第4節 到達できない模範

文字数 7,941文字

第4節 到達できない模範
 長嶋は、それゆえ、ルサンチマンによって誕生するメロドラマを増幅していくライバルというものを持たない。よく言われる村山実や金田正一、江夏豊は長嶋のライバルではない。

 村山も、金田と同様に、ルサンチマンにとらわれ続けた投手である。長嶋を語る際に、一九五九年六月二十五日の後楽園球場で行われた天覧試合が必ずひきあいに出される。それはライバルの物語のモデルと見なされている。だが、村山実は、天覧試合で長嶋にサヨナラ・ホームランを打たれたことによって、長嶋のライバルルとして語られるようになったというのが正確な話だ(8)。天覧試合に先発したのは「精密機械」小山正明で、リリーフに出た村山は一介のルーキー・ピッチャーである。その年、最優秀防御率と沢村賞を獲得しているものの、村山は、一九八〇年のファイターズの木田勇や一九九〇年のバファローズの野茂英雄らのように、デビューしたその年いきなり新人王だけでなく、投手部門のすべてのタイトルやベストナインさらにはMVPまでも総ナメにしたスーパー・ルーキーではない。

ある 確かに、村山から見られた天覧試合はメロドラマであるが、長嶋からの天覧試合は、そのパロディである。それは、野球体育博物館に飾られているその時のホームランを放ったバットが、越智正典の『長島“天覧ホーマー”!』によると、他人から借りたものであるかまたは違うバットを勘違いして献上しているかのいずれかであろうと推測されることが示している。しかも、村山が「あれはファウルだ」と主張する疑惑のホームランである。何ごとにおいても起源は後から見出されるものである。神話はその典型であろう。天覧試合も後から戦後プロ野球の神話として発見されたものにすぎない。疑惑を隠し、起源捏造の物語という神話として天覧試合は強化されている。長嶋はその起源の発見に対して大団円を認めない。天覧試合が後に神話として強化されることを見越して、正統性の虚偽を、疑惑を長嶋はバットを忘却することでつきつける。「フェアはファウルであり、ファウルはフェアである」(シェークスピア『マクベス』)。それに、村山を語るのは一九五九年五月二一日の対ジャイアンツ戦につきる。この試合は、五回に長嶋に四球を与えた後、味方野手の三連続失策のため二点を失ったが、ノーヒット、一四奪三振を記録して、三対二で完投勝利というノーヒット・アリランになっている。

 江夏の場合は、村山らと少し事情が異なる。江夏はルサンチマンにとらわれなかった数少ない例外であり、そのため、延長のノーヒット・ノーランを自らのサヨナラ・ホームランで決めた後の「野球は一人でもできる」という彼自身の一言に代表されるように、自分自身で多くの見せ場をつくれる。江夏は、吉目木の『黄金のサウスポー─江夏豊』に従うならば、「野球フリークスが夢見る完全無欠な投手像を、日本のプロ野球の歴史上、初めて実現して見せたのである。(略)スピードとコントロール、あるいは速球と豊富な変化球、パワーと老獪な頭脳、投手において通常矛盾し合う才能を同時に我がものとした少年は、しかもその若さゆえに、どれほどの大器となり得るか計り知れない可能性を秘めていた」。実際には江夏は球種がなかったけれども、そうファンに思わせるところに意義がある。ところが、江夏は心臓病や血行障害といった数々の不運に見まわれ「二線級の投手」に成り下がるが、今度は最高のリリーフ投手として復活する。だが、見るものはそのリリーフで活躍している江夏に若き日の「完全無欠な天才投手」という「失われた時」を求める。すなわち、江夏は見るものに「失われた時」は戻ってくるのではないかと想起し続けさせた男である。

 江夏はまさにメロドラマのストーリー・テラーとしては最高だ。江夏は、プルーストのように、何度も物語を書きかえる。江夏は終りを求めるがゆえにつねに終りが先送りされていく時間の中に生きていたのであり、四十近くになってから大リーグに挑戦し、常識的に失敗することによって最終的なエンドを拒否する。つまり、江夏は永遠に失われた時を想起する物語をつくりあげるのである。江夏について書かれた文献の多さは長嶋と一、二を争うだろう。江夏はプロ野球の歴史において確かに長嶋と並ぶ存在である。にもかかわらず、江夏自身も否定しているように、長嶋と江夏の関係がライバルにならないのは、二人ともルサンチマンにとらわれていないからである。ライバルのメロドラマは、ルサンチマンを抱くものがそれを克服してしまったものへ自らの怨恨を振り向け、超克者にそうした感情が飲みこまれていく物語である。

 川上は学生野球中心だった日本で職業野球に目を向けさせ、大下弘は職業野球を学生野球以上にし、長嶋茂雄はプロ野球を完全に日本野球の中心にしている。このことはファンというものが変わってきたことをも意味している。彼らはファンの変遷とともにある。

 長嶋は、『ジャイアンツと私』において、プロ野球選手にとって必要な態度を次のように述べている。「何がプロ的ということになるんだけど、要するに表現力です。人生は表現力だと、よく言いますね。特にプロ野球の場合、プレーをお見せすることによって、皆さんの支持、支援をいただき、そして共感をいただく。また、われわれプレーする側からいえば、観客の方に感動を抱かせる。それがプロたるものの使命であり、姿勢である。そんな風に考えて、学生時代から一生懸命勉強していたわけです」。長嶋は野球に関心のないものの目をも野球に向けさせる。

 長嶋はファンによって支えられたと告げているが、草野進は、『長嶋茂雄は祈ることの醜さを球場から追放した』において、長嶋のファンは存在しなかったと述べている。草野によると、「そもそもファンというのはどこかしら孤独で、隠匿性への意志を強く主張する人たち」であり、ファンは「ひそかに好んでいる」選手のために祈らずにはいられないが、長嶋は「そうした祈りや人目に触れぬ配慮などまるで必要としてはいなかった」。つまり、「出来そこないの子供に愛情を注ぐ親のように、影ながら自分がささえてやらねば世の中を渡ってはいけまいといった気持で選手を贔屓せずにはいられないファン気質の醜さを思い知らせるように、彼はそんな隠された心遣いを頭から無視し、勝手気儘にグラウンドをかけずりまわってくれたのだ」。ここで、「隠匿性への意志」とはアイロニーであり、有名性に対する悪意としての反感を秘めている。ファンはルサンチマンに基づいた自己同一性を志向している以上、それを克服してしまった長嶋にその意味でファンはありえない。長嶋はルサンチマンの生み出す「ファン気質」をも笑い飛ばすのである。

 長嶋は最高の教育者である(9)。長嶋に憧れて少年たちは野球を始め、長嶋になるべく躍起になり、背番号3に憧憬した多くの少年たちがプロ野球選手となっていく。少年たちだけにとどまらず、同じプロ野球の選手たちまでも長嶋を実存のモデルとするのである。

 天秤打法の近藤和彦はバッティングに悩んだとき、岡崎満義の『近藤和彦』によると、長嶋によって救われていたと次のように述べている。

 しかし、一番の薬は長嶋君でした。彼とは同じ年にプロに入ったわけだが、彼は会うたびに「いい投手が出たらそうは打てないよ。4─0も仕方ないよ。まあ振っているうちに、いわばマグレのヒットも出るかもしれない。それに、今日4─0なら、明日4─3打てば勘定はあうじゃないか」と決して深刻にならない。あれはすばらしい。ぼくも長嶋君にあやかって、そういう考え方をするようにしました。

 近藤は長嶋がいなかったならば一度くらいは首位打者に輝いたかもしれない。だが、長嶋がいたからこそプロ野球で現役を続けられたと感謝している。近藤こそ長嶋という強者の圏内のうちに身を置いた弱者、すなわち超人思想の申し子である。ニーチェによると、弱者が目標とすべきなのは、さらなる弱者に対して相対的にルサンチマンを晴らしたり、ルサンチマンを自己に向けて自分の生を否定したりするのではなく、つねに強者が示す高次の生き方に憧れ、自分がそのように生きられない場合でもその生き方の「圏のうちに身を置く」ということである。

 長嶋にとって、問題となるのは平凡な人たちがその強者の範例をどう受けとめるかという点にある。「けだし、問題は確かに次のようになるのだ。個人としての汝の生が最高の価値を、最深の意義を保つにはいかにしてか? いかにすれば汝の生が浪費されることが最も少ないか? 確かに、汝が極めて稀有な極めて価値ある範例に有利であるように生き、大多数者、すなわち個々別々にとれば極めて無価値な範例に有利であるようにではなく生きることによってのみである」(ニーチェ『反時代的考察』)。超人は現実的に力を持っている者と必ずしも同一ではない。真の強者は自分の力を認識し、つねに最善をつくして、それでも成し遂げられないことはそうとして認める。長嶋はその基準を自分自身のうちに持っており、やってきた結果に対して決してルサンチマンを抱かない。ところが、大多数者は守備のように条件節的に現実をとらえ、生き難さを感じ、あるがままの現実を是認することができない。だが、こうした生き方はその人を肯定的に生を感受させ得ない。

 玉木の『あなたもわたしも「長嶋茂雄」を殺してはならない』によると、プロ野球史上、最も美しい投球フォームを見せた杉浦忠が次のような話をしている。立教大学の野球部では連帯責任を負わせる風習があり、一人がミスをすると、同学年のもの全員が殴られた。このことによって、善し悪しはさておくにしても、他人に申し訳ないという社会人としての意識が芽生えるのだと杉浦自身は言う。けれども、長嶋だけは別格で、自分がミスをした結果他人が殴られても、アッケラカンとしていたというのである。彼は平気で「今日は縁起が悪いや」と言い放っている。ここでの社会人としての意識とは、平均人としての意識にすぎない。平均人は自分の生き方を他人の評価だけで見ることによって、ルサンチマンを増幅・抑圧し、それを晴らすことに生の理由を見出すことになる。平均人による社会とは反感をうまく組織化したものによって握られている反感の体系にほかならない。一方、長嶋は社会の調和的な維持ではなく、個人が自分のルサンチマンのありようを認識してそれを肯定的な方向に転換し、生がその内で充実されるのかということを目標としている。そうなれば、繰り返ししかない状態でさえも、肯定し得る永遠の好ましい円環運動となるはずだからである。つまり、必要なのは、あるがままの差異の平均化ではなく、その意識化である。平均化は弱い人間には無理な要求を、強い人間にはその肯定的な力を殺ぐことを強いるだけである。強いものと弱いものは誰がわけるのかという疑問は、前者は自分の中に評価の基準を持っている以上、後者から発せられるものでしかない。しかし、強い人間も弱い人間もその差異に自分の生の根拠を見出すべきではなく、大切なのは自分自身の反感のありようを十分に意識することである。人間が生を肯定しつつ且つさらに高い生き方を探し求めるという課題を持ったほうが、平均化よりもはるかによい生き方と長嶋は主張しているのであって、「理想と現実」の二項対立は、このパースペクティヴにおいて意味をなさない。

 才能と努力は違うものをもたらす。才能は瞬間的な力、努力は持続する力をその人に寄与する。大下弘や中西太、田淵幸一は才能で、王貞治や張本勲、野村克也は努力で生きたプレーヤーである。前者は、瞬間として、打球一つで語り継がれていくものになり、後者は、結果として、積み重ねられた記録によって話題になる。いかに努力しても、持たないものが才能を獲得することはできない。それは運命でしかないからだ。才能のあるものは、才能によって、努力のものは、ルサンチマンを持たず、努力して生きたほうがいい。才能を持つものが努力すればより以上の存在になれると考えてはならない。才能はその人におさまりつかないものであり、没落させてしまうほどの力なのだ。長嶋はその極限である。「実績を残した人で自分を天才というのはないよ。みんな自分は努力家だって言うよ。だから、天才っていうのは、まあ長嶋さんみたいに、明るく努力できる人のことだよ」(東尾修)。

 落合博満は、最も素晴らしい長嶋茂雄論である『長嶋さんに理屈をつけてはいけません』において──長嶋を論じようとするものは、誰でも、まず、この落合の意見に耳を傾けなければならない──、長嶋という生成について次のように述べている。

長嶋さんってのは、もう、「とにかく凄い」としか形容の仕方のないプレーヤーですよ。
「とにかく凄い」
 それ以外に言葉がない。
 王さんというのも、これまた凄い選手だけど、ぼくらの世代は長嶋さんがすべてだったよね。ぼくらより下の世代、昭和30年よりあとに生まれた世代が王さんのファンで、ぼくらの世代までが長嶋さんのファンということなんじゃないの。
 長嶋さんのどこが凄いかって?
 それは長嶋さんひとりでお客が呼べたっていうことですよ。うん、あのひとは、ひとりでお客を呼べた。そんなプロ野球の選手って、後にも先にも、もう、あのひとだけじゃないかな。空前絶後。あんな選手は、絶対に出ませんよ、もう。
 長嶋さんは、なぜ客を呼べたかって?
 それは、まあ……、いろいろ理由はあるよね。なにも、ぼくがいわなくても、バッティングやフィールディングの一挙手一投足が美しかったとか、迫力があったとかね、そりゃ、もう、いっぱい理由はあげることができるでしょ。
 けど、いくら理由をあげても、あげ切れないっていうのか、長嶋ってプレーヤーは、こういうプロ野球選手だって断定した瞬間、いや、それだけじゃないとか、そんなものじゃなかったっていう気持ちが湧いてくるんだよね。
 まあ、長嶋さんってひとは、ひとことでいえないひとだといってしまえばそれまでかもしれないけど、そういういい方もまた違っているというか。ひとことでいえないひとだっていった次の瞬間、いや、ひとことでいえるかもしれないって気持ちが湧いてくるんだよね。「ミスター・プロ野球」といえばそれでいいんじゃないかとかね。
 だから、あのひとは、こういうひとだとか、こんなふうにすばらしいひとだとか、そういうふうに断定的にいっちゃ、絶対にいけないひとなんですよ。ただただ、そういうひとが存在してくれたことを、そして、存在していることを素直に喜べばいいんじゃないの。(略)
 うん、はじめてあったときは驚いた。だって、身体全体が、ほんとうに光ってたよ。そう、後光みたいなのがさしていたね。光ってた。ほんとうに光っていたの。だから、ああ、ウワサはウソじゃなかったんだなあと思ったね。
 まあ、長嶋さんってのは、そういうひとなんだから、そんなひとを、言葉でどうのこうのいっちゃいけないんですよ。
 ただただ、あのひとを見つめて、いいなあ、と思ったり、あのひとのいうことを聞いて、おもしろいことをいうなあとか、そんなふうに思っていりゃいいんですよ。もういちどユニフォームを着て監督をするかもしれないけど、そのときだって、あのひとのやることをじっと見つめていりゃいいんです。そうすれば、誰もがしあわせになれるんだから。
 さっきもいったけど、あんなひとは、もう二度と出てこないね。それは確か。なぜかって? それは、環境の違いでしょ。育った環境の違い。時代が違うっていういい方もできるだろうね。時代が違う。いまのぼくらと長嶋さんとでは、あらゆる点で育った環境が違う。だから、第二の長嶋茂雄なんて、絶対に出てきませんよ。まあ、そのことだけは、はっきりと断言できるね。
 ああいうひとが、もう二度と出てこないってことを悲しむ気持ちもわかるけれど、ああいうひとが一度でも出てきたってことを喜ぶっていういい方もできるんじゃないかな。
 うん、ぼくは喜ぶってほうの意見ですよ。プロ野球界に……というより、この世の中にっていうか、まあ、この国にっていうか、ああいうひとが存在したってことを思うと、ほんとうによかったなあと思うのは、ぼくだけじゃないんじゃないのかな……。

 長嶋の決断力あふれるプレーにファンは魅了され続ける。長い時間がたったときには、第二の長嶋が出現することはあるかもしれない。けれども、それはあくまでも第二の長嶋にすぎない。長嶋は一人しかいない。

 長嶋以後に、野球にまったく興味のない人たちまで関心をよせるようにさせるには、イチローを待たなければならない。メニッポス的諷刺の体現者イチローはスタン・ミュージアル級のバット・コントロールとミッキー・マントルばりの足を持っている。東京から遠く離れた神戸で、テレビどころかラジオの中継すらめったにない強くても観客動員がのび悩んでいるチームにいながら、九四年の世間のあいさつは「彼の二百本安打達成はいつだろう」である。九二年のジュニアー・オール・スターでMVPに輝いた鈴木一朗を見たとき、第二の掛布が登場したとひそかに熱狂したものである。左打者で、前さばきがうまく、体が小さいわりに打球が速く飛距離もあり、何よりも、ストッキングを膝のあたりまで見せるようにしている。予想は大きく外れる。彼を小さく把握していたからだ。

 長嶋が登場したことをその社会や野球の歴史から理解することは可能だろう。しかし、長嶋は、日本野球を考えるとき、たんに時代を表象したというだけでなく、「到達できない模範」(10)としてある。なぜだろうか? それは長嶋が二度と現れることはないからである。だが、長嶋がもう二度と現れ得ないことは悲しむべきことではない。「超人」とは「人間の本性を人間の最高のものの起源をとらえた者」(ニーチェ『権力への意志』)であり、個人の実存のモデルであるからだ。それでは、なぜ長嶋はもう絶対に現われ得ないのだろうか? それは長嶋が真の子どもらしさを体現していたからである。子どもはロマン主義的な幼稚で無邪気、すなわち何も知らないのではない。子どもという存在は、生がどれほど困難なものとして現れても、にもかかわらず過ぎ去ったことのすべてを忘却してつねに現にある一瞬一瞬を最大限に生きようとする無垢に立ち返るような力を意味している。長嶋が子どもと見なされていたのはその力を表現したことによる。長嶋を見るとき、自分自身の失われた何ものかを想起する。長嶋を見ることによって幸せになれるのは、かつて自分自身がそうであったように、そこに差し引きなしの生の完全な肯定を感受できるからである。つまり、現実に長嶋のように生きることができないからこそ、長嶋は個々人だけでなく野球そのものの「到達できない模範」として考えられている。

 要するに、長嶋は背番号3、サード、四番打者といった伝統を十分に踏まえながらも、それに関わる価値を完全に転倒する。長嶋は評価基準を自らの力をよく認識しつねに自分の最善をつくし、それでも成し遂げられないことは、それとして認めること、すなわち「意欲」に置くのである。長嶋は、野球を「これまで否定されてきた生存の側面を必然的のみならず、望ましいものとしてとらえる」(『権力への意志』)という肯定から見ることを導入したのであり、デビューはその規範にほかならない。
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