「来月から研修医の院内寮に入ることになりました。フルタイムで虫垂炎(アッペ)を迎え撃つつもりですので、夜中でも呼んでください」
 市民病院中央診療棟の最上階は研修医(希望者)向けのワンルームマンションのような寮になっている。文字通り、住み込み(レジデント)だ。賃料も格安だし、通勤時間0分とあって至便と思いきや、そこは院内PHSが届いてしまうので、些細な用事での呼び出しがひっきりなしだ。呼び出される側にはそれが嫌われて、1年目に入寮した研修医のほとんどは2年目に上る前に院外に出ていくのだという。そこにわざわざ逆流していくように入っていくわけだから、久斯もつくづく物好きなやつだ。
「やる気満々だな。症例がいたら呼んでやるよ」
「約束ですよ──それでは僕は、肝動脈塞栓術(TAE)のゼラチンスポンジを切り刻む仕事があるので、これで」
 失礼な久斯は去っていったが、それ以上に失礼な言葉が葦原の胸の中に渦巻いていた。
 そうか、俺はついに牛尾に負けたのか──。
 学外転落から丸2年──その事実を口にしてみても、なお葦原は受け入れられずにいた。
─────
©INOMATA FICTION 2019-2020
本作の一部または全部を無断で複写、複製、転載、配信、送信することを禁止します。また、内容を無断で改変・改竄することを禁止します。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

葦原建命(あしはら・たてる)

 七刄会医伯正

 七州大学病院外科診療助手(中部班)

久斯創(くし・つくる)

 せんだい市民病院「アラサー」初期研修医

 論文モンスター

 

真田善次(さなだ・ぜんじ)

 七刄会医伯総監

 七州大学病院外科特命教授

 七州大学医学部外科学講座医局長

藤堂壮平(とうどう・そうへい)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院副院長

 「雷神藤堂」「七刄会ラパ胆のパイオニア」

大和達郎(やまと・たつろう)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科部長

 「肝臓手術の名手」

押切慶二(おしきり・けいじ)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科副部長

 「七刄会PD最速」

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み