二章 噂話
文字数 12,592文字
僕は机に突っ伏していた。書けない。書きたくても書けない。脳味噌を雑巾のように絞っても、一文字も書けなかった。
僕の名前は市川優。二十九歳。職業は小説家、と、言いたいところだが、大成はしていない。
五年前、僕は『栗野崎大量殺人事件』から生還した。その際の信じがたい出来事を面白可笑しく認めた、『母性』と銘打った小説が、飛ぶように売れてしまった。印税という名の夢のような金も手に入ったが、昔の話だ。今は産婦人科の名医である父のコネを使って、あちこちに拙文を投稿しては小説家の末席を汚している。母は甲斐甲斐しく僕の世話を焼いてくれるが、申し訳なくて仕方がない。
「ゆーうーくーん! あーそびーましょー!」
ノックもなしに僕の部屋に入ってきたのは、同い年の姉、裕美子だ。僕と裕美子は遠縁にあたる。僕は市川家の人間と直接血は繋がっていない。実母に性的虐待されていたところを保護され、裕福な市川家に養子として迎えられたのである。僕は今も精神科に通い、女性恐怖症と戦っている。
「お仕事中だった? それともお昼寝?」
「何の用だ、裕美子」
裕美子は看護師をしている。両親とは仲が悪いらしく、僕に会うためにしか実家に帰って来ないのだ。
「どーせ暇でしょ? 『カサブランカ』でお茶しない?」
「・・・はあ。いいぞ」
「やったー! 優とデートだー!」
「やめろ! そういうの!」
裕美子は賢いくせに馬鹿な振りをして、僕の気を紛らわせようとしてくれている。献身的な愛情を享受するのは、心地が良い。恥ずかしくてつい語気を強めてしまうが、僕は裕美子が好きだ。どうしようもないくらいに。
「手、繋いでいく?」
「・・・いいぞ」
「えっ、嘘。やだ、本当!?」
「やっぱり駄目だ」
「ええー!?」
そう言いながら二人で歩いて、近くの喫茶店『カサブランカ』に向かった。茶色い煉瓦造りの静かな店だ。ドアを開けると、ちりんちりんとドアベルが鳴る。
「おー、来たか!」
「やっほー、透ちゃん!」
「え?」
裕美子は迷うことなく『透ちゃん』とやらの居る席に座った。僕は混乱して、少し近付いてから立ち尽くした。
「ほおー、美人さんやなぁ。男やけど」
関西弁で喋っているのは、筋骨隆々の男だ。染めた金髪をオールバックにしている。くっきりとした鼻と唇。大きな目は少年のように輝いている。
「騙しちゃってごめんね、優。ちょっと座って」
「なん、なんなんだいきなり・・・」
僕は裕美子の隣に座る。『透ちゃん』はニカッと笑った。
「噂は裕美子ちゃんからかねがね伺っております。カメラマンやってる原田透といいます。貴方が『左白憂』先生ですか?」
関西弁のイントネーションでそう聞かれ、僕は小さく頷く。『左白憂』とは僕のペンネームだ。
「ど、どうも・・・」
「今日はね、なぁんと優君に、お仕事を持ってきましたー!」
「ぱちぱちぱちー」
「ぱちぱちぱちー」
裕美子と原田は手を叩き合わせて笑っている。
「ちょ、ちょっと、急すぎて何が何やら・・・」
「あ、敬語はええで。俺も使わんから」
「・・・は、はあ」
「実はねぇ」
裕美子が人差し指を立てて、くるくると回した。
「優、父のコネ使って小銭稼いでるでしょ? そういうの、良くないと思うのよ。ここは一発、小説家としてバーンとォ! おっもしろいお話を書いてみなぁい?」
「え、ええ?」
「優に必要なのって、インプットだと思うのよ。それって、趣味で本を読むだけじゃなくて、実際に見て、聞いて、嗅いで、触って、感じて。優が実体験したことを小説にしてみない?」
「まあまあ、裕美子ちゃん。急に言うても伝われへんて」
「ふ、二人はどういう・・・」
裕美子と原田は顔を見合わせた。
「優の『母性』の表紙、鰻の写真だったでしょ? それを撮ってくれたのが透ちゃんなんだよ」
「え! 知らなかった・・・」
「だろうね。優、人付き合い苦手だからって言って、担当さんに押し付けっぱなしだったもんね、色々。私がかわりにあっちこっち行ったりしてたでしょ?」
「うん・・・」
「そんでな、担当さんが裕美子ちゃんと会ったとき、モデルさんにしたらどうかって言いだしたんや。今の裕美子ちゃん、白衣の天使も十分魅力的やけど、その美貌を生かさんのは美への冒涜や! ってな。腕の良いカメラマンを紹介するからって言うて、紹介されたのが俺やった。俺、あちこちで撮ってるからな。綺麗なモンしか撮りたないから乗り気やなかってんけど、実際に会ってみたら、裕美子ちゃん、凄い美人やないの!」
「担当さん、優にお仕事沢山回すって言うから・・・。私、汚されちゃったの・・・ぐすっ・・・」
「え!?」
「こらこら、人聞きの悪い! ちょっと写真撮ってお茶しただけやん!」
裕美子が僕のためにそこまでしていたとは思わなかった。自分の実力のなさがもどかしくて、僕は歯ぎしりをする。
「でさぁ、透ちゃん、優が小説を掲載している、『リタ』にも写真を投稿してるんだって」
『リタ』は所謂オカルト雑誌だ。それも三流の。心霊写真の解説や都市伝説の検証、僕が書いたホラー小説などが掲載されている。
「ま、俺の撮った心霊写真は殆ど合成やけどな」
原田が小声でそう言って、悪戯っぽく笑った。
「え、何枚かは本当ってこと?」
「さあ?」
「もー、透ちゃんったら」
「わははははは!」
「それで、仕事っていうのは一体?」
二人がぴたりと静止し真顔になったので、僕はどきりとした。裕美子は『うーん』と唸り、原田はにやりと笑った。
「どこから説明すべきかな・・・」
「結論からやろ。市川先生にはこれから三ヵ月間、俺と一緒に寝食を共にし、密着取材をしてもらいます」
「・・・はい?」
「大きな声では言えないけど・・・。『母性』って実話をもとにした話でしょ?」
「っ、お前、それ原田さんに」
「うん、喋っちゃった」
裕美子も五年前の『栗野崎連続殺人事件』の生還者だ。
「俺が説明するわ」
原田が声のトーンを落とした。
「『薊山市』って町がある。元々はベッドタウンやった。数年前、市長が新しいプロジェクトを始めた。それは、『薊山市を観光地にする』っつうもんやった。定住者が増えるよう、子供の教育に力を入れたり、シルバー人材を積極的に雇用したりした。それから、観光客を呼び込もうと、展望台を作った。白くて大きい、『ほしぞらタワー』っていう名前や。市長の目論見通り、町は賑わった。問題はここからや。自殺者が増えた。それも大量に。雨の日にほしぞらタワーから人が飛び降りて死ぬ。今やほしぞらタワーは自殺の名所や。ここまではええか?」
僕は頷いた。
「これに関係していると思われるのが、『夢幻教』。噂ではヤのつく自由業の人らと繋がってて、麻薬を使って信者を洗脳してるらしい。そのほかにも、武器の売買やら、売春の斡旋やら・・・。警察も迂闊に手を出されへん、悪い噂は絶えへん連中や」
原田は舌で唇を湿らせた。
「夢幻教に反発するヤツ、逃げ出そうとする信者。そういった連中をこの世から消すために、教祖がほしぞらタワーから電波を発信しているらしい」
「・・・は?」
「な? めっちゃ胡散臭いやろ? でも自殺者が多いのは確かやねん」
「気味が悪いねぇ」
裕美子と原田は頷きあった。
「という訳で市川先生、潜入取材行ってみよう!」
「おー!」
「待て待て。え? そんな危ないところに僕が?」
何がしたいのかは理解できた。しかし了承はできない。
「優、このままでいいと思ってるの? カビが生えたみたいに椅子に座って、父の伝手で面白くない駄文を書く。そんな生活、いつまでも続くと思ってる?」
「なっ、そ、そんなことは・・・」
「私が連れ出さないと碌に散歩もしない。綺麗好きだから掃除はするけど、整理整頓してるだけで、掃除は母がやってるよね? 料理も洗濯も公共料金の支払いも全部母だよね?」
「うっ、た、確かにそうだけど! 仕方ないだろ! 現状を打破するには、どうすればいいのかわからないし、外はまだ、怖くなるときがあるし・・・」
「今のままではいけないと思ってるなら、ショック療法だと思って、ちょっとやってみようよ。大丈夫、優に何かあったら私が透ちゃん殺すから」
「おっかね」
原田が身を縮こませた。
「ね? 大丈夫。ちょっとやってみよ? お金は出版社から出してもらうことが決まったし、透ちゃんこうみえて生活能力高いし」
「おう、料理も掃除も洗濯もバッチリやで!」
「透ちゃんにいろいろ教わりながらさ、やってみようよ。面白い小説書けなくてもいいよ。いつも通りでいいよ。細かいことは私がやっとくから、安心して? 私はずっと優の傍に居るけどさ、一人でも生きられる練習、しよ?」
「裕美子・・・」
「全然変われなくったっていいよ。結果がどうなっても。私はぶっちゃけ、小説なんてどうでもいいよ。ただ、家から離れて、生活能力高めてみてほしいの」
「もう取材も申し込んであるし、あとは先生が納得するだけですわ」
僕は俯いた。正直やりたくないが、裕美子の気持ちもわかる。初対面の原田を信用するのも怖いが、やってみようと思った。
「・・・わかった、やる」
「本当!?」
「男に二言はないで」
「やります!」
そういうことになった。
三日後、生活用品を詰めた鞄を持って原田の車に乗り、薊山市の『菫屋』という民宿に向かった。
コンクリートの無機質な壁が、高く聳え立っている。その上に侵入者を拒む刺々しい忍び返しがあった。
「うひょー、お化け屋敷みたいやな」
原田はからからと笑い、車を降りて呼び鈴を押す。
「あ、すいませーん。予約していた原田ですけどー」
『はぁい。今、開けまぁす』
自動で鉄の門扉が開いた。
「おっ、便利ー」
「見た目に反して最新鋭ですね」
「その敬語、どないかならんの? なんかむず痒いわあ」
「癖みたいなものなので、割り切ってください」
「さいでっか」
広い駐車場には一台の車が停まっていた。車を停め、降りる。目の前には真っ白な花畑が広がっていた。
「朝鮮朝顔・・・」
「その呼び方、好きじゃないわぁ」
ゆったりとした声に振り向くと、黒い着物を着た女性が立っていた。
「これは『ダチュラ』っていうのよぉ。花はお好きぃ?」
「あ、いえ。図鑑で見たりするくらいで・・・」
原田が二人分の荷物を軽々と担いでこちらに近付いてきた。
「どうもー。原田です。お世話になりますー」
「はい、こんにちはぁ。わたくし、家主の白石凛ですぅ」
「あ、市川優です。お世話になります」
コンクリートの壁に塞がれて風が入ってこないのか、朝鮮朝顔、いや、ダチュラの甘いにおいが立ち込めている。
「はいはぁい。じゃあ早速、中を案内しますねぇ」
古い家を改築したのか、レトロな雰囲気で清潔感がある家だ。二階に案内され、白井さんがあちらこちらを指差す。
「お風呂は三時間ごとに男女が変わるんですぅ。入口の暖簾が青だったら男、赤だったら女ですぅ。洗濯物はお部屋のベランダに干してくださいねぇ。お布団を変えてほしいときは言ってくださぁい。おトイレはあっち、キッチンはこっちですぅ。冷蔵庫は宿泊客共用なので、気を付けてくださぁい」
「俺達以外には誰か泊ってるんですか?」
「はい。婚前旅行のお客様が三号室に。お二人共、仲良くしてくださいねぇ。お部屋はこちらですぅ。何かあったら呼んでくださぁい。わたくし、滅多に出掛けないし、早寝早起きで、お昼寝しているとき以外は対応できますからぁ」
「ありがとうございます」
「それでは三ヵ月間、よろしくお願いしまぁす。ごゆっくり」
両手を合わせて頬に添え、白石さんはにこりと笑った。
原田が荷物を降ろし、肩と首をぐりんぐりんと回す。
「ふー、疲れた。白石さん可愛い人やったなあ。さて、取材は三日後やし、それまでゆっくりしましょ」
「あ、ベランダ。結構広いですね」
僕はベランダに出た。吹く風が心地良い。大人が三人、横に並べばいっぱいというところか。遠くに例のほしぞらタワーが見えた。白くて目立つ。ふ、と横を見ると、真っ白な女性が洗濯物を干していた。
『あ』
二人の声が重なる。
「こ、こんにちは」
「こんにちは・・・」
女性が怖い僕は少し怯んでしまう。向こうもなぜか怯えた表情をしている。
「良いお天気ですね。洗濯日和です」
「そ、そうですね」
「あの、私、更科真紀と・・・」
『おい』
渋い声が響いた。更科と名乗った女性が振り向く。男の太い腕が首根っこを掴むように更科さんを掴み、部屋の中にひゅんっと音がしそうな勢いで連れ去られた。
「どないしたん?」
原田がベランダに出てくる。
「あの、お隣さんが・・・」
「え? なんかあった?」
「いえ、別に・・・。女性だったのでちょっとびっくりして」
「ああー。そんで? 可愛かった?」
「え?」
「可愛かったって聞いてんの」
原田はポケットから煙草とライターを取り出し、火を点けた。
「見てないですよ、そんなの」
「見てないわけあるかい。顔、見たんやろ?」
「まあ・・・普通、なんじゃないですかね・・・」
ギロッと睨まれ、僕はたじろぐ。
「っかー! あかんわ。先生、そらあかん。裕美子ちゃんみたいな美人が傍に居ると、目が肥えるんやなぁ。羨ましい限りやわ」
「可愛いかどうかって言われても、相手は新婚さんですよ?」
「卑猥なことなんて考えてないわい! 俺は美しいモンが好きなんや!」
原田は握り拳を作り、力説を始めた。
「可愛い、綺麗。つまり『美』。これ即ち正義。対象が何であれ、その基準に達していたら、写真に撮りたいと思うのが人の心。ええか、美は劣化する。現状維持できひん。だから、写真に収める。するとどうや、永遠になる。永遠に美のままなんや。こんな尊い事他に無いで!」
弾けるような笑顔でそう言う。
「そういう意味では、是非とも先生も写真に収めたい! 涼しい目元、長い睫毛、細く長い眉! 筋の通った鼻、薄い唇、陶器のように白い肌! 女の子みたいな顔して青年のボディというアンバランス! お人形さんみたいや! どや、一枚?」
「灰、落ちますよ」
「おっとっと!」
原田が慌てて携帯灰皿を取り出し、とんとんと灰を落とす。
「で、どや? 一枚?」
「僕の写真なんか撮ってどうするんですか」
「俺の部屋に飾るに決まってるやん。コレクションよコレクション。あ、裕美子ちゃんの隣に飾るから安心して」
「あんたと話してると頭が痛くなってくる・・・」
「ごめんね、慣れてちょーだい」
僕は原田を置いて部屋に戻った。原田は暫く煙草をふかしてから部屋に戻ってきた。
「お、隣の部屋の扉が開く音がしたな」
「お昼時ですからね。何か作るんじゃないですか?」
「是非交流しに行きたいなぁ」
「僕は行きませんよ」
「先生は料理の腕を磨かんとあかんやろ? ま、二人で買い物にでも行きましょうや」
「うう・・・」
ぐうの音も出ないのが悔しい。僕と原田は部屋を出た。キッチンの方を見ると、原田よりも背が高く、筋肉質な男が何やら作っていた。
「こんにちはー!」
「こ、こんにちは」
「・・・こんにちは」
男は明らかに僕達を歓迎していなかった。
「・・・美しい」
「は?」
原田がずかずかと男に近付いて行った。僕の存在を完全に忘れている原田に、制止する声は虚しく掻き消される。
「ちょ、待っ・・・」
「こんにちは! 俺、原田っていいます! いやー、お兄さんえらい鍛えてますね! 俺も鍛えてる方やけど、足元にも及ばんわ! 素晴らしい肉体美や! 汗の結晶や! ちょっと一枚撮らせてもらってもいいですか?」
「な、なんだあんた・・・」
「何の騒ぎ?」
先程会った更科さんが三号室のドアの後ろに身を隠してこちらを覗いている。原田は振り向き、ぱあっと顔を輝かせた。
「あらぁ! 可愛いお嬢さん!」
「えっ?」
「おい!」
「ちょっと! 原田さん!」
「こんにちはー、俺、一号室の原田っていいます。カメラマンやってまして、一枚撮ってもいいですか?」
「え? 私を? え?」
「おい! いい加減にしろ!」
「こーらー!! 仲良くしなさーい!!」
騒ぎを聞きつけたのか、白石さんが階下から上がってきた。
「ああ、白石さんすみません! ちょっと自己紹介を・・・」
「困りますよぉ、原田さぁん! 肖像権ってものご存じないのかしらぁ?」
「勿論弁えておりますとも! 白石さんも一枚、どうです?」
「んもー! 怒ってるんですよぉ?」
「あー、こりゃすいません、わはは!」
「滅茶苦茶だぁ・・・」
更科さんがぽそりと呟いた。男が更科さんに近付く。
「俺の許可なく部屋を出るなと・・・」
「何の騒ぎかと思って、つい」
「すみません。うちの原田がご迷惑をおかけしました」
「いえ・・・あの、更科真紀です。よろしくお願いします」
「あ、僕、市川優です。よろしくお願いします」
「・・・仁?」
更科さんがそう言って男を見上げた。
「・・・天宮仁です」
「よろしくお願いします」
「ほんで? 写真撮ってええのん?」
「原田さん、駄目です」
「えー、折角の美人さんやのに・・・」
「美人だなんて、そんな・・・」
更科さんは謙遜したが、彼女は可愛い顔をしていた。猫のような大きな目、細い眉、真っすぐで高い鼻、赤い唇。髪はボサボサだが手入れをしていないだけで艶はあったし、何より彼女は肌が白かった。女性が怖い僕が見惚れるほどに。まるで画家が描いた紙から抜け出してきたみたいだ。
「先生、もう仲良くなったん?」
「先生? お医者さんか何かなんですか?」
「あ、一応この先生、小説家ですよ」
「ええっ!?」
更科さんが顔を輝かせた。それとは対照的に天宮さんの顔は曇っていく。
「あの、私、読書が趣味で。もしかしたら読んでいるかも」
「『母性』って知ってます? 鰻の写真が表紙の」
「読みました! えっ、もしかして左白憂先生!?」
「そうです。一応・・・」
「あ、あのっ、握手を、あ、えっとハンカチが・・・」
「左ポケットだ」
「あったあった。あの、良ければ握手を・・・」
更科さんはハンカチで両手を拭いた。
「ぼ、僕なんかで良いんですか?」
「はい! ファンです!」
僕は得体のしれない高揚感に駆られた。承認欲求を満たすとは、こういうことなのだろうか。女性への恐怖より、自尊心の方が強くなった。握手をすると、更科さんは花が咲いたように笑った。
「ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ」
「マキ! もういいだろう。部屋に戻れ」
更科さんは天宮さんを見て目をぱちぱちさせると、何故かにこりと笑って頷き、部屋に戻っていった。
「さて、買い物行こか」
「切り替えが早すぎるだろ・・・」
「結局、誰も撮られへんかったなあ。まあ隙を見てパシャッと」
「盗撮したら裕美子に言いつけますよ」
「ヒィッ!! それは勘弁して!!」
原田に内心溜息を吐き、くだらない話をしながら僕達は近所のスーパーマーケットに出かけた。買い物の仕方を教えてもらい、会計を済ませる。菫屋に戻ると、キッチンを使って簡単な料理を作った。焼いたウインナーと炒り卵、総菜のポテトサラダのメニューだ。インスタントの味噌汁も、なかなか良い味だった。
「どや? 簡単やろ? わからんことがあったら店員に聞けばいい。品出ししてる店員でもやで。お客様優先やから大体何とかしてくれるわ」
「そうなんですね」
「しかし先生、マジで『世間知らずの高枕』やな・・・」
「別にのんびりしていた訳では・・・。売れるような小説を書こうと努力はしていたんです。それでも、なにも良いアイディアが浮かばなくて」
「そらあかんわ先生。『ウケ』狙ったら作風が死にまっせ」
「・・・その『先生』っていうのやめてくれませんか?」
「敬語やめてくれたらええよ」
「ああ、もう!」
僕は苦い顔をして溜息を吐いた。
とん、とん、と足音が階段から上がってくる。大きなダンボールを重そうに抱えた白石さんだ。
「おっとっとっと!」
原田が慌てて席を立ち、白石さんの抱えているダンボールを持つ。『いちご』と書かれている。
「あらぁ、ありがとうございますぅ。お優しいのねぇ」
「いえいえ、これ、どこに置きましょうか?」
「冷蔵庫の前に置いてくださぁい」
「はいはいはい」
原田が丁寧にダンボールを置いた。
「苺を頂いたんですけどぉ、一人じゃ食べきれなくってぇ。みなさんで分けようと思って持ってきたんですぅ」
「お! ありがとうございます! こうみえて甘い物好きなんで嬉しいですわ!」
「それはよかったぁ。天宮さん達もお呼びしましょう。ちょっとお話ししたいことがあるのでぇ」
「話したいこと? なんですか?」
「夢幻教についてですぅ」
僕と原田は顔を見合わせた。原田がこくりと頷く。
「白石さん! ちょっと苺洗っといてくれませんか? お二人なら俺らが呼んできます! 丁度話があるんで」
「あらぁ。そうなのぉ? じゃあ沢山洗っておきますねぇ。お二人の食器もついでに洗っておきましょうかぁ?」
原田は自分と僕の食器を手早くまとめると白石さんの居るキッチンに持って行った。
「何から何までありがとうございます!」
「うふふ。じゃあ苺も沢山洗っておきますから、ゆっくりお話ししてきてくださぁい」
「手短に済ませます! それでは!」
三号室の扉を、コンコンコン! と原田が強めにノックする。
「はい」
天宮さんが出てきた。嫌そうな顔をしている。
「天宮さん、先程はすいません! ちょっと話したいことがあるんで、中に入れてもらえませんか?」
「悪いが中には入れられない。ここで済ませてくれ」
「あっ、じゃあマキちゃんも呼んでください」
「人の女を馴れ馴れしく呼ぶな!」
静かな声だが語気鋭く天宮さんが言う。
「仁、どうしたの?」
それを聞きつけたのか、ベランダに出ていたらしい更科さんが部屋に戻ってきた。僕達を見て首を傾げる。
「マキちゃーん、ちょっとお願いがあるねん。旦那さん説得して中に入れてもらうように言うてえな」
天宮さんが顔を顰めた。更科さんはくすくす笑っている。
「仁、入れてあげなよ」
「・・・どうぞ」
部屋に侵入させまいと立ちはだかっていた天宮さんが退く。原田は素早く部屋に入り、僕を手招いた。僕も部屋に入る。ドアを閉め、天宮さんが投げるように寄こした座布団に座る。
「何の用だ」
「しっ。静かな声で頼みます。実は俺達、潜入調査に来てるんや」
天宮さんは険しい顔のままだ。更科さんは興味深そうに聞いている。
「夢幻教っちゅうカルト団体を調査しにきたんや。で、白石さんが今からその話をしてくれるらしい。苺でも食べながらどうですか、って言うてくれてる。二人も呼んでくるように頼まれたんやけど、俺達のために調子合せてくれませんやろうか?」
「ことわ、」
『る』、と天宮さんが言い切る前に、
「苺!」
と更科さんが反応した。『る』の音は天宮さんの喉の奥に消えていった。
「・・・俺は今から用事があって出掛ける。だから、話が終わったら、部屋から出るなよ」
「わかった」
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
天宮さんは僕達に一瞥もくれずに部屋から出て行った。
「ごめんなさいね。仁、すごいやきもち焼きなの」
「そうみたいですなぁ」
「そうなんです。ちょっと予想外・・・」
更科さんは困ったように、それでも嬉しそうに笑った。
「お二人の邪魔にならないように話を合わせればいいんですね? 苺食べながら適当に相槌打っときます」
「マキちゃん! ありがとうー! ほな行こか!」
僕は全く物怖じしない原田に感心した。三人で部屋を出る。テーブルの上の皿に大量の苺が盛りつけられていた。更科さんが小さく手を叩き合わせて喜んだ。
「じゃ、食べながらお話しましょうかぁ」
「はい、お願いします。メモをとってもよろしいですか?」
「いいですよぉ」
僕達は席に着いた。原田はメモ帳とペンを取り出した。
「えーっと、何から話そうかなぁ。夢幻教はですねぇ、『弱き者の救済』を目標としているんですぅ。それは身体的、精神的、社会的に、『弱い』とされている人達のことでぇ、高齢者、女性、子供、貧困者、障害を持つ人。そういった人達の、安住の地が夢幻教なんですぅ」
更科さんは苺のヘタをぷちぷち取りながらもぐもぐ頬張っている。原田は素早くペンを走らせた。僕は食べながら聞くのは失礼だと思ったが、食べないのも失礼かと思い直し、苺に手を伸ばした。
「主な活動は、ボランティアですねぇ。ホームレスの炊き出し、町の清掃活動、あとは、フルタイムで働いているママさんのために、子供を預かってあげたり。そこで交流が生まれて、孤独なママさんを減らしたりですねぇ。ご老人がいる家に訪問して家事や介護を手伝ったり、なかなか仕事が見つからない人に、お仕事を斡旋したり、障害を持っている人に、規則正しい生活を送れるようサポートをしたり。ボランティアは多岐にわたりますぅ」
僕は苺を齧った。甘酸っぱい味が口の中に広がる。
「所謂『お布施』はありません。寄付はありますけどぉ。この町で一番大きい『久遠寺医院』と提携していて、お金が無くて困っている人でも診察を受けられるんですぅ。夢幻教でお金を出し合ってくれるんですよぉ。その他にも、商店街で使える割引券を配ったりとか、加入者同士で物々交換、売買をしたりとか、そんな感じでぇ、夢幻教の結束はかなり強いですねぇ。この苺も、加入者からの頂き物なんですよぉ」
「てことは白石さんも、夢幻教に加入されてるんですか?」
「いいえ。わたくしは皆さんに夢幻教が危ないところだって教えてあげようと思いましてぇ。お話していますぅ」
「え? こ、これ、食べちゃっても大丈夫ですか?」
更科さんが手をとめた。
「大丈夫ですよぉ。変なことはしてないと思いますぅ」
「は、はあ・・・」
「カルト団体って表向きは良いことしてますからぁ。この苺も、わたくしが宿泊客に夢幻教に入団するよう勧めてほしいって言われて渡されたものなのでぇ。丁寧に丁寧に、お断りはしたんですけどぉ、強引に置いてっちゃいましたぁ。いつもそうなんですよぉ。夢幻教は薊山市からの進出を目論んでいてぇ、旅行客を取り込もうと必死なんですよぉ」
「ん? 俺達が居るってことがバレてる?」
「はい。バレてますねぇ。どうも宿泊施設は総チェックしてるみたいですぅ」
「・・・あのー、実は俺達、三日後に夢幻教に取材しに行くことになってるんですわ」
「えー。危ないですよぉ?」
「大丈夫です。加入したりしませんから」
「そういうことじゃなくてぇ。裏で危ない組織と繋がってるって噂ですよぉ」
「ある程度の下調べはしているので、勿論知っとります。流石にそこまで踏み込むような度胸はありませんから」
「えー。えー。本当の本当に大丈夫ですかぁ?」
「はい! 大丈夫です! な、先生?」
僕はちっとも大丈夫じゃないと思うが、
「大丈夫です」
と、言っておいた。
「死んでも知りませんからねぇ」
白石さんはくすくすと笑った。
「あら、更科さん。食べないんですかぁ?」
「お腹いっぱいになっちゃって・・・」
「練乳持ってきましょうかぁ?」
「食欲戻りました」
「ふふふ。ちょっと待っててくださいねぇ」
白石さんが階段を降りる。僕達三人はお互いの顔を見やった。
「えっと、二人共、大丈夫なんですか?」
「大丈夫やろ」
原田が白けたように鼻で笑い、メモ帳とペンをしまった。
「期待して損したな」
そう言って何かの機械をポケットから取り出した。
「何ですそれ?」
「ICレコーダー」
「えっ、録音してたんですか?」
「こっそりな。内緒やで」
ボタンを押し、ポケットにしまう。
「原田さん、なかなか侮れないですね」
「えー? そーうーかーなー?」
「白々しい・・・」
「あ、あのー、私、二人の邪魔になってませんでしたか?」
「いやいや! 全然! めっちゃ癒されたで!」
「癒された??」
「可愛い子がお行儀よく苺食べてたら可愛いやろ?」
僕はその発言に軽く引いたが、更科さんはにこっと笑った。
「そんなに褒められると照れちゃいます。でも、仁の前では言わないでくださいね。市川さんと握手したあと、しつこかったんで」
「どんなふうに?」
「『俺の手の方がデカい』って言って譲らなかったんです」
「あははは! なんやあの人もごっつ可愛いなあ!」
「あんたの美的感覚はおかしい」
「そうかなぁ?」
とん、とん、と階段を登る音がした。
「はぁい、お待ちかねの練乳ですよぉ。これ、賞味期限近いんで使いきっちゃってくださぁい」
「わあ、ありがとうございます! あ、原田さんと市川先生は使いますか?」
「俺はええわ。乳製品苦手やねん」
「僕も甘すぎるのはちょっと」
「じゃ、一人で食べちゃいますね」
更科さんは見ているだけで胸焼けしそうな量の練乳を苺にかけ、ぱくぱくと食べだした。僕もつられて食べる。
「本当の本当に、大丈夫かしらぁ・・・」
「だーいじょうぶですって! な、先生?」
「は、はい。多分・・・」
「本当の本当に、死んでも知りませんからねぇ」
「線香くらいはあげてくださいよ」
「まあ、それくらいならぁ・・・」
「わはははは!」
四人で苺を食べ終えると、白石さんは階下に戻っていった。
「なーなー、マキちゃん」
原田が更科さんに馴れ馴れしく話しかける。
「なんですか?」
「天宮さんてどんな人?」
「え? それは難しい質問だな・・・」
更科さんは親指と人差し指で顎をつまみ、唸った。
「小学校からの付き合いなんですよ」
「今、いくつ?」
「二十八です」
「てーこーとーはー、二十二年!?」
「はい」
「恋人になったのはいつから?」
「それが・・・ちょっと自分でもわからなくて・・・。私、仁しか会いに来てくれる人がいないから、何かの拍子に一人で死んで腐るのが怖いなって思って、仁に合鍵を渡していたんです。そしたら仁が、私の家に来て家事をして帰るようになって・・・」
「通い妻かいな」
「うーん・・・いつから好きなんだろう・・・。でも、ついこの間プロポーズされて、『あ、そっか』みたいな感じでOKしました」
「へえー・・・。あの人、見かけによらんな」
窓の外から車のタイヤが砂利を踏む音が聞こえた。
「あっ、やばい。帰ってきたのかも」
「おーおー。お喋りしたのは黙っとくから」
「ごめんなさい。ではまた」
更科さんは慌てて三号室に戻っていった。
「ええなぁ。俺も恋したいわ」
「恋人、いないんですか?」
「俺、綺麗な人がおったら、つい声かけて写真撮ってまうねん」
「それはいけませんね」
「やろぉ? 別に浮気してる訳やないんやで。気に入る写真が撮れたらそれで終わりや。でも、恋人には浮気に映るねんなぁ。恋人は途切れずおるけど長続きせんのよ」
「今は恋人いないんですか?」
「裕美子ちゃんと付き合ってる」
「はあ!?」
「うっそー!」
原田はニカッと笑った。
「ポールダンサーと付き合ってるで。男やけど」
「え!?」
「これはホンマ。俺、男もイケんねん」
「えー・・・」
「脚の綺麗な子でなあ。踊ってるときがたまらんのよ」
「わかった、もういい」
僕はぶんぶんと首を横に振った。
「先生、電車乗ったことある?」
「ありますよ」
「切符の買い方わかる?」
「えーっと・・・」
「ほな、隣町行ってみよ。そんで服屋探して、普段は着ぃひん服買ってみよ。社会勉強や」
「・・・わかりました」
「まー、潜入調査は小説のネタくらいに考えて、裕美子ちゃんが言ってたように社会勉強しようや」
「はい」
「ほな行こか」
「行きましょう」
そういうことになった。
取材日までの間、僕は原田にあちこち連れ回され、料理や洗濯、掃除といった家事を教わり、夜になると布団でぐったりと寝込むのであった。
僕の名前は市川優。二十九歳。職業は小説家、と、言いたいところだが、大成はしていない。
五年前、僕は『栗野崎大量殺人事件』から生還した。その際の信じがたい出来事を面白可笑しく認めた、『母性』と銘打った小説が、飛ぶように売れてしまった。印税という名の夢のような金も手に入ったが、昔の話だ。今は産婦人科の名医である父のコネを使って、あちこちに拙文を投稿しては小説家の末席を汚している。母は甲斐甲斐しく僕の世話を焼いてくれるが、申し訳なくて仕方がない。
「ゆーうーくーん! あーそびーましょー!」
ノックもなしに僕の部屋に入ってきたのは、同い年の姉、裕美子だ。僕と裕美子は遠縁にあたる。僕は市川家の人間と直接血は繋がっていない。実母に性的虐待されていたところを保護され、裕福な市川家に養子として迎えられたのである。僕は今も精神科に通い、女性恐怖症と戦っている。
「お仕事中だった? それともお昼寝?」
「何の用だ、裕美子」
裕美子は看護師をしている。両親とは仲が悪いらしく、僕に会うためにしか実家に帰って来ないのだ。
「どーせ暇でしょ? 『カサブランカ』でお茶しない?」
「・・・はあ。いいぞ」
「やったー! 優とデートだー!」
「やめろ! そういうの!」
裕美子は賢いくせに馬鹿な振りをして、僕の気を紛らわせようとしてくれている。献身的な愛情を享受するのは、心地が良い。恥ずかしくてつい語気を強めてしまうが、僕は裕美子が好きだ。どうしようもないくらいに。
「手、繋いでいく?」
「・・・いいぞ」
「えっ、嘘。やだ、本当!?」
「やっぱり駄目だ」
「ええー!?」
そう言いながら二人で歩いて、近くの喫茶店『カサブランカ』に向かった。茶色い煉瓦造りの静かな店だ。ドアを開けると、ちりんちりんとドアベルが鳴る。
「おー、来たか!」
「やっほー、透ちゃん!」
「え?」
裕美子は迷うことなく『透ちゃん』とやらの居る席に座った。僕は混乱して、少し近付いてから立ち尽くした。
「ほおー、美人さんやなぁ。男やけど」
関西弁で喋っているのは、筋骨隆々の男だ。染めた金髪をオールバックにしている。くっきりとした鼻と唇。大きな目は少年のように輝いている。
「騙しちゃってごめんね、優。ちょっと座って」
「なん、なんなんだいきなり・・・」
僕は裕美子の隣に座る。『透ちゃん』はニカッと笑った。
「噂は裕美子ちゃんからかねがね伺っております。カメラマンやってる原田透といいます。貴方が『左白憂』先生ですか?」
関西弁のイントネーションでそう聞かれ、僕は小さく頷く。『左白憂』とは僕のペンネームだ。
「ど、どうも・・・」
「今日はね、なぁんと優君に、お仕事を持ってきましたー!」
「ぱちぱちぱちー」
「ぱちぱちぱちー」
裕美子と原田は手を叩き合わせて笑っている。
「ちょ、ちょっと、急すぎて何が何やら・・・」
「あ、敬語はええで。俺も使わんから」
「・・・は、はあ」
「実はねぇ」
裕美子が人差し指を立てて、くるくると回した。
「優、父のコネ使って小銭稼いでるでしょ? そういうの、良くないと思うのよ。ここは一発、小説家としてバーンとォ! おっもしろいお話を書いてみなぁい?」
「え、ええ?」
「優に必要なのって、インプットだと思うのよ。それって、趣味で本を読むだけじゃなくて、実際に見て、聞いて、嗅いで、触って、感じて。優が実体験したことを小説にしてみない?」
「まあまあ、裕美子ちゃん。急に言うても伝われへんて」
「ふ、二人はどういう・・・」
裕美子と原田は顔を見合わせた。
「優の『母性』の表紙、鰻の写真だったでしょ? それを撮ってくれたのが透ちゃんなんだよ」
「え! 知らなかった・・・」
「だろうね。優、人付き合い苦手だからって言って、担当さんに押し付けっぱなしだったもんね、色々。私がかわりにあっちこっち行ったりしてたでしょ?」
「うん・・・」
「そんでな、担当さんが裕美子ちゃんと会ったとき、モデルさんにしたらどうかって言いだしたんや。今の裕美子ちゃん、白衣の天使も十分魅力的やけど、その美貌を生かさんのは美への冒涜や! ってな。腕の良いカメラマンを紹介するからって言うて、紹介されたのが俺やった。俺、あちこちで撮ってるからな。綺麗なモンしか撮りたないから乗り気やなかってんけど、実際に会ってみたら、裕美子ちゃん、凄い美人やないの!」
「担当さん、優にお仕事沢山回すって言うから・・・。私、汚されちゃったの・・・ぐすっ・・・」
「え!?」
「こらこら、人聞きの悪い! ちょっと写真撮ってお茶しただけやん!」
裕美子が僕のためにそこまでしていたとは思わなかった。自分の実力のなさがもどかしくて、僕は歯ぎしりをする。
「でさぁ、透ちゃん、優が小説を掲載している、『リタ』にも写真を投稿してるんだって」
『リタ』は所謂オカルト雑誌だ。それも三流の。心霊写真の解説や都市伝説の検証、僕が書いたホラー小説などが掲載されている。
「ま、俺の撮った心霊写真は殆ど合成やけどな」
原田が小声でそう言って、悪戯っぽく笑った。
「え、何枚かは本当ってこと?」
「さあ?」
「もー、透ちゃんったら」
「わははははは!」
「それで、仕事っていうのは一体?」
二人がぴたりと静止し真顔になったので、僕はどきりとした。裕美子は『うーん』と唸り、原田はにやりと笑った。
「どこから説明すべきかな・・・」
「結論からやろ。市川先生にはこれから三ヵ月間、俺と一緒に寝食を共にし、密着取材をしてもらいます」
「・・・はい?」
「大きな声では言えないけど・・・。『母性』って実話をもとにした話でしょ?」
「っ、お前、それ原田さんに」
「うん、喋っちゃった」
裕美子も五年前の『栗野崎連続殺人事件』の生還者だ。
「俺が説明するわ」
原田が声のトーンを落とした。
「『薊山市』って町がある。元々はベッドタウンやった。数年前、市長が新しいプロジェクトを始めた。それは、『薊山市を観光地にする』っつうもんやった。定住者が増えるよう、子供の教育に力を入れたり、シルバー人材を積極的に雇用したりした。それから、観光客を呼び込もうと、展望台を作った。白くて大きい、『ほしぞらタワー』っていう名前や。市長の目論見通り、町は賑わった。問題はここからや。自殺者が増えた。それも大量に。雨の日にほしぞらタワーから人が飛び降りて死ぬ。今やほしぞらタワーは自殺の名所や。ここまではええか?」
僕は頷いた。
「これに関係していると思われるのが、『夢幻教』。噂ではヤのつく自由業の人らと繋がってて、麻薬を使って信者を洗脳してるらしい。そのほかにも、武器の売買やら、売春の斡旋やら・・・。警察も迂闊に手を出されへん、悪い噂は絶えへん連中や」
原田は舌で唇を湿らせた。
「夢幻教に反発するヤツ、逃げ出そうとする信者。そういった連中をこの世から消すために、教祖がほしぞらタワーから電波を発信しているらしい」
「・・・は?」
「な? めっちゃ胡散臭いやろ? でも自殺者が多いのは確かやねん」
「気味が悪いねぇ」
裕美子と原田は頷きあった。
「という訳で市川先生、潜入取材行ってみよう!」
「おー!」
「待て待て。え? そんな危ないところに僕が?」
何がしたいのかは理解できた。しかし了承はできない。
「優、このままでいいと思ってるの? カビが生えたみたいに椅子に座って、父の伝手で面白くない駄文を書く。そんな生活、いつまでも続くと思ってる?」
「なっ、そ、そんなことは・・・」
「私が連れ出さないと碌に散歩もしない。綺麗好きだから掃除はするけど、整理整頓してるだけで、掃除は母がやってるよね? 料理も洗濯も公共料金の支払いも全部母だよね?」
「うっ、た、確かにそうだけど! 仕方ないだろ! 現状を打破するには、どうすればいいのかわからないし、外はまだ、怖くなるときがあるし・・・」
「今のままではいけないと思ってるなら、ショック療法だと思って、ちょっとやってみようよ。大丈夫、優に何かあったら私が透ちゃん殺すから」
「おっかね」
原田が身を縮こませた。
「ね? 大丈夫。ちょっとやってみよ? お金は出版社から出してもらうことが決まったし、透ちゃんこうみえて生活能力高いし」
「おう、料理も掃除も洗濯もバッチリやで!」
「透ちゃんにいろいろ教わりながらさ、やってみようよ。面白い小説書けなくてもいいよ。いつも通りでいいよ。細かいことは私がやっとくから、安心して? 私はずっと優の傍に居るけどさ、一人でも生きられる練習、しよ?」
「裕美子・・・」
「全然変われなくったっていいよ。結果がどうなっても。私はぶっちゃけ、小説なんてどうでもいいよ。ただ、家から離れて、生活能力高めてみてほしいの」
「もう取材も申し込んであるし、あとは先生が納得するだけですわ」
僕は俯いた。正直やりたくないが、裕美子の気持ちもわかる。初対面の原田を信用するのも怖いが、やってみようと思った。
「・・・わかった、やる」
「本当!?」
「男に二言はないで」
「やります!」
そういうことになった。
三日後、生活用品を詰めた鞄を持って原田の車に乗り、薊山市の『菫屋』という民宿に向かった。
コンクリートの無機質な壁が、高く聳え立っている。その上に侵入者を拒む刺々しい忍び返しがあった。
「うひょー、お化け屋敷みたいやな」
原田はからからと笑い、車を降りて呼び鈴を押す。
「あ、すいませーん。予約していた原田ですけどー」
『はぁい。今、開けまぁす』
自動で鉄の門扉が開いた。
「おっ、便利ー」
「見た目に反して最新鋭ですね」
「その敬語、どないかならんの? なんかむず痒いわあ」
「癖みたいなものなので、割り切ってください」
「さいでっか」
広い駐車場には一台の車が停まっていた。車を停め、降りる。目の前には真っ白な花畑が広がっていた。
「朝鮮朝顔・・・」
「その呼び方、好きじゃないわぁ」
ゆったりとした声に振り向くと、黒い着物を着た女性が立っていた。
「これは『ダチュラ』っていうのよぉ。花はお好きぃ?」
「あ、いえ。図鑑で見たりするくらいで・・・」
原田が二人分の荷物を軽々と担いでこちらに近付いてきた。
「どうもー。原田です。お世話になりますー」
「はい、こんにちはぁ。わたくし、家主の白石凛ですぅ」
「あ、市川優です。お世話になります」
コンクリートの壁に塞がれて風が入ってこないのか、朝鮮朝顔、いや、ダチュラの甘いにおいが立ち込めている。
「はいはぁい。じゃあ早速、中を案内しますねぇ」
古い家を改築したのか、レトロな雰囲気で清潔感がある家だ。二階に案内され、白井さんがあちらこちらを指差す。
「お風呂は三時間ごとに男女が変わるんですぅ。入口の暖簾が青だったら男、赤だったら女ですぅ。洗濯物はお部屋のベランダに干してくださいねぇ。お布団を変えてほしいときは言ってくださぁい。おトイレはあっち、キッチンはこっちですぅ。冷蔵庫は宿泊客共用なので、気を付けてくださぁい」
「俺達以外には誰か泊ってるんですか?」
「はい。婚前旅行のお客様が三号室に。お二人共、仲良くしてくださいねぇ。お部屋はこちらですぅ。何かあったら呼んでくださぁい。わたくし、滅多に出掛けないし、早寝早起きで、お昼寝しているとき以外は対応できますからぁ」
「ありがとうございます」
「それでは三ヵ月間、よろしくお願いしまぁす。ごゆっくり」
両手を合わせて頬に添え、白石さんはにこりと笑った。
原田が荷物を降ろし、肩と首をぐりんぐりんと回す。
「ふー、疲れた。白石さん可愛い人やったなあ。さて、取材は三日後やし、それまでゆっくりしましょ」
「あ、ベランダ。結構広いですね」
僕はベランダに出た。吹く風が心地良い。大人が三人、横に並べばいっぱいというところか。遠くに例のほしぞらタワーが見えた。白くて目立つ。ふ、と横を見ると、真っ白な女性が洗濯物を干していた。
『あ』
二人の声が重なる。
「こ、こんにちは」
「こんにちは・・・」
女性が怖い僕は少し怯んでしまう。向こうもなぜか怯えた表情をしている。
「良いお天気ですね。洗濯日和です」
「そ、そうですね」
「あの、私、更科真紀と・・・」
『おい』
渋い声が響いた。更科と名乗った女性が振り向く。男の太い腕が首根っこを掴むように更科さんを掴み、部屋の中にひゅんっと音がしそうな勢いで連れ去られた。
「どないしたん?」
原田がベランダに出てくる。
「あの、お隣さんが・・・」
「え? なんかあった?」
「いえ、別に・・・。女性だったのでちょっとびっくりして」
「ああー。そんで? 可愛かった?」
「え?」
「可愛かったって聞いてんの」
原田はポケットから煙草とライターを取り出し、火を点けた。
「見てないですよ、そんなの」
「見てないわけあるかい。顔、見たんやろ?」
「まあ・・・普通、なんじゃないですかね・・・」
ギロッと睨まれ、僕はたじろぐ。
「っかー! あかんわ。先生、そらあかん。裕美子ちゃんみたいな美人が傍に居ると、目が肥えるんやなぁ。羨ましい限りやわ」
「可愛いかどうかって言われても、相手は新婚さんですよ?」
「卑猥なことなんて考えてないわい! 俺は美しいモンが好きなんや!」
原田は握り拳を作り、力説を始めた。
「可愛い、綺麗。つまり『美』。これ即ち正義。対象が何であれ、その基準に達していたら、写真に撮りたいと思うのが人の心。ええか、美は劣化する。現状維持できひん。だから、写真に収める。するとどうや、永遠になる。永遠に美のままなんや。こんな尊い事他に無いで!」
弾けるような笑顔でそう言う。
「そういう意味では、是非とも先生も写真に収めたい! 涼しい目元、長い睫毛、細く長い眉! 筋の通った鼻、薄い唇、陶器のように白い肌! 女の子みたいな顔して青年のボディというアンバランス! お人形さんみたいや! どや、一枚?」
「灰、落ちますよ」
「おっとっと!」
原田が慌てて携帯灰皿を取り出し、とんとんと灰を落とす。
「で、どや? 一枚?」
「僕の写真なんか撮ってどうするんですか」
「俺の部屋に飾るに決まってるやん。コレクションよコレクション。あ、裕美子ちゃんの隣に飾るから安心して」
「あんたと話してると頭が痛くなってくる・・・」
「ごめんね、慣れてちょーだい」
僕は原田を置いて部屋に戻った。原田は暫く煙草をふかしてから部屋に戻ってきた。
「お、隣の部屋の扉が開く音がしたな」
「お昼時ですからね。何か作るんじゃないですか?」
「是非交流しに行きたいなぁ」
「僕は行きませんよ」
「先生は料理の腕を磨かんとあかんやろ? ま、二人で買い物にでも行きましょうや」
「うう・・・」
ぐうの音も出ないのが悔しい。僕と原田は部屋を出た。キッチンの方を見ると、原田よりも背が高く、筋肉質な男が何やら作っていた。
「こんにちはー!」
「こ、こんにちは」
「・・・こんにちは」
男は明らかに僕達を歓迎していなかった。
「・・・美しい」
「は?」
原田がずかずかと男に近付いて行った。僕の存在を完全に忘れている原田に、制止する声は虚しく掻き消される。
「ちょ、待っ・・・」
「こんにちは! 俺、原田っていいます! いやー、お兄さんえらい鍛えてますね! 俺も鍛えてる方やけど、足元にも及ばんわ! 素晴らしい肉体美や! 汗の結晶や! ちょっと一枚撮らせてもらってもいいですか?」
「な、なんだあんた・・・」
「何の騒ぎ?」
先程会った更科さんが三号室のドアの後ろに身を隠してこちらを覗いている。原田は振り向き、ぱあっと顔を輝かせた。
「あらぁ! 可愛いお嬢さん!」
「えっ?」
「おい!」
「ちょっと! 原田さん!」
「こんにちはー、俺、一号室の原田っていいます。カメラマンやってまして、一枚撮ってもいいですか?」
「え? 私を? え?」
「おい! いい加減にしろ!」
「こーらー!! 仲良くしなさーい!!」
騒ぎを聞きつけたのか、白石さんが階下から上がってきた。
「ああ、白石さんすみません! ちょっと自己紹介を・・・」
「困りますよぉ、原田さぁん! 肖像権ってものご存じないのかしらぁ?」
「勿論弁えておりますとも! 白石さんも一枚、どうです?」
「んもー! 怒ってるんですよぉ?」
「あー、こりゃすいません、わはは!」
「滅茶苦茶だぁ・・・」
更科さんがぽそりと呟いた。男が更科さんに近付く。
「俺の許可なく部屋を出るなと・・・」
「何の騒ぎかと思って、つい」
「すみません。うちの原田がご迷惑をおかけしました」
「いえ・・・あの、更科真紀です。よろしくお願いします」
「あ、僕、市川優です。よろしくお願いします」
「・・・仁?」
更科さんがそう言って男を見上げた。
「・・・天宮仁です」
「よろしくお願いします」
「ほんで? 写真撮ってええのん?」
「原田さん、駄目です」
「えー、折角の美人さんやのに・・・」
「美人だなんて、そんな・・・」
更科さんは謙遜したが、彼女は可愛い顔をしていた。猫のような大きな目、細い眉、真っすぐで高い鼻、赤い唇。髪はボサボサだが手入れをしていないだけで艶はあったし、何より彼女は肌が白かった。女性が怖い僕が見惚れるほどに。まるで画家が描いた紙から抜け出してきたみたいだ。
「先生、もう仲良くなったん?」
「先生? お医者さんか何かなんですか?」
「あ、一応この先生、小説家ですよ」
「ええっ!?」
更科さんが顔を輝かせた。それとは対照的に天宮さんの顔は曇っていく。
「あの、私、読書が趣味で。もしかしたら読んでいるかも」
「『母性』って知ってます? 鰻の写真が表紙の」
「読みました! えっ、もしかして左白憂先生!?」
「そうです。一応・・・」
「あ、あのっ、握手を、あ、えっとハンカチが・・・」
「左ポケットだ」
「あったあった。あの、良ければ握手を・・・」
更科さんはハンカチで両手を拭いた。
「ぼ、僕なんかで良いんですか?」
「はい! ファンです!」
僕は得体のしれない高揚感に駆られた。承認欲求を満たすとは、こういうことなのだろうか。女性への恐怖より、自尊心の方が強くなった。握手をすると、更科さんは花が咲いたように笑った。
「ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ」
「マキ! もういいだろう。部屋に戻れ」
更科さんは天宮さんを見て目をぱちぱちさせると、何故かにこりと笑って頷き、部屋に戻っていった。
「さて、買い物行こか」
「切り替えが早すぎるだろ・・・」
「結局、誰も撮られへんかったなあ。まあ隙を見てパシャッと」
「盗撮したら裕美子に言いつけますよ」
「ヒィッ!! それは勘弁して!!」
原田に内心溜息を吐き、くだらない話をしながら僕達は近所のスーパーマーケットに出かけた。買い物の仕方を教えてもらい、会計を済ませる。菫屋に戻ると、キッチンを使って簡単な料理を作った。焼いたウインナーと炒り卵、総菜のポテトサラダのメニューだ。インスタントの味噌汁も、なかなか良い味だった。
「どや? 簡単やろ? わからんことがあったら店員に聞けばいい。品出ししてる店員でもやで。お客様優先やから大体何とかしてくれるわ」
「そうなんですね」
「しかし先生、マジで『世間知らずの高枕』やな・・・」
「別にのんびりしていた訳では・・・。売れるような小説を書こうと努力はしていたんです。それでも、なにも良いアイディアが浮かばなくて」
「そらあかんわ先生。『ウケ』狙ったら作風が死にまっせ」
「・・・その『先生』っていうのやめてくれませんか?」
「敬語やめてくれたらええよ」
「ああ、もう!」
僕は苦い顔をして溜息を吐いた。
とん、とん、と足音が階段から上がってくる。大きなダンボールを重そうに抱えた白石さんだ。
「おっとっとっと!」
原田が慌てて席を立ち、白石さんの抱えているダンボールを持つ。『いちご』と書かれている。
「あらぁ、ありがとうございますぅ。お優しいのねぇ」
「いえいえ、これ、どこに置きましょうか?」
「冷蔵庫の前に置いてくださぁい」
「はいはいはい」
原田が丁寧にダンボールを置いた。
「苺を頂いたんですけどぉ、一人じゃ食べきれなくってぇ。みなさんで分けようと思って持ってきたんですぅ」
「お! ありがとうございます! こうみえて甘い物好きなんで嬉しいですわ!」
「それはよかったぁ。天宮さん達もお呼びしましょう。ちょっとお話ししたいことがあるのでぇ」
「話したいこと? なんですか?」
「夢幻教についてですぅ」
僕と原田は顔を見合わせた。原田がこくりと頷く。
「白石さん! ちょっと苺洗っといてくれませんか? お二人なら俺らが呼んできます! 丁度話があるんで」
「あらぁ。そうなのぉ? じゃあ沢山洗っておきますねぇ。お二人の食器もついでに洗っておきましょうかぁ?」
原田は自分と僕の食器を手早くまとめると白石さんの居るキッチンに持って行った。
「何から何までありがとうございます!」
「うふふ。じゃあ苺も沢山洗っておきますから、ゆっくりお話ししてきてくださぁい」
「手短に済ませます! それでは!」
三号室の扉を、コンコンコン! と原田が強めにノックする。
「はい」
天宮さんが出てきた。嫌そうな顔をしている。
「天宮さん、先程はすいません! ちょっと話したいことがあるんで、中に入れてもらえませんか?」
「悪いが中には入れられない。ここで済ませてくれ」
「あっ、じゃあマキちゃんも呼んでください」
「人の女を馴れ馴れしく呼ぶな!」
静かな声だが語気鋭く天宮さんが言う。
「仁、どうしたの?」
それを聞きつけたのか、ベランダに出ていたらしい更科さんが部屋に戻ってきた。僕達を見て首を傾げる。
「マキちゃーん、ちょっとお願いがあるねん。旦那さん説得して中に入れてもらうように言うてえな」
天宮さんが顔を顰めた。更科さんはくすくす笑っている。
「仁、入れてあげなよ」
「・・・どうぞ」
部屋に侵入させまいと立ちはだかっていた天宮さんが退く。原田は素早く部屋に入り、僕を手招いた。僕も部屋に入る。ドアを閉め、天宮さんが投げるように寄こした座布団に座る。
「何の用だ」
「しっ。静かな声で頼みます。実は俺達、潜入調査に来てるんや」
天宮さんは険しい顔のままだ。更科さんは興味深そうに聞いている。
「夢幻教っちゅうカルト団体を調査しにきたんや。で、白石さんが今からその話をしてくれるらしい。苺でも食べながらどうですか、って言うてくれてる。二人も呼んでくるように頼まれたんやけど、俺達のために調子合せてくれませんやろうか?」
「ことわ、」
『る』、と天宮さんが言い切る前に、
「苺!」
と更科さんが反応した。『る』の音は天宮さんの喉の奥に消えていった。
「・・・俺は今から用事があって出掛ける。だから、話が終わったら、部屋から出るなよ」
「わかった」
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
天宮さんは僕達に一瞥もくれずに部屋から出て行った。
「ごめんなさいね。仁、すごいやきもち焼きなの」
「そうみたいですなぁ」
「そうなんです。ちょっと予想外・・・」
更科さんは困ったように、それでも嬉しそうに笑った。
「お二人の邪魔にならないように話を合わせればいいんですね? 苺食べながら適当に相槌打っときます」
「マキちゃん! ありがとうー! ほな行こか!」
僕は全く物怖じしない原田に感心した。三人で部屋を出る。テーブルの上の皿に大量の苺が盛りつけられていた。更科さんが小さく手を叩き合わせて喜んだ。
「じゃ、食べながらお話しましょうかぁ」
「はい、お願いします。メモをとってもよろしいですか?」
「いいですよぉ」
僕達は席に着いた。原田はメモ帳とペンを取り出した。
「えーっと、何から話そうかなぁ。夢幻教はですねぇ、『弱き者の救済』を目標としているんですぅ。それは身体的、精神的、社会的に、『弱い』とされている人達のことでぇ、高齢者、女性、子供、貧困者、障害を持つ人。そういった人達の、安住の地が夢幻教なんですぅ」
更科さんは苺のヘタをぷちぷち取りながらもぐもぐ頬張っている。原田は素早くペンを走らせた。僕は食べながら聞くのは失礼だと思ったが、食べないのも失礼かと思い直し、苺に手を伸ばした。
「主な活動は、ボランティアですねぇ。ホームレスの炊き出し、町の清掃活動、あとは、フルタイムで働いているママさんのために、子供を預かってあげたり。そこで交流が生まれて、孤独なママさんを減らしたりですねぇ。ご老人がいる家に訪問して家事や介護を手伝ったり、なかなか仕事が見つからない人に、お仕事を斡旋したり、障害を持っている人に、規則正しい生活を送れるようサポートをしたり。ボランティアは多岐にわたりますぅ」
僕は苺を齧った。甘酸っぱい味が口の中に広がる。
「所謂『お布施』はありません。寄付はありますけどぉ。この町で一番大きい『久遠寺医院』と提携していて、お金が無くて困っている人でも診察を受けられるんですぅ。夢幻教でお金を出し合ってくれるんですよぉ。その他にも、商店街で使える割引券を配ったりとか、加入者同士で物々交換、売買をしたりとか、そんな感じでぇ、夢幻教の結束はかなり強いですねぇ。この苺も、加入者からの頂き物なんですよぉ」
「てことは白石さんも、夢幻教に加入されてるんですか?」
「いいえ。わたくしは皆さんに夢幻教が危ないところだって教えてあげようと思いましてぇ。お話していますぅ」
「え? こ、これ、食べちゃっても大丈夫ですか?」
更科さんが手をとめた。
「大丈夫ですよぉ。変なことはしてないと思いますぅ」
「は、はあ・・・」
「カルト団体って表向きは良いことしてますからぁ。この苺も、わたくしが宿泊客に夢幻教に入団するよう勧めてほしいって言われて渡されたものなのでぇ。丁寧に丁寧に、お断りはしたんですけどぉ、強引に置いてっちゃいましたぁ。いつもそうなんですよぉ。夢幻教は薊山市からの進出を目論んでいてぇ、旅行客を取り込もうと必死なんですよぉ」
「ん? 俺達が居るってことがバレてる?」
「はい。バレてますねぇ。どうも宿泊施設は総チェックしてるみたいですぅ」
「・・・あのー、実は俺達、三日後に夢幻教に取材しに行くことになってるんですわ」
「えー。危ないですよぉ?」
「大丈夫です。加入したりしませんから」
「そういうことじゃなくてぇ。裏で危ない組織と繋がってるって噂ですよぉ」
「ある程度の下調べはしているので、勿論知っとります。流石にそこまで踏み込むような度胸はありませんから」
「えー。えー。本当の本当に大丈夫ですかぁ?」
「はい! 大丈夫です! な、先生?」
僕はちっとも大丈夫じゃないと思うが、
「大丈夫です」
と、言っておいた。
「死んでも知りませんからねぇ」
白石さんはくすくすと笑った。
「あら、更科さん。食べないんですかぁ?」
「お腹いっぱいになっちゃって・・・」
「練乳持ってきましょうかぁ?」
「食欲戻りました」
「ふふふ。ちょっと待っててくださいねぇ」
白石さんが階段を降りる。僕達三人はお互いの顔を見やった。
「えっと、二人共、大丈夫なんですか?」
「大丈夫やろ」
原田が白けたように鼻で笑い、メモ帳とペンをしまった。
「期待して損したな」
そう言って何かの機械をポケットから取り出した。
「何ですそれ?」
「ICレコーダー」
「えっ、録音してたんですか?」
「こっそりな。内緒やで」
ボタンを押し、ポケットにしまう。
「原田さん、なかなか侮れないですね」
「えー? そーうーかーなー?」
「白々しい・・・」
「あ、あのー、私、二人の邪魔になってませんでしたか?」
「いやいや! 全然! めっちゃ癒されたで!」
「癒された??」
「可愛い子がお行儀よく苺食べてたら可愛いやろ?」
僕はその発言に軽く引いたが、更科さんはにこっと笑った。
「そんなに褒められると照れちゃいます。でも、仁の前では言わないでくださいね。市川さんと握手したあと、しつこかったんで」
「どんなふうに?」
「『俺の手の方がデカい』って言って譲らなかったんです」
「あははは! なんやあの人もごっつ可愛いなあ!」
「あんたの美的感覚はおかしい」
「そうかなぁ?」
とん、とん、と階段を登る音がした。
「はぁい、お待ちかねの練乳ですよぉ。これ、賞味期限近いんで使いきっちゃってくださぁい」
「わあ、ありがとうございます! あ、原田さんと市川先生は使いますか?」
「俺はええわ。乳製品苦手やねん」
「僕も甘すぎるのはちょっと」
「じゃ、一人で食べちゃいますね」
更科さんは見ているだけで胸焼けしそうな量の練乳を苺にかけ、ぱくぱくと食べだした。僕もつられて食べる。
「本当の本当に、大丈夫かしらぁ・・・」
「だーいじょうぶですって! な、先生?」
「は、はい。多分・・・」
「本当の本当に、死んでも知りませんからねぇ」
「線香くらいはあげてくださいよ」
「まあ、それくらいならぁ・・・」
「わはははは!」
四人で苺を食べ終えると、白石さんは階下に戻っていった。
「なーなー、マキちゃん」
原田が更科さんに馴れ馴れしく話しかける。
「なんですか?」
「天宮さんてどんな人?」
「え? それは難しい質問だな・・・」
更科さんは親指と人差し指で顎をつまみ、唸った。
「小学校からの付き合いなんですよ」
「今、いくつ?」
「二十八です」
「てーこーとーはー、二十二年!?」
「はい」
「恋人になったのはいつから?」
「それが・・・ちょっと自分でもわからなくて・・・。私、仁しか会いに来てくれる人がいないから、何かの拍子に一人で死んで腐るのが怖いなって思って、仁に合鍵を渡していたんです。そしたら仁が、私の家に来て家事をして帰るようになって・・・」
「通い妻かいな」
「うーん・・・いつから好きなんだろう・・・。でも、ついこの間プロポーズされて、『あ、そっか』みたいな感じでOKしました」
「へえー・・・。あの人、見かけによらんな」
窓の外から車のタイヤが砂利を踏む音が聞こえた。
「あっ、やばい。帰ってきたのかも」
「おーおー。お喋りしたのは黙っとくから」
「ごめんなさい。ではまた」
更科さんは慌てて三号室に戻っていった。
「ええなぁ。俺も恋したいわ」
「恋人、いないんですか?」
「俺、綺麗な人がおったら、つい声かけて写真撮ってまうねん」
「それはいけませんね」
「やろぉ? 別に浮気してる訳やないんやで。気に入る写真が撮れたらそれで終わりや。でも、恋人には浮気に映るねんなぁ。恋人は途切れずおるけど長続きせんのよ」
「今は恋人いないんですか?」
「裕美子ちゃんと付き合ってる」
「はあ!?」
「うっそー!」
原田はニカッと笑った。
「ポールダンサーと付き合ってるで。男やけど」
「え!?」
「これはホンマ。俺、男もイケんねん」
「えー・・・」
「脚の綺麗な子でなあ。踊ってるときがたまらんのよ」
「わかった、もういい」
僕はぶんぶんと首を横に振った。
「先生、電車乗ったことある?」
「ありますよ」
「切符の買い方わかる?」
「えーっと・・・」
「ほな、隣町行ってみよ。そんで服屋探して、普段は着ぃひん服買ってみよ。社会勉強や」
「・・・わかりました」
「まー、潜入調査は小説のネタくらいに考えて、裕美子ちゃんが言ってたように社会勉強しようや」
「はい」
「ほな行こか」
「行きましょう」
そういうことになった。
取材日までの間、僕は原田にあちこち連れ回され、料理や洗濯、掃除といった家事を教わり、夜になると布団でぐったりと寝込むのであった。