第一章⑨

エピソード文字数 2,226文字

 それから小一時間、孤児院で子どもたちの世話を手伝わされ、帰路に着くニコルの足取りは鉛のように重くなっていた。
 対照的に、その脇で軽いステップを踏んでいたデイヴィッド警部が、ボソッと呟く。
「しっかし、お前さんにあんな美人の妹さんが居ようとはなぁ」
「は、はぁ……。妹とは言いましても、血は繋がってないんですがね」
「どういうことだ?」
 ステップをピタリと止め、デイヴィッド警部がニコルの顔をのぞき込むようにして訊ねてきた。
 相変わらずのげんなりとした面持ちで、ニコルはゆるゆる答えた。
「私も昔、この孤児院で育ったんですよ」
「ほう」
 ニコルの告白に、デイヴィッド警部が興味深げな感嘆を漏らした。
 だが、それを気にすることなく、ニコルはそのまま言葉を続けた。
「七歳の時でしたかね。当時身寄りのなかった私はここに引き取られて、養育されることになったんです」
「なるほどね。それでシスターたちと顔見知りだったって訳か」
「ええ、そしてその頃私によく懐いていたのが、四歳年下のマリアだったんです。あ、ちなみに当時マギーさんや牧師さんはこちらの孤児院にはいらっしゃいませんでしたがね」
「ああ、それで血が繋がってないのに、お兄ちゃんって呼ばれてるのか」
「はい。ただ、その仮初めの兄妹関係も、そんなに長くは続きませんでした。なぜなら私が十三歳の時、子どものいなかったクロムウェル子爵夫人に引き取られることになり、ここを離れてしまいましたから」
「そういう事情もあったのか」
「ええ。でも、子爵夫人には養育だけでなく、しっかりと教育まで受けさせていただきましたから、私はかなり恵まれていた方だったと思いますよ。私のクロムウェルという名前も、その方にいただいたものですしね」
「その子爵夫人にしっかりと愛情をもって育てられたんだな」
「ええ、まぁ……。ただ、少々残念だったのは、、私はウェールズの全寮制の学校に入れられたので、それからは孤児院を訪れることもできなければ、マリアと会うこともできなかったということでしょうかね」
「うん? だったら、あの『月に一回会う約束』っていうのは? マギーさんとも今日が初対面じゃねえんだろ?」
「あ、あれですか……」
 言って、苦笑いを浮かべるニコル。
 その何事か言いにくそうにしているニコルを、デイヴィッド警部がせっついた。
「なにかあったのか?」
「いえ、たいしたことじゃないんですがね……。私が十九歳の時でしたから、いまからかれこれ五年前、ああ、ちょうど切り裂きジャック事件と同じぐらいの時期だったと思います。私を引き取ってくれていた子爵夫人が急死してしまいまして、私はしばらくロンドンに戻って、あれこれと遺産の管理などをしていたんです」
「ほう、そんなことがあったのか……」
「ええ。そして偶然ロンドンの街角で、マリアと再会したのもちょうどその時でした。ただ、あの小さかったマリアが、昔育った孤児院に戻ってシスターまでしていたのには、さすがに驚きでしたけどね」
 ニコルは昔を懐かしんで、思い出し笑いを浮かべた。
 と、そこへ、デイヴィッド警部の鋭い突っ込みが飛び込んでくる。
「まぁ、あんだけ美人に育っていれば、ビックリもするよなぁ。美人の妹と月に一回のデート、か。うやましいねぇ」
 さすがのニコルも、この冷やかしには真っ赤になって真っ向から否定した。
「デ、デートとかそんなんじゃないですっ! ただその時に、月一回ぐらいは手伝いに来るように、約束させられただけなんですよ。そういえば、マギーさんや牧師さんと会ったのも、その時が初めてでしたね」
「で、にっこにこと手伝いに行った訳だ」
「にっこにこなんてもんじゃないです……。たしかに子どもたちは無邪気でかわいかったので、それはそれでよかったんですが、如何せんマリアとは長く離れ離れになってたせいかどう接していいかよくわからないわ、マギーさんはかくの如くおしゃべり好きの噂好きだわ、今日はお留守だったミネルバ修女長なんかも昔から変わらずの辛辣な物言いだわ、で……」
「それで足が遠のいた、と?」
「はい……。そのうち私もまたウェールズに戻ったり、マリアも他の孤児院に派遣されたりで、そのまま会わず仕舞いだったんですが……」
 一つ大きく溜め息をついてから、ニコルはゆっくりと言葉を繋げた。
「私がスコットランドヤードに派遣されたちょっと前に、マリアもまた聖ニコラオス孤児院に戻ってきていたようで、半年前にばったり再会しちゃったんですよ。もちろん以前の約束もまだ生きていたみたいでして、それで……」
「それで、この孤児院には来たくなかった、という訳か?」
「ご名答、です」
 言って、がっくりと肩を落とすニコル。
 するとその肩を、デイヴィッド警部がポンッと優しく叩いてきたではないか。
「まぁ、ここは男らしく諦めな」
「諦めろって……」
「嫌だって言っても、俺が付き合わせるからな。なっ、お兄さん」
 そう言うデイヴィッド警部の顔には、満面の笑顔が浮かんでいた。
「ちょっ、ちょっと、待ってください。それに、お兄さんって──うわぁぁぁ……!!」
 いつの間にか肩に手を回されていたニコル。哀れそのまま引きずられるようにして、その場から離れていった。
 夕暮れ時のホワイトチャペルの裏通りには、ニコルの困惑した叫び声がただただ虚しく響くだけだった。
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登場人物紹介

●ニコル・クロムウェル(Nicol=Cromwell)


グレーター・ロンドン庁からスコットランドヤードに嘱託検死医として派遣されている、第二検死課の医師。しかし、派遣以降、ニコルに回ってくる仕事は、第一検死課の手伝いか、最近実験的に導入されたばかりの指紋照合の研究をさせられるぐらいで、後は若手警官が医務室代わりに第二検死課へと来るぐらいのもの。だが、デイヴィッド警部に巻き込まれ、急きょ連続殺人の捜査に駆り出されることになるのだった。

●デイヴィッド・ターナー(David=Turner)


スコットランドヤードの熱血警部。5年前の切り裂きジャック事件で、新米警官として事件にあたった経験から、「今回の一連の事件は、やつのしわざじゃねえ!」と捜査本部の方針に猛反発。しかし、単身捜査をするのには限界があるため、前々から目を付けていたニコルを巻き込むことに。

●マリア・フローレンス(Maria=Florence)


聖ニコラオス孤児院で孤児たちの世話をする修女(シスター)。

もともと彼女自身も捨て子であり、ニコルと同じ聖ニコラオス孤児院で育った過去を持つ。性格は明るく、ニコルに頼まれ、同じシスターのマギーとともに街のうわさを聞きこむことに。なお、マリアに一目ぼれしたデイヴィッド警部から、それとなくアプローチを受けるが、本人はいたって気づいていない。

●スティーヴ・マルサス(Steve=Malthus)


スコットランドヤードのエリート警視で、デイヴィッドの上司。捜査の手法の違いからデイヴィッドと対立することが多い。新たにロンドンを恐怖の渦に巻き込んだ連続殺人犯を、切り裂きジャックの再来と信じて疑わない。

●マギー・フランクリン(Maggie=Franklin)


聖ニコラオス孤児院のベテラン修女。おしゃべり好きで、かつ、うわさ好きな性格なので、今回の事件のこともいろいろとニコルやデイヴィッド警部に聞き込んでくるが、その反面、町で聞き込んだうわさもいろいろと話してくれる、迷惑であり、ありがたい人物。


●ミネルバ・ファーガソン(Minerva=Ferguson)


聖ニコラオス孤児院の筆頭修女。真面目な性格で、厳格なクリスチャン。マリアやマギーが事件に首を突っ込むことをこころよく思っていない。

●ウィリアム・スチュワート(William=Stewart)


聖ニコラオス孤児院のあるイースト・エンド教区に務める優しき老牧師。孤児院に常駐しているのは修女たちで、ウィリアム牧師は週一回礼拝のときに孤児院を訪ねている。

●連続殺人の被害者 case1

アニー・スコット(Annie=Scott)


27歳。第一の被害者で、死因は失血死。

イースト・エンドのセントキャサリン地区で夜明けに死体が発見される。18箇所に及ぶ切り口が見られた。

職業は売春婦。

事件日は十月十四日。

●連続殺人の被害者 case2

ローズマリー・ジョーンズ(Rosemary=Jones)


23歳。第二の被害者で、死因は頚部を掻き切られたことによる窒息死。

イースト・エンドのホワイトチャペル地区で悲鳴を聞きつけた巡査がかけつけるも、事切れた状態で発見された。切り口は、死因となった頚部の一箇所と、腹部の七箇所の刺し傷。

職業は売春婦。

事件日は十一月十五日。

●連続殺人の被害者 case3

アイリーン・コックス(Irene=Cocks)


24歳。第三の被害者で、死因は失血死。

イースト・エンドのホワイトチャペル地区で夜明けに死体が発見される。29箇所に及ぶ切り口が見られ、ずたずたに腹まで割かれていたが、内臓はすべて揃っていた。

職業は売春婦。

事件日は十一月二十九日。


●連続殺人の被害者 case4

メアリー・リトル(Mary=Little)


21歳。第四の被害者で、死因は頚動脈の切断。

テムズ川のほとりで死体が発見される。腹がずたずたに割かれていたが、内臓はかろうじてすべて揃っていた。

職業はメイド。

事件日は十二月四日。


●連続殺人の被害者 case5

マーガレット・ウォルポール(Margaret=Walpole)


22歳。第五の被害者で、死因は失血死。

イースト・エンドのセントキャサリン地区で、夜明けに死体が発見される。腹がずたずたに割かれており、内臓の一部が持ち去られいた。

職業は教師。

事件日は十二月五日。


●連続殺人の被害者 case6(未遂)

フェアリー・コールズ(Fairy=Coles)


第六の被害者になりかけた女性。3件目の被害者アイリーン・コックスと顔見知りであり、その遺体の第一発見者でもある。

職業は売春婦。


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