スピカ・Ⅲ

文字数 3,455文字

 ユユは、夜の見回りの時間にはきちんと厩(うまや)にやって来た。
 何だか疲れた風で、目の下に隈を作ってボォッとしていた。
 シドとソラに馬装の礼を言うのも忘れて、フラリと暗い空に溶けた。

 いつもの元気なロケットスタートを見られず、二人の少年は、顔を見合わせて首を横に振った。

 ユユが出掛けたのを見計らって、モエギは宿屋の入り口をくぐった。
 カンテラの灯りで、足の踏み場もない廊下を何とか通り過ぎ、奥の小部屋の扉を開けた。
 窮屈な部屋の奥のベッドに、ヒト一人分の膨らみがある。

「そもそもカワセミが起きていれば問題は無いんだ。奥方のユユが辛い目を見ているというのに、いつまで呑気に眠かけ漕いでいるんだ」

 モエギはズカズカとベッドに近寄り、カワセミの肩を掴んだ。

「!!??」

 掴んだ手を思わず引っ込めた。
 鎖骨の浮き出た肩は氷のように冷たかったのだ。

 カンテラを近付けてよく見ると、目の回りがうっすら紫で、呼吸はしているが驚くほど浅い。
「おい……大丈夫なのか? 病気じゃないのか?」
 モエギは今一度カワセミの肩に触れ、小さく揺さぶった。
 水色の頭はグラグラ揺れるばかりで、起きる気配が微塵も無い。

「ユユはどうして何も言わないんだ? 医者を呼んだ方が良いんじゃないのか!?」

 モエギは後ずさって宿屋を出た。

「モエギ様!」
 息せききったシドとソラが厩から掛けて来た。

「ユユさんの、馬だけ戻って来たんです!」
「何だって!?」

「怪我してるんです。かすり傷だけど、鞆(とも)に三本の爪の跡」

「!!・・ユユ!!」

 慌てて厩に走ろうとするモエギに正面向いたまま、シドとソラが凍り付いて止まっていた。
「どうし……?」
 二人の視線を辿って振り向いたモエギも固まった。

 さっきテコでも起きなかった水色の妖精が、宿屋の戸口にフラリと立っているのだ。

「ユユ……どこ……?」

 ボサボサ頭に寝起きのクシャクシャのローブ、そして裸足だ。
 右手首に巻いた半透明の三日月形の石が光って震えている。
 自分の橙色の石と同じ性質の物だ! モエギは直感で思った。
 では、ユユが何処かで危機に陥って、カワセミを呼んでいるのか。

「ユユは見回りに行って……」

 モエギがかすれた声で答えかけた時、厩の方でバキバキと音がした。

「あああーっ」
「な、なんてコトを!」
 厩番の少年達が頭を抱えて叫んだ。

 二頭の馬が凄い有り様で駆けて来る。
 蹴破った馬栓棒を肩に引っ掛けたカワセミの馬、繋がれていた杭を引っこ抜いて引き摺ったユユの馬。

「いい子だ……」
 カワセミは馬栓棒と杭をガラガラと投げ捨て、スルリと裸馬に跨がった。
「ユユの所へ……」

 茫然と見送るシドとソラの肩を、モエギが踏んで行った。
「ごめん!」
 カワセミの馬を追って舞い上がるユユの馬のタテガミに、ギリギリで飛び付いて舞い上がる。


「モエギ様! 無茶です!」
 馬装が解かれて手当されてたユユの馬には、鞍も手綱も無い。
 草の馬に馴れていないモエギが裸馬で飛ぶなんて、危険過ぎる。

 モエギはタテガミに指を絡ませてしがみ着く。
 無茶なのは重々承知だ。
 けれど、ユユがどうにかなっていると分かって、何もせずに待つなんて出来ない。


   ***


 月夜の砂漠の真ん中で、ユユは右手に長剣、左手に術杖を持って構えていた。

 周囲には何も見えない。
 しかしユユを中心にして円を描き、砂を蹴る複数の足跡が走る。
 その円の端から一体が鋭く跳ぶ。

「ええい!」

 ユユの長剣が何かに引っ掛かった。
 後方で、肩口に傷を貰った飛び蜥蜴(トカゲ)が姿を現した………が、またすぐに消えた。
 こんな風にユユはずっと、姿の見えない敵に翻弄されているのだ。

(叔父様の報告書にあった、飛び蜥蜴だ……)
 西風の里の水場のある豊かな土地を狙っていると聞いた。
 蒼の一族の駐留者が居る間は手出しして来なかったが、見回りをしているのが弱そうな娘と見るや、様子見に襲って来たんだろう。

 最初の一撃を受けて傷付いた馬は逃がした。
 あの馬の脚なら、蜥蜴は追い付けなかった筈だ。
 里からの案内役を果たしてくれるだろう。

 胸上のピンクの石を握る。
 カワセミ様が来るまで持ちこたえなきゃ。
 西風の里には、やっぱり強くて恐い蒼の里の駐留者が居るって、知らしめなければならない。

 しかし周囲を囲む複数の見えない敵は、息を合わせて一度にユユに飛び掛かった。

「破邪――!!」

 左手の杖から、鋭い光が飛び散る。
 前の蜥蜴は吹っ飛んだが、一番後ろの奴がユユの右肩をかすめた。
「きゃっ!」
 倒れた妖精に蜥蜴の爪が襲い掛かる。

 ――ギャリィッ!!

 緑の槍がそれを弾く方が早かった。

「カワセミ様……」

 ユユを跨ぐように立つ、ボサボサ頭の水色の妖精。

 その半開きだった目が、ユユの肩口の怪我を見て一気に覚醒した。
 眉間にみるみる縦線が入って行く。

「伏せていろ」

 怒りに髪を逆立てて、カワセミは槍を頭上に振りかざした。
 緑が光を増し、眩しい白に変わる。

 その時上空にモエギが追い付いた。
 地上のただならぬ迫力に、馬は空中に留まっている。

「ユユを傷付けたのは!! どいつだあぁぁあ――――!!」

「ああっ駄目! カワセミ様!」

 カワセミが光の槍を地面に突き立てるのと、ユユが叫ぶのと同時だった。

 ――ズザザザザザァアア――――!!!

 槍が刺さった所から、地面に蜘蛛の巣状に衝撃波が走り、周囲の敵を一網打尽に吹っ飛ばした。
 カワセミの必殺技。
 蜥蜴どもに長の恐さを知らしめるには十分だ。

 草原の地で炸裂する時はそれで終わった。
 しかしここは砂の上。

 ――ザザ――ザッパ――ーンン!!!!

 衝撃波は軽い砂を上空数十メートルまで舞い上げた。

「けほっけほっ」
「げほほ……」
 もうもうとした砂埃の中で、カワセミが四つ這いで砂を吐き、その背中をさするユユも咳き込んでいる。
「カワセミ様~~ここは砂の国ですよぉ」
「忘れてた、けほ、目が覚めた、けほ、所だったから……けほほ」

 ようよう立ち上がった二人は、しかし砂煙の中にトンでもない物を見た。
 二匹の飛び蜥蜴と、その手の中のぐったりとしたモエギ。

「モエギさんっ!」

 上空で砂を浴びたモエギの騎馬は視界を無くし、衝撃波を逃れて飛んで来た蜥蜴に体当たりされたのだ。
 鞍も鐙(あぶみ)も無いモエギは、簡単に落っこちた。
 地面にしたたかに身体を打ち付け、転がった所を蜥蜴に手足を押さえられた。

 落ちたショックで失神したのか、モエギは動かない。
 蜥蜴達は嫌な笑いを浮かべて、モエギの手足を掴んだまま飛び上がった。

「モエギさん――!」
 剣に手を掛け走り出しかけて、ユユは止まった。
 蜥蜴達が空中でモエギの首に爪を当て、鋭く睨み付けて来たからだ。
 
 水色の妖精は眉間に縦線を浮かべたまま、冷静な眼差しで蜥蜴の金色の目を見据えた。
「……西風の里の土地を寄越せと言うのか」

「ええっ! ちょっと待……」
 ユユが驚いて叫ぶが、カワセミは続けて蜥蜴に語りかける。
「あの水のある土地だけ手に入れれば、その娘は無事で返すんだな?」

 蜥蜴達は瞳孔の縦線を更に細めて頷(うなず)く。

「分かった」
「カワセミ様!」

「決めるのは西風の里の連中だ。聞いて来るから待っていろ」
「カワセミ様ぁ……」
「ユユ、行くぞ」

 オロオロするユユに構わず、カワセミはとっとと痩せた草の馬に跨がった。
「ユユ!」

 ユユはモエギを振り返り振り返り、自分の馬を引き寄せた。

 カワセミは先に地上を蹴って浮き上がり、今一度蜥蜴を見据える。
「その娘は『無事』で返すとの約束だぞ。怪我の手当てはしておくんだ」

 蜥蜴達は意外と真面目な顔で頷いた。
 自分達を同等な相手として交渉を仕掛けて来るなんて拍子抜け……という顔だ。


「カワセミ様、アタシ、ハトゥンに知らせて来ます。砂の民に助けを求めましょう!」
 上空でカワセミの馬に追い付いて、ユユは別方向を差した。

「駄目だ」
「どうして?」
「砂の民はまだ正式に同盟を結んでいない」
「ハトゥンは個人として助けに来るわ」

「ユユ、これは西風の里の問題だ。下手に他部族に関わらせると、争いの輪を広げる事になる。分かるだろ?」
「うぅ……でも……」

 馬の上で地団太を踏むユユに、カワセミは冷静に言った。
「総ては西風の里の者達次第なんだ。砂の民に救援を求めるにしても、里の者がやらなければ駄目だ。ボク達は彼等が何を決定しても従わなければならない」

「…………」

 ユユは黙った。
 西風の里に関わるという事の意味を、今更ながら噛み締めた。










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登場人物紹介

大長(おおおさ):♂ 蒼の妖精

北の草原、蒼の里の、前の長。

今は引退して、ツバクロ・カワセミ・ノスリの、三人の弟子に席を譲っている。

モエギ:♀ 西風の妖精

南の砂漠の地、西風の里の長アサギの一人娘。

長だった母亡き後、己の身の処し方に、迷走中。

ハトゥン:♂ 砂の民

南の砂漠の地、砂の民の部族の、総領息子。

モエギとは幼馴染。武闘派。

ツバクロ:♂ 蒼の妖精

三人の蒼の長の一人。妻は大長の妹。ユユとナナの父親。

若い頃から王子様属性。

ナナ:♂ 蒼の妖精

ツバクロの息子。ユユの兄。次期長として絶賛修行中。


ユユ:♀ 蒼の妖精

ツバクロの娘。ナナの妹。カワセミの妻(作中で結婚式)。

馬で飛ぶのだけは一級品だがあとはヘボ。

カワセミ:♂ 蒼の妖精

三人の蒼の長の一人。ユユの夫。

なけなしの体力を術に全振りしているので、すぐに力尽きて寝込む。

ノスリ:♂ 蒼の妖精 

三人の蒼の長の一人。

一番誠実で、一番気苦労の絶えないヒト。

シド:♂ 西風の妖精

西風の里の、厩番(うまやばん)の少年。ソラの相棒。

傾きかけた西風の里で、日々一所懸命生きている。馬が大好き。

ソラ:♂ 西風の妖精

西風の里の、厩番(うまやばん)の少年。シドの相棒。

前長への恩義を忘れず、その娘のモエギに一生の忠誠を誓う。書物が大好き。


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