Dr.ニコルの検死FILE

エピソードの総文字数=2,226文字

 それから小一時間、孤児院で子どもたちの世話を手伝わされ、帰路に着くニコルの足取りは鉛のように重くなっていた。
 対照的に、その脇で軽いステップを踏んでいたデイヴィッド警部が、ボソッと呟く。
「しっかし、お前さんにあんな美人の妹さんが居ようとはなぁ」
「は、はぁ……。妹とは言いましても、血は繋がってないんですがね」
「どういうことだ?」
 ステップをピタリと止め、デイヴィッド警部がニコルの顔をのぞき込むようにして訊ねてきた。
 相変わらずのげんなりとした面持ちで、ニコルはゆるゆる答えた。
「私も昔、この孤児院で育ったんですよ」
「ほう」
 ニコルの告白に、デイヴィッド警部が興味深げな感嘆を漏らした。
 だが、それを気にすることなく、ニコルはそのまま言葉を続けた。
「七歳の時でしたかね。当時身寄りのなかった私はここに引き取られて、養育されることになったんです」
「なるほどね。それでシスターたちと顔見知りだったって訳か」
「ええ、そしてその頃私によく懐いていたのが、四歳年下のマリアだったんです。あ、ちなみに当時マギーさんや牧師さんはこちらの孤児院にはいらっしゃいませんでしたがね」
「ああ、それで血が繋がってないのに、お兄ちゃんって呼ばれてるのか」
「はい。ただ、その仮初めの兄妹関係も、そんなに長くは続きませんでした。なぜなら私が十三歳の時、子どものいなかったクロムウェル子爵夫人に引き取られることになり、ここを離れてしまいましたから」
「そういう事情もあったのか」
「ええ。でも、子爵夫人には養育だけでなく、しっかりと教育まで受けさせていただきましたから、私はかなり恵まれていた方だったと思いますよ。私のクロムウェルという名前も、その方にいただいたものですしね」
「その子爵夫人にしっかりと愛情をもって育てられたんだな」
「ええ、まぁ……。ただ、少々残念だったのは、、私はウェールズの全寮制の学校に入れられたので、それからは孤児院を訪れることもできなければ、マリアと会うこともできなかったということでしょうかね」
「うん? だったら、あの『月に一回会う約束』っていうのは? マギーさんとも今日が初対面じゃねえんだろ?」
「あ、あれですか……」
 言って、苦笑いを浮かべるニコル。
 その何事か言いにくそうにしているニコルを、デイヴィッド警部がせっついた。
「なにかあったのか?」
「いえ、たいしたことじゃないんですがね……。私が十九歳の時でしたから、いまからかれこれ五年前、ああ、ちょうど切り裂きジャック事件と同じぐらいの時期だったと思います。私を引き取ってくれていた子爵夫人が急死してしまいまして、私はしばらくロンドンに戻って、あれこれと遺産の管理などをしていたんです」
「ほう、そんなことがあったのか……」
「ええ。そして偶然ロンドンの街角で、マリアと再会したのもちょうどその時でした。ただ、あの小さかったマリアが、昔育った孤児院に戻ってシスターまでしていたのには、さすがに驚きでしたけどね」
 ニコルは昔を懐かしんで、思い出し笑いを浮かべた。
 と、そこへ、デイヴィッド警部の鋭い突っ込みが飛び込んでくる。
「まぁ、あんだけ美人に育っていれば、ビックリもするよなぁ。美人の妹と月に一回のデート、か。うやましいねぇ」
 さすがのニコルも、この冷やかしには真っ赤になって真っ向から否定した。
「デ、デートとかそんなんじゃないですっ! ただその時に、月一回ぐらいは手伝いに来るように、約束させられただけなんですよ。そういえば、マギーさんや牧師さんと会ったのも、その時が初めてでしたね」
「で、にっこにこと手伝いに行った訳だ」
「にっこにこなんてもんじゃないです……。たしかに子どもたちは無邪気でかわいかったので、それはそれでよかったんですが、如何せんマリアとは長く離れ離れになってたせいかどう接していいかよくわからないわ、マギーさんはかくの如くおしゃべり好きの噂好きだわ、今日はお留守だったミネルバ修女長なんかも昔から変わらずの辛辣な物言いだわ、で……」
「それで足が遠のいた、と?」
「はい……。そのうち私もまたウェールズに戻ったり、マリアも他の孤児院に派遣されたりで、そのまま会わず仕舞いだったんですが……」
 一つ大きく溜め息をついてから、ニコルはゆっくりと言葉を繋げた。
「私がスコットランドヤードに派遣されたちょっと前に、マリアもまた聖ニコラオス孤児院に戻ってきていたようで、半年前にばったり再会しちゃったんですよ。もちろん以前の約束もまだ生きていたみたいでして、それで……」
「それで、この孤児院には来たくなかった、という訳か?」
「ご名答、です」
 言って、がっくりと肩を落とすニコル。
 するとその肩を、デイヴィッド警部がポンッと優しく叩いてきたではないか。
「まぁ、ここは男らしく諦めな」
「諦めろって……」
「嫌だって言っても、俺が付き合わせるからな。なっ、お兄さん」
 そう言うデイヴィッド警部の顔には、満面の笑顔が浮かんでいた。
「ちょっ、ちょっと、待ってください。それに、お兄さんって──うわぁぁぁ……!!」
 いつの間にか肩に手を回されていたニコル。哀れそのまま引きずられるようにして、その場から離れていった。
 夕暮れ時のホワイトチャペルの裏通りには、ニコルの困惑した叫び声がただただ虚しく響くだけだった。

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