五章 共鳴

文字数 12,553文字

わたくしの名前は白石凛。寂れた農村に生まれた。五人兄弟・姉妹の真ん中で、兄の清一郎、姉の雪、弟の源次郎、妹の琴、そして両親と暮らしている。

わたくしは家族の嫌われ者だ。

雪がわたくしに足を引っかけた。わたくしは転んでしまう。


「あーあー、どんくさいなぁ、凛は」


清一郎がそう言い、雪と琴がくすくす笑っている。わたくしはゆっくりと起き上がった。頭に痛みと衝撃が走る。源次郎が石を投げた。


「とろくせぇなぁ凛ねーちゃんは! ぎゃはははは!」

「駄目よ源次郎。凛は生まれつき『こう』なのだもの。馬鹿にしちゃ可哀想だわ。琴もそう思うでしょう?」

「うん! 凛ねーちゃんみたいにはならないよ! あたし、雪ねーちゃんみたいになるんだもん!」


両親は、それを見て見ぬふり。


「あははぁ・・・。ごめんなさい・・・」


母が笑顔を浮かべてわたくしに近付いてきた。


「凛、遊んでないで山菜採りに行ってちょうだい」

「・・・お母さん、外は、雪が降っているわぁ」

「だから何? あたしはお腹の子供のために栄養をつけなくちゃいけないの。わかるわよね?」


僅かに膨らんだ腹をさすりながら母が言った。


「・・・行ってきますぅ」


火鉢で温めた家から追い出され、わたくしはとぼとぼ歩いて山へ向かう。辺り一面、雪が積もっていて、とても寒い。

いつからこんな暮らしをしているんだろう。

物心ついた頃から、兄と姉に虐められ、弟と妹は何故か虐められない。

わたくしが悪いのだろうか。

どんくさいから。とろくさいから。のろまだから。

だからって、馬鹿にしていいのだろうか。


「よぉ、凛!」

「あ、忍さん・・・」


忍さんは村一番の働き者で、とても優しい人だ。わたくしなんかに話しかけてくれる。忍さんと話しているときは、嫌なことも忘れられた。


「この寒いのに、どこに出かけるんだい?」

「えっとぉ、山菜採りに・・・」


忍さんは顔を顰めた。


「まったくお前の家族ときたら!! この寒いのに山菜採りだと!?」


狭い村だ。わたくしが家族に軽んじられていることは知れ渡っている。だから皆、面倒臭がって、わたくしに話しかけてこない。忍さんは、違う。


「いいんですよぉ。わたくしにできることは、これくらいしかないからぁ・・・」

「一人じゃ心細いだろう? 俺も付き合ってやるよ」

「そ、そういう訳には・・・」

「でも、山菜を採って帰らないと家族に叱られるんだろう?」

「・・・はい」

「雪山は危ないからな! 俺も行くぞ、いいな?」

「ありがとうございますぅ」


寒い雪山も、忍さんが居れば心強く、温かかった。忍さんとお喋りしながら山菜を採り、十分な量を集める。


「これだけあれば十分ですぅ」

「本当か? 俺はまだまだ元気いっぱいだ。まだ要るなら遠慮せずに言ってくれ」

「本当の本当に、大丈夫ですぅ」

「そうか。凛、ちょっと手を貸してごらん」

「はい?」


わたくしは言われるまま、忍さんに両手を差し出す。忍さんはわたくしの手を包んで、擦って温めてくれた。他の人にも、同じようなことをしているのだろうか。こんなに優しくされたら、勘違いしてしまう。


「お優しいんですねぇ」

「よく言われる」

「温かい・・・」

「頑張ったな」


そう言って、屈託なく笑う彼が好きだ。褒めてもらえるのが、すごく嬉しい。

勘違いしてしまって、いいのだろうか。わたくし如きが、烏滸がましくはないだろうか。


「帰るか」

「・・・はい」


本当は、ずっと一緒に居たい。夢の時間はあっという間に終わった。


「やっと帰ってきたの? もう夕飯の支度が終わっちゃうわ」

「凛はのろまだなぁ。お前に似たんだろうな」

「違うわよ、貴方に似たのよ」


両親が意味のない会話をしている。


「ごめんなさぁい・・・」


わたくしも無価値な謝罪をした。

それから数年後、清一郎が結婚してお嫁さんを家に迎え入れ、雪が結婚して家を出て行ったあと、村は飢饉に陥った。

酷い有り様だった。

清一郎の嫁のお腹の子供は駄目になった。出て行った雪が食糧の無心に来たが、我が家に食べられるものなんて何も残っていなかった。源次郎と琴は死んだ。花と名付けられた妹も死んだ。

わたくしは食べられるものなら何でも食べた。

村人達はとち狂ったのか、何人かの村人を生贄に儀式を行った。

空から、『何か』が落ちてきた。

顔の無い長い首、六対の小さく長い、虫のような羽根。被毛の無い皺だらけの皮膚、平べったい大きな尻尾。

わたくしは食べられるものなら何でも食べた。

その時だろう。薊山寄生虫に感染し、適合したのは。わたくし以外の人間は、皆、普通に老いていった。

忍さんも、結婚して、子供を儲けて、老いていった。『好き』だなんて、言えなかった。言いたくなかった。わたくし如きが、烏滸がましかった。わたくしで忍さんを汚したくなかったのだ。

今ではそのことを、とても後悔している。例え拒絶されたとしても、『好きだ』と言えばよかった。誰かの夫となり、父となるのを、傍で見ているのが、わたくしの幸せ。それは、とても大きな間違いだったのだ。

わたくしじゃない人に、愛していると言う。

わたくしじゃない人を、熱く抱く。

わたくしじゃない人と、共に暮らす。

わたくしじゃない人で、満ち足りる。

頭がおかしくなるんじゃないかと思うほど嫉妬した。だが、もう遅かった。忍さんの嫁は器量良しの働き者で、二人は、二人によく似た子供を儲けて、子供を育てた。

沢山愛し合って、喧嘩して、仲直りして、笑い合っただろう。わたくしはただ、それを見ているだけだなんて。幸せを願うのが幸せだなんて、自分に酔っていたのだ。わたくしは自ら、可能性を手放し、不幸になった。

本当は、怖かったのだ。拒絶されるのが。


『君のことをそんな風には考えられない』

『他に好きな人がいる』

『ごめん、無理だ』

『悪いけど、君のことは好きじゃないんだ』

『勘違いしたのなら謝る』


そう言われるのが怖かった。酷く怖かったのだ。軽蔑の、或いは同情の眼差しで見られるのが、怖かった。

忍さんが最期、どうなったのかは知らない。年を取らないわたくしは『化け物』と呼ばれ、各地を転々と逃げ回ったからだ。

思い出したくもない。春を鬻いで腹を満たした。誰に抱かれても忍さんのことは忘れられなかった。

何度も自死を試みた。けど、うまくいかなかった。死ぬのは、痛い。苦しい。悲しい。虚しい。わたくしは、死ぬのがすっかり怖くなってしまった。

百五十年程たった頃だろうか。

わたくしは国の『重要機密』として捕獲された。拷問に近い実験を何度も繰り返した。

五十年程だろうか。

目玉を抉る。舌を切り取る。鼻を削ぐ。頭を割って脳みそに電気を流す。皮膚を剥がす。筋肉を引きちぎる。骨を折る。爪を毟る。髪を焼く。歯を砕く。内臓を切り取る。毒薬を飲ませる。異物を食べさせる。石、金属、糞尿、人肉。

死んだと思っていた心は、『子供を作る』という実験によって、バラバラに粉砕された。若く優秀な軍人の男が、わたくしを犯す。部屋の四隅には灯りの蝋燭の炎がゆらゆらと揺れている。

・・・燃えてしまえ。




















燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえ燃えてしまえッ!!!!!




















男は燃えた。四肢を切断され、金属で覆われて修復が阻まれているわたくしは、ただ蠢いた。

研究者は皆、不老不死身になろうと私の血液を摂取していた。だから、わたくしは片っ端から燃やした。数人だけ残して、わたくしの命令通りにしないと燃やすと脅した。漸く、わたくしは自由の身となり、逆にヤツ等を支配した。わたくしの血は水源に大量に放出され、町一つがわたくしのものとなった。今までの実験動物の生活から一転して、まるでどこぞの姫君のような処遇になった。

孤独だった。

要塞のような家を与えられ、自由に出歩くことは叶わない。わたくしと関係する人間は皆、研究者や国の重要人物だ。

忍さんが恋しい。ただ、会いたい。

抱きしめて、『頑張ったな』と言って、笑ってほしい。優しく頭を撫でて、忍さんのにおいを胸いっぱいに吸いたい。温もりが、欲しい。独りは、もう、嫌だ。

わたくしは研究に協力すること、町から一歩も出ないこと、わたくしにおかしな真似をしたら燃やすことを条件に、『菫屋』と名付けた小さな民宿を始めた。三部屋しかない民宿だ。訪れる旅人たちは、つかの間の休息を楽しんで、帰っていく。彼ら彼女らの話を聞くのが、好きだった。

僅かな希望があった。町の人間は『適合』しなかった。もしかしたら、わたくしと同じく『適合』する人間が現れるかもしれない。永遠を共にする人間が。





女はよく花に喩えられる。
けれど、わたくしに香りはなく、毒にも薬にもならない。
造花だ。

ぶうん、ぶうん。

不潔な蠅がわたくしの粘膜を踏み荒らしている。
作りの悪い、何の慰めにもならないちっぽけなわたくしは、
美味しい蜜を黙って隠している。





「更科さん?」


私は市川さんの声で目を覚ました。


「大丈夫ですか?」

「あれ・・・私、寝てしまって・・・」

「はい。お疲れでしょうし、起こすのはどうかと思ったので、僕一人で起きていたんです。五分くらい前からすごくうなされていたので起こしました。大丈夫ですか?」

「大丈夫です。どれくらい寝てました?」

「原田さん達が寝てからすぐに。四十五分くらい経ってます」

「すみません、起きていると言ったのに・・・」

「いえいえ。無理もありません」

「あの・・・実は妙な夢を見て・・・」

「どんな夢ですか?」

「・・・白石さんの、過去です」


市川さんは綺麗な顔を少し歪めた。


「話してください。どんな夢だったのか」

「はい・・・」


私は見た夢の内容を詳細に話した。


「市川さんは、どう思います?」

「そうですね、いろいろと推測はできますが・・・。貴方が白石さんに同情して、そのような夢を見たとか、或いは、貴方と白石さんは何かしらの繋がりがあって、貴方の見た夢の内容は、真実だとか・・・。推測の域を出ませんが、何かしら理由があるはずです」

「・・・私、たった四十五分で、二百五十三年の時を生きた気持ちです。ただの夢だとは思えないんです」

「・・・もしかして、本当に白石さんの過去だとしたら」

「だとしたら?」

「彼女を殺そうとしている僕達は、国の敵です。こんなところでのんびり寝ていられる訳がない」

「でも、私達はここに居ます」

「おかしいですよね。国も白石さんを持て余しているとか?」

「不老不死身より、燃やす能力が厄介ですし。細胞を操ることができるのなら、他にもいろいろできそうです。例えば、対象を癌にさせたりとか・・・」

「特殊な部分を進化させた、所謂『ミュータント』も作れますね」

「うわ、恐ろしい・・・」

「・・・ますますわからない。僕達なんで生きてるんですかね?」

「さあ・・・?」


こんこん、と運転席の窓がノックされる。


「あ、二人を起こさないと・・・」

「起きてるで」

「起きてるぞ」


ほぼ同時に二人の声が聞こえ、私と市川さんは少しだけ飛び上がって驚いた。


「い、いつから・・・」

「一睡もできんから目だけ閉じてた」

「俺はマキの唸り声で起きた」


こんこん、再びノックされる。原田さんが窓を開けた。


「ん、さっきの兄ちゃんかいな」

「はい。自分、若頭補佐の秋山と申します。従業員は全員、荷物をまとめて帰りました。工場内は、ドラム缶だらけですので、『ドラム缶にはくれぐれも注意してください』」


秋山は強調するように言った。


「ちょっと聞いてもよろしいか?」

「はい。答えられることなら」

「柏木が言うとった。『町を救ってくれ』って。白石さんは・・・。国の重要機密やないんか?」

「これは、自分の独り言です。ですから、信憑性はありません」

「ほぉ?」

「この町は実験場です。実験を行いやすくするためにとある株式会社を隠れ蓑にして、麻薬の密造、密売や、売春の斡旋をしております。感染経路を広げるためです。とある宗教団体は、その隠れ蓑の隠れ蓑です。『アレ』は、空気に触れると死滅します。一度感染しても、死滅させる方法があります。三日間、絶食してください。水は飲んでも構いません。ただし、女神様は三年間絶食した記録が残っています」


原田さんが鼻から深く息を吐いた。


「女神様が居る限り、『アレ』と麻薬はなくなりません。この町は、最近、移住者が増えてきている。カシラは憂いておられました。罪のない旅行者や、移住者が感染して、いつ死ぬかもわからないことに。俺達は、いや、この町は、女神様には逆らえません」


秋山は、ふう、と息を吐き、吸った。


「『新しい女神様』が『降臨』されたことは、カシラと自分しか知りません。安心してください。念のため、国外に出られた方がよいとは思いますが」


秋山はじっと私を見て、頷く。そしてしゃがみ、素早く立ち上がった。


「おっと、『落とし物』をしてしまいました。『車の下』にでも入り込んだんでしょうか。落し物は、『四丁目の公園の植え込みの下』に届けてください。工場内は、ドラム缶だらけですので、『ドラム缶にはくれぐれも注意してください』」


そう言って、秋山は去って行った。私達は車を降りる。原田さんが車の下を覗き込んだ。


「おいおいおいおいおい・・・」

「なんですか?」

「おはじき、落ちてるわぁ」


銃だった。


「これでドラム缶を撃てと・・・。原田さん、使い方わかります?」

「アメリカに仕事で行ったときに、話のネタに撃ったことあるわ」

「じゃ、原田さんが撃つってことで」

「ああー! もう、最悪やぁ・・・!」


原田さんが頭を抱えた。


「さっさと片付けて逃げた方がいいんじゃないか?」

「そやなぁ・・・。またアレ見なあかんのか・・・。俺、もうトランクがトラウマになりそうや・・・」


泣きそうな声をあげながら、原田さんがトランクを開ける。中は血のプールだった。私がしたこととはいえ、気持ち悪い。仁が白石さんを抱え上げる。私は腹から包丁を抜いた。


「待って!」

「どうした?」

「・・・お話したいの」

「何を言ってるんだ!」

「仁! お願い!」


仁が困ったように眉を下げる。そして原田さんと顔を見合わせた。


「・・・話くらい、いいんじゃないですか?」


市川さんが後押しするようにそう言ってくれた。原田さんは顔を顰めたが、二度、頷いた。仁が白石さんを降ろし、乱暴に猿轡を外す。


「・・・白石さん」

「マキちゃん・・・」


私は白石さんと向き合う形で、座った。


「夢を見ました。貴方の」

「・・・わたくしも、見たわぁ。貴方の夢を」

「『辛かった』なんて言葉じゃ、言い表せないですよね・・・。二百五十三年間も・・・」

「同情、しているの? やめてちょうだい・・・。貴方だって、辛い人生を送って来たくせに・・・」

「共鳴してるんです。私達・・・。自分如きが、烏滸がましいんじゃないかって。誰かの夫となって、父となって、幸せになった姿を見られたら、それでいいなんて」

「貴方も、そうなのねぇ・・・。でも、貴方の彼は、生きているわぁ」

「大切にしようと思います。自分の命以上に」

「・・・それが、良いわねぇ」

「凛」


私は白石さんを抱きしめた。


「頑張ったな」


白石さんは、凛は、大声をあげて泣き始めた。私は凛の髪を撫でた。愛を込めて、何度も何度も。


「待ってたぁ・・・ずっと、貴方を待っていたのぉ・・・」

「やっと会えたね」

「死ぬのはぁ・・・怖いわぁ・・・」

「大丈夫。天国へ行こう」

「・・・うん」


私はそっと、凛に口付けて別れを告げた。

仁が乱暴に凛を抱え上げ、工場内へ運んでいく。



「市川さん、どれくらい爆発するものなんですか?」

「えっと・・・そこまでは知らないです・・・」


原田さんがぺちんと額を叩いた。


「俺、死ぬやん!」

「原田さん、私に銃の撃ち方を教えてくれませんか?」

「ええっ!?」


市川さんが怪訝な顔をする。


「まさか、心中するつもりじゃありませんよね?」


私は首を振った。


「原田さんが死んじゃうかもしれないじゃないですか。なら、多少の怪我なら治る私の方が適任です」

「駄目だッ!!」


仁が怒った。


「お前がやるくらいなら俺がやる」

「んんー、いやでも・・・うーん・・・。俺かて死にたくないし・・・」

「女にやらせる仕事じゃないだろう!!」

「そ、そやなぁ。マキちゃんにやらせるのもなぁ」

「俺がやるから撃ち方を教えろ!」

「危ないから私がやるってば!」

「あーっ! もう! 俺がやりゃええんやろ俺がやりゃ! 安全な場所まで移動するからちょっとみんな車に乗って!」


私達は車に乗り込んだ。ギリギリ、工場が見える場所まで移動する。


「皆、背ぇ低くしててや」


車を盾にするように、原田さんが銃を構えた。


「三、二、一、で撃つで。ええな?」

「わかった」

「はい」

「お願いします」


原田さんが深く深呼吸し、両手で銃を構えた。


「三・・・、二・・・」


私は両手の指を重ねて、祈った。


「一」


爆音が辺りに響いた。きぃんと耳鳴りがする。


「こ、怖ぁ・・・」


原田さんがしゃがみこんだ。私は車の向こう側を見る。工場が燃えていた。周りの田畑も燃えていた。


「一発で爆発させるなんて、やるじゃないですか」

「先生のアホ! 褒められても嬉しくないわ! 工場内ドラム缶だらけや言うてたやろ! そんだけあれば撃てば当たるっちゅーんじゃ!」

「言い争ってないで、さっさと行くぞ」

「・・・四丁目の公園やったな。早よ逃げよう」


じっと工場を見つめる私の背中を、仁が軽く叩く。


「マキ、しっかりしろ」

「・・・うん」


車に乗り込み、原田さんが地図を確認し、車を走らせる。


「マキ、大丈夫か?」

「なんか、さっきまで『いた』ってわかったのに、工場が爆発した瞬間、『いなくなっちゃった』。こういうの、喪失感っていうのかな・・・」


市川さんが『うーん』と唸った。


「多分、二人は『共鳴』しているんです。存在を感じなくなったということは、白石さんは、天国に行ったんですね」

「そっか・・・良かった・・・」


私の目から涙が溢れ出た。


「良かった・・・」

「更科さん・・・」


胸が苦しくてたまらなかった。


「家族のオモチャにされて、好きな人は別の人と結婚して。気が遠くなるような時間、自分の身体を売って・・・。実験という名の拷問を受けて、それでも死ねなくて・・・。ずっとひとりぼっちで・・・。なんて可哀想なの・・・」


駄目だとわかっていても、どうしても同情してしまう。


「更科さん。白石さんに引っ張られてはいけません。貴方は、貴方です。貴方の人生を生きるんです」


西洋人形のように綺麗な市川さんが、語気を強める。こんなに綺麗な人でも怒るんだ、と私は不思議に思った。


「僕の偏見と独断でモノを言わせてもらいますが、更科さん、優しさは無思慮にばら撒くものではありません。貴方には、世界を変える大きな力がある。けど、それを大きなことに使ってはいけません。貴方のために使うんです。貴方自身のために使うんです。貴方には、天宮さんが居る。彼と幸せになることが、貴方が選べる最適解だと、僕は思います・・・」

「例え、誰にも言えない『秘密』があっても? 私は、幸せになってしまっていいんでしょうか?」

「はい」


力強く、市川さんが肯定した。


「・・・ありがとうございます。気が楽になりました」

「いえ。差し出がましいことを、すみません」

「・・・原田さん、市川さん。落ち着いて聞いてくれ。俺は、この町に来る前に、人を一人殺した」

「あー、今更や。夢幻教の信者何人ぶっ殺してんな。一人も二人も変わらんやろ・・・」

「殺したのはマキの父親だ。ヤツは十八年間、マキを虐待していた。肉体的にも精神的にも・・・」


仁はすぅーっと深く息を吸った。


「・・・性的にもだ。だから殺した。誰にも見つからないように、山の中に埋めてある。コンクリートを流し込んだドラム缶の中に入れた」

「それを俺達に話して、どうするのん?」

「・・・殺害現場にはマキも居た。マキは、ヤツに復讐した。俺が殺したとはいえ、世間は俺達を共犯と見るだろう。それでも、マキに幸せになる権利があると思うのか?」


暫しの間、沈黙が横たわった。


「あると、思います」


市川さんが口を開いた。


「僕の母も、僕に性的虐待をしていました。地獄と形容するのも生ぬるい日々でした。世の中、死んだほうがいい人間なんて沢山いる。更科さんは、幸せになる権利があると思います」

「うーん・・・。俺にはわからん。何も言いたくない」

「このことは、秘密にしておいてくれるか?」

「・・・そのことも含めて、今回の一件、小説のネタに使っても?」

「構わないが、実名を使うのは勘弁してくれ」

「なら、いいですよ。黙っていますから」

「原田さん、あんたはどうだ?」

「俺はこれ以上、厄介事に巻き込まれるのはごめんや。今の話は聞かなかったことにしておくわ」


仁はふふっと笑った。


「マキ、帰ったら荷物をまとめてイタリアに行こう」

「イタリア!? 私、イタリア語なんて話せないんだけど」

「行ってみたいと言ってただろ? 国外逃亡だ。二階建ての大きな庭付きの一軒家を建てて、大きな犬を飼うんだ。手入れが面倒だから短毛種にしよう」

「・・・それは、いいね。イタリアでは英語は通じるの?」

「人や場所によるな」

「英語なら少しだけ話せるし、なんとかなるかな」

「なんとかなるさ」


車が停車した。四丁目の公園についたらしい。原田さんが銃を持って公園内に入り、暫くすると出てきた。


「よいしょっと」

「銃、ちゃんと捨ててきましたか?」

「おう。ほな、菫屋に戻って風呂入って着替えて逃げましょ」

「ええっ! 菫屋に戻るんですか?」

「だって荷物残してきてあるし、男三人上半身裸やで。マキちゃんはおパンツ見えてもうてるし。天宮さん達の車と荷物もあるし、一旦帰らんと」

「危険じゃないですか・・・?」

「行くしかないやん」

「俺も車を捨てるのは困るな」

「菫屋の近くは車停められそうなところないし、一旦菫屋に帰って荷物まとめてとっとと帰ろ」

「意義なしです」

「・・・そうですね、そうしましょう」

「よし、安全運転で行くで」

原田さんが車を走らせ、菫屋に到着する。灰色の壁と、黒い忍び返しが恐ろしく感じられた。これは凛を閉じ込めておく要塞だったのだ。

駐車場に車を停め、玄関に入る。


「うわっ! 吃驚したっ!」


秋山が土足で床板に上がり、仁王立ちしていた。


「『落とし物』は届けましたか?」

「・・・届けたで」

「『なんでここに居るんだ』って顔してますね。皆さんをお見送りに来ました。安心してください。柏木組は、柏木のカシラの漢気に惚れたヤツらでできた、結束の固い組織です。そして、女神様のことはカシラと俺しか知りません。女神様は、今度どうするおつもりで?」

「イタリアに行きます」

「イタリアですか・・・。いいですね。俺も一度でいいから、海外旅行してみたかったな」

「秋山さん・・・?」

「さあ、荷物をまとめてください。風呂は俺が沸かしときました。辺りは若いモンに見張らせてます。『抗争が起きる可能性があるから注意せよ』と。一秒でも早くここから立ち去ってください」

「わかったわかった。ほな風呂に入らせてもらうわ」


原田さんと市川さんと仁が三人で風呂に入る。私はその間、自分の荷物と仁の荷物をまとめた。私が風呂に入っている間、原田さんと市川さんも荷物をまとめる。


「忘れモンはないか?」

「はい」

「大丈夫だ」

「ほな、ここでおさらばってことで。天宮さんとマキちゃんの電話番号が知りたいなぁ」

「なん、」


仁ががそこまで言って、言葉を飲み込んだ。


「写真撮るって約束やったやろ? そっちから掛けてきてぇな。スケジュール調整してスタジオ借りるから」

「・・・わかった」

「先生も電話番号交換しとく?」

「あ、僕、携帯持っていないので・・・」

「マジかー。まあ、裕美子ちゃん経由でまた会うわ」

「あの・・・市川先生。小説、楽しみにしてます・・・!」

「が、頑張ります!」

「マキ、もう行こう。原田さん、市川さん。ご迷惑をおかけしました。色々ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」


私達四人はぺこりとお辞儀をした。秋山はまだ玄関で背筋を伸ばして立っている。


「準備はできましたか?」

「はい。もう帰ります」

「女神様、これから長くお辛い生活が続くでしょう。けれど、貴方には選択肢が沢山ある。不老不死身の解明に手を貸すもよし、この町の女神様として降臨するもよし、ひっそりと隠れて暮らすもよし、です。本当に、イタリアに行かれるのですか?」


ふと、私の中に不安がよぎった。

今後の生活のことを具体的に考えなくてはならない。

私は・・・。


「私は・・・イタリアに行きます・・・」

「そうですか。この町に帰ってくるという選択肢も、女神様にはあることを、忘れないでください。俺はカシラの意思を継ぎます。それでは、お元気で」


深く深く、秋山は頭を下げた。


「秋山さん。ありがとうございます。私、一生懸命生きて、幸せになってみせます」

「はい。さようなら」

「さようなら」


私達は玄関を出て駐車場に向かう。


「あーっ! 俺のトランク血まみれやん! 荷物は後部座席に積むかぁ・・・」

「あの、原田さん、市川さん、お元気で」

「おう。新婚生活楽しんでな」

「では、失礼します」


原田さんと市川さんは車に乗り込み、去って行った。私と仁も車に乗り、ゆっくりと菫屋から出た。

その時だった。

パァンッ!

聞き慣れたくない音がした。銃声だ。助手席の窓を開けて身を乗り出し、菫屋を振り返る。秋山さんが、菫屋の入り口で倒れているのが見えた。


「マキッ! 車に戻って身を屈めろ!」


仁が車のスピードを上げる。


「ど、どうして秋山さんが・・・」

「・・・まさか、俺達のために」

「え? ど、どういうこと?」


おかしかった。銃声がしたというのに、人が一人も集まって来ないのだ。


「お前の身体の秘密を知るのは、柏木と秋山だけだ。柏木は死んだ。残るは、秋山だけ・・・。秋山が死ねば、お前のことを知る人間もいなくなる」

「私の、ため、に・・・?」

「国外逃亡も計算の内だ。俺にはまだやるべきことがある。お前は俺の言う通りにしていればいい。わかったか?」

「仁・・・」


仁は恐れることなく突き進んでいく。灼熱の海にも冷酷な森にも負けない力で。強く、強く。張り詰めるほどに。痛みに近い愛だ。呪いのような愛だ。疲れないのだろうか。私と一緒に居て。


「仁はどうして私を愛しているの?」


純粋な疑問だった。


「わからない。気付いたら好きだった」

「どうして私のためにそこまで・・・。私如きのために。私、烏滸がましくないかな」

「自分を卑下するのはやめろと何度も言っているだろう」

「もう、我慢できない」

「マキ?」


私は両手で顔を覆った。


「好きなの。もう仁無しじゃ生きていけないくらいに。汚い私を、無知で、無力で、美しくない私を、心の壊れた私を、『愛してる』って言ってくれる。怖いの。独り占めして、私に溺れさせたい。でも、傷付けたくない。悲しませたくない。幻滅しないでほしい。失望しないでほしい。見捨てないでほしい。仁の理想の女になりたい。釣り合うような女になりたい。ずっと一緒に居たい」


仁は黙って聞いてくれている。


「私は簡単には死ねない。仁とずっと一緒にはいられない。だから、私、これ以上、仁と一緒に居たくない。好きだから、愛してるから、怖いの。怖くて仕方がないの。でも、仁が私じゃない女に『愛してる』って言ったり、熱く抱いたり、共に暮らしたり、満ち足りたりするのは、気が狂いそうなほど嫌なの。私じゃないと駄目なの。愛してる。ずっと一緒に居てほしい。好きなの。どうしようもないくらい好きなの。どうすればいいの? 好き。大好き。愛してる。私のこと、嫌いにならないで!」


仁が車を停めた。そして私にキスをする。


「マキ、然るべき時が来たら、俺がお前を殺してやる。お前は永遠に俺のものだ。好きだ。愛してる」

「でも、仁が先に死ぬかもしれないよ? 薊山寄生虫は性交で感染するんだから、仁がいくら絶食しても、どんどん感染する。湿度が一定値を越えたら、無意識に行動しちゃうんでしょ? そんな不安定な暮らしを、ずっと続けるつもりなの?」

「俺は無症状だった。大丈夫だ」

「でも・・・」

「俺の言うことが信じられないのか? 俺がお前に嘘を吐いたことがあるか?」

「・・・ない」

「泣くな、マキ。愛してる・・・」

「うん・・・」


私達は強く抱きしめ合った。

仁を信じて、傍に居る。

凛ができなかった幸せを、私は享受しよう。

それが、私が凛にできる手向けの祈りなのだ。

ぷるるるるる、と仁の電話が鳴った。


「仁・・・」


ぷるるるるる。


「あの、出た方が・・・」


ぷるるるるる。


「チッ、しつこいな・・・」


仁は私を離し、携帯を取り出して通話ボタンを押した。


「もしもし。・・・原田さん。何の用だ。・・・銃声? ああ、秋山が撃ったらしい。・・・自分を撃ったんだ。恐らく、マキのために。・・・そうか。あんたらはどこへ帰るんだ? ・・・そっち方面か。この町から大分離れてるな。俺達は隣の県だ。急ぐんでもう切る。じゃあな。・・・何? 写真? 都合ができたら連絡する」


仁は一方的に電話を切った。


「全く! 何なんだあの原田とかいう男は! ふざけてるのか真面目なんだかさっぱりわからん! 撮影の約束までとりつけちまったし、ああ、もう!」


小さく短く溜息を吐き、仁は額に手を添えて頭を横に振った。


「前、見て運転しなよ」


私はダッシュボードに足を乗せ、運転席にだらしなく身体を沈める。


「人殺しがハッピー・エンドって・・・。そんなのアリ?」

「気に入らないヤツはいるだろうな。原田も市川も納得はしていないだろう」

「もし警察に捕まったら、仁は罪を認めるの?」

「認めるさ」


潔い答えに私は安心した。これでこそ『天宮仁』だ。私は、仁のことを誰よりも知っている存在なのだ。


「ねえ、仁。物語の登場人物が、全員最適解を選んでいたら、何が起きると思う?」

「・・・何も起きない」

「その通り。私達は間違いを犯した。だから今回の一件が起こった。あの男を殺さなかったら、こうはならなかった。後悔はないの。ただ、ずっと不安なだけ。でも、あの男が生きていても、それは変わらない。日常がいつ脅かされるのか、不安に苛まれるだけ。私はどうあがいても、不安からは逃れられない」


私は窓の外を見た。見知らぬ風景が流れていく。


「私、ずっと好きだったんだよ、仁のことが。だから、仁が誰かの夫となって、父となって、子供を儲けて、老いていく。それを友人として、傍で見ていられたら幸せだったんだ。でも、その考え自体が間違っているって、凛が教えてくれた。凛は、とても後悔していた。自分如きが烏滸がましいって思いで、好きな人を諦めた。それはとてもとても大きな間違いだったんだ。凛も、間違えたんだね。だからこうなった。私は、これから、間違えないように生きていきたい。自分の気持ちに、素直に。自分に優しくしたい」


助手席に座りなおし仁の横顔をじっと見つめる。


「好きだよ、仁。浮気したらぶっ殺すからね」


そう言って、笑う。仁も笑って、私の頭を撫でた。


「もうすぐ薊山を出るぞ」

「ああ、イタリアが楽しみ!」
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