ムーンピラー ~幸せのお裾分け・Ⅱ
文字数 3,194文字
冬の継ぎ目の無い白い空から、淡い雨が落ちて来た。
心許ない霧雨と一緒に、心許なく降りて来たフラフラの一騎。
真っ青な顔でもうろうとしたナナだ。
馬は平気の平座でスンと着地する。
鞍上のナナは馬の背峰に顎をぶつけかけた。
「大丈夫ですか? ナナ。まだ高空気流は慣れませんか?」
「へ、平気です」
青年はよろけながら下馬するが、膝がわらって大長に支えられている。
(カッコ悪……)
シドとソラは口には出さないが、心で悪態付きながら、馬を受け取った。
大長様はいつも涼しい顔で降りて来るし、ツバクロ様なんか宙返りなんて交えながら、惚れ惚れする降下を見せてくれるのに。
まだ千鳥足のナナに、元老院の老人達は形式ばった長い歓迎の辞を述べた。
西風の里の次期長のモエギも一応、出迎えて挨拶をする。
さぞやネチこく絡まれるだろうと、モエギは恐々と構えていたが、意外にナナはあっさり受け流した。
「ではよろしく頼みます」
と、チラと視線を流しただけで、雨衣を脱いで、大長との引き継ぎに入ってしまったのだ。
「……?」
モエギは拍子抜けしたが、内心ホッとした。
ナナはこちらが考える程に子供でもなかったんだろう。大人気ないコトをしたと反省しているのかもしれない。まぁ、わだかまり無く平穏にやれるのなら、それに越した事はない。
(こっちだってグーパンチをお見舞いしたんだ、お互い様ってコトでいいだろ!)
もともと性格のサバサバしたモエギは、そう判断して胸に納めた。
大長には分かっていた。
平静を装ったナナは、実はモエギの前で、心臓が喉元まで上がりそうな程に緊張していたのを。
先の鷹の手紙にはノスリの私信も入っていた。フィフィからナナに、みっちりと教育的指導が入ったと。
(この分だと大丈夫そうですね)
明日から長雨になりそうなので、雨雲の薄い今日の内に出発したい。
ナナが自重して大人しくしていてくれるなら、安心して引き上げる事が出来る。
元々は、落ち着きのないツバクロよりは、実直なナナ向きの仕事なのだ。まだ若いが、時間を掛けて里の者の信頼を得て行けばいい。
こんな風にそれぞれの大人が丸く納める方向へ落とそうとしている裏側で、シドとソラは厩の隅でコソコソと画策していた。
午前中に荒れ地で採って来たコカの実を、殻から剥いてるのだ。
「無味無臭だけれど、これが枕に入っていたら、頭が冴えて眠れない。単純な事だけれどね、眠れないと身体のバランスが崩れて、頭がはっきりしなくなる。忘れっぽくなって失敗が多くなったり。結果、何だか西風の里は馴染めない、となる」
「凄いな。よくそんなイヤらしい事を思い付くな」
「一生懸命考えたのに」
「褒めているんだよ」
「お前達、こんな所に居たのか」
外の窓からモエギが顔を出して二人は飛び上がった。
「どうした? 何かしていたのか?」
「あ、あの、馬具の修理を」
シドがワザとらしく手近の頭絡を手に取った。
「大長が発たれる。闘牙の馬の馬装を頼む。それからお前達に挨拶をしたいと」
「は、はい……」
シドは後ろ手に隠した実付きの枝を、壁の板の隙間に押し込んだ。
そうして闘牙の馬を引いて、馬繋ぎ場へ急いだ。
「貴方達のお陰で、不慣れな土地でも健やかに過ごす事が出来ました。感謝していますよ」
大長は二人の前に立ち、順番に額に触れた。
触れられた所からフワッと穏やかな心地になれて、二人はこうやって長に触れられるのが大好きだった。祝福の術っていうらしい。
「ナナの事も宜しく頼みますね」
「……はい」
大長は手を振って上昇して行き、二人は後ろめたい気持ちになった。
でも、望みの無いモエギ様の側でヤキモキしているよりは、とっとと里に戻って別な女の子とくっつく方が、ナナ様にとっては幸せなんだ。
二人は昨日話し合った結論を、無理矢理頭の表面に引っ張り出した。
その日の午後からナナは仕事に没頭していたので、寝所の枕は余裕ですり替える事が出来た。
しかし夜になって、厩横の小屋で、落ち着けないのは二人の方だった。
あんなにヨレヨレで空から降りて来て、午後も里の為に働いて、挙げ句、夜眠れないのか。
ちょっと可哀想すぎるかも……
一日目にして早くも二人の良心が痛み出した。
どちらからともなく顔を見合わせた所で、不意に想い人が顔を見せた。
「やあ」
「ナ、ナナ様!?」
「ちょっと僕の部屋へ来てくれる?」
企みがバレたのかと、戦々恐々と二人が着いて行くと、ナナの客間は足の踏み場もなかった。
カゴに入った干し果物やら、可愛い形の砂糖菓子、甘い匂いの焼き菓子等が、床一杯に並べられている。 なけなしの材料を集めて作られたであろう、祝い事の時にしかお目にかかれないような料理もある。
「………………」
二人は呆れた目でそれらを見下ろした。
多分女の子達が我先に差し入れて来たのだ。
「こんなに、貰ってもねぇ……」
ナナが呟いて、二人はピクリと肩を震わせた。
このヒトに、里にこういう贅沢な菓子がいつも普通に存在すると思われるのも嫌だし、それを分け与えて自分達を抱き込もうとされるのも嫌だ。
「僕達も、甘い物に飛び付くような子供でもありませんから」
ソラがひねくれた言い方をした。
「うん、勿論君達にだって食べきれないよね」
ナナは普通に受け流した。
「甘い物が好きな子供達のおうちへ、持って行ってくれないか?」
「…………はい」
二人は一瞬茫然としてから返事をした。
言われてみれば当然なんだが、言われるまで気付かない事ってある……
「君達ならくまなく配分出来るだろうし。雨の中、大変だろうけれど、頼むよ」
「は、はい」
二人は菓子を配る算段をし、シドは荷車を取りに行った。
「ねえ、ソラ」
ナナはベッドに腰掛けて枕をポンポンと弄(もてあそ)びながら、残って菓子を選り分ける少年に話し掛けた。
「……はい?」
ソラはちょっとドギマギした。
「どうしたら、こういうのを無くせるんだろう」
「女の子達が貴方へ貢ぎ物を届けるのをですか?」
「……うん。食べ物や住む家が、片寄らないで、本当に必要な者達の所へ、自然に流れるようにするには、どうしたらいいんだろう」
「……………」
「里の中ですら滞る場所がある」
「……あの」
「うん?」
「枕にシミがあります、取り替えます」
「? いいよ、別に」
「取り替えさせて下さい」
「??」
「それで、枕、取り替えたのか?」
小さな荷車を引きながらシドが聞いた。
「うん、ごめん、相談無しに」
ソラは荷台の食べ物に雨がかからないように掛けた帆布を押さえながら答えた。
「いいよ、僕も気が進まなくなっていた」
シドはソラを振り返って苦笑いする。
「どうしたら無くせるかって……言えばいいと思うけれど、女の子達に」
「そういうのじゃ駄目なんだって。言われて従うだけじゃ、自分が居なくなったらおんなじだって」
「…………」
子供達の住む家はそんなに多くない。
一軒当たりの人数は多いけれど。
空の皿の山を荷車に積んで、ナナの所へ戻ると、部屋は既に書き物の山に埋もれていた。
「ご苦労様、ちょっと待って」
書きかけ図面を脇に避けて、ナナは鞍袋から小さな瓶を引っ張り出した。
「お土産」
「へ?」
「甘い物、好きじゃないって知らなかったから、ゴメン。でも割りと美味しいから食べてみて。蜜柑の蜂蜜漬け、僕の妹が作ったんだ」
「僕達に?」
「うん」
「モエギ様にじゃなくて?」
「モエギ殿には昼間同じ物を渡したよ」
「女の子達には?」
「厄介の種になる」
二人は肩をすぼめて笑った。
そうして二人同時に手を出して小さな瓶を受け取った。
二人が暇乞いして、小屋へ帰る道々振り向いても、ナナの部屋の灯りは点いていた。
どっちみち満足な睡眠を取るつもりはないんだ、あのヒト。
小さな小屋で瓶の封を開けると、甘酸っぱい香りが広がった。
実は二人とも、甘い物はそこそこ好きだった。
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